怒声罵声
「ちょっと! うるっさい! 何騒いでんの!」
階下から姉の叫ぶ声が聞こえる。その怒りに触らぬよう、ごめん! と叫び返す。
謝られて納得したのか、もう姉の声は聞こえなかった。
《おやおや、朝、いや昼間から姉弟喧嘩とは。よくやりますなぁ。
あと宮本、さっきの叫び声うるさい。こっちにまで漏れてるんだけど》
いつの間にか携帯電話が口元と耳に近づいていたのか、瀬七の不満の声が聞こえる。耳が痛いー、という訴えまで聞こえてくる始末。
「あ……すまん瀬七。大丈夫か」
《はあ……何でそんなに落ち着いてるのかなー。耳の事はもういいよ。それよりどうすんのさ今日は》
どうすんの、というのは多分学校に来るか来ないかのことだと思う。
もうすぐ10時30分になるとしても、今は2限目の終盤のはずだ。
今から急いで行っても3限目の始まりに間に合うはずがない。急いで行って途中で教室に入れば、クラス中の笑いものだ。
でも笑い声すら起きないだろう。どうせ俺には無関心だろうし。笑うのは瀬七と教室内にいるであろう鎮西だけだろう。
あまり目立ちたくないというのが俺の本心だ。目立ちすぎて、また人に見られるのは恐ろしい。
友好的な関係を築こう! という考えは俺の中には無い。だが独りになるのはあまり好きではない。
けれど差別する事もされる事も無いこの状況が一番マシだと思える。それくらいの境遇だ。
「4限目の前の10分休みに行くよ。ところで瀬七、お前なんで授業中に電話してるんだ」
《野暮なことは聞かないでくれよ宮本。トイレに行ってきますー、とか言っとけば、廊下で電話しようが僕の自由じゃないか》
「ああ、なるほど。トイレね」
それなら納得。
授業中に電話しているのは話している途中で気がついたが、まさか授業抜け出してるとは。
瀬七は基本、授業をそこそこ受けているが電話のために授業抜けるとは。友情に乾杯。ありがとう友よ。
《なーにをトイレで納得してんの。それじゃあ僕授業戻るからそろそろ切るけど、ちゃんと来なよ》
「おう」
そこで、ピッとボタンを押して通話終了。
うーん、友のモーニングコールは強烈だったねー。どうでもいいけど姉の朝食準備しなきゃなー。
心で考えてることとは裏腹に、部屋の中にあるクローゼットの中から綺麗にアイロンのあてている長袖のシャツだけを取り出し、着替える。
やっべ、風呂入ってねえ。とは思ったが汗掻いてないから別にいい。昨日まではシャツの上にブレザーだったが、今日からはセーターにしよう。
指定が無いから俺のセーターは黒だが、夏場が近づくと異様に暑いという欠点がある。
それは買った俺が悪いんだけれど、更衣期間をもっと早くしてくれ、と言う俺の願い。
届け、お堅い頭の教師どもと生徒会長の頭の中に。
着替え終わり、鞄の中を4,5,6限の時間割に教科書を変える。
鞄の中身をもう一度確認し、脱いだシャツと鞄だけを持って一階に下りる。
階段を下り廊下を挟んだすぐ先にある居間では、姉が床に寝転がりながらドラマの再放送を見ていた。
刑事ドラマのようで「待て! 悪党ども!」「悪党はおまえだぁ!」 と言うような、ブラウン管越しの声が聞こえる。
……刑事ドラマらしいが、ここだけ聞けば一種の漫才のように聞こえる。
「ちゃんとソファー座れよ」
「んー」
注意すると姉はのっそりと起き上がりながら、ソファーに座る。
それでもダラーっと姿勢を崩してるから、あまり効果が無いように思えた。
「飯食ったかー」
「おー食ったどー」
右腕だけを上に伸ばし親指をグッと立てる。
それは、なんだろう。ナイスのサインのはずだが、どうだ! というような自己主張が含まれている気がする。
それよりこの姉、食パン昨日で尽きたのに何食ったんだ。
「何食った……ハッ、まさか!? ひもじさのあまり、庭にある草でも……」
「んなわけないでしょ! ちゃんとしたもの食べた!」
「冗談だよ」
一呼吸おいて何を食べたのか聞くと、銀シャリ食べたー、と言った。
銀シャリとはまた古き良き言葉だ、と思いつつ炊飯器の前まで移動し蓋を開け中を覗くと、むわっとした熱気が顔を覆う。
どうやら、昨日残った飯を保冷するのを忘れたまま眠ったせいかスイッチが入ったままだったらしい。
当然姉がスイッチを切って保冷する。などとという技術を持っているはずもなく、そのまま放置状態のようだ。
朝起きて何も無いから姉はこれを食べた、と。そういうことか。
ピッとスイッチを切り、椅子の上に鞄とシャツを置いて食器棚から自分の茶碗を取り出す。
釜の中に入っていた、酷く熱いしゃもじを持つことに苦戦しながら少しだけ残っていた飯をよそう。これが今日の朝食だ。