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帝都東京の夜は、ガス灯の柔らかな橙色の光と電灯の鋭い白い輝きが交錯し、石畳の道を幻想的に照らし出していた。大正ロマンの華やかさに彩られた華族街では、馬車の車輪が軋む音や、モダンガールたちの高らかな笑い声が響き、遠くから西洋音楽の調べが漂ってくる。妖怪や精霊が人間と共存する不思議な世界が、帝都の夜に息づいていた。茉莉は、望月家の古びた屋敷で叔母・志津とその娘・美鈴による虐待に耐えながらも、蓮夜との出会いを通じて希望を見出し、月影術を磨き上げていた。黒焔の鬼を封じた事件以来、彼女は「月影の巫女」として華族社会で注目を集め、陰陽局で「精霊との共存の象徴」と称された。しかし、この栄光は、志津と美鈴の嫉妬と憎しみを燃え上がらせ、彼女たちは茉莉を蓮夜から引き離し、帝都から追放する策略を巡らせた。事件の渦中で、茉莉と蓮夜は互いの本心を曝け出し、愛を誓い合うことで、新たな未来への一歩を踏み出すことになる。
志津は、茉莉の台頭が望月家の名誉を脅かし、自分の地位を奪う危険性を察知していた。彼女の心には、姉(茉莉の母)が妖怪に心を許したことで華族社会から追放された過去への深い恨みが根ざしていた。志津自身、若い頃に妖怪の呪いで恋人を失い、その痛みが彼女を禁術の研究へと駆り立てていた。彼女は、望月家の古い巻物を紐解き、禁術の知識を深めていた。かつて、望月家の祖先が封じた妖怪「影狼」を呼び出す儀式を、屋敷の地下に隠された祭壇で執り行った。影狼は、闇を操り、人間の心を惑わす力を持つ妖怪で、その姿は黒い霧に包まれた巨大な狼のようだった。志津は、影狼を蓮夜の屋敷を襲撃させるための道具とし、茉莉を呪詛で縛り、妖怪の反乱の責任を彼女に押し付けて帝都から追放する計画を立てた。彼女は、夜な夜な祭壇で血を捧げ、禁忌の呪文を唱え、影狼を呼び覚ました。「あの娘を消せば、望月家の名は美鈴が継ぐ」と、志津は冷たく笑った。
美鈴は、母の陰謀に積極的に加担した。彼女は、蓮夜への想いと茉莉への嫉妬に駆られ、社交界で茉莉を中傷する噂を流した。「茉莉は妖怪と結託しているわ。彼女の精霊との契約は、人間の道に背く裏切りよ」と、華族の令嬢たちに囁き、微笑みを浮かべながら毒をまいた。美鈴は、陰陽局の会議で偽の証言を行い、「茉莉が妖怪を操り、帝都を混乱に陥れている」と主張した。彼女の言葉は、一部の古い術者たちの疑念を煽り、茉莉の信用を揺らがせた。美鈴は、華族のパーティーで、扇子を手に優雅に振る舞いながら、「茉莉のような穢れた娘が、蓮夜様にふさわしいはずがないわ」と囁き、令嬢たちの笑いを誘った。しかし、彼女の心は嫉妬に燃え、モダンガールの華やかな仮面の下で、憎しみが渦巻いていた。
志津は、茉莉を屋敷の奥部屋に閉じ込め、月影術を封じるため、禁術の呪符を配置した。部屋は暗く、埃っぽい空気が漂い、窓には鉄格子が嵌められ、月光すら届かない。志津は、冷たく笑いながら言った。「お前のような穢れた血統が、蓮夜様にふさわしいはずがない。帝都から消えなさい」と。茉莉は、呪詛の重圧に耐えながら、精霊たちに呼びかけたが、禁術の力に阻まれ、声が届かなかった。彼女の心には、叔母の冷たい言葉や、美鈴が母の形見の簪を壊した記憶が蘇り、胸が締め付けられた。しかし、蓮夜の顔を思い浮かべると、彼女は諦めずに祈り続けた。「蓮夜様…帝都を守りたい」と。
