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第五球~ブランク~

 現在試合は四回裏一対〇。一点のリードを貰った優那さんはここまでノーヒット無四死球九奪三振という化け物じみた投球内容を展開している。一番驚いているのはキャッチャーをしている俺なんだけれども。

 今、俺はネクストバッターズサークルで待機中である。一アウトランナー二塁でバッターは磯崎先輩。今日はヒット一本出ている。

 俺はサークルからベンチの横でキャッチボールをしている優那さんに目を向けた。マウンドにいる時とは人が変わったように笑顔で石川先輩と何か話している。いや、人が変わるのはマウンド上での話か。

「おい。なーに、神川に熱い視線向けてんだよ?試合中だぜ?」

 その声に俺は我に返る。見ると笠原がにやにやしながらこちらを見ていた。

「冗談だよ。それよりどうだい?初のスタメンマスクってのは」

「こんなに精神すり減らしたのは初めてだよ。リードの前にボール捕ることに手一杯なんだからさ」

 カーンという打球音がした。見ると先輩の打球がライト前にぽとりと落ちるのが見えた。二塁ランナーは三塁で止まっている。

「チャンスじゃん。一発頼むぜ成宮」

「うい。狙ってみる」

 冗談混じりに会話をすると俺は打席へと向かう。今日の俺は四球フォアボール一つ。それも四球ともボールだったからバットは一度も振っていない。タイミングは分かっている。よし、ここは本当に一発ホームラン狙ってみようかな。

 相手投手の手からボールが放たれる。コースは内寄りの絶好球―――!

 キィン!

「―――っ!」

 手応えは充分!弾道もかなり高め。行ったか!?打球はレフトの頭上を越える――――。

『っしゃあ!!』

 ベンチから声が上がる。打球はフェンスまでもう一伸び足りず二塁打ツーベース。一塁ランナーの磯崎先輩はホームまで返ったので二点追加で三対零となった。

 セカンドベース上で俺は思わず笑っていた。たかが草野球の練習試合でまるで公式戦のような盛り上がり。けれどその声で俺はこのチームの一員として認められているとそんな風に思えて嬉しかった。








「ストライク!バッターアウト!ゲームセット!」

 最後のバッターからアウトコースのスクリューで三振を奪うと優那さんは嬉しそうに人差し指を空に突き上げた。試合結果は四対零。彼女の投球内容は七回一六奪三振被安打一。本当に女の子のピッチングじゃねぇよ。彼女の決め球の一つであるスクリューは誰一人バットにかすりもしなかった。彼女もその結果にそこそこ満足しているらしく試合後のキャッチボールの時もとびきりの笑顔を浮かべていた。

 俺自身、今回の試合で初めてキャッチャーを務めて色々経験出来たしバッティングもまあまあだったからそれなりに収穫のある試合だった。

「お疲れ健翔君」

 グラウンド整備をしていると優那さんが話しかけてきた。先ほどまでマウンドの整備をしていたのだがどうやら整備し終わったらしい。

「ナイスピッチングだったな。あと一つで完全試合だったし」

「あははは。でも目標の二十一奪三振は達成出来なかったけどね」

 あれ本気マジだったのかよ。確かに今日の投球内容なら出来そうな気がしたけれど。そりゃあ七回二十一奪三振が達成出来れば完全試合も達成出来るかもしれないけれど全打者全三振なんてのは漫画やアニメやゲームのレベルだ。リアルな話ではないように思う。それにそんな投球してたら野手が暇になってしまうのではなかろうか。ただ立ってるだけの時間。

 ………、うん、つまらないだろうな。

 彼女を見ていると本当に小学生の頃の俺にそっくりだ。三振を取ることにこだわった俺にどこか似ている彼女はこの後、無邪気なその笑顔を絶やすことはなかった。







 翌朝、体を起こすと凄まじい痛みに襲われた。何だこりゃ金縛りかよとか思ったが冷静に考えれば体を起こしている時点でそれはもう金縛りではない。

「筋肉痛やべえ……」

 久しぶりの実践だったし、高校時代に比べて普段運動している訳ではないから当然といえば当然だった。背中が滅茶苦茶張っている感じがするし肩甲骨の周りもかなり痛い。それにキャッチャーなんて慣れないポジションを一試合通してやったもんだから下半身の疲労が半端じゃない。講義は一限からだけど今日に限っては休みたいところである。

