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混沌に浮かぶ泡  作者: 藤原時照


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エデン(3)

 私たちは木にもたれて座っている。

――なぜこんなことになったのだろう。

 私はいまの状態を不審に思っていた。

 不審に思っているのは、化け物や世界の変化のことではない。自分と由美のことだ。もともと私は硬派な方だ。獣のように、会ってすぐにその手の行為をするようなタイプではない。由美にしても軽そうな女には見えない。変化したのは世界だけではないようだ。

 裸の男と女。

 知能が低下しているかのような振る舞い。

 エデン?

 由美は私にもたれつつ、私を指でつついていた。私が由美の髪に手をやると、彼女は唇を求めて来た。唇を重ねると、由美はすぐに舌を入れて来る。

 由美は私を握って第二ラウンドを始めようとした。

 そのとき、悲鳴が聞こえた。

 二人は一度顔を見合わせ、立ち上がった。そして、用心しながら速足でそちらに向かう。

 木の影からそちらを窺うと、二人分の死体から成る例の化け物がいた。

 化け物は木を見上げている。

 その木の上では若い女が悲鳴を上げている。

「あの化け物は木に登れないんだ。あの子、なかなか賢いね」

「そんなのんきなこと言って……」

 由美は私を責めているようだった。しかし、責められてもどうしようもない。触ると取り込まれるような化け物相手に素手でどうやって戦えと言うのか。私はそう反論したかった。

――また走るか。

 さっきのように、自分を追いかけさせて、遠くに捨てて来ることはできる。でも、木の上なら安全そうだし、放っておいても化け物はどこかに行くんじゃないか、という気もする。

 何か武器になるものがあれば、もっと気楽に助けてあげられるのに。私はそう思った。

――どこかに棒でもないかな。

 私は若い頃に空手を学んでおり、その流れで棒術も身につけている。

 あのときの六尺棒の手触りを思い出す。

 次の瞬間、私は驚いて声を上げそうになった。

 私の手の中には想像通りの感触があった。

 それは、いま身を隠している木から生えている。

 木から六尺棒が生まれたのだ。

「えっ、魔法?」

 由美は、私も化け物なのではないか、と警戒するような様子を見せた。

「わからない」

 私は少しだけ棒を見て、心を決めた。

「君は木に登れるかな?」

 私はそう質問したが、由美が答える前に無理だと理解した。ぽっちゃりした由美には、木に登る筋肉があるようには見えない。だから、由美の答えを待たずに言葉を続けた。

「とにかく、ちょっと木に登って待ってて。私を踏み台にすれば登れるでしょ」

 由美は躊躇いながら、片膝をついた私の腿に足をのせた。そして、私の短く刈り上げた頭に手をかけつつ、もう一方の足を私の肩にのせる。

 由美が肩の上に立つ。だが、まだ太い枝に上るのは難しそうだ。

 私は由美をのせて立ち上がった。

「ちょっと、ゆっくり……」

「今度は私の手に足をのせて」

 私は自分の手で由美の足場つくり、太い枝の上に由美を押し上げた。由美は思った以上に重かったので、私は途中で後悔した。しかし、何とか由美を木の上に押し上げることはできた。

 上を見上げると、由美は枝の上にしゃがんでいる。下からは丸見えだ。由美は私の視線に気づいているようだが、隠す様子はなかった。それどころか、妙な笑みを浮かべている。

「早く帰って来てくださいね」

「うん、行ってきます」

 あの化け物は木に登れない。だから、急ぐ必要はない。私は足音を忍ばせて、ゆっくりと化け物に近づいた。木の上にいる若い女は私に気づいたが、懸命にも声を出すことはなかった。

 急所はどこだ。

 いや、相手は死体の塊だ。

 死んでいる以上、急所を攻めても意味がない。

 考えた末、腕や脚の関節を破壊することにした。

 私は手近な肘関節を砕く。

 間をおかず、そのとなりの膝関節を――

 化け物から生えている女の頭と男の頭から、同じタイミング、同じ調子で気味の悪い奇声が上がった。

 化け物は痛みを感じているのだろうか。

 それとも、あれは怒りの遠吠えなのだろうか。

 化け物がこちらに向かって来る気配を見せ、私は考えるのをやめた。

 私は横に回り込み、別の膝関節を砕く。

 化け物は戦意を喪失したのか、喚きながら女のいる木から離れた。三本の手足を失って身体を支えられなくなり、身体を構成する死体を引きずりながら離れて行く。

「あのぉ、下りるの、手伝ってもらえます?」

 女は木に抱きついて降りようとしていたが、途中で動けなくなっていた。

 私は木の下に行く。

「肩に足をのせて」

 そのまましゃがんで降ろすつもりであったが、女は私の頭に手をつき、肩車の状態になった。

 首の後ろに湿ったものが吸い付くのを感じる。

 私はまた自分の一部が硬くなるのを感じた。

 肩車をした女は上からそれを見ていた。

 首に湿り気を感じる。

 私はしゃがんで女を降ろした。

 妙な雰囲気だ。

 そのとき由美が声を上げた。

「私のこと忘れてないですかぁ?ちょっとー。真志さーん」

 私と女は由美のいる木の方に向かった。

「あたし美也子。よろしく」

 美也子は歩きながらそう言った。

 苗字を言わないことが気になったが、私はフルネームを言うことにした。

「私は結城真志」

 そう短く答えながら、いまの状態について考える。

 やはり、世界が変わるのと同時に人々も変化したのだ。

 通常、そうした状況に至るには相応の手順を踏まなければならない。しかし、いまは違う。すぐにそういう雰囲気になってしまう。獣と同じだ。いや、獣にはさかりの季節があるから、獣以下なのか。

――世界は何を望んでいる?

 私は歩きながらそんなことを考えていた。


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