魔王と神様のバースデー 4
死は常に隣にある。
薄汚れたトンネルが墓標になるかは、これから先のやり取りで決まる。
血と土の臭いが戦場での経験を彷彿とさせた。
「火炎!」
初手は吸血鬼の火球だっだ。
背後からの攻撃に、慌てて前屈みになる。壁に貼ってあったポスターに当たり、火花を散らしながら弾け飛んだ。
今の魔法、前回やりあったときより数倍威力が上がっていた。やはり吸血鬼と夜にやりあうのは得策ではない。
「ちっ」
もし霧になる種族スキルを発動させているとしたらリスクが高すぎる。
「おりゃ!」
「おっと! ……っあ!」
テリヤムに向かうと見せかけ、直ぐに踵をかえす。
足に意識を集中させ、俺はドラゴンに殴りかかった。
「未熟! 勇者とはこの程度であるか?」
俺の拳は通らず、デカイ手のひらでいとも容易く受け止められた。
もとより楽に攻撃が通るとは思っていない。
「はぁあ!」
「む!」
俺の優位点はスピードだ。かつて共に旅をした武道家が言っていた。
『マクラっちの拳はすごく軽いわ。だけど早いから、防御したところと違うところを直ぐに攻撃できるみたい。攻撃力は低いけど、その分防御が薄いところをつけるってこと。まあ、アタシにとってみれば、どっちみち雑魚に変わりないけど。へっ、ざーこ、ざーこ。ばーか、ばーか!』
俺の専門は切り合いだったので、よくわからなかったが、ようは、
「手数が多けりゃ、数うちゃ当たる!」
「なぬぬぬ!」
自分でもわからなくなるくらい、やたらめったら拳を打ち付ける。
「どりょぁあ!」
半分は防がれたが、半分は狙った位置に着弾する。
ただの一発も魔法で強化された一撃だ。全くのノーダメージということはないだろう。
最後に顔面に渾身の蹴りを加えて俺は地面に着地した。
「どうだ!?」
「……」
無表情だったドラゴンの顔に表情が宿る。
「がっははははは!」
笑っていた。
息が切れるくらい矢継ぎ早に繰り出した攻撃だったが、効果は薄そうだ。
「なかなかの使い手である! だが、その程度の打撃、それがしには通じぬのだ。勇者よ、魔族の怒りを知るがいい」
つり上がった道玄坂の瞳が一層鋭くなる。
「それがしらの番である」
元から太いドラゴンの腕がさらに膨れ上がり、バツンと制服が破けた。
「ぐぬぅぬぬぬ!」
「……」
「大事な制服がダメになったではないか!」
「知らねぇわ!」
「ぐぅおおお! それがしは怒れば怒るほど力が上がっていくスキル、筋力増強が備わっておる。いまのでさらにドン!」
脚の筋肉が盛り上がり、丸太のように太くなる。
当然やつのズボンも弾けとんだ。
「ぐぬぉお! それがしのズボンがぁっ! 許すまじ、勇者よ!」
「自分のせいじゃねぇか!」
「ぐがぁぁ!」
ドラゴンが前屈みになる。
相撲の立ち会いにも似た、肉食動物が獲物に襲いかかる時のアクション。
「くっ!」
刹那。
全ての魔力を靴底に集め、反対の壁へジャンプする。
飛びかかる巨体をなんとかかわした俺は、魔力を手のひらへ移し、がら空きの背中に「火!」を叩き込んだ。だが初級呪文ではなんのダメージも与えられないみたいだ。
「おのれがぁ!」
「なっ」
早い!
