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プロローグ


 きがつくとひとりだった。

 まわりにはだれもいない。

 あたりは僕をかき消してしまうほどすさまじいヒカリに満ち溢れている。

 まぶしい。

 とてもまぶしい。

 目があるかどうかも忘れてしまった僕なのに思わず目をとじようとしたくらい。

 くるしいくらいにまぶしいのに、とてもやさしくてあたたかなヒカリ。

 この場所には見覚えがある。

 よく知っているはずのなつかしい場所だ。

 にもかかわらず、ここがどこだかわからなかった。

 それ以前に自分のことすらロクにおもいだせない。

 いや、おもいだすという表現がてきとうなのかすら疑問だ。

 だれが。

 いつから。

 なんのために。

 どうして?

 果てのない疑問だけがうかびあがり、そのどれもに答えるための自分をもっていない。

 全部なくしてしまったのか、それとも最初からもっていなかったのかすらわからない。

 やがてばくぜんとここにいる僕はそういうものなんだと思えるようになった。

 あいまいで、はっきりとしない、けれどまわりとははっきりと違う異物。

 長いトキをすごすなかで、自分が一点の染みなのだということを理解した。

 僕はまわりのヒカリと同じものになることができない。

 ヒカリはどんなに弱いものであろうとも、やはりヒカリであることに変わりない。

 目を焼くほどのヒカリをヒカリとして認識できるということは、自分はそれとは似ても似つかない暗い染みに違いないのだ。

 


 きっかけはいつも些細なものだ。

 小さな歯車と歯車がカチリと噛み合うような瞬間というものがある。

 それは特別難しいような出来事ではない。

 例えば道で出会った人と人がお互いに妙に覚えの良い顔立ちをしていたとか、その程度のことである。そんな人間同士が恋人になったり、友人になったり、あるいは生涯憎みあう宿敵になったりするから、えにしというものは不可思議に感じられるのだろう。

 もっとも些細な始まりを特別に記憶し続けるという人間は珍しい。

 大抵の場合、その噛み合いは後に続くことのない小さな動きとして忘れられていく。

 神の視点でも持たなければ、全ての物事と物事のつながりは見出せない。

 人間に理解できる世の出来事はそれぞれが独立していて、自己完結的だ。奇跡と呼ばれるほど低い確率で起こった出来事でも、それが何気ない日常に埋もれてしまえば価値をなくす。

 人の目を逃れて息を潜める流れが、やがて大河へとつながって現われるとき、はじめて人はそれを運命と呼ぶ。



「おい、死体あさりのクソ虫野郎。そのまま俺様にくせえ匂いを擦り付けるつもりか?」


 獣の唸り声のような怒声を聞いたかと思った瞬間、アイルはいきなり激しく地面に突き飛ばされていた。

 区画整理が進んだ迷宮都市の中にあって、その場所はあまり人通りの少ない裏路地だった。

 ある程度慣れた人間だけが使う裏道はとても狭く、二人が余裕を持って通れるだけの幅はない。運悪く自分に向かってくる人間を認めたら互いに軽く引いて譲り合うのが普通だ。それでも体格のいい男同士であれば、肩が触れ合う程度の接触はある。

 そのことに文句をつける人間など普通はいない。

 ところがアイルの正面から歩いてきた男は、最初から道を譲り合う気そのものがなかったらしい。

 すれちがうために壁に身を寄せた瞬間、男は問答無用でアイルを殴りつけた。


「一体どういうこと?」


 あまりにも唐突すぎる暴力にアイルは困惑の声をあげる。

 対する男は頭上で傲慢な笑いを浮かべて言った。


「どういうことだと? 死体剥ぎの乞食野郎が俺様と対等らしいツラしてんじゃねえ。お前らは壁にへばりついて道の邪魔をしないくらいの気遣いがあってちょうどいいんだ」


 アイルは唖然とさせられた。

 無茶苦茶な言い草である。

 己の悪意を他人にぶつけることに全く躊躇がない。

 この男はきっと職業に貴賎なしとかいうありがたい聖人の教えを耳にしたことはないのだろう。

 もしくは、そんな教えより些細な自分の怒りが優先されると考えているのだろうか。

 どちらにせよ、まともな人間のとる態度ではない。

 アイルは初めて出会ったその男の顔にピンとくるものがあった。

 男は燃えるような赤毛をした戦士で、暴力沙汰に慣れた人間をも竦ませるほど凶悪な面相をしている。迷宮で長く過ごした戦士らしく白い肌をしているが、見事に盛り上がった筋肉は全くひ弱さを感じさせない。黒塗りのなめし皮の鎧にたすきがけのように赤茶けた毛皮を巻きつけた姿は、粗暴で野生的な印象を周囲に与える。その独特の威圧感はまるで餓えて人を襲う恐ろしい熊のようだった。

