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第一話 迷宮都市サーヴィニー


 迷宮都市サーヴィニーの由来は遥か二百年の昔にまで遡る。

 当時、召喚戦争と呼ばれた果てのない戦乱の世がようやく終わりのきざしを見せ、群雄割拠の世を制したパリティニア王国によって大陸が平定される。

 民は長く続いた暗黒の時代に倦み疲れており、統一王国による新たな太平の世の始まりを強く期待していた。そんな中、若き英雄王フェルディナントは旧来の厳格に身分に支配された社会を打ち破ることを民に約束し、奴隷身分の解放を宣言する。新たな時代の幕開けを予感させる彼の主張は熱狂的な支持をもって受け入れられた。

 しかし戦争の功労者であり、当時のパリティニア王国宮廷魔術師でもあるサーヴィニーは王国保守派の筆頭であり、若き新王が掲げた奴隷解放政策に根強く反対を唱えていた。魔法技術の発展のために実験奴隷は必要不可欠だというのがその主な理由だった。

 サーヴィニーの発言力は決して小さいものではなかったが、王として民への約束を曲げることはできない。肥大化した王国で一番強いのは、貴族でも騎士でも魔術師でもない民の集団だ。もし裏切られたと感じた民が蜂起すれば、苦難を超えて統一を成し遂げた王国の内部分裂を招きかねない。

 頑として意見を譲らないサーヴィニーに怒ったフェルディナントは、強権をもって彼の宮廷魔術師の地位を解任する。それだけにとどまらず、戦時中に違法の魔法実験の数々を強行した罪を問い、彼の主要な財産と屋敷を没収し王都から追放した。当時としては異例ともいえる厳しい処置であり、これによって両者の対立は決定的なものになった。

 王の仕打ちに強い恨みをもったサーヴィニーは王国に反旗を翻す。彼は王国の食料庫と呼ばれたグメリア地方の土地を、広範囲に及ぶ支配魔法を使って迷宮に作り変えた。さらに禁断とされた召喚術を使い、魔界から呼び出した魔物を守衛として迷宮を要塞化したのである。

 ≪土地の支配≫の魔法による迷宮化の影響として、肥沃だったグメリア地方は地中のマナを吸い上げられ、作物の生育に適さない荒れ果てた土地となった。

 王国はサーヴィニーの反逆を鎮圧するため、すぐさま軍を差し向けたが、迷宮の地の理を生かした戦術の前に予想外の敗退を余儀なくされた。統一から間もない王国は、併合して間もない地域の反乱を恐れてうかつに大軍を動かすことはできない。加えて各地の軍を吸収併合した影響で指揮系統には無駄が多い。ままならない中央の事情を元宮廷魔術師のサーヴィニーはよく知っており、巧みに利用したのだ。

 予想外の敗退により王国の立場は一気に悪化した。サーヴィニーが専守防衛に徹する限り、迷宮の攻略は非常に難しい。だが放っておいても食料庫を押さえられた王国の周辺事情は時を追うごとに悪化する。

 行くも帰るも地獄という窮地に立たされた王国は一か八かの賭けに出る。全国に布令を出して、サーヴィニーの討伐を果たした者に莫大な褒章を与えることを約束したのだ。平和を希求する時代背景と、英雄王のカリスマあってこその決断であった。

 この話を受けて、王国の危機を救わんと大勢の憂国の士が立ちあがる。

 しかし、より多くこの話に飛びついたのは、王の政策によって奴隷身分から解放されたものの職にあぶれた人間たちだ。

 迷宮を攻略して一旗上げようと夢見る人間はこぞってグメリア地方を目指した。

 夢のため、あるいは正義のために命を賭けて危険な迷宮に挑む人々は、やがて冒険者と呼ばれるようになる。

 冒険者時代、あるいは迷宮時代と呼ばれる新時代の始まりであった。



 冒険者たちが本拠にしている中心歓楽街から少し離れた路地を曲がった先に、死体剥ぎたちが集まる酒場がある。

 名前をブラニエスの酒場という。

 冒険者たちが集まる人気の酒場の華やかさはそこになく、いささかどころではなく地味で暗い場所だ。衛生観念の発達した迷宮都市の店なのに満足に掃除が行き届いておらず、どこかほこりっぽく小汚い印象を受ける。明かりは四世代も前の古い魔力灯が使用されており、不安定に明滅を繰り返していた。

