バッドエンドの続き 2
月日にして約一年ぶり。
昔馴染みの景色に十九年分の郷愁が去来する。
ただ実家に帰るだけなのに、なんでこんなに辛いのだろう。
「この時間なら誰もいないはずだ」
坂の上にある実家を見上げ、俺は浅くため息をついた。
両親は共働きだ。
父は研究職で滅多に家に帰らず、母は一般企業で秘書をやっている。
弟と妹が一人づついるが、どちらも高校に通っていて、お昼前は授業中のはずである。
「聞きそびれたのだが、マクラは大学生なのかのう?」
高校時代、クラスメートだった家森友利が聞いてきた。
「いや」
「む。浪人かの。頭よかったのに」
「働いてる。高校も卒業していない、中退だ」
「ほー。妾と同じじゃな」
トモリは少しだけはにかんだ。
お前はニートだろ。一緒にしないでほしい。
「せっかくテスト勉強見てやったのに、なに勝手に辞めてんだよ」
「まあ、よいではないか。冷静に考えてみ。毎日授業を受けるなんて拷問、妾には無理だったんじゃ」
肩を竦めておどけて見せる。
口調は違うが、やっぱりメメント・モリヤーティは家森友利だった。
「それにしても、なして独り暮らしをしておるのじゃ?」
「なにが?」
「この距離なら実家から通った方が効率的であろう。わざわざ自炊というめんどくさい道を選ぶ理由が妾にはわからない」
「勘当されたんだ」
「……? カンドウ?」
「縁切りってこと」
「なして?」
「親が世間体を気にするタイプだったんだ。まあ、いまとなっちゃどうでもいいが」
坂を上りきった先にある、土塀に囲われた古い家が沢村家だ。
高台にあるので、冬は町を一望できた。
「大きい……」
「古いだけだ」
口をポカンと開け、ミヤが呟いた。
「まるで魔王の城みたい」
「……それ、誉めてるようでけなしてるからな」
鉄製の門を押し開けて、玄関に行く。
俺のあとには、トモリとミヤとユナの三人が一列になってついてきていた。
「さて」
振りかえって、三人娘に視線を合わせる。
「鍵を開けてくれ」
ドアノブを指差す。鍵を持っていないのだ。
さんざんアパートの防犯をダメにしてきたクソ呪文がはじめて役にたつ時がきた。
「誰か帰ってくる前に、さっさと風呂場に行って、次元爆弾を爆発させるぞ」
「了解じゃ」
「わかった」
「仕方ないわね」
三者三様に声をあげ、
「ん?」
全員が顔を見合わせて、小首をかしげた。
「いいから早く鍵を開けてくれよ」
「わかった」
「了解じゃ」
「仕方ないわね」
また声が合う。
「ん? んん?」
心底意味がわからないといった感じで見つめあっている。
「誰でもいいから、解錠を使ってくれよ」
「……」
無言で睨み会う三人。
最初に口を開いたのはユナだった。
「……ふぅん、なるほど。みんな、使えるのね。解錠呪文を」
「ここは僕が開ける。久しぶりに魔法を使いたい」
ずいっと一歩前に出るミヤ。
「それならば妾も同じ。使わないと忘れてしまう」
それを右手で制すトモリ。
「普段使わない奴らが使って失敗したらどうするの。ベテランにまかせなさい」
一人でふんぞり返るユナ。
総評するのならば、滑稽の一言だ。
なんで、この人たちそんなに鍵開け呪文を唱えたがってんだ?
