剣と魔法が支配する 3
到着した。
というよりも着地した。
ミサイルのような速度で空中移動したカプセルは、落下の瞬間もスムーズではなく、
衝撃は瞬時に膨らんだエアバックに吸収され、残ったのは酷い酩酊状態だけだった。
「と、トモリ、無事か?」
「な、なんとかのぉ」
命を守ってくれたクッションも、いまでは無用の長物だ。浮遊感とともに押し分け、コックを捻って外に出る。
岩と赤土が視界いっばいに広がった。
吹き抜ける荒野の風にさらされ、俺の気分は幾らかマシになる。
「ん?」
外側のエアバックも発動したらしい。真っ白な風船みたいになったカプセルに手紙がついているのを見つけた。
『この手紙を読んでいるということは無事に転送に成功したということだろう』
感動的な書き出しっぽいが、感情は殺意に囚われている。どうやらメッセージはフローレンスからのものらしい。
『キミにはやってもらうことが幾つかある。まずこの転送機は拓けた場所に着地しているはずである。一番近くにある町を目指せ。次に運送屋を手配し、カプセルが射出されたサウレフトまで戻す手配をしろ。以上だ』
なんつうアナログ。なにが天才発明家だ。
「もう二度とあいつには会わない……」
静かな誓いは秋風に流されていった。
「何を読んでおるん?」
青い顔をカプセルから覗かせたトモリが尋ねてきた。
「手紙だ。フローレンスからの」
「ほう、妾にも、読ませて……」
カプセルから這い出たトモリはそのまま地面にべチャリと着地した。
「大丈夫か?」
顔面から落ちたので、さすがに心配になり、慌てて肩を貸して起き上がらせる。
「ちっとも大丈夫ではないのじゃ……」
唇はふるふると震え、目玉がぐるぐる回っている。足に力が入っていないようだ。
「おい、無理するなよ。横になってろ」
「そうじゃのう。カプセルの日陰で少し休むことにオゲロゲロゲロロロラ」
吐きやがった。死ね。
胃の内容物をぶちまけるトモリの背中をさするという世界一不毛な仕事を行うこと数分、
「町で水を汲んでくるからちょっと待っとけ」
乗り物酔いもようやく落ち着いて来たので、気分転換がてら、町を目指して歩くことにした。
「頼んだのじゃ」
ハエを追うような不規則な視線に見送られ、荒野を後にする。
アタメス荒野は古戦場のあとだ。魔界との境にあるため、つねに争いの中心地であった。
地に染み込んだ強者の血は、大地をも赤く染め上げたらしい。
荒野を突っ切るようにしてたどり着くのが、古城の町、ザメツブルグだ。
門戸は誰にも開かれており、限界体制でないときの出入りは自由だ。
石畳の上を歩き、開かれた門を通って、ザメツブルグに足を踏み入れる。
賑わいは相変わらずだった。
石造りの町をぼんやり眺め、ちょっとした郷愁にとらわれる。
魔界に一番近いから、最終決戦の前はこの町を拠点にしたのだ。
数年ぶりに訪れたが、変わらぬ景色に、ホッと一息つく。
「ようこそ! ここはザメツブルグの町です!」
いきなり話しかけられたので、反射的にそちらに視線をやる。
紫がかった黒髪に、
白い肌と赤い唇。
「あ」
「……サキ?」
左目の眼帯。
祭り囃子に似た喧騒のなかで少女の姿だけが、浮かび上がって見えた。
「ま、マクラさん……?」
声をかけてきたのは、青村紗季こと、ニフチェリカ・マーメルトだった。
「う、うそ……なんで……」
サキは大きな一つの瞳を歪ませて俺をじっと見つめている。
こちらの気候にはまだ少し早い厚手のコートを羽織り、裾をギッュと握っている。
いなくなったときと同じ服装だ。
「なにして……、あっ、おい」
「ッ!」
サキがきびすを返して駆け出すのを、見送ることしかできなかった。
「無事でよかった……」
人混みに紛れて消えた背中にぼそりと呟く。
聞いた話によると、
有効な観光資源となった吸血鬼城の地下牢に、一人の少女が現れたのは二日前のこと。
発見したツアーガイドの男性は、旅人に町名を伝える仕事を彼女に斡旋したらしいのだ。