 店の内装も簡素というよりも貧相な有様で、愛想のない主人と、お世辞にも器量よしとはいえない給仕の娘が淡々と食事皿を客の席に運ぶ。

 彩りのために置かれたのであろう壁際の花々は、すっかり枯れてしまって奇怪なオブジェと化している。花瓶を取り替えて別の花を活けようとする意思は感じられない。

 経営に余裕が芽生えるほどには流行っているはずなのに、怠惰な主人に日々サーヴィスを向上させようという意欲はないらしい。

 もともとの立地条件が良くない上に、人を呼び込めるほどのサーヴィス精神もない。だからこそ逆に死体剥ぎたちが、冒険者たちからなるべく離れた場所で集まるのに都合がいいという、微妙な住み分けの状態を作り出していた。

 余計な向上心や経営努力を切り捨てたからこそ生き残ったという、半死人のような店なのである。


「そ、それでよぉ。おではあんまりそいつの唇が綺麗だったから、優しくキスしてやったんだぁ」

「ギャハハハハ! 何が優しくだ! どうせテメエの場合は上の口より先に、下の口に突っ込んでたんだろうが!」


 下品な笑い声をあげる同業者の席から離れた場所にアイルは一人で座っていた。

 暗い酒場の隅の一角は明るさと縁のない、さらに陰鬱とした場所だ。

 席がまばらに空いている現状でわざわざそんな場所を選択するメリットはない。強いてあげるなら魔力灯が不規則に明滅する瞬間をじっと観察していると酩酊効果が高いことくらいだろうか。

 効率の悪い旧世代の魔力灯を変える様子もないのは、少量の酒で酔えるようにというこの店特有の気遣いかもしれないとアイルは考えている。

 不純物の多く混ざった麦酒の味は、酔うために必要以上を飲む気にすらなれない酷いものだ。安かろう悪かろうを具現化したような酒で、こんなものを安定して供給できる店の仕入れ先について逆に興味が湧くほどである。

 アイルは義理程度にささやかな肉料理を注文し、ちびちびと酒を飲んでいた。

 一体どこから調達されているのか不安になる謎の原材料を使った串焼きの肉は癖のある味だが不味くはない。

 極端に低品質な酒に比べ、料理のほうはいっぱしのものがでてくるのがこの店の特徴だろう。抜群に美味いとも思わないが、それなりに満足はできるレベルである。

 死体剥ぎの平均収入を熟知していると思われる値段設定も見事だ。

 総合的に見れば最低ランクのサーヴィスではあるけど、店として守るべき一線は守っているらしい。

 他の死体剥ぎたちは仲間うちで酒を楽しんでおり、離れて孤立しているアイルに気を向けることはしない。死体剥ぎの仲間に加わってから二ヶ月近く、これがアイルの日常だった。

 仕事のときは別にして、普段に気安く語り合える仲間としては扱われていない。


「酒を飲んでるんだったら、嘘でももっと楽しげな顔ができねえのか?」


 アイルがふと顔を上げると同時、どんと麦酒の入った酒杯がアイルの席に置かれた。


「ボーンさん」

「ボーンでいいって言ってるだろ。こんな場所でかしこまって小奇麗な言葉遣いなんぞ聞いててじんましんが出るわ」


 同席してきたのは、仲間内で禿頭とくとうのボーンと呼ばれる死体剥ぎだ。

 痩せた長身の男で、頬には年季の入った細かい傷がいくつか走っている。

 禿頭の名前の通り頭髪は大きく後退しており、顎鬚にも白いものが混ざっている。汚れが目立つ死体剥ぎの格好をしていると、まだ三十台半ばだという年齢よりもかなり老けて見えた。くすんだ灰色の瞳には長い年月を生き延びてきた人間特有の貫禄があって、荒くれのような外見のわりに落ち着いた年配といった印象が強い。