「早く開けろ」
三竦みにイライラしてきたのは俺の方だった。
「しゃあ、こうしましょう。三人同時に唱えるの。それなら、誰の魔法で開いたかわからないし、全員平等だから、気持ちよく魔法を使えるわ」
「わかった。それでいこう」
「うむ。意義なしじゃ」
処刑人が罪悪感を分散させるため、執行ボタン押すとき多人数でやる、みたいな。
「せーの」
三人で可愛らしく声を合わせて、
「解錠!」
魔法を唱える。
ドアがぶっ飛んだ。
大気をつんざく爆音。
相乗効果で魔法が強力になったのだろう。トラックが突っ込んだみたいにひしゃげている。
喉まで「ふざけんな!」が出かかったが、空気が乾燥しているせいで、ヒューヒューと変な音が漏れるだけだった。
「あっちゃー。やってしまったわね」
「でもドアは開いた。目的は達成された。ミッションコンプリート」
本気で言ってるなら殴りかかるぞ。
ただのデカイ鉄板と化した扉は無惨に玄関先に転がっている。恐ろしい威力だ。蝶番が木っ端微塵になっている。
「……まあ、なんていうか」
吃る。たどたどしい言葉の続きを少女たちは息を飲んで待っていた。俺の発言によって、損害賠償請求がどうなるか決まる、と思っているに違いない。
「ひとまず、うん。風呂場行くか」
しばらく悩んだが、逃げることにした。
人は範疇外の出来事に遭遇すると現実逃避するようにできているらしい。
異世界にいけば、ドアが壊れたことも関係なくなるし、俺は悪くないし。
セルフで罪悪感を誤魔化していたら、
「誰だッ!!」
居間から物音を聞き付けて飛んできた住人の存在に気づくのが、遅れてしまった。
「ア、アニキ!?」
急ブレーキを踏んだ弟は俺の顔を見て、目を見開いた。
「よぉ、元気か?」
一年ぶりに見た実弟は、少し背が伸びたみたいだった。
「アニキ、あんた、なにしに」
「なんて説明すればいいか」
「そ、それに、な、なんなんだよ! このドア!」
「ちょっとノックしたら壊れた」
「そんなわけあるか!」
「経年劣化だよ。寿命だったんだ」
床に転がる壊れたドアを挟んで、俺と弟のススグは睨みあっていた。
沢村ススグ。現在高校三年生。一つ下の良くできた弟だ。
昔は「おにいちゃん、おにいちゃん」と何をするにも、後をついてくる可愛いやつだったが、一年前の失踪以来、状況は一転してしまった。
「何しに帰ってきたんだ。ドアを壊してまで……。アニキには悪いが、あんたはもう沢村家じゃないんだぞ」
久方ぶりだというのに、なんとも他人行儀だ。
「そんなことより、お前、学校はどうした? 不登校はよくないぞ」
「今は冬休みだ。ザクロは遊びに行っている。そんなことより質問に答えろよ、アニキ。どの面提げて来やがった」
「……」
さて、どうしようか。
妹のザクロがいないのはせめてもの救いだ。昔からアイツは俺ことを無条件で慕ってきたから、あんまり会いたくない。
色々と考えあぐねいていると、横にいたユナが「弟?」と耳元で聞いてきたので、小さくうなずく。
「なら、話は早いわ。アタシに任せなさい」
「……」
あまり期待できないが、言い訳が何も思い浮かばない俺よりは遥かにマシかもしれない。
無い胸を張るユナは俺より一歩前に出ると、にっこりと微笑んで、恭しく頭を下げた。
「はじめまして。おじさま」
「おじ……き、キミはなんだ。いきなり現れて、アニキとどういう関係だ」
ススグは見てわかるくらい狼狽していた。
「アタシは沢村マクラの娘よ」
俺も混乱した。
「はぁ!?」
弟とダブって声をあげてしまう。すごい目でユナに睨み付けられたので、いましばらく黙っておくことにしよう。
「ど。どういうことだよ、意味わかんねぇよ!」
「そんでもって、後ろの二人がマクラの恋人」
「えっ!?」
突発的な発言にトモリとミヤも目を丸くしている。ちなみに俺も初耳だ。
「う、嘘だろ!?」
「今日はご両親に挨拶に伺ったの。どちらも留守みたいだけど、ススグオジサマに会えて良かったわ」
『き、キミはいくつなんだ?』
「十二歳」
「アニキが、七歳の時の子供!?」
さすが我が弟、俺に似て計算が早い。
「ど、どういうことだよ!?」
「……そういうことだ」
「ふ、二人も恋人がいて、娘もいるって……」
俺が聞きたいよ。
「勘違いしないでおじさん、アタシは連れ子よ。えーと、そっちの」
指差され露骨に嫌な顔をするトモリ。
弟は泳ぐ視線でトモリを見据えた。
「し、失礼ですが、おいくつですか?」
「マクラと同い年じゃ」
「やっぱり七歳の時の子供!?」
もう、わけわかんねぇな。
「か、仮にアニキの恋人だとして、そっちの人はいいのかよ!」
指をさされ不愉快そうにミヤは眉をしかめた。
「いいかとか悪いかとか、どちらかと言うと、どうでもいい」
「なげやり!」
実に楽しそうにツッコムな、こいつ。
「ススグ、とりあえず上がっていいか?」