 <赤熊>のワイルズ・ウルバック。

 迷宮都市では名の知れた一流冒険者でありながら、その腕っぷしを褒め讃える声よりも素行の悪さを噂する人間のほうが多いといういわくつきの男だ。特に弱者に対して無慈悲で冷酷という評判は本当らしい。こうして目の前に立つワイルズは聞きしにも勝るほど凶悪な人間に見える。

 アイルは俗に死体剥ぎと呼ばれる仕事をして食べている青年である。これは迷宮内部で死んだ人間を衛生上の理由から外に運び出す仕事だ。その際に報酬として死んだ冒険者の装備を回収することがギルドによって認められている。

 過酷な迷宮の最前線で戦う冒険者は、死んだ仲間の死体を引きずって歩くわけにはいかないし、その場に見捨てていくのが普通だ。重い死体を持ち運んでいる最中に魔物に襲われたら自らの生存も危うい。

 一方で仲間の死体をそのまま放置するのもできれば避けたい。死体剥ぎによって死体が回収されていれば一縷の望みをかけて蘇生の依頼を出すこともできるし、単純に仲間の遺体を丁重に弔ってやりたいという人情もある。

 このような事情もあって、死体剥ぎを専門とする仕事がギルドによって認められたというわけだ。

 アイルがこの仕事について二月ほどになるが、冒険者たちから軽蔑されたり悪意ある態度を向けられることは日常茶飯事だ。

 死体剥ぎの仕事に需要があるということと、それを認めるかどうかの感情は別問題である。仲間を失った冒険者たちから、その死体を剥いで利益を得る人間によい感情が向けられることはないのはある意味で当然のことと言えた。

 それにしても、単に道の邪魔に思えたというだけの理由で、ここまで理不尽な暴力を受けたのは初めてのことだった。

 冒険者の大半は死体剥ぎに侮蔑的な目を向けるが、直接的に暴力に訴えてくる人間はあまりいない。死体剥ぎも危険な迷宮に入る人間として最低限の実力は備えている。こんな些細なことで迷わず喧嘩を仕掛けてくるということは、よほど実力に自信があるということの裏返しでもあるのではないか。


「なんだ、おい。クソ虫のくせにずいぶんと大金を持ち歩いてるじゃねえか」


 突き飛ばされた勢いでアイルの腰に下げていた皮袋が外れて落ちていた。

 それをワイルズは右手で掴み上げた。中には先ほど持ち帰った装備品を換金して手に入れたばかりの銀貨が数枚入っている。

 ワイルズは、中身の金額をおおまかに確かめてニヤリと喜悦に顔を歪ませた。


「返してください」


 アイルは上体を起こして手を伸ばす。

 だがそれをワイルズは皮のブーツのつま先でピシャリと払った。

 伸ばした指先を打たれてアイルは痛みに顔をしかめた。


「誰が口答えしていいって言った? どうせ冒険者の死体を剥いで作った金だろうが。俺様に不快を与えた慰謝料代わりさ。これくらい普段の感謝を込めて還元して当たり前だろ」

「無茶苦茶なことを言わないでください。これはちゃんとギルドに認められた仕事ですから。まっとうな僕たちの権利ってやつじゃないですか」

「権利! 権利だって!」


 カッと目を見開いたワイルズは野生の獣の吼え声に似た怒鳴り声を上げた。

 そのまま無造作にアイルの横腹を蹴りつける。

 凶暴な一撃に、ぐっとうめき声を上げてアイルは再び地面に転がった。

 ワイルズのにやついた笑いは一瞬にして引っ込められ、敵を睨み殺すような憤怒の表情に変わっていた。

 まるで唐突に炎を吹き上げる山のような荒々しい怒りだった。


「クソギルドが紙切れに書いたルールがどうしたってんだ! お前たちが安全に死体をあさってられるのは、俺様の力があってこそのもんだろうが!」


 傲然と罵声が頭上から浴びせられる。

 それは恐ろしく暴力的で身勝手な結論だったが、一面において正しい真実を突いている。

 死体剥ぎの仕事が成り立つのは、前線に赴いて非業の死を遂げる冒険者がいるからこそである。彼らが前に立って魔物の総数を削っていなければ、後続の死体剥ぎたちが安全に立ち回ることはできないだろう。

