真志
少し前から『私』とのつながりが太くなった。
そのおかげで、さまざまな情報が流れ込んで来る。
トラはいつの間にか私の眷属になっている。
『私』とのつながりが太くなって行くに従い、私は私でなくなっていく。
だが、その変化を止めることはできない。
――だめだ。
由美や美也子との距離が開いてしまう。
だが、そうなるのを拒めば、熊神に負けてしまうだろう。
――どうしたら……。
そんなとき、トラの目を通して一人の男を見つけた。
その男は女連れで屋上降臨教会を探っていた。
私はその男を見て、なぜか富士のふもとにある諏訪神社を思い浮かべた。
――めぐりあわせ。いや、『あちら』からの干渉か。
準備が整ったという思いが沸き上がって来る。
それは『私』のファンファーレと同じ類のものだ。
トラは私の気持ちを汲み取り、男たちをここに案内してくれるらしい。
そして、私はドアを開ける。
男たちを迎え入れるために。
守屋はどこか懐かしい訛りのある初老の男だった。
初老。
昔は四十歳を指す言葉であったが、いまは五十代を指すらしい。
だが、守屋は「老」という言葉が似つかわしくないほどエネルギーに満ち溢れていた。
守屋耕造という男は私を見て驚いていた。いや、私ではなく、私につながる『私』を見たのだろう。そこのところを詳しく聞いてみたい気もするが、『あちら』から干渉されるのはわかりきっているのでやめておく。聴くのはあの教会を見ていた理由からだ。
「ところで、どうして屋上降臨教会へ――」
その問いには武藤京子という女が答えた。
蛇にとり憑かれた彼女の同僚を追って来た、という話だった。守屋ならそれを祓えるので、声をかける機会を待っていたと。
「祓えるんですか」
私は守屋に尋ねた。
「たぶん、いまで五分五分。もう少し進んだらお手上げですかの」
「もう少し上の、低級神は無理ですか?」
私は話題を熊神に持って行くことにした。
「神と名のつくものを祓うのは無理ですわ。あの教会の奥にある気配のことですかの?」
「そうです。私たちはあれに目を付けられているんですよ」
私は守屋にこれまでの経緯を話した。
熊神ヤウェについても。
『彼は彼女を辱しめ、一番目の息子を、続いて同じように二番目の息子をもうけた。すなわち、熊の顔をしたヤウェと猫の顔付きをしたエローイムである。その一方は義なる者であるが、他方は不義なる者である。エローイムが義なる者、ヤウェが不義なる者である。』
ヨハネのアポクリフォン§67~69
「相手はキリスト教の神なんですか?」
武藤京子が声を上げた。
「そうですね。でも、あれはキリスト教を乗っ取った神で、イエスは敵として見ていたみたいですよ」
「京子よ、こっちも考えんと。あんたの同僚の蛇を祓うと神に敵対することになるが、ええか」
「ああ、でも、ええっ?」
武藤は混乱している。
武藤が混乱している間に美也子が口を開いた。
「ねえねえ、義の神はどうなったの?ひょっとしてこの子?」
美也子はトラを抱き上げた。
「確か、とっくに滅ぼされていたと思うよ」
このあたりでようやく武藤が正気づいた。
守屋が彼女を見ながら口を開く。
「まあ、教会の前で気づかれとるだろうし、どっちにしても逃げられんわ」
守屋は自分の状況と武藤の事情を私に説明した。
「なるほど。武藤さんは守屋さんの指導で『あちら』方向を認識できると」
これまで、私の攻撃は『あちら』方向には届いていなかった。私が滅ぼしたのは『こちら』側の影だけ。だから熊神は復活したのだ。
私が守屋の指導を受ければ――
そこで私はひとつの問題に気づいた。
違うレイヤーではあるが、熊神はこれから先の未来で私の前に現れることになっている。
固定された未来があるとすれば、今回は倒せないのか?
あるいは、時間を巻戻して違う流れを作るように、熊神のいない未来を作れる?
答えが来た。
『私』は後者が可能だと言っている。
「いま、何をしたんですかの?」
「えっ?」
「いや、いま、すごい流れができとったから」
「ああ、私の本体と言って良いのかな?そっちの方から介入があったんですよ」
「なんと?」
「私が『あちら』方向を自力で認識できるようになれば、熊神を退治できるようです」
「なんとなんと。わしらは手を出さんでもええんですかの」
「はい。大丈夫だと思います」
「あのー」
そのとき、後ろで聞いていた由美と美也子が手を挙げた。
「私たちにも指導お願いします」
彼女たちは私の家族として最後まで見届けるつもりだという。
その気持ちはうれしい。
だが、危険だ。
私は思いとどまらせようと考えたが、彼女たちの表情を見て考えを改めた。
こうして、私たち三人は守屋の指導を受けることになった。
なったわけだが――
私たち三人には高い素養があったらしく、数分後には武藤のレベルを超えていた。
そして、私は由美と美也子の本当の姿を見た。
それは遥か彼方の記憶。
人ではなかった頃の記憶。
だが、その記憶はすぐに拭い去られた。
『私』が許してくれる範囲を超えてしまったらしい。
しかし、緑の中に二人がいる画像だけは頭に残っていた。
私がその記憶の余韻に浸っていると――
「ちっ」
離れた座標/レイヤーから舌打ちが聞こえたような気がした。
レイヤーを越えて、聞こえた方向を見通す。
そこにはおかしな木々の茂るエリア――エデンがあり、その向こうには荒れ地が見えていた。その荒れ地には黒い水を湛えた沼があった。
『闇の大地は――とマニは教える――深淵、奈落、断崖、層、土手、枝のように分岐した深い森がいっぱいの土地、土地ごと土塁ごとに煙を上げ、土地ごとに火を吹き上げ、土地ごとに闇を沸き上がらせる鉱泉で覆われている。これらの柱のいくつかは他のものよりも高く、他のものよりは深く、そこから出てくる噴煙は死の毒である。その噴煙は奈落の泉から立ち上ってくる。その奈落の基盤は不純な泥から成り、その泥の中に、埃の大地、火の諸要素、風を造り上げる武骨な闇の諸要素、そして重い水の諸要素が存在している』
マニ教の神話より