 口調は乱暴だが、死体剥ぎの中で孤立しているアイルに話しかけてくる珍しい男だ。

 アイルの顔を一瞥した後、ケッと吐き捨てるように口にして、熱い酒混じりの息を吐き出す。


「お前は相変わらず学者みてえな辛気くさいツラしてるな。この万年日陰の場所で」


 どこか責めるように棘のある口調で言われ、アイルは首を傾げた。


「……学者みたいな顔ってどんな顔ですか?」

「迷宮都市二百年の繁栄の陰りってやつをマジメ腐って語る学者先生がそんなツラしてたぜ。光ある場所のやつらに必要な悩みでも、万年日陰の俺たちには関係ねえ悩みだろうが、なあ」


 ボーンは死体剥ぎの中では古株と呼ばれるほうで、戦闘の腕もそれなりに高い。

 特に誰が決めたというわけでもないのだが、面倒見のよいその人柄から現場のリーダー格として扱われている。孤立したアイルを放っておかないのは、立場からくる責任感もあるのだろう。

 もっともボーン自身はお人よしの人格者を気取るつもりはない。

 長い経験から、外れものは外れものなりにまとまらなければやっていけないと知っているだけだ。


「それとも元一流・・・の冒険者さんは薄汚い俺たちと一緒にされるのは嫌なのか? 誰も誘わず一人でメシ食って閉じこもりやがって」

「薄汚いとかそんなこと思ってませんよ。単に僕が騒がしいのが苦手なだけですから」


 ボーンの目をじっと見ながらアイルは話す。

 特別の気負いもなく、嘘を言っているような様子もない。

 全く奇妙で扱い難い男だとボーンは内心で悪態をついた。

 アイルは極端に人を避けるが、その様子を見る限り単なる人見知りというわけでもなさそうだ。

 もう二ヶ月も経つというのに、未だこの年若い青年の正体を掴みかねている。

 癖のある死体剥ぎの面々に囲まれ、それなりに人生経験だけは重ねてきたつもりだったが、まだまだと思い知らされる。

 典型的な冒険者然としているボーンと違って、アイルの容姿は市井の一般人に近い。

 グメリア染めと呼ばれるこの地方特有の青い服を着ていることが多く、探索用の装備を身につけていない状態ではとても冒険者に見えない。黒髪黒目の中央の王国人らしい容姿は若干垢抜けた雰囲気があり、悪く言えばなよなよしい印象を強めている。商売柄それなりに筋肉はつけているのだろうが、年若いせいか体格ができあがっていない。荒事を専門にする冒険者たちに混ざるにはいささか迫力が不足している。

 総合してみると地味で頼りなさそうな青年なのだが、精巧なガラス細工のように動きのない瞳はその印象を真逆に変えてしまう。こうして話していても、心の内でどんな感情を抱えているのかを全く読み取ることができない。