志津と美鈴は、影狼を操り、蓮夜の屋敷を襲撃させる計画を実行に移した。ある夜、影狼が率いる妖怪の群れが天道家の屋敷を包囲した。闇の気配が庭を覆い、ガス灯が不気味に揺れ、屋敷の窓ガラスが割れた。妖怪たちの咆哮が響き渡り、庭の松の木々が折れ、池の錦鯉が怯えて泳ぎ回った。蓮夜は、雷を操る陰陽術で応戦したが、影狼の闇の力は強く、陰26人の陰陽師を圧倒した。屋敷の周囲は黒い霧に包まれ、陰陽師たちの呪符が次々と燃え尽きた。蓮夜は、疲弊しながらも屋敷を守ろうと戦ったが、妖怪の数が多く、術の制御が乱れ始めていた。華族たちや陰陽局の術者たちが屋敷に集まり、蓮夜を支援したが、影狼の力は予想以上に強大だった。
しかし、志津の強制的な支配に、影狼は怒りを募らせた。妖怪たちは、禁術による束縛を嫌い、志津の制御を振り切って暴走を始めた。影狼は、蓮夜の屋敷を襲うだけでなく、帝都の街に闇を広げ、商店の看板を倒し、市民たちを恐怖に陥れた。黒い霧が路地を覆い、ガス灯が次々と消え、帝都は混乱に包まれた。志津の計画は、彼女自身の手で制御不能な災いを引き起こし、帝都全体を危険にさらした。美鈴は、母の失敗に動揺し、「どうして…こんなことに!」と叫んだが、事態は収拾のつかない混乱へと突き進んだ。志津は、屋敷の地下で新たな呪詛を唱え、影狼を制御しようとしたが、妖怪の怒りは収まらず、彼女自身が闇の反動に襲われ始めた。祭壇の周囲に黒い霧が渦巻き、志津の手に持つ巻物が燃え上がり、彼女は恐怖に顔を歪めた。
茉莉は、閉じ込められた部屋で、呪詛の重圧に耐えながら、精霊たちに呼びかけた。「助けて…蓮夜様を、帝都を守りたい」と、彼女は心の中で祈った。すると、月の妖精が再び現れ、銀色の翼を広げ、柔らかな光を放った。「汝の心は純粋だ。呪詛を破り、運命を切り開け」と、妖精は告げ、茉莉に新たな月影の符を授けた。この符は、禁術を打ち破る力を持ち、茉莉の潜在的な力を解放するものだった。茉莉は、月影の符を手に、呪詛の呪符を焼き払った。光の波が部屋を包み、志津の禁術が崩れ去った。鉄格子が溶け、窓から月光が差し込み、茉莉の振袖が銀色に輝いた。月の妖精は、茉莉を導き、蓮夜の屋敷へと向かわせた。
茉莉は、魔法の振袖をまとい、軽やかな靴で夜の帝都を駆け抜けた。街は、影狼の闇に覆われ、ガス灯が倒れ、市民たちの叫び声が響いていた。商店の看板が燃え上がり、路地には黒い霧が漂い、帝都は恐怖に包まれていた。茉莉は、恐怖を押し殺し、蓮夜の屋敷に到着した。そこでは、蓮夜が影狼と対峙し、雷の陰陽術で戦っていたが、妖怪の数が多く、疲弊していた。屋敷の庭は、闇の霧に覆われ、木々が折れ、池の水が黒く濁っていた。茉莉の姿を見た瞬間、蓮夜は目を輝かせ、屋敷に集まった陰陽師たちや華族たちの前で叫んだ。「彼女だ! 簪の持ち主は、茉莉だ! 彼女こそが、帝都を救う力を持つ!」彼は、縁結び祭で拾った茉莉の母の形見の簪を掲げ、彼女の正しさを宣言した。この言葉に、陰陽師たちは驚き、華族の令嬢たちも蓮夜の熱意に圧倒され、静まり返った。
事件の渦中で、茉莉と蓮夜は互いの本心を曝け出した。茉莉は、蓮夜の屋敷の庭で、月影の下に立ち、涙ながらに語った。「私は、妖怪と共に歩む力を誇りに思う。叔母様に『穢れ』と言われても、精霊たちは私の友達だった。蓮夜様と出会って、初めて自分の力を信じられた。どんな過去があっても、私はここにいる」と。彼女の声は、虐待の傷跡を乗り越えた強さと、精霊の血統への誇りに満ちていた。彼女は、母の簪を壊された痛み、夜通し呪符を作らされた日々、志津の冷たい言葉を乗り越え、自分の存在を肯定していた。蓮夜は、茉莉の手を取り、深く頷いた。「茉莉、君を愛している。僕のすべてを君に捧げる。君の力は、僕の夢を現実にする。妖怪と人間が共存する世界を、君と一緒に作りたい」と、彼は心からの告白を口にした。茉莉は、涙をこぼしながら微笑み、「私もよ、蓮夜様。お互いの気持ちを信じて、戦いましょう」と応えた。二人の言葉は、月光の下で響き合い、互いの心を強く結びつけた。