日が出ているとはいえ、真冬なんで物凄く寒い。北風が吹いて体温が奪われていく。
「いや、いや、ダメだ。母さんがアニキは家の人じゃないから、二度と敷居を跨がせるなって、あれほど……」
「めんどくせぇやつだなお前も。両親に恋人を紹介したいって言ってんだろ。純粋な思いだよ、こっちは」
「あ、あーと。そうだよな……ドアを壊したのはアレだけど、親戚になるかもしれない人の紹介だもんな……」
しっかりしろ弟よ。こんな訳のわからない言い分を認めてしまうのはどうかと思うぞ。
「どうぞ……」
心が折れたのか虚ろな表情をしたススグはぺこりとその場でお辞儀した。
なんにせよ、結果オーライだ。
「よし! 急ぐぞ!」
土足のまま一気に廊下を駆け出す。
すれ違ったススグは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で叫んだ。
「どこ行く気だよ!」
がっちり腕を捕まれる。邪魔だ。
「風呂場だよ!」
振りほどきながら、答えてやる。
「風呂!? なんで?」
「なんでって、お前、そりゃ……恋人どうしが一緒に風呂はいんの当たり前だろ?」
「えっ!」
驚愕に顔を歪め、
「そ、そうなのかな……」
鼻血を静かに垂らす弟。このムッツリスケベめ。
謎理論に呆然とするススグの背後に立ったユナが、彼の背中を指差した。
「睡眠!」
「うっ……」
強制睡眠呪文を食らったススグがその場に力無く倒れる。そのわずか一瞬前に「やっぱり、アニキって、すげぇ……」と小さく呟いていたので、少しは威厳が取り戻せたのかもしれない。
「最初からこうすればよかったわ」
「全くだな」
手のひらを天井に掲げ、ひょうきんな外国人みたいなアクションをするユナの頭にげんこつを食らわせてやりたかったが、グッと我慢した。
スヤスヤと寝息をたてるススグを居間まで運んでやり、毛布を一枚かけてやる。
こいつはこれでいい。
あとは俺たちの問題だ。
「次元の歪みを感じる」
風呂場に近づいた途端、ミヤが青い顔で呟く。
「スゴい。ここまではっきりと空間がねじ曲がっているのは始めてみた。なんでこんなことになっているの?」
「俺が向こうに召喚された場所だからだ」
「これなら、行ける。間違いなく向こうの世界へ」
その言葉は太鼓判に等しかった。
「準備をしましょう」
ユナがにこりと微笑んだ。
準備といっても特にやることはない、ミヤがいそいそと爆弾をセッティングしているのを壁にもたれ掛かりながら眺めるだけだ。
「なあ」
「なんじゃ?」
ミヤとユナがアレコレ相談しながら準備しているのを暇そうに眺めるトモリに話しかける。
「アレが爆発したら、風呂場はなくなるのか?」
「たぶんそんなことないぞ。爆弾は次元消失の波を発生させ、空間に穴を開けるだけじゃからのう。物理的な損失は起こらないはずじゃよ。仮に物損が起こったとしても、次元はあくまでも現世が優勢じゃから遡及性ですぐに戻るはずじゃ」
「なるほど。なるほど」
日本語喋ってくださーい。
「ようは、お風呂場は壊れないってことだな」
「うむ」
ひとまず風呂場が無事ならそれでいい。
「できた。完璧に等しい。それではカウントダウンを始める。みんな、下がって」
準備が整ったらしい、ミヤが単調な語調で俺たちを脱衣場の入り口まで追いやった。
「それでは、声を揃えて合唱コンのように気持ちをひとつに。一、……二、三」
「カウントダウンなら、大きい数値から小さい方にいかないと無意味よ」
「……三、二、一」
バカか、この女子高生。
「……ゼロ!」
ミヤが唱えると同時に爆発音が轟いた。
聴覚が麻痺するような爆音、閃光とともに飛んできた盥に頭を打ち付ける。
「うっおっ!」
容赦ない威力だ。すべて消し飛んだのではないか。
爆風収まらない状況で、半ば怒鳴るように声をあげる。
「な、なにが、物理的なダメージは、ないだよ! 露天風呂になってんじゃねぇか!」
「妾、勘違いしとった」
えぐられた配管から、水が漏れ、天井に向かって吹きだしている。
閃光で眩んでいた視界がもとに戻ってくる。
バスタブの上の空間に、穴が開いていた。畳一畳くらいの大きさだ。
「すご……」
穴の向こうに草原が広がっていた。
ああ、何て、懐かしい。
思えば俺の人生の暗転はアソコからはじまった。
でも、なんで、
切り取られた風景は美しく感じるのだろうか。
「うおっ!」
と、思った瞬間、体がその穴に急激に引っ張られた。
「なっ、んだ! これっ」
湯船に浮かべるアヒルのオモチャが穴に吸い込まれていくのを、俺の視界が捉えると同時に、自らの体も重力から解放されて、フワリと浮き上がる。
「空気圧じゃあ!」
事故った飛行機かよ。
景色が回る。
転んで、後頭部を打ち付けた、らしい。
チカッ、と光が瞬いて、俺の意識は霧散した。
流転。