 二ヶ月前のある日、迷宮で死体を捜している最中のボーンたちの前にふらりと現われたアイルは死体剥ぎの活動に自分も参加したい旨を告げた。

 そのときの戦慄をどう表現していいものか未だにボーンにはわからない。

 仄暗い闇の中で、ぼうっと立つアイルは得体の知れないおぞけを呼び起こした。

 底知れぬほどくらい深淵そのものが自分たちをじっと観察しているような、異常で異様な感覚だった。

 死体など見慣れているはずのベテランの死体剥ぎたちが、青年の形をした死体に出会ったかと震えたほどだからよほどのことである。

 とにかく滅多なことでアイルは表情を変えない。

 生ける屍のようなという表現が、これほど当てはまる青年もほかにいないだろう。

 その落ち着いた態度を危険な迷宮の中でさえ変えないのだから、相当な鉄面皮だ。

 正確な年齢は不明だが、並外れたタフな精神の持ち主である。

 いったいどんな修羅場を潜ってくれば、こういう人間が出来上がるのか想像もつかない。


「僕から話して楽しんでもらえそうな話題もないので」


 付け加えるように口にしたアイルにボーンはさらに頭を抱えたくなった。

 あるいは、もしかしてこいつ、実は何もわかっていないだけじゃないだろうな。


「そこは元一流・・・の冒険者らしく武勇伝の一つでも語ればいいだろうが」

「僕に目立った武勇伝なんてありませんよ。そもそも元一流冒険者って勘違いはどこから来たんです?」

「わかってねえのかそれともとぼけてんのかどっちなんだ? お前が仕事のときに持ってきてるのは魔剣だろう」

「百年前の時代じゃないんですよ。今なら別に魔剣を持ってる冒険者なんて珍しくもないじゃないですか」

「そりゃお前の言うとおり最前線で魔物と戦い続ける冒険者なら普通にもってる時代さ。けど、そんなもん抱えた死体剥ぎなんて滅多に見るもんじゃない」


 迷宮はいつ何が起こるかわからない場所だ。

 いざというときに頼りになる戦力はあるだけで有難い。

 比較的安全な死体剥ぎの仕事とはいえ、保険があるにこしたことはないのだ。

 未だに確かな実力を見たことはないが、アイルの戦闘力はいざというときの切り札になるとボーンは確信している。

 その理由はアイルが持っている魔剣と呼ばれる武器にあった。

 迷宮にはびこる魔界から召喚された魔物を斬り続けることによって、武器は特別な力を宿す。

 そのままではただの呪いに近いものだが、宿した力に指向性を与えて解放する技術を持った魔装具師と呼ばれる職人がいる。乱暴な言い方をすれば、特別な鍛冶師が鍛えなおすことによって強力な武器が出来上がるのだ。

 魔装具の製造は迷宮都市の主要産業であり、冒険者にとって最も大きな稼ぎ口でもある。

 一般的な冒険者は魔物との戦いを生き延びて、力を宿した加工前の武具を売ることによって金を手に入れる。戦闘に自信のない冒険者はその資金を元手に引退を決めることが多いが、さらなる探索を目論む者はそれを自分のための武器に加工するように依頼する。魔剣の力はさらに下層を徘徊する強力な魔物に対抗するための切り札になるからだ。

 もちろん既に流通に乗った魔装具をより高い値段で手に入れることもできる。しかしそんな金を持っているのは最初から裕福な人間だけだ。魔剣を買えるほどの資金を持った人間がわざわざ迷宮都市を訪れる理由は多くないし、死体剥ぎをする理由はもっとない。

 せめてアイルが魔剣を持つに至った事情でも語れば、仲間に馴染んでいくためのとっかかり程度にはなるとボーンは考えていたが、アイルは沈黙するばかりで己の過去を語ろうとしない。

 不必要にお互いの過去を詮索しないのは、死体剥ぎ同士の不文律のようなものである。

 ボーンだって必要以上に自分の過去を語りたいわけではないし、他の死体剥ぎだって脛に傷を持つ人間が多い。

 だがそれにしたって限度というものがある。

 意識してか天然かはわからないが、アイルには隠している部分が多すぎる。

 今のままで仲間の信用を得ようというのは無理のある話だ。


「お前は死体に欲情するのはおかしいと思うか?」

「え?」


 唐突な話題の転換にアイルが呆けたような声を上げた。

 この青年にしては珍しい反応だとボーンは思った。


「あいつらに混ざりたがらねえ理由だよ。俺も最初はその口だったから、もしかしてお前もそうじゃないかと思ってな」


 アイルが他の死体剥ぎと交流がなくなった最初の原因は、彼が綺麗な(・・・)女性冒険者の死体への悪戯に参加しなかったからだ。

 要するに、お高くとまったやつだと思われて遠ざけられているのだ。

 倫理的にあまり褒められたことではないし、悪徳の共有による仲間意識は下劣なふるまいだと当の死体剥ぎたちも薄々は自覚している。

 だが外傷の少ない死体を綺麗と感じるのは、ある程度仕事を続けた死体剥ぎならむしろ常識的な反応である。数としては希少な女性冒険者の死体に特別な思いを向ける人間が現われても不思議はない。そういう人間との付き合い方を知らないほうが、死体剥ぎとしてやっていくための適性が足りないとさえ言える。

 何しろバラバラになった死体や、それよりもひどい惨状の肉塊と付き合うことが多い日常なのだ。多少精神的に負けてしまうほうが、見ていて安心できる人間の反応なのである。

 