瞬く間に俺の正面に移動したドラゴンが鳩尾にブローを放った。
壁でバウンドする体。
岩窟王を唱えていなければ内蔵がミックスされていただろう。
「水!」
さすがに倒れると思っていたのか、反撃にぎょっとした表情を浮かべる道玄坂の目に水魔法を食らわせた。
「うぬぅ!」
ダメージを与えることが目的ではない、目潰しだ。
「岩窟王!」
全ての土魔法の力を右足に込め、奴の股間を蹴りあげた。
「ぐぁうああ!」
呻き声をあげ、よろけるドラゴン。
チャンス到来。止めは水の最上位呪文でーー、
「火!」
「くっ!」
俺の魔法ではない。テリヤムの攻撃だ。
炸裂した火炎魔法に数メートル弾き飛ばされた。攻撃に魔法を集中していたから、踏ん張りがきかなかったのだ。
「ぐっ、うぬぅ」
崩れた体勢を建て直す道玄坂の横にテリヤム・メドクーラがニヒルな笑みを浮かべて並ぶ。
「油断しすぎだよ。相手はあの勇者だ。戦闘を楽しむことより優先すべきことがあるだろ?」
「すまぬ。お主がいると思うとどうも安心してしまうらしい。それがしの悪い癖である」
一体だけでもヤバイのに、上級モンスターが二体相手となると、旗色は限りなく悪い。
仕方ない。
勇者には禁じられた技がある。
この技を作り上げてから、俺は敗北することがなくなった。
「ふう。やれやれ」
息をつき、額の汗をぬぐう。
服の埃を叩きながら立ち上がった。
「勇者よ。ここからが本番ある。それがしは必ずやお主を討ち取ってみせよう」
「そう簡単にすむかな? 俺にだって勇者の意地がある」
「むっ」
左手に火炎魔法を掲げる。
「負けてやるわけないだろ」
「なんだと思えばただの火ではないか」
「それだけじゃないぜ」
右手に水魔法を掲げる。
「な、なんだと、両手に二属性の魔法!?」
「疲れるからほんとはやりたくないんだが、お前ら相手に出し惜しみはできないみたいだからな。特別に見せてやるよ」
「まずいッ!」
テリヤムが叫んだがもう遅い。
これが俺の奥義!
「くらえ!」
同程度の魔法を同じ速度でぶつけ合う。
「なっ、くそっ!」
防御の体勢を取る二体の正面に異なる属性を持つ魔法を放ち配合させる。
「水蒸気!!」
「うおおおお!」
ぼっじゅうううう。という小気味良い音をたて、二つの魔法がぶつかり合う。ガード下は一気に白い煙に覆われた。さてと、
にっげろー!
ようは煙幕だ。
勝ち目がないなら逃げればいい。 逃げて勝てるときに勝てばいい。
ガード下を抜けた俺は駅を目指すことにした。
「さぁてと……」
勇者としてあるまじきだろうか。いや、二対一での決闘を申し込んだ卑怯者はやつらのほうだ。
乱世というならば、俺にだって考えが、
と、今後の暗殺プランを練っていた俺の脚が何者かに絡めとら、無様にも顔面から転んでしまった。
「ぐっ」
蔦だった。
俺に絡み付いたのは植物の蔦。
まさか。
「逃げるなんて切羽詰まってるって証拠なんだぜ」
「マンドラゴラ……」
狭山祐一郎、といったか。
リーゼントにボンタンの昔かたぎの不良。一応は魔王に従属したはずの男が立っていた。
「オレは常に強いものの味方だ」
ブリブリざえもんみたいなことを宣うそいつはガード下のオレンジ色の光に照らされ、下卑た笑みを浮かべていた。
「てめぇ……」
吹き出した鼻血を左手で抑える。
指の隙間から溢れた赤がボタボタとアスファルトに拡がっていく。
「……」
傍らにはサキがいて、力無い瞳で俺を見ている。感情をどこかに置き忘れたみたいに無表情だ。
「やあ、まさか君に助けられるとは思わなかったよ」
トンネルに溢れる白いもやもやの中から吸血鬼がゆっくりと出てくる。
「さすがは関東暴走族族長、狭山祐一郎である!」
ドラゴンも健在だ。
しかし、まずい。
いまのやり取りで魔力はほぼつきた。
縛り付けた蔦を焼ききる魔法すら唱えられない。
「くくく、誉めてもなにもでないぜ」
マンドラゴラがニタニタ笑いながら、蔦を締め上げてきた。
「ぐぅっ!」
いつかの復讐というわけか。
「しかしあんたが勇者だとは思わなかったぜ。只者じゃねぇとは思っていたがな」
「おい草。お前、たしか人間側につこうという算段だったな。いまがチャンスだ、俺の仲間にしてやろう」
マンドラゴラは最初に会った時、魔王軍への誘いを断りサキを襲った。こいつは単純に利害関係のみで動く男だ。
「なんだとっ!」
ドラゴンが怒鳴る。よしっ! そのまま仲間割れしろ!