 が、この講義は一年生必修なので必ず出席しなければならなかった。結局俺は普段の数十倍重く感じる体を(かと言って普段体の重さなど感じてなどいない)引きずるようにして大学へと向かう。

 教室に着いたところで俺は優那さんと遭遇した。いや、俺を見つけた彼女がわざわざ俺の席まで話しかけに来たというのが正しいのかもしれない。

「おっはよー健翔君。昨日は楽しかったね」

「その代償に体が筋肉痛なんだけどな」

「そうなの?私はないよ筋肉痛」

 羨ましい限りである。

「健翔君のリード投げやすかったよ。何て言うのかなぁ。投手のことをよく考えているというか投手の考えを読んでいるというか……」

「俺も一応ピッチャーだったんだからそりゃあそうだろ?配球が投手的なものになるのだって不思議じゃあないだろうよ」

「あ、それもそうだね」

 もしかしてこの娘、こんな会話をするためだけにこちらに来たのだろうか。

 笠原が言っていたように神川優那という少女は同学年トップクラスの人気を誇っている。そのルックスと人間性から入学して何人もの男子に告白されたという話がある。だから俺としては周りの男子を敵に回さないようにさっさと会話を切り上げるつもり……だったのだが、

「ねぇ、健翔君はどうやってスライダー投げてるの?そろそろ別の変化球を覚えようかと思うんだけど」

「ん?どうやってってそりゃあボールを指で切る感じで腕振って投げるんだよ。優那さんはサイドハンドなんだから手首を立てて小指先行でリリースすれば手首の角度次第でカーブとかスライダーとか投げられると思うけど」

「えー、難しくない?手首を立てる?こんな感じ?」

「違う違う。もうちょい立てるんだよ。スクリュー投げるより簡単なんじゃねぇの?」

「む、難しい……」

「スクリュー投げられるならシュートはどうだ?スクリューと似た感覚で投げられるだろうし詰まらせて内野ゴロを量産出来ればかなり楽に投げられるだろ」

「嫌だ。それじゃあ三振が取れないじゃん。私は三振が取りたい」

「そんなこと言ってもなぁ」

 授業前に変化球について語り合う一組の男女。明らかに浮きまくっていた。けれどそれより問題なのはこの学部の一年生必修の講義であるためほとんどの一年生が集まるこの教室で学年トップクラスの人気を誇る彼女と『お互いを名前で呼び合っている』ということである。別に優那さんとはそんな浮ついた関係ではないのに男子陣から妬みと殺意の籠もった視線が向けられているような気がする。

 気のせいだうん。

 先生が教室に入ってきたので優那さんは俺に軽く手を振ると自分の席に戻っていった。

 結局、今日の講義が全て終わった後、彼女の新たな変化球習得に付き合わされることになった。身体の至る箇所が悲鳴を上げていたけど。








 すっかり暗くなり、優那さんと別れアパートに戻ると俺の部屋の前に誰かが立っていた。長い黒髪で眼鏡をかけた見慣れない女の子だった。歳は俺と同じくらいか年下に見える。

「あの、俺の部屋に何か用ですか?」

 俺はその少女に問いかける。少女は俺に気付くと何故かびくっとしながらお辞儀をした。

「どっ、どうも初めまして。私っ、隣に引っ越して来た天野と申しますっ!」

 ……人と話すのが苦手なのだろうか。何にせよ、隣に引っ越して来たのなら挨拶しなければいけないだろう。

「隣の成宮です」

「あの、あのっ!いろいろとご迷惑おかけするかもしれませんが…」

「あー、気にしないんで大丈夫ですよ」

 ただでさえ筋肉痛で身体が悲鳴を上げているのにさっきまで優那さんと練習してたんだ。こんな挨拶はさっさと済ませて寝るに限る。俺は「よろしくお願いします」と言って挨拶を済ませるとシャワーを浴び、すぐに眠りについた。

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