もうひとりの自分
幼少期のこと――
あの頃の私は、近所の親戚の家に遊びに行くことが多かった。そこで、私の大事なおもちゃが従弟の所にある、という『現象』が頻発した。従弟はそれを私にもらったという。しかし、私にはあげた記憶が全くなかった。あげた記憶がないのだから、私は、毎回とられたと言って取り返した。親戚は、皆、私が惜しくなって取り返したと思っていた。
そんな子どものころ、気持ちの悪い出来事が起きた。
私の絵がテレビ番組で採用されたのだ。しかし、私にはその絵を描いた記憶がなかった。それだけではなく、それはかなり下手で、なおかつ気持ちの悪い絵だった。こんな絵を自分が書くはずがない。
その絵は幼稚園の運動会を描いたものらしい。乱雑に塗りつぶされた真っ赤な背景に、人の頭がたくさん描かれていた。現代の常識からすれば、描いた者は精神に異常があると認定されそうな絵だった。
そして、不思議なことはもう一つ。
あの頃の私は、入園する前、一年余計に生きた記憶を持っていた。私は、同い年の従弟に、お前のために一年待っていてやった、と言っていたのだ。
小学生時代――
この時代も同じようなできごとは何度も起きた。
最も気味の悪かったのは、あの出来事だろう。
あの日、私は熱を出して学校を休んだ。
まる一日、食事とトイレ以外で布団から出ることはなかった。
次の日、私が学校に行くと、クラスメイトに吊し上げられた。
遊ぶ約束を破ったと。
彼らによると、学校を休んだ日、私は午後から出席していたのだという。
そして、放課後に遊ぶ約束をしたと。
だが、あの日、私は間違いなく布団の中で寝ていた。
大学時代――
「昨日、駅前で一緒にいた女、誰よ?」
同期の連中が、駅前で私がデートしているのを見たという。
その日、私は間違いなく自分のアパートでごろごろしていた。
一歩も外には出ていない。
だが、独り暮らしゆえに、それを証明する者はいない。
周囲は誰も私の言うことを信用してくれなかった。
そんなことが何度もあり、私は誤解されていった。
社会人になって――
やはり同じようなことが続いた。学会やシンポジウムで、知らない人から話しかけられることが度々あった。彼らは私のことをよく知っていた。
プライベートでも同じようなことが起こった。同僚によると、近くの観光地で女性と歩いているところを見たそうだ。
それだけではない。
あれは仕事で地方に引越したばかりの頃だった。あの晩、私は歓迎会で居酒屋に呼ばれていた。会場へ向かう途中、道端には所謂ヤンキーの一団がたむろしていた。私がそこを通り過ぎようとしたとき――
「あ、真志さんじゃないすか。久しぶりっす」
金髪のヤンキー女が話しかけて来た。
そこは引越したばかりの土地で、私には知り合いなど全くいない。おまけに相手は十代と思しき若い女。なおかつ金髪ヤンキー。彼女を知っている可能性はゼロだと言い切れる。
あのとき、私は適当に話しを合わせてその場を後にしたのだが、「ごめん、誰だっけ?」ぐらいの感じで確認してみるべきだったのかもしれない。似たようなことが頻繁に起きるのだから、本当に『もうひとりの自分』がいたのかはっきりさせておくべきだった。いまの私はそう思っている。
こんなことが頻繁に起きる。
特に多いのは女性絡み。
付き合う前は二股を疑われる。
付き合ってからは浮気を疑われる。
二人の思い出に食違いが――
いつもこんな感じだった。
私の周りにはもうひとりの私が現れる。他人に誤解をされるたびに、また出たのだろうか、と考えてしまう。もうひとりの私がいることを知っているのだから、相手の言うことを無碍に否定することはできない。否定しないから、相手の疑いをさらに強めてしまい――
こうして、さまざまな相手との関係が悪くなる。
このあたりで、ようやく孫に言う話ではなかったと気づく。
「へえ、じいちゃんすごいー。ラノベ主人公!」
ミヤが感想を述べた。
「えぇ?本人にしてみれば、結構問題だよ。それでずっと独身なんだし」
「独身って?」