妖怪との大規模な争乱の中、茉莉と蓮夜は力を合わせた。茉莉は、月影術を駆使し、光の精霊を呼び出した。彼女の振袖が銀色に輝き、月光の結界が屋敷を包んだ。結界は、影狼の闇を押し返し、妖怪たちの動きを鈍らせた。蓮夜は、雷の陰陽術で影狼を攻撃し、茉莉の結界がその力を増幅した。二人は、陰陽術と月影術を融合させた新たな術「月雷の封印」を編み出した。茉莉が月影の符を掲げ、蓮夜が雷の呪文を唱えると、光と雷の渦が影狼を包み込んだ。影狼は、茉莉の優しい声と蓮夜の強力な術に圧倒され、ついに封印の光の中に消えた。妖怪たちの暴走は収まり、帝都に静寂が戻った。陰陽師たちは、二人の力に息を呑み、華族の令嬢たちはその絆に感動した。「月影の巫女と天道家の若き当主…まるで神話のようだ」と、誰かが囁いた。
事件の後、華族社会は騒然となった。陰陽局は、志津と美鈴の陰謀を調査し、華族の裁判が開かれた。茉莉の実力と月の妖精の力により、志津と美鈴の悪行が暴かれた。裁判の場で、月の妖精が幻影を現し、志津と美鈴の虐待と策略が光の映像として再現された。茉莉の母の形見の簪を美鈴が壊す場面、志津が禁術で影狼を呼び出す瞬間、彼女たちが茉莉を中傷する会話が、華族たちの前で鮮明に映し出された。映像には、志津が茉莉を「穢れ」と罵り、夜通し呪符を作らせた場面や、美鈴が社交界で茉莉を中傷する姿も含まれていた。志津は、顔を青ざめ、「そんな…私の計画が!」と叫んだが、証拠は圧倒的だった。美鈴は、嫉妬に満ちた顔で泣き崩れ、「私が…私が蓮夜様の隣にいたかったのに!」と叫んだが、誰も彼女に同情しなかった。
裁判の結果、志津は華族の地位を剥奪され、帝都から追放された。彼女は、郊外の寂れた屋敷に送られ、そこで妖怪の呪いに苛まれる罰を受けた。志津が呼び出した影狼の残響が、彼女の周りにまとわりつき、孤独な夜を恐怖で満たした。美鈴は、社交界での役割を失い、モダンガールの夢が砕けた。彼女が偽の精霊と契約した代償として、術を使えない身体となり、貧しい下働きに落ちぶれた。華族の令嬢たちは、彼女を冷ややかな目で見つめ、かつての華やかな姿は影もなかった。美鈴は、かつてのドレスを握りしめ、涙ながらに「どうして…私がこんな目に!」と呟いたが、誰も耳を貸さなかった。この爽快な断罪は、茉莉の復讐を叶え、彼女の心に自由と正義をもたらした。
事件の後、茉莉と蓮夜は月読神社の境内 で再び月影の下に立った。月光が二人の姿を照らし、静かな水音が響く中、茉莉は涙ながらに告白した。「蓮夜様、あなたのそばにいたい。どんな未来でも、一緒に歩みたい」と。蓮夜は、彼女を抱きしめ、「君こそが私の月影だ。君と一緒に、帝都を変える」と愛を誓った。二人は、月光の下で抱き合い、互いの本心を確かめ合った。蓮夜は、華族社会の前で正式に茉莉との婚約を宣言し、「君こそが新しい時代の象徴だ」と告げた。この言葉に、陰陽師たちや華族たちは拍手を送り、茉莉の名は帝都の希望として刻まれた。月読神社の石灯籠が月光に輝き、まるで二人の未来を祝福するように、静かに光を放っていた。