 死体剥ぎは冒険者の功績に寄生し、その死から零れた報酬で生きている。

 アイルはそのことを否定するつもりはない。


「それがわかったら俺様に意見をたれるな! 地面に額を擦り付けてろ! そんなに金が大事ならお恵み下せえとでも懇願しろ!」


 今度は固いブーツで後頭部を踏みつけられた。

 咄嗟に首を庇ったアイルは蛙のように地面に押し付けられる。

 土の臭いに混ざってつんと血の味がした。後頭部を踏まれたときに鼻を痛めたらしい。唇も少し切ったようだ。

 地に屈する屈辱はともかくとして、その味が不快だとアイルは思った。


「ほら、言え。ちゃんとお願いできたらこの金は返してやるぞ」


 悪魔のように冷たく笑いながらワイルズは踏みつける足に力を入れた。

 そのまま放っておけば、アイルの頭蓋が割れるまで踏む力を強めるとでも言うかのように。

 アイルは何も言い返すことなく、額を地面に擦り付けた。

 お恵み下せえとなるべく哀れに聞こえるように小声で口にして、両手を差し出す。

 頭上から鴉の鳴き声を思わせる耳障りな笑い声が響いた。


「はははははっ、さすが死体あさりのクソ野郎だ。プライドってものがねえな!」


 乱暴に金の入った袋がアイルの両手に投げつけられた。

 頭上のワイルズは軽蔑しきった表情で見下し、ぺっと唾を吐いた。

 びちゃりと唾がアイルの頬にかかる。

 アイルはそれに対して特に何も言い返さなかった。

 所詮はこのわかりきった結論を導き出したいが故の茶番だったのだろう。

 ワイルズが自分の暴力に屈服して抵抗しなくなった獲物に満足するのをアイルはじっと待っていた。


「そんなザマでよく生きてられるなクソ虫野郎。少しは恥ずかしいと思わねえのか?」

「………」

「ふ、はははははっ! はははははははっ!」


 高らかに侮蔑の笑いをあげながら、ワイルズは路地を去っていった。

 アイルは痛む腹をかばうように手で押さえ、一旦立ち上がる。

 そうして足を組み替えて、路地の壁にもたれかけた。

 頬についた唾を上着の袖でぬぐって空を見上げる。

 薄暗い路地の隙間から明るい空が見えた。

 あたりは既に夕方になっている。

 眩しいばかりの夕焼けが目を刺した。

 まるでそのまま魂を抜かれてしまいそうな風景だと思った。

 どこまでも眩しく、底抜けの明るさをもった赤い空。


「対等の人間……ね。面白い言い分もあったもんだ。まさかそんな幻想を信じているわけじゃないだろうに、君は」


 転がったままの姿勢でアイルはぼんやりと考え事をしていた。

 自分が誰かと対等になることなんて不可能だと知っている。

 そもそもが自分の名前すらよくわからない男の価値を知る方法があれば教えて欲しいくらいだ。

 今はアイルと名乗っているが、別にそれだって特別に拘る理由があってつけた名前ではない。

 不便がなければイールだろうがウールだろうが何でもよかったのだ。

 存在は軽く、来歴は空気のように薄い。

 雲。

 赤い空にたなびく白い雲を見ている。

 自分の実体というものはあの雲と同じくらいにふわふわして定まらない。

 けれど自分には雲と違って流れていく場所などない。

 アイルはずっと迷宮に縛り付けられている。

 長い間そんな生活を続けていると、そこから離れたいのか離れたくないのかすらわからなくなった。

 何もかもが中途半端だというのは正しい。

 プライドがあるかと聞かれればそんなものはないと言わざるを得ない。

 ワイルズ・ウルバック。

 噂には何度も聞いていたが、聞くと会うとでは大違いだ。

 初対面にも関わらず、ずいぶんと強烈な印象を与えてくれた。

 一種の気狂いじみた黒い怒りは、単純に死体剥ぎに対する差別意識に端を発するものとも思えない。仮にも一流とされる冒険者は、単に道で出会っただけの死体剥ぎに意味もなく暴力を向けるほど暇ではないのだ。

 あれは世の中の雑事に対する不満の解消が目的だったのだろうか。

 それとも単純に弱者をいたぶる嗜虐に快楽を覚えるのだろうか。

 その疑問にアイルの直感は否を唱えた。

 きっとあれは違う。あの怒りは全く別のものへと向けられている。

 あの男にはきっと何かがある。

 それを覗いてみたい。

 いや、是が非でも覗かなければならない。

 アイルは自分の中にらしくもない使命感と興味が芽生えていることに気がつき、微笑を浮かべた。

 もしその姿を見た者がいたら、きっと驚いたことであろう。

 何事にも無関心に見えるアイルが、これだけの喜びの感情を露にすることは珍しいを通り越して異常なことだった。

 百年に一度あるかないかというほどの笑顔を浮かべて、アイルは胸を高鳴らせる。

 奇妙な経緯だが、面白い出会いというものはあるものだ。

 あの男に興味を抱く理由があるのならば、それを追求してみることにアイルは決定した。

 そうすれば、どれだけ死体の数々を探し回っても見つけられなかった答えに少しでも近づけるかもしれない。

 そして――


「ねえ、オルカ。あの男が僕を殺すことのできる人間だったら……どうしようかな?」



 そうして動いてはならない歯車が軋みをあげた。

 誰も知らぬ路地裏で起こった小競り合いは、事態を加速度的に進行させる。

 それが後の時代に勇者と讃えられる人間と、恐怖の象徴たる魔王との出会いへとつながることを今は誰も知らない。

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