見えるもの
駅に着いてもドアは開かない。
乗客はぎゅう詰めのまま待たされていた。
ドアが開いたのは駅員が到着してから。
救護作業が終わって乗客の乗り降りが済むと、またぎゅう詰めの状態になる。
京子が降りる駅に着いたのは30分遅れ。
おかげで京子はかなり消耗していた。
この状態で仕事ができるとは思えない。
京子は、メールのチェックと部下の進捗確認をしたら、すぐに早退しようと決心した。
職場に着くと京子はすぐにトイレに向かった。化粧がどうなっているか確認する必要がある。電車では影のおかげで脂汗をかいたから。
鏡に映った姿は案の定ひどいものだった。これなら変な言い訳をしなくても帰らせてもらえるだろう。そう思って京子は化粧を直すのをやめた。
「おはようございます。武藤課長、どうしたんですか?顔色悪いですよ」
隣の課の吉川だ。彼女は、目が離れていることを除けば美人で通る。だが、男好きで知られている。おまけに人事部長と不倫をしているという噂まであった。だから、まじめな男は近づかない。
京子はそちらを振り向いて驚いた。
吉川の身体には蛇の形の影が巻き付いていた。それも、一匹ではない。影ゆえにわかりにくいが、少なくとも三匹はいる。
この蛇たちに襲われてはたまらない。
京子は、気がつかない振りをしなくては、と自然体を装う。
「ちょっと昨日から体調が悪くて。たぶん、今日はメールをいくつか出した後、早退させてもらうと思うわ」
「大変ですね。私も最近身体が重くて。私も帰りたーい」
京子は急いでその場をあとにした。吉川に何か返事をしたような気がするが、自分が何を言ったか覚えていなかった。それほど蛇の影が恐ろしかったのだ。
京子は自分の席に戻ると、本格的に体調が悪くなっていることに気づいた。ひょっとしたら、すでにあの蛇の影から何かをされていたのかもしれない。
部長に早退する旨を話すと、あっさりと帰してくれた。彼は心配そうに京子の体調を気遣ってくれた。それほどひどい顔をしていたのだろう。
京子はさっさと帰り支度をし、トイレで化粧を直す。
会社の建物から出ると、京子はすぐにスマホを取り出した。
守屋は意外なことにスマホを持っていた。昨夜、緊急のときは呼べと連絡先も教えてもらっていた。ちなみに、緊急でなければかけるなとも言われている。
「守屋さん、助けて」
京子は、通勤電車のこと、吉川に巻き付いていた蛇の影のことを話した。
「おう。その辺に公園か何かあるか?陽の気を感じるところで待て。陰の気を感じるところへは行くな。着いたらこっちから電話する」
京子には陰だの陽だのを判断する余裕はない。今にも倒れそうだった。だから、駅前広場に着くと、日当たりのよいベンチにへたり込むように座った。いつもならベンチの汚れを気にするが、今日はそんな余裕もなかった。
――もう動けない。
前を通る人が怪訝な顔をしていた。通行人に気遣われ、声をかけられたら面倒だ。そう思って立ち上がろうとした時、京子は近づいてくる守屋を見つけた。いつものように念で見つけてくれたのかもしれない。
守屋は京子の前に立つと、平手で軽く京子の頭を叩いた。そのとき、守屋の手から京子の中に何かが放たれた。
一瞬、視界に白い光が満ちる。
脊椎に沿って何かが走り下りていく。
「行くぞ」
京子は立ち上がった。
身体はいくらか軽くなっていた。
守屋は京子の腰にさりげなく手を添える。しかし、それは見かけだけで、今度も守屋の手から何かが流れ込んでくる。守屋は周囲の人からわからぬように京子の治療をしているのだ。
電車に乗る時点では、かなり身体が楽になっていた。だが、京子はそのまま守屋にもたれかかっている。
「ありがと」
「なんの」
朝とは違い、電車は空いていた。京子と守屋の近くには人が全くいない。まるで人払いをしているようだ。
「初日でこれでは、やっていけんのではないか?」
「何とかできる?」
「修行か封印か。いや、普段は封印しておいて、休みの日に修行すればよいか」
「じゃあ、そうする」
京子は、守屋が何を言っているのかわからなかったが、何でもいいから任せようと思っていた。