あれは仕事だったのか、という衝撃よりもサキが普通にいたことの方が驚きだ。
逃げた少女の行方を追い、町人に聴き込みを行ったのだが、目立つ容姿のお陰で発見には時間はかかなかった。
裏路地に入って三回ほど曲がったところに、彼女は立っていた。
「なんで、来たのですか?」
気配を察したらしい。
華奢な背中を向けたまま振り向くことなく呟く。
「評判なかなかよかったぞ。町の看板娘の称号が与えられるのも時間の問題だってよ。外面のよさは相変わらずだな」
「質問に答えてください」
狭い路地裏を野良猫のように駆け抜けた少女を追って、少しだけ拓けた袋小路にたどり着いた。
鉄骨やパイプがむき出しのお世辞にもキレイとは言えない空間だ。煉瓦作りの建物には排気ダクトの出口が作られており、垂れた油が壁面を黒く染めていた。
「……お前を助けに来た」
「助け……?」
「ピンチの人を見過ごさないのが勇者だからな」
「本当に……マクラさんが勇者なんですね」
「ああ」
「……いろんな、いろんな人の話を聞きました。取り巻く状況や魔界の現状、人間界の同胞は駆逐させられ、屈辱的な首輪をつけられ奴隷のように扱われているとか……」
こいつにフローレンスからもらった首輪は絶対に見せないようにしよう。
「ぜんぶ勇者が作り上げた平和です」
「ああ」
「……」
サキはうつむいて小さな握りこぶしを震わせた。
「平和?」
自問自答のような独り言を呟いたあとで、少女はゆっくりと振り返った。目が合う。
涙と怒りが混じった鋭い瞳だ。
「よくも、ぬけぬけと、会話ができますわね」
「俺は俺に自分に与えられた仕事をこなしただけだ」
「……なんて言えばいいのか、わかりません。怒ればいいのか、悲しめばいいのか、いろんなことが起こりすぎでわからないんです。でも自分の感情を素直に伝えるのならば……」
鳶色の瞳が優しさに歪み、頬が静かなピンクに染まる。
「マクラさんに、会えて嬉しい」
声音に負の感情は宿っておらず、秋風のような爽やかさが漂うだけだった。
「その思いは確かなものです」
「……おれも……」
「父のカタキがとれるから」
「!?」
一瞬胸が震えたが、そんなものは気のせいだ。
サキは壁に立て掛けられていた錆びだらけの鉄パイプを右手で掴み、構えた。
「ありがとうございます……でも、さよならです」
ゆらりと揺れる彼女の体。
ただの鉄パイプのはずなのに、少女の持つソレは上等な得物を思わせた。
「……まて、落ち着けよ。無理に争わなくてもいいだろ。せっかく良好な人間関係を……」
俺は少しだけ目を閉じた。
少女との思い出がまぶたの裏のスクリーンに投影される。
ろくな思い出がなかった。
「しかたないな」
争いは避けては通れないというなら、出来るだけ手短に、だ。
「後悔するなよ」
「ワタクシは納得したいだけです」
いずれにしても、そういう運命だったのだ。
勇者と魔王は殺し合わなきゃ。
「いきます!」
サキの上体がわずかに後ろに引いた。バネと同じだ。スピードをあげるため、勢いをつけようとしている。
だから崩しやすい。
地の呪文で脚力を強化する。
一瞬の緩みを見逃すわけがない。人差し指一本で、サキの額を軽く小突いた。
「ひゃあぁ」
どでん、と大きな音をたてて尻餅をつく。
「もう十分だろ」
「まだ、です」
鉄パイプを杖がわりにサキは立ち上がった。
「魔王をなめないでください。優しき父様のカタキをうつのです!」
「わりかしロクでもなかったぞ」
実の娘を復活のための生け贄にしようだなんて真性のクズだ。
「おだまりなさい!」
「言ってわからないなら痛い目に合うしかないな」
悪役っぽい台詞が自然と口をついた。
肩に背負った聖剣トモリを取りだし、鞘を抜く。
「覚悟はいいか?」
サキはなにも言わずに鉄パイプを俺に向けた。
やれやれ、仕方ない。
一太刀目、袈裟斬り。
弾かれる。
凪ぎ払い
防がれる。
突き。
避けられる。
