表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
混沌に浮かぶ泡  作者: 藤原時照


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/50

とある出会い(1)

 その女は夜の河川敷を走っていた。

 三十代も後半になると、油断した途端に体形が崩れる。

 だが、いまの彼女は仕事で責任のあるポジションを任され、自分の身体を管理する余裕がなくなりつつある。生活は乱れがち。だから、今月からジョギングを始めたのだ。

 十年ほど前まで、この河川敷にはホームレスの小屋が散在していた。不良少年たちが小屋に火をつける事件も起きた。かつて、ここは普通の人々が寄り付かない領域だったのだ。その記憶から、十年経ったいまでも夜になるとこのあたりから人の気配は消える。

 女はこの地に住むようになって間がない。かつての姿を知らない女にとって、ここはジョギングにちょうど良い場所でしかない。しかし、不審者に対する注意喚起の看板が多いことから、ひょっとして、ここは治安が悪いのではないか、という疑念を持ち始めている。それでも女はジョギングを続けた。女には護身術の心得があり、自分の強さには自信があったから。

 旧国道の下に差し掛かった時、その女は、あの橋の下に不審者がいて、それが自分を襲う情景を想像した。だが、女はそんな自分に苦笑し、想像するのをやめた。

 女が橋の下に入ると同時に、土手に埋設された橋の基部から影が湧く。その影には、毛深い男の胴体と毛深い手が生えている。

 女は、その影を見ると同時に、それが自分の妄想に由来する物であることを直感した。毛深さなどが想像通りであり、想像するのをやめた部分が影になっていたからだ。

 しかし、由来がわかったとしても、それで安心できるわけではない。

 自分を襲うところも想像してしまった以上は。

 女は叫び声を上げたかった。

 だが、他人に自分の妄想を見られるわけにはいかない。

 そう思ってしまった。

 それを見られれば、自分が求めているものを知られてしまう。

 女はそんな風に考えてしまった。

 自分の欲望を知られることは、化け物に襲われるのと同等の恐怖。

 だから、女には助けを呼ぶことができなかった。

 女が言わなければ、それが彼女の妄想だとわかるはずがない。だから、助けを呼べばいいのだ。だが、パニックになった女は、冷静に物事を考えることができなくなっていた。

 その影は女の着ていたTシャツに手を伸ばすと、それを紙のように引き裂いた。現実には、Tシャツを引っ張っても伸びるだけで破けはしない。だが、その影は、女の愛読するBL漫画のように、着ているTシャツを簡単に破いた。女がそう想像したから。

 影は女の着ている物を順に引き裂く。

 女は抵抗する間もなく、ランニングシューズを残して全裸に剝かれた。

 つづいて――

 その影が唐突に消えた。

 女は自分の傍らに男が立っていることに気づいた。その男は、頭を短く刈り、紺色の作務衣を着ている。見るからに坊主という感じだ。

「人んちの前で何をやっとるんじゃ。ちっとは慎みを持て」

 女は襲われたのだと言いたかったが、同時にあれが自分の妄想から生まれたことを理解しており、男に言い返すことができなかった。

「ちょっと待っとれ。何か着るもんを持って来たる」

 男はそう言うと背を向けた。

 男の姿はぼやけはじめ、向こうが透けて見えるようになった。その状態のまま、男は橋の基部の中に入って消えた。

 それは怪奇現象であったが、影に襲われたことで女の感覚は麻痺している。

 何も考えられなくなっていた。

 女は突然我に返り、自分が丸裸なのに気づいた。

 裂けた衣類で身体を隠そうと試みるが――

「ほれ、これを着ろ」

 気づくと、傍らに男がいて、衣類が差し出されていた。

「すいません」

 女は蚊の鳴くような声でそう言い、男がくれた衣類を身につけた。得体のしれない相手ではあったが、この際、そんなことは気にしていられない。この服を着なければ、裸で帰るほかないのだ。

 女が服を着ている間、男は後ろを向いていた。その行為は女を安心させた。

 男に渡されたのは白い無地のTシャツと男物のトランクス。そして、男物の短パンだった。


「あの、ありがとうございました」

 女は男の背中に向かって声をかけた。

「おう、じゃあな。気をつけて帰れ。もう、自分の念に飲まれんようにしろよ」

 男はそう言って、そのまま歩み去ろうとした。

 男は『念』と言った。

 あの影のことを間違いなく理解している。

 影を消したのも男の能力によるのかもしれない。

 女は男を引き留めなければならないと思った。

 だが、そう思ったとき、すでに男の姿は消えていた。

 さきほど体験したことは、本当にあったのだろうか。

 男がくれた服を着ていなければ、女は自分の正気を疑っていただろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