冬の空と継続する悔恨 3
今年一番の冷え込みも、暖房の効いた部屋にいる俺たちには関係のない話だった。
「魔王は向こうの世界、ザメツブルグの城にいる」
隣の部屋で寝ているホームステイ先の家主に聞こえないよう声を潜めて会話をする。
「ザメツブルグは皇国サウレフトの真東、魔界との国境線に位置する」
ミヤはドデカいクマのヌイグルミを抱き締めながら、反芻するように伝えられた情報を呟き、
「どうやって、そこに行くの?」
誰もが思う疑問を口にした。
「ゲートが開くのは来年の四月一日と確定している。僕らはそれまで帰ることはできない」
ゲート?
聞きなれない言葉が出たので、ちらりとユナを見る。
「三年周期で異世界同士を繋ぐ扉が現れるのよ。二年前の四月に来たアタシたちは来年の四月になるまで帰れない」
そういうルールになっていたのか、と得心がゆく。こちらの世界に来ている間、魔界の情報が一切遮断されるというのも納得だ。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや……」
じゃあ、誰がサキに魔界が滅んだことを教えたんだ?
「来年まで待ってたら魔王が死んでしまう。夏終わりのシーモンキーのように!」
俺の思考はミヤの愉快な叫び声に分断された。
とやかく悩むより、いまは目の前の課題に集中しよう。
「ただし、何事にも例外はあるわ」
ユナが人差し指を一本立て、にやりと片頬を吊り上げた。
「種族スキルよ」
「種族、スキル? なにそれ」
「固体に与えられる能力のこと。留学に来ているモンスターの中に次元跳躍の能力を持つ種族がいるの」
「テリヤム・メドクーラでしょ?」
「違うわ、あいつのは魔法だもの。膨大な魔力を必要とする魔法と個体に備わるスキルは似て非なるものよ」
テリヤムが使った空間跳躍は珍しくはあるものの一般にも伝わる高等魔法だ。パーティにいた魔法使いも覚えていた。
「今アタシたちが必要としているのは、門戸開放の種族スキルよ。自由自在に異空間とを繋ぐ小規模なゲートを開くことができる能力」
「はぇー。世の中には便利な力があるんだね。それで、それはどのモンスターが持ってるの? ユナが持ってるの?」
「あなたよ」
「へぇ、そうなんだ。知らなかっ……僕?」
改めてキョトンとするミヤ。
「ええ。ゴーレム族のミヤストム・ノルウェジアン。異次元のゲートを繋ぐ門番よ」
「いや、ないよ」
高らかな宣言を端的に返され、ユナは一瞬だけ面食らった。
「あ、あるわよ。確かだもの。ゴーレム族に門番として付与されるスキル」
「あったとしても僕は覚えてないよ」
「そんなわけないわ。だって、種族スキルは、大抵13レベルくらいになれば自動的に付与される能力だし」
「4レベだよ」
「え?」
「僕はいま4レベ」
空気が凍る。
「ま、またまた、ご冗談を……」
「僕が使える呪文は解錠だけ。こないだ魔王に教わった」
あーまぁー薄々気付いてた。
ミヤは雑魚だ。
「いや、でもだって、え?」
いつも落ち着き払っているユナが珍しく狼狽している。見た目相応みたいだ。
「だって、あれよ、あの、この留学自体が才能に溢れた魔族の子供が選ばれるわけだし、そんなレベルが低いわけ」
「昔からモノ作りが好きで僕が評価されたのは大罪のスキルである形状変化だけだよ。それにゴーレム族は少子高齢化で若い子が居なかったんだ。非力な僕が選ばれたのは、ただのラッキーだった」
「……」
冬だというのに脂汗がでる。
4レベルだと近所の猫の方が強い。
たぶん俺が小学生の時飼ってた亀の方が強い。下手したら金魚の方が……。
「おい、どうすんだよ」
口をへの字に結んだまま動かないユナに声をかける。
「ちょっと考えてるから待って」
万策つきた、といった感じだ。
いつまでもグダグダやっててもしょうがない。
ゆっくり立ち上がる。
「どこ行くのよ」
「テリヤムとカルックスところ。こないだのゴタゴタでテリヤムの家は知ってるし、あいつらを倒しておけば時間が稼げるだろ」
「なにをバカな。一人で勝てるわけないでしょ」
「わからんが、武器があれば、なんとか」
自宅の台所にある聖剣を使えば、一対一なら切り捨てることも不可能ではない。
「無謀だわ。あなた、さっきの攻防で魔力がつきかけてるじゃない」
「とっくに回復したわ。それに真っ正面からぶつかりに行くわけないだろ。暗殺だよ」
「ゆ、勇者の発言とは思えない……」
「なぁに、俺のことは心配するな。例えなにがあろうとまだギリギリ少年法が守ってくれる」
あと数ヶ月でアウトだけど。
「不確定すぎるわ。もっとちゃんと時間をかけて、きちんとした作戦を練ってからにしましょう」
ユナは立ち上がって、ドアを塞ぐように立った。
「どうしても行くというならアタシを倒してからにしなさい」
「邪魔だ」
脇を持って位置をずらす。
ひゅー、すとんと小気味よい音をたて着地するユナ。
「じゃ、いってきます」
「ちょ、ちょっと話を聞きなさい!」
壁になることができなかった幼女が叫んだ時だった。
「一つだけ」
ミヤがやおら立ち上がると瞳を閉じて呟いた。
「文字通り最期の手段がある」
透き通るような銀髪が蛍光灯をキラキラと反射していた。クマのヌイグルミをベッドに放り投げ、彼女は続けた。
「僕がゲートを繋ぐ」
「それは出来ないってさっき言ったばかりだろ」