正直驚いた。祐一郎には簡単に不覚をとられるし、テリヤムの睡眠魔法にいとも容易くかかるくらいだから、ただの雑魚だと思っていたが、存外レベルは高いらしい。戦闘時の集中力は並みのものではなく、思った以上に手こずりそうだ。
面白くなってきた。
「ワタクシの番です!」
すべての攻撃を捌ききったサキは、バックステップで距離を取り、猿のような俊敏さで壁の出っ張りに足をかけると、高い段差の上に跳躍した。
「覚悟はよろしいでしょうか?」
「……」
「火!」
空中に火の玉がボッという音をたてて浮かぶ。
ただの初級呪文だ。なにも怖くない。
「なめてんの?」
「火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火」
「!?」
「火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火」
「な、なんつう」
「火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火!」
ゲシュタルト崩壊を起こしそうなほど大量な火が空中に浮かぶ。とんでもない魔力総量と熱気だ。路地裏がオーブンの中みたいになる。
ひきつった笑みのような言葉の度に増え続ける火球。
驚くべくは一度にこれだけの火球を作り出せる魔力と呪文詠唱の肺活量だ。吹き矢部とかいうマイナーグラブに入っていたのはこういう理由があったのかもしれない。
「ハァハァ……ま、マクラさん……」
穏やかではないたくさんの炎の中心で息を切らしながら少女が俺を睨み付けた。
「本当に、本当に心の底から、謝ってくれるのなら、ワタクシは、あなたを……」
「マジで反省している。申し訳なかったと思っている。すまんて」
「……」
俺の心の底からの謝罪を受け止めたサキの目は冷たかった。
「全く心がこもってないじゃないですか!」
「心込めて謝罪してるよ!」
「目が死んでますわ! 嘘つき! 嫌いです!」
彼女の叫びとともに数百もの火の玉が俺に降り注いだ。
何でわかってくれないんだ!
この目は生まれつきだ!
と、叫んだところで圧倒的物量のなかでは無意味な主張と相成った。
雪崩のような火の雨の中、俺はサキのことを考えた。
彼女は自分が父親の代替え品だということを知っているのだろうか。
父親を慕う少女のことを思うと胸が苦しくなる。
砂ぼこりがはれ、黒焦げになった石畳が露になる。
「……空しい勝利です」
屋根の上からサキの頭頂を眺める。キレイな髪だ。天使のわっかが出来ている。
「ただ、あなたと一緒にいたいだけなのに……」
なんか独り言をぶつぶつと呟いている。
「ごめんなさい……マクラさん、でも、やっぱり、ワタクシは」
火の雨にはびびったが、冷静に考えてみれば、初級呪文の連弾だ。水の中級呪文で自分の体をバリアーのようにして覆い、粉塵に紛れて脱出するのは容易かった。
「もうやめようぜ」
「はっ!」
跳躍能力をアップさせ、彼女の背後に回るのも楽な作業だ。
「疲れるだけだ」
「ま、マクラさん、無事だったんですか!?」
「まあな」
自分でやったくせに、やけに嬉しそうな笑顔を浮かべるサキ。
意味がわからん。情緒不安定か。
「はっ、それより今の聞いてました?」
「断片的にな。お前、独り言えげつないな」
「っぅー」
顔がみるみる真っ赤になっていく。まるで紅葉だ。
「ばかー!」
女の子らしい叫び声が路地裏に響いた。
ザメツブルグの日の入りは早い。
気づけば辺りは茜色だ。
黄昏のなかでサキは吹っ切れたような笑顔で期限良さそうに一回くるりと回って見せた。
「どうやら、ワタクシの敗けのようです」
「勝敗は決してないけど、あのままやりあってたらどちらかが病院のお世話になるとこだった」
「おためごかしはよしてください。勇者との経験値の差はいまさら埋められるものでありません。ワタクシが敗けを認めたのはたった一つシンプルな答えです」
「はあ?」
「笑わせられましたから」
がちでいってる意味がわからなかった。




