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混沌に浮かぶ泡  作者: 藤原時照


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30/50

萌芽(2)

「にゅふふふふー」

 目覚めるとともに、美也子の声がした。私の腹の上に跨っている。

「おとうさん、マドレーヌもどき作ってぇ。ぬれクッキー」

 私はそんなものを作ったことはない。だが、目覚めたばかりの私は、まだ少しだけ『あちら』につながっていて、遠い記憶が微かに呼び覚まされた。だから美也子の言っていることが理解できた。

――私はずっと前から美也子とつながっていたのか。

 彼女はいつも孤独な私を探し出し、寄り添ってくれた。

 けれども――

 いまの私には、別の生のぼんやりとした記憶がある。しかし、それは脳に記録されたものではない。精細な記憶ではないのだ。つまり、美也子が望むマドレーヌもどきのレシピがわからない。

――とりあえず、やってみるか。

 はじめて作ってみて、何となくできたのがマドレーヌもどきだったはず。別のレイヤーの自分であっても行動パターンは大きく変わらないだろう。ならば、いまの私が初めて作っても同じような結果が出る。そう期待するしかない。たぶん、砂糖少な目で泡立てが十分でなければ似たような結果になると思う。

 こうして、それらしきものができた。あとは美也子が納得するかどうかだ。

「うん、おいしー」

 美也子は満足してくれたようだ。

 そして――

「あっ、おいしい。何だか食べたことがある味」

 由美は味見をして首をかしげている。

「だって、前におとうさんが作ったの、分けてあげたもん」

「そう言えば、タッパーに入ったのを見た憶えが……。あれっ、でも、あのとき、ミヤちゃんは中学生……、んん?」

――私たちは、深いところでずっとつながっていたようだ。

 三人とも時空の彼方のできごとを共有していることがわかった。それだけで、何だか涙が出て来そうになる。

「あとはね、富士山に行くの。神社に行って、お蕎麦も食べるの」

 すっかり目が覚めた私には、美也子の言うことが理解できなくなっていた。

 もう『あちら』とのリンクは切れている。

「じゃあ、行くか」

「おー」

 こうして、私たちは出かけることになった。

 車を出すと、美也子の興奮は抑えが利かなくなった。

 何だかわからないが歌を歌っている。

 たぶん、即興で作った歌だろう。

 その状態はもう三十分以上続いている。

「トイレ寄ってく?」

「うん、お願い」

 ウインカーを出し、道の駅に入る。

 駐車場はそれほど混んでいなかったが、迷惑な観光バスが駐車スペースでない場所に横付けし、施設への出入りを妨げていた。

 私はさっさとトイレを済ませたが、女子トイレは外まで列ができている。

――コンビニに寄った方が良かったかな。 

 そう思いはしたが、時すでに遅し。私は車で待つことにした。

 シートを倒して天井を眺めているうちに、私は眠ってしまった。

――世の流れは界の影響を受けて……。

 私は夢を見ていたが、美也子の声で目が覚めた。 

「――ずうずうしいおばちゃんばっかりだね」

「どうしたの?」

 美也子は口をへの字に結んで、かなりお怒りのご様子だ。もう口もききたくないらしい。私の問いに答えたのは由美だった。

「割り込もうとした人がいて、結構もめたのよ」

「ああ、かなり並んでいたよね。そういえば、男子便所の方にもおばちゃんが入って来てたよ。こういう場合も痴漢行為で警察を呼んで良いのかな?」

「呼べ、呼ぶんだ、真志」

 何だか美也子のテンションが高くなっている……。

 私はすみやかに怒りの元凶から遠ざかろうと思った。さっさと道の駅を出るのだ。

「イライラしたあとは、神社で気を静めるか?」

「おー、隠された迷宮に行くのじゃぁ」

 眠りから覚めたばかりの私は、美也子の言うことが理解できた。

 浅間神社に参拝した後、脇にある目立たない道を通って諏訪神社に行く。

 蕎麦を食べる。

 花の都公園で花に埋もれる。

 そして、……無事に帰る。

 これで流れを上書きする。

――流れ?