「僕が死んで道を作る」
「は?」
宮藤美夜は浮世離れした発言が多く、事の真意をうやむやにするのが常だったが、その宣言にも似た提案は、根底にある力強さを表したものに違いなかった。
普段であれば冗談と笑って受けるところであるが、彼女は一度学校の屋上から躊躇うことなく飛び降りた前科がある。発言にも説得力が生まれる。
「お前はなにを言ってるんだ?」
とはいえ目の前の女の子よりも数年人生の先輩なので、易々と「死」を見過ごすわけにはいかない。
「ここ」
とん、と年の割には豊満な自らの胸を指差し、
「僕の心臓は爆弾になっている」
と不穏な発言をした。
「だからどうした。死ぬまで爆発させんじゃねぇぞ」
「この爆弾は僕の最高傑作。次元消失爆弾。爆発すれば他の世界を引き寄せることができる」
「へぇそうなんだ、すごいね。だからどうした、意味がわからん」
「この爆弾を使えば向こうの世界に行くことができる。閉じたゲートを無理矢理こじ開けるんだ」
「俺が意味わかんないのはお前が死ぬ理由だ」
「……心臓が止まったときに爆発するようにプログラムしたんだ。同じものを作れなくはないけど、時間がかかるから、手持ちの心臓爆弾を使うしかない」
「聞かなかったことにする。二度とそんなバカな発言をするな。じゃなきゃ文化祭の時みたく凍らせて破壊するぞ」
地球の裏側の戦争で誰かが死んだとしても関係ない話だが、少なくとも俺の知り合いには死んでほしくない。
人として当然の感情であろう。
「それでいきましょう」
だから、ユナがミヤの提案に賛同したことが信じられなかった。
「ミヤには一度死んでもらう。次元爆弾で向こうの世界に行く。魔王を助ける。保守派魔族を味方につけて、テリヤムとカルックスを返り討ちにする、完璧だわ!」
「根底から大間違いだ」
なんて冷たいスライムだ、名を冠するならアイスライム。ミヤを見捨てるだなんて。
「ふふ。勘違いしないで、マクラ。それにミヤも」
ユナは妙な含み笑いをしたあと、右手を上に突き上げた。
「死んだあと生き返ればいいのよ!」
あっちゃー、こいつヤバイやつだ。
「おい、不動院結奈」
「なによ」
「脳味噌が身体と一緒に縮んじまったみたいだから、教えてやるけどよ」
肩にポンと手をあてる。
「人は死んだら生き返らない」
「生き返るわよ」
「冷静に考えろ。この世界にはドラゴンボールはない。死んだ人が生き返ったら世界人口ヤバイことになるし、ゴーレムなのにキリストになっちまうだろ」
変な宗教にでもはまっているのだろうか。ユナの目は自信にあふれ濁ることはない。
「不可能を可能にできる知り合いがいるのよ。蘇生を生業としているやつがね」
「あ、やばい、やな予感してきた」
「ネクロマンサー、メメントを仲間にするわよ」
突然サキみたいなことを言い始めた幼女はこちらの世界に来ている全ての魔族の位置を把握している恐ろしい女だった。
怠惰の大罪を司るメメント・モリヤーティはネクロマンサーであり、自らも不死の存在であるアンデッド族だ。
そんな情報知りたくもないが、魔王の娘救出作戦にはソイツの力が必要らしい。
自宅で聖剣トモリを回収した俺は、再び夜の町へくり出した。体の芯から冷える季節だ。本当なら炬燵でみかんでも食べながら、お笑い番組でもみたいところだが、そうもいかない。
ミヤは次元爆弾のメンテナンスを明日まで行うとのことなので、モリヤーティの元へは俺とユナで行くことになった。
「メメント、本当はあんまり会いたくないんだけどね」
「どうした」
ため息が白く染まって夜空に消えた。色のない月が真っ黒のキャンバスに貼り付いているみたいだった。
「なんていうか、性格が合わないのよ……トリッキーというか」
「俺、ちょっと用事を思い出したから、ネクロマンサーにはお前一人であってくれ」
「用事って何よ?」
「……伸びすぎた足の爪を切る……」
「ダメよマクラ、逃げようとしないで。腹をくくるのよ」
「そうは言ってもなぁ……。爪剥がれると痛いし……」
「む、どうやらここにいるみたいね」
「無視かよ」
嗅覚強化で鼻をスンスンならしながら歩いていたユナが暗闇の一画を指差した。
寺だった。
「は?」
「行くわよ」
「まじ?」
寒気がした。
ユナは出っ張りに足をかけると悠々と柵を乗り越えた。仕方ないので、俺もあとに続く。
今日は不法侵入してばかりだ。
空気中に散布した魔族の痕跡を追跡するユナと後ろに続く俺は、端からみたら警察犬とトレーナーみたいに見えるのだろうか。
少女はどんどんお寺の敷地を進んでいく。
灯りが一切ないので、携帯のライトだけが頼りだ。なんでクリスマスイブの真夜中に肝試しなんてやんなきゃいけないのだろう。
先程のいざこざで負った傷が痛いし、寒いし、気分は最悪だ。
状況に対する苛立ちが舌打ちになって暗闇に溶けた。
「近いわね」
いつの間にかたくさんの墓石に囲まれていた。ひんやりとしたカコウ岩が冬の冷気を助長させる。
「ここね」
ユナは一つの墓石の前で立ち止まった。ライトで照らしてみる。『家森家ノ墓』と書かれていた。
「って、死んでるじゃない!」
ユナがセルフ突っ込みを行う横で、俺は驚嘆を隠すことができなかった。
「家森、家森友利……っ」
背中に背負った聖剣がずっしりと重くなった気がした。
目の前にある墓石は、かつての同級生のものだった。