「別に死体は死体だと思ってますけど。多少の憤りは覚えますが、それ以外の感情は別に」


 そんな中で、淀みなくアイルは口にする。

 憤りを覚えるというのは冒険者の非業の死に様にだろうか。

 死体を剥ぐこと自体が不道徳だとか人倫に反しているとか、潔癖な意見の持ち主でもないらしい。

 アイルの言い方は、まるで死体など最初から見慣れているといわんばかりだ。

 その反応にボーンは心の中で嘆息した。

 これでは他の死体剥ぎが遠ざけたくなるのも無理はないと思う。

 アイルは仲間として安心できる人間の反応を示さない。

 ここまで淡白な反応を返されると、ボーンとしても遠ざけたくなる気持ちが強い。

 日常的に死体に接することのある彼らだけに、死人じみた静けさをもつアイルの態度は曰く言いがたい畏れを呼び起こす。

 それが被害妄想だとわかっていても、まるで自分たちが犯した死体が起き上がってきて非難されるかのような強迫観念があるのだ。

 死者の尊厳などまるで信じていないように見える死体剥ぎの面々だが、心の奥底では信心深い連中が多い。

 

「俺たちも趣味悪いことを一方的に押し付けて無理矢理仲間に引き込もうってんじゃねえ。ただテメエのほうが新参なんだ。ある程度はそっちから歩み寄ってくるのが筋ってもんだろ? 誰とも話さず、一緒にメシも食わずにお高くとまってんじゃねえぞ」

「はあ」

 

 気のない返事を返すアイルに、ボーンは眉間に深い皺を入れて続ける。


「あれをしろこれをしろと強制はしたくねえ。しかし、せめて他の連中を誘って女を買いに行くくらいのことはしろ。男同士で話をつけるにはそれが一番早い」

 

 死体剥ぎになっておいて、今さら世間的な名誉を求める人間はあまりいない。

 人間らしい隙のある部分を見せないアイルだけに、趣味の女でも判明すれば馴染むにあたってのとっかかりになる。食欲や性欲はそれだけわかりやすい欲望なのである。

 ボーンが考えるに、女の趣味が良いとか悪いとか、そういった当たり前の人間臭さがアイルには足りない。死体剥ぎとして金に執着している様子もなければ、食事は最低限のもので満足している様子である。

 一体何を欲しているかすらわからない人間はどうしても不気味に思えるものだ。


「お前さんもそろそろ現実を見ろ。このまま孤立してたら、いくら凄い腕前とか度胸があっても逆効果だ。少しは下品な死体剥ぎらしさってもんを身につけねえとな」

「現実、ですか」


 アイルは、ボーンの忠告に納得したようなしないような曖昧な返事を返す。酒杯を手にとって、残っていた麦酒を一気に煽った。ボーンもそれにあわせるように自分の酒を一気に流し込む。

 相変わらず美味いとはいえない、情けなくてため息が出そうになる味だった。


「まあそうは言っても因果な商売だ。簡単には飲み下せねえしこりがあるのはわからいでもないが。ワイルズみてえなイカレ野郎に絡まれんのは誰だって嫌なもんだからな」

「あれ? ボーンさん、見てたんですか?」

「いや。別の場所であいつが大声で嘲ってるのを聞いたよ。やっこさん、どうしても死体剥ぎの情けないことを宣伝してまわりたいらしい。ああいう見下し野郎はいつの時代にもいるもんだが、ヤツは少々度を越しているよ」


 災難だったなと口にするが、ボーンは事件をギルドに訴えるつもりはない。

 ボーンが死体剥ぎの中でリーダー格であることはそれなりに知られている。そのことが原因となって、派閥としてのいざこざに発展してしまうことを避けたいという思いが強いのだ。

 死体剥ぎは舐められても生きていける商売だが、冒険者はそうではない。

 ただでさえ強力な魔物と殺しあわなければならない迷宮なのだ。付き合っていかなければならない隣人が敵になることの無益さはお互いに理解している。

 腐ってもワイルズ・ウルバックは一流とされる冒険者の一人だ。冒険者の間で評判が悪いとはいえ、死体剥ぎの評判だって似たようなものである。死体剥ぎたちも正義を愛し訴える集団ではないのだから、たった一人のつまはじきを守るために味方してくれる人間はそう多くはないだろう。