 何か大事なことを考えていた気がするが、その記憶ははるか遠く。もう思い出せなくなっていた。だが、これから行くべき順路は憶えている。それを辿れば何か大事なことが達成できるような気がする。

「おとうさん、あっちの入口からちゃんと歩こうよ」

 浅間神社に着くと、美也子が道路の方を指差してそう言った。

 神社の駐車場は本殿に近いところにある。わざわざ道路から続く正規の参道を歩く人は居ない。美也子はその正規の入口から歩こうと言っているのだ。

「じゃあ、そうするか」

 私がそう言うと、美也子は私の手を握り、もう一方の手を由美の方に伸ばした。由美がその手を握ると、美也子は笑顔で前後に手を振り始めた。

――ああ、これが幸せというものか。

 私は自分の頬が緩むのを止められなかった。

「こっちは誰も来ないのね。良い雰囲気なのに」

 そこには両側に石灯篭が並ぶ玉砂利の布かれた道が続いていた。入口には大きな石鳥居があり、玉砂利の道の両側には杉木立がある。彼方には朱の鳥居があり、その向こうに本殿が見えている。

「もったいないよねぇ」

「駐車場が入口の方にあれば良かったのにね」

 一般の参拝者にとって、わざわざ入口まで引き返して参道を歩くのは面倒に違いない。だが、私たち三人にとって、その面倒な距離は、幸せな時間を体感できる何物にも代えがたい道中となった、

「じゃあ、次はあっちー」

 本殿参拝後、美也子は私たちの手を引っ張り、諏訪神社の方へ行こうとした。

「あっちに何かあるの?」

 由美はここに来るのは初めてで、右手に諏訪神社があることを知らない。美也子が何故この神社を知っているのか不審に思っている様子だ。

「わー、雰囲気が変わるんだ」

 はじめてここに来た由美は、神社の雰囲気に感銘を受けたようだ。

――それにしても。

 私はここに来るたびに、来て良かったのか考えてしまう。

 結城は藤原姓。

 諏訪の祭神と戦った側だ。

 由美は?

 橘氏は源平藤橘のうちの一氏。

 たぶん、私と同じ側。

 美也子のもともとの姓はわからない。調べようとすると、そう考えたことを忘れてしまう。そうなるのは、たぶん『私』のせいなのだと思う。だから、調べるのは諦めた。

 私は諏訪神社のおおもとの諏訪大社について考える。

 あちらは日ユ道祖論で注目されたことがある。

 イスラエルは失われた十支族について調査を行っている。彼らによると、日本人はその十支族の子孫にあたるという。そして、諏訪大社は、背後に守谷山があることや祭儀の内容から、ユダヤ由来のものと認定されている。

 なぜ十支族は日本に来たのだろう?

 こんなに遠くまで。

 何かから逃げて来た?

 私の頭には熊神の姿が浮かんだ。

 十支族はアレから逃げて来た?

 いま熊神が日本にいるのは彼らを追って来たから?

 十支族は熊神が執着する何かを持っていた?

 私は自分の現状と十支族のことを結び付けてしまった。

 だが、その考えには妙に魅かれるものがある。

 諏訪大社は十支族が創立したものだという説はあり得るかもしれない。

 十支族が熊神から逃げて来たと仮定すれば、諏訪大社は――

「よし、つぎはお蕎麦だー」

 私は場所をわきまえず考え込んでしまっていたが、美也子の声で我に返った。

 

「私はぶっかけ大盛り!」 

 美也子は元気よくそう言った。

「ミヤちゃん、大盛大丈夫?」

「大丈夫なの!」

 美也子は意地になっている。

「残ったら私が食べるからいいよ」

 私は助け舟を出した。

 そして――

 美也子は大盛りを食べ切った。

「うん、幸せの味」 

 美也子は満足してくれたようだ。

「ほんと、おいしいかった。また来ましょ」

 由美も気に入ってくれたようだ。

「じゃあ、つぎはお花畑だー」 

「あるんですか?」 

 由美が私に尋ねた。

「花の都公園ていうのがあるんだ。いま何が咲いているか知らないけど」


 季節は十月下旬。

 花の都公園にはコスモスとキバナコスモスが咲き乱れていた。

「むー、遅かったか」 

 美也子は少し不服そうな顔をしていた。

 しかし、すぐに気をとりなおし、花畑を満喫しはじめた。

 私はスマホで美也子と由美を撮る。

 たまに私も入り、三人の写真を撮る。

 幸せな時間はつづく。

 

「あそこ。あそこ入る。チョコパフェ!」

 美也子が騒ぎ出した。

 彼女が指さすのは246沿いのファミレス。

「わかったわかった」

 私は美也子の言わんとすることがなんとなく理解できた。

 車を左車線に入れる。

 すると、後ろからものすごいスピードで車が突っ込んできた。

 白い商用車だ。

 その車はけたたましくクラクションを鳴らしている。

 喧嘩を買ってやろうかという考えが頭をよぎる。

 だが、その考えは捨てた。

 バックミラーにパトカーが映っていたから。

 私はパトカーにあとを任せ、ファミレスの駐車場に車を入れた。


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