無駄資金
「ああ、もう行かなきゃ」
テレビ画面の左上に映っている時刻が、いつの間にか11時30分になっていた。
10分足らずで行けるが、信号に引っかかって11時55分までに着かなければ自分にとっての恥の上塗りで、昼休みまで50分間も待たなければいけない。
腹を括って教室に入るのはいいが、都合悪く4限目は義務教育でもないのに遅刻者に対して厳しい、英語の笹川の授業だ。
この前は2分遅れただけの俺は名前も知らない誰かに対して、ネチネチと陰湿な言葉を並べ立てていた。
関係ない事だとは分かっていたが小さいがよく通るその声で小言を言っていると、嫌でも耳に入ってきて気分が悪い。
その授業は開始早々に気分が悪くなり、俺にしては珍しくずっと机に突っ伏して授業をやり過ごした。
その小言が、俺に向けられる。
それだけでずいぶんと嫌なことで、腹が重くなるようじゃないか。
そんな事だけは避けたい、と鞄を持ち靴を履き玄関の扉を開ける。
「お昼何か食べろよー」
「何も無いから食べないー」
「今週何処も行ってないからついでになんか買ってこーい」
「何処も行きたくないんだっつのー」
「鍵閉めろよー」
「とっとと行ってこーい」
姉の最後の言葉に蹴り出されるようにして家から出る。おっとっと、と言いながら靴をちゃんと履く。
駅前の大通りに面している俺の家では、一歩外に出ればもうそこは車がビュンビュンと行き交っている。
歩道はあるが、そこですら自転車が何台も通っている。
どう見てもママチャリに乗ったオバちゃんとかオッサンばかりで道路交通法? だったけか。そういうのに違反している。
自転車の車輪が点字ブロックの上に乗り上げて、ガコガコと揺れ動いているのが面白い。
自転車の間を縫うようにして避けながら学校に向かって歩いていく。
日が高く昇っていて目に眩しく、思わず顔を下に向ける。
春というのもあり陽射しはまだポカポカとしているが、さすがに昼頃になれば少し暑い。
やっぱりセーターだけにしておいて正解だった。俺の予感に感謝。
「おえ」
グサグサグサ、と背中に突き刺さる、視線。
多分、その視線に込められた意味は不真面目な高校生に対する世間の非難だ。
真昼間から堂々と遅刻している俺。世間様からの受けはよくないだろう。
それはよく分かっているが、寝坊だから仕方がないじゃないか。
それとも俺に視線を突き立てるオバちゃんは、一度も遅刻したことがないんだろうか。そんな事あるはずがない。
授業遅刻だろうが朝遅刻だろうが、数秒授業に遅れたなら全部遅刻だ。それくらい、誰だって経験があることだろう。
真面目ぶってる俺もあの子も世界中の誰も彼も、本当に真面目なのは神様だけだろう。俺は、無神論者だが。
極論並べ立てて言葉を捲くし立てる癖。これはきっと瀬七の影響だろう。
考えも価値観も、時が経てば全て変わる。変わってしまうんだ。
個人の趣味嗜好だとか好きなモノ、嫌いなモノ。
本当は好きなあの子に意地悪してしまう小学生男子の思想だとか。
全部変わって、水の泡。海の藻屑となってしまえ、俺の思考。
背中に突き刺さる視線に耐えた8分間。小走りで道を進んだから早く着いたこの場所。
携帯で時刻を見れば11時39分。誤差は途中ののろのろ歩き。
さて、あと6分間。何をしようか?
「何をしようにも、校門が開いているわけだが」
学校の校門の前に立ち、いつもなら登校時間を過ぎれば閉まっている校門を見て、呆然。
部外者の侵入にもウェルカム状態なこの学校の無用心さに、今は拍手。
忘れていたが、ここはこの校門こと正門以外からの進入手段がなかった。
この学校の外観を説明するならば、こんな感じだ。
まず、校舎は北校舎と南校舎に分かれている。
俺達が一番多くの時間を過ごす、教室のある四階建ての北校舎。
特別教室棟とも呼ばれている二階建ての南校舎。
移動教室の際には、一階にある唯一北と南校舎を繋ぐ犬走りを通る。校内でも当然のように土足だから、ずかずかと通る。
校舎の周りをぐるっと囲っているのは、草や花とかではなく俺の身長より少し低いくらいの高さの、塀。およそ1.7m弱と思われる。
門は開いているのに周囲の警戒態勢は厳重。しかし門が開いていたら意味はない。
無駄な投資ご苦労様、とでも言っておこう。