「な、なにを言っているのかさっぱりなんだぜ!」
「狭山祐一郎よ、いまの話は本当か!?」
「う、嘘なんだぜ! 俺は生まれたときからずっと魔王一筋なんだぜ!」
「その言葉を聞いて安心した。追い詰められた勇者の甘言であったか。祐一郎よ、今しばらく勇者を締め上げておくのだ」
「イエッサァー!」
訓練された兵士のように綺麗な敬礼をマンドラゴラが決める。その前を通りすぎ、腹這いのまま倒れる俺の正面に道玄坂が立った。
「勇者、マクラよ」
「……なんだ」
「貴様は人間界の希望として我ら魔族に絶望を与えてきた。いまはどんな気分だ?」
「ちっ、うっせぇな。反省してまーす!」
「うぬぅあ!」
半端無い目力で睨み付けられる。
「むしゃくしゃしてやった。今は反省している。被害者の方に謝りたい」
「ふむ。お主の処刑は然るべき場所、然るべき時刻に行うと決めておる」
「まだ死にたくない」
「ならぬ、死ね!」
「くそがぁ!」
軽口を叩いてみたが、俺にとって人生は魔王を倒した時から余生に変わっている。
燃え付き症候群というやつか。
ハッピーエンドのあとの世界は大抵が下り坂だ。
あとの願いはいかに楽に死ねるか、である。
「理想をいうなら綺麗に死なせてほしいもんだぜ」
俺だって人間だ。罪悪感だってある。
切ってきたやつらに家族がいたことだって知ってる。
「やれやれ、反省の色なしだね。もとからわかっていたことだけど仕方ないかな。勇者には一旦ご退場願おうか」
吸血鬼が月明かりに微笑んだ。
他者を魅了するような、優しい笑顔だったが、俺にとっては最後通知にしか聞こえなかった。
「さあ、みんな。少し離れて」
テリヤムがゆっくりと歩み寄ってくる。奴の右手が青白く光り始め、激しい明滅が起こる。
「それは……」
光りがどんどん強くなる。直視することができなくなるくらい。
「祐一郎くん、蔦をほどいていいよ。縛ったままだと君も巻き込まれてしまう。大丈夫、この距離ならもう外さない」
「イエッサァー!」
なんて、濃度だ。空中に飛散する魔力分子がドンドン奴の右腕に集まる。
ビル一棟くらいなら、楽々と破壊できそうなほど、強力な。
俺は重たい体を起き上がらせ、精一杯の防御の姿勢をとる。
「さよなら、勇者」
テリヤムの右手が俺に伸びる。止まらない鼻血が冬だというのに、とても熱く感じた。
ドン。
衝撃ののち、暗転。
混乱と目眩。
アスファルトの冷たい質感。通りすぎた電車の明かりがフィルムのコマ送りみたいに、途切れ途切れに現状を照らし出す。
ジワリと手のひらに昇る痛み。
「マクラさん……」
俺は自由になっていた。
代わりにサキがオレがいた場所に立っていた。
「ぐぬうぉおお!」
「ニフチェリカ嬢!」
混乱が辺りを包み込む。
テリヤムの攻撃を受けたのはニフチェリカだった。
俺の代わりに。
代わり?
意味が分からない。
だって、こいつは魔王の娘で俺は魔王を殺した勇者だぞ。
なんで、俺を助けた?
助けた、そう、助けたんだ。
なんで?
ぐちゃぐちゃになった思考が答えを導きだすより早く俺の舌が震えていた。
「サキ!」
彼女の名前を叫び、駆け寄ろうとしたが、足に力が入らず、すぐにまた転けてしまった。
「マクラさん、ワタクシは、……あなたを」
サキの言葉が最期まで響くことはなかった。
テリヤムから放たれた光弾がサキの体に変化をもたらす。彼女の体は青白く明滅し、一瞬目映い光を放つと、 金属を打ち付けたような甲高い音をたて、文字通りこの世から消滅した。
あとに残された魔力の残滓が、蛍の光りみたいに幾つもユラユラと揺れているだけだった。




