表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/50

生きていてほしいから(4)

 井沢に会った後、私はあのサイクリングロードを独りで歩いた。

 あの場所に行き着くと、花畑は刈り取られていた。

 行政指導で勝手に花を植えることを禁じられたんだよ。

 近くにいた老人がそう言って歩き去った。

 花畑の名残か、タチアオイが何本か花を咲かせている。

 タチアオイの花を見て、私は涙を堪えられなくなった。

 老人がこちらを振り返り、何かを言おうとしているようだ。

 私は涙を拭ってその場を立ち去った。


 私は夢を通じていくつもの前世を朧気に憶えている。

 私は何度も転生した。

 これまでも、こんな別れを何度も経験しているのだろうか。

 辛い出来事を憶えていないことは救済なのかもしれない。

 私は、あの日の帰り道、そんなことを考えていた。

 時々、私の脳裏に知らない人の顔が浮かぶことがある。

 彼らは夢の中で会った人たちだ。

 きっと私は多くの人と出会い、忘れてしまっている。

 ああ、胸が苦しい。

 長く連れ添った相手が亡くなった後、残された者が後を追うように亡くなってしまうことがあるのは、この胸の苦しさによるものではないのか。

――胸苦しさに身を任せて死んだら、恵子に会えるのではないか。

 私の意識はそこで途絶えた。

 

 私は布団の中で目覚めた。

 私はあの夢を朧気に憶えている。

 あれは夢ではなく現実であり、自分が時間を巻き戻したのだろうと理解している。

 これまで何度もあったことだ。

 今日、私は研究所に異動する。

 行けば、あの恵子という人に会うのだろう。

 だが会ってどうする?

 不幸にすることはわかっている。

 私が努力すれば、彼女は幸せになるのだろうか。

 私は、意識的にではないが、時々時間を巻き戻している。

 私は因果の外にいるらしい。未来を知って行動を選び直し、来るべき未来を変えてしまう。書き換えた未来には『因』となった出来事は存在しない。つまり、私は『因』のない『果』を得ているわけだ。それは、この世の理から外れており、周囲に悪影響を及ぼすかもしれない。

 私の周りには、時々もう一人の私が現れ、多くの場合、問題を引き起こしてくれる。私も時を巻き戻し、別の私に対して同じことをしているかもしれない。そんな風に、私は周囲の因果を壊し、知らないうちに他人の運命に影響を与えている可能性がある。

 恵子の癌はそれで――


「山下さん、小池さん、おめでとう」

 昼礼で恵子の結婚式の日取りが発表された。

 相手は同僚の山下だ。

 山下は温和で真面目な男。

 恵子と平和な家庭を作るだろう。

 私のような者よりも――

 時が巻き戻って以来、私は恵子と一定の距離を維持するよう心掛けた。

 私は恵子を不幸にしてしまう。

 私は彼女に近づくべきではない。

 それが私の結論だった。


 昼礼の後、挨拶が一段落したところで恵子がこちらを向いた。

 彼女はすぐに視線を逸らせたが、その目には悲しみが浮かんでいたような気がした。

 ひょっとして、彼女には前の記憶が――

 いや、止そう。

 笑って送り出すのだ。

 だが、見ているのは辛すぎる。

 この数日後、私は退職届を提出し、残っているすべての有休を消化することにした。

 もう出社はしない。

 私の仕事の成果はすべて吉田がやったことになっている。

 だから建前上は引継ぎの必要がない。

 心情的にもそんな気にならない。

 内山にしてみれば、下手につついて人事に真実が露見するのを避けたいだろうから、私に文句を言うこともないだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