前世といたずら書き
私は海軍に所属している。
周りには白い制服を着た同僚たちがいる。
ああ、もうすぐこの船は沈むのだ。
私は結末を知っている。
そして、私は目覚めた。
私は軍人ではなく、幼児だった。
――時間はそれほど経っていない。確かめねば。
私の中には家族や戦友たちへの強い思いがあった。
私の死後、彼らがどうなったのか確かめたかった。
蘇った記憶は水を手で掬うように流れ落ちて行く。
この世界のルールは前世の記憶が持ち込まれることを許してくれない。
記憶が消えてしまう前に――
私は書くものを探した。
玄関に置きっぱなしになっている父の工具箱を開けると、そこには黒のマジックが入っていた。
私はその黒のマジックを手に持ち、紙を探した。
だが、見つからない。
記憶はどんどん薄れていく――
床に書いてしまおうかと思ったが、その床材はかなり高級なものだった。
身体は幼児でも、いまの私には大人の良識があり、それが行動の枷となる。
――柱は?
私はそれらが高級な建材だと知っている。
記憶はどんどん薄れていく――
まだ書くところが見つけられない。
焦った末に私が選んだ場所はトイレ。
小便器のある空間と個室を隔てる扉だった。
それは合板でできており、値段もたいしたことはないはずだ。
私はそこに34と書いた。
だが、書いているうちに、私はその数字の意味を忘れてしまった。
何をしようとしていたのかも忘れてしまった。
残っていたのは、いたずら書きをした罪悪感だけ。
見た夢は忘れてしまう。
それが『こちら』の世界のルールだから。
しかし、同じ夢を見た、という漠然とした記憶は残る。
二十代の頃、私は見た夢を記録しようと思った。
最初は全く記録などできなかった。
書いている最中に忘れてしまう。
半覚醒の状態なら――
部屋を明るくしてはいけない。
そう思いついた。
懐中電灯を伏せて置く。
畳との隙間から明かりが漏れる。
これなら――
こうして私はルールの裏をかく方法を見つけた。
それを何年もつづけたら、ルールの方が規制を諦めたのか、夢を忘れにくくなっていた。
いまや、『あちら』の記憶をかなり『こちら』に持って来ている。
だから、いまの私は知っている。
『あちら』には、私の記憶や知識のすべてがある。
前世も前々世も、さらにその前も、あそこには私のすべてがある。
いまの私には、ぼんやりとだが、思い出すことができる。
あの数字はたぶん部隊名だった。
いまの私に思い起こせるのは、この星における生だけではない。いくつもの世界が滅んだ場面も、最後の瞬間だけはぼんやりと思い出せるし、自分がこの星に落ちて来たところも憶えている。
『一者』につながるとき、『私』――私の根源――の一部が私の中に流れ込んで来る。
そのおかげで、私には、子どもの時分から、大人として生きた記憶が混ざっていた。
だから、私には人並みの子供時代がなかった。
急に別の生が流れ込むことによって、一夜にして性格が変わったことさえあったかもしれない。
それが私。
私は何かを追い求めている。
私は誰かを追い求めている。
だが、思い出すことはできない。
縁があればまた会える?
私の思い出せるいくつかの生のなかに、そんな経験はない。
死は永遠の別れ。
それでも私は何かを追い求めている。
忘れてしまった何かを探している。
だけど――
もう嫌なのだ。
それが何かはわからないが、私は何か大事なものを失った。
その朧気な記憶が蘇るたびに、耐えられない胸苦しさに襲われる。
それは幼い時分から続く拷問。
こんなことなら――
私はもう『こちら』に戻って来たくない。