 そもそも、いくら治安がよく保たれているといっても、基本は荒っぽい迷宮都市のことだ。金銭に絡まない小競り合い程度で訴えても大した成果は得られない。

 特に動くメリットがないなら一過性のいざこざに止めておきたいというのがボーンの本音なのである。


「もしかして今日話しかけてきたのってそのせいだったんですか?」

「そうだ。影でおかしな復讐を考えてるようなら釘を刺しておかなきゃいけねえと思ったが、いつもどおりの鉄面皮で少し安心したよ。いろいろと問題はあるが、お前はちゃんと自分の立場を考えて冷静に動ける人間だと思う。俺はそこを買ってるんだよ」

「冷静……?」

「少なくとも無駄にプライド高いヤツはお前みたいになれんよ。下手につっかかって揉め事を大きく発展させるだけだ」

 

 それならば怒りを抑えて、ある程度の我慢をすることも必要だろう。

 そんな道理を踏まえた上でのボーンの発言だったが、アイルはそこで違った反応を見せた。


「ふっ、ふふっ、まさかそんなことを言われるとは思わなかった」

「なに?」

「僕が、揉め事を抑える側だって?」


 自問するように呟いて、アイルはくっと口の端をゆがめた。

 この二月の間、誰も目にしたことのない仕草。

 それはボーンを驚かせるに十分な、意外すぎる反応だった。


「あはははははは、はははははははははははははははははははははははははははっ!」


 笑った。


 笑ったのだ。

 二月もの間、ロクに表情すら変えることのなかった男が破顔して笑い声をあげていた。


「ふ、あははははっ、ボーンさん。その見方はいくらなんでも面白すぎますよ!」

「何が……」


 一体何がそんなに可笑しいのか。

 アイルは今までに見たことのないほど自然な表情で大笑いする。

 それが逆に恐ろしい。

 そんなにも自然に笑うことができるのならば、今までの態度は一体何だったのか。

 あの死人じみた静けさは一体何の――

 唖然とするボーンの背骨にぞくりと冷えたものが刺さった。

 ちりちりと首筋に感じる嫌な感覚に鳥肌が立つ。

 それは二ヶ月前と全く同じ戦慄だった。

 何かよくわからないけど、これはいけない。

 関わってはいけない恐ろしいものだ。

 迷宮で出会ってはいけない凶悪な魔物が近づくときの予感によく似ていた。

 近づいてはいけない。

 探ってもいけない。

 向こうがこちらに気づいてしまえば、もう逃げる手段は残されていない。

 深く底が見えない独特の闇を持つ瞳がボーンを笑いながら観察している。

 もしかして自分は何かとてつもない不吉なものを呼び覚ましたのではないか。


「――――」


 気がつけば、酒場の喧騒が止んでいた。

 周りの死体剥ぎ仲間も飲み食いするのをやめて、一体何が起こったのかとアイルを注目している。

 自分の行動が与えた衝撃を理解しているのかいないのか、場の空気を完全に支配したアイルは弁解するように口にした。


「いえ、笑ってしまってすみません。でもいくらなんでも勘違いが過ぎますよ。僕が揉め事を抑える側だなんて」


 そんなことはありえない。

 決して生まれてはならない災厄の化身だったと、アイルを生み出した人間たちが口にしていたのを思い出す。

 そのことがとても可笑しくて、いつもなら崩すことのない態度をわざわざ崩してしまったとアイルは反省する。きっと予想もしていなかった場所でワイルズ・ウルバックの話が出たのがいけなかったのだ。

 どうやらあの数奇な出会いは思ったよりも自分を動揺させていたらしい。


「お前、もしかして何かするつもりじゃないだろうな」


 恐る恐る発言の真意を問うボーンに対して、アイルは今まで見せたことのない完璧な微笑を浮かべて言った。


「心配は要りませんよ。もし事が起こるとしても、ボーンさんたちに絶対に迷惑はかかりません。だってその頃には、きっと……」


――誰も僕のことなんて覚えていないでしょうから。

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