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「完璧な優等生」をやめたかった私の前に現れたのは、学校一怖がられている強面(こわもて)くんだった。  作者: 楠木 悠衣


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第1話:ひび割れた仮面

朝、鏡の前に立つ。

 寝癖ひとつない髪を整えて、スカートの丈をきっちり校則通りにする。

 最後に、鏡の中の自分に向かって、にこっと笑う。


「よし、今日も大丈夫」


学校へ行けば、私は「佐倉さん」になる。

 先生からは信頼される学級委員。女子からは相談しやすい頼れる友達。男子からは、ちょっと遠くから眺める高嶺の花。

 みんなが私に求めているのは、清潔で、賢くて、いつも余裕がある「完璧な女の子」だ。


だから、私は絶対に怒らないし、弱音も吐かない。

 誰かがノートを貸してと言えば笑顔で渡すし、掃除をサボっている人がいても「代わりにやっておくね」って優しく言う。

 

 でも、本当の私は、そんなにキラキラしていない。

 本当は、朝起きるのは辛いし、勉強だって必死にやっているだけ。

 心の中では、「どうして私ばっかり」って、真っ黒なモヤモヤが渦巻いている。


その日は、朝からずっと雨だった。

 湿気で髪がうねるのが嫌で、数学のテストの点数が思ったより低くて、お昼休みに友達の恋の悩みを聞き続けて……。

 放課後になる頃には、私の「完璧な仮面」は、今にもパリンって割れてしまいそうだった。


みんなが部活や下校で騒がしくしている中、私は一人、逃げるように旧校舎の裏に向かった。

 ここなら誰も来ない。

 錆びた鉄棒の横、雨に濡れない軒下にしゃがみ込むと、止めていた涙がボロボロと溢れてきた。


「……っ、う、うう……」


声を押し殺して泣く。

 泣き顔なんて、誰にも見せられない。

 情けない。かっこ悪い。佐倉さんは、こんな風に泣いたりしないのに。


「おい」


突然、頭の上から低い声が降ってきた。

 心臓が跳ね上がる。

 慌てて顔を上げると、そこには、この学校で一番関わってはいけないと言われている人が立っていた。


一ノ瀬湊くん。

 染め上げた明るい金髪に、耳にはいくつも光るピアス。

 いつも授業をサボって、鋭い目つきで人を睨みつけている、本物の「不良」。


終わった、と思った。

 こんなところで泣いているところを見られたら、何を言われるか分からない。

 明日には学校中に言いふらされて、「優等生の佐倉さんが裏で泣いてた」なんて噂になってしまう。


「……あ、えっと、ごめんなさい。すぐ、どくから」


私は袖で乱暴に目を擦って、立ち上がろうとした。

 でも、足に力が入らなくて、よろけてしまう。

 一ノ瀬くんは、黙って私のことを見下ろしていた。その視線が怖くて、私はギュッと目を閉じた。


バカにされる。

 それとも、怒鳴られる?


けれど、降ってきたのは予想外の感触だった。


「ほら」


目を開けると、目の前に温かいペットボトルのミルクティーが差し出されていた。

 一ノ瀬くんの手は大きくて、少しだけゴツゴツしている。


「……え?」

「泣くと、喉乾くだろ。……やるよ、それ。まだ開けてねーし」


彼は私と目を合わせないように、ぷいっと顔をそらした。

 耳の先が、ほんの少しだけ赤い気がする。


「でも、これ……一ノ瀬くんのじゃ……」

「いいから。……お前、いつも笑ってるけど。そんなに無理して、何が楽しいんだよ」


心臓を、直接掴まれたみたいだった。

 一ノ瀬くんの声はぶっきらぼうだけど、そこにはとげなんてひとつもなくて。

 むしろ、雨の音に消えてしまいそうな、不思議な優しさがあった。


「無理なんて……してないよ。私は、みんなの期待に応えたいだけで……」

「それが無理してるって言ってんだよ、バカ」


一ノ瀬くんは、私の隣にドカッと座り込んだ。

 綺麗な制服が汚れるのも気にしないで、雨が降る校庭を眺めている。


「誰も見てねーよ。ここには、お前を『優等生』だと思ってる奴なんて、俺しかいねーし。……あー、いや、俺も別に思ってねーわ。ただの、泣き虫な女子高生にしか見えねー」


その言葉を聞いた瞬間。

 私の中で、何かが音を立てて崩れた。


みんなは「佐倉さん」を見てくれる。

 でも、この人だけは、ぐちゃぐちゃな顔をして泣いている「私」を見てくれている。


手の中のミルクティーは、じんわりと温かい。

 私はもう一度、膝に顔を埋めた。

 さっきまでの悲しい涙じゃなくて、なんだか少しだけ、胸の奥が軽くなるような涙が流れた。


「……一ノ瀬くん」

「……あ?」

「……これ、飲んでもいい?」

「だから、やるって言っただろ」


彼はめんどくさそうに頭を掻いたけれど、私が泣き止むまで、ずっとそこにいてくれた。

 雨の匂いと、微かに香るミルクティーの甘い匂い。


私の世界に、初めて「完璧じゃない私」を知っている人ができた。

 それが、こんなに安心することだなんて、知らなかった。


この日から、私の「演じている毎日」が、少しずつ、ゆっくりと変わり始める。

 

 雨上がりの空は、まだ少し曇っていたけれど。

 一口飲んだミルクティーは、驚くほど優しくて、甘かった。

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