10.新しい日々の始まり
王立学園の入学式とクラス分けが終わると、夕刻には新入生たちはそれぞれの寮へと案内された。
広大な敷地内に建つ石造りの寮舎は、城館のような風格を備えながら、若者たちの生活を想定した清潔さと温かみがあった。
「わあ……すげぇな」
高い天井、光沢を帯びた床、整然と並ぶ廊下の扉。
レオンは胸の奥で小さな感動を覚えながら、案内役の上級生に従って部屋番号を確認する。
「ここか、二〇七号室……」
扉を押し開けると、すでに中には先客がいた。
大きな荷物を抱え、ベッドの上に広げながら何やら慌ただしく整理している。
栗色の髪をぼさぼさに伸ばし、少し猫背気味の少年だった。
「やあっ! あ、えっと……君が同室の人?」
振り返った少年は、ぎこちない笑みを浮かべた。
どこか間の抜けた雰囲気があるが、嫌味はなく、むしろ人懐っこさを感じさせる。
「俺はレオン。よろしく」
「あ、レオン君ね! 僕はマルコ。えっとね、男爵家の三男坊で、家では全然役立たず扱いされてるんだけど……ここで頑張れば見返せるかなーって」
早口でまくし立てるマルコに、レオンは思わず苦笑した。
(……面白いやつだな。ちょっと頼りなさそうだけど、悪い印象はない)
マルコはベッドの下からさらに小袋を引っ張り出す。中には干し肉や果物などの食料品がぎっしり詰まっていた。
「な、なんか食うかい? 一応、実家から『困ったら食え』って渡されててさ」
「……ありがとう。気持ちだけもらっとく」
どうやら食い意地も張っているらしい。だが、こういうキャラは場を和ませる。
夕食の時間になると、新入生たちは寮の大食堂へと集まった。
長いテーブルに並ぶのは香ばしい焼き肉、温かなスープ、焼き立てのパン。
王国一の学園だけあり、食事も豪勢だった。
「すげぇ……! これ毎日出るのか?」
マルコが目を輝かせ、トレーに山盛りよそい始める。
一方、周囲ではカノンやシリウスといった目立つ存在を取り囲む輪もできていた。
勇者と王子の隣に座りたがる者、さりげなくアピールする者。
その光景を横目に、レオンは少し距離を取って食事を進めた。
(ああやって自然に人が集まる……やっぱりカノンも王子も特別なんだな)
だが孤独感はなく、同室のマルコや、豪快なガイルが同席していた。
「おい、レオン! この肉うめぇぞ!」
「食いすぎだろ……」
笑い声が広がり、緊張続きだった一日がようやく和らいでいく。
ーー
夕食を終え、寮に戻る途中。
石畳の中庭に差し込む月明かりの下で、誰もいないベンチに腰掛ける少女の姿を見つけた。
「……カノン?」
声をかけると、肩がびくりと揺れる。
振り返ったカノンは、一瞬驚いたように目を瞬かせ、それからいつもの明るさを装うように笑った。
「レオン!手紙で試験受けるって書いてたけど本当に同じ学園で過ごせるなんて、すごいよね!」
その笑顔は確かに懐かしいものだった。けれど、ふとした瞬間に影が差すのをレオンは見逃さなかった。
「久しぶりだな。元気そうでよかった」
「……うん、元気、だよ」
言葉とは裏腹に、彼女の声は少し掠れていた。
カノンは夜空を見上げ、小さく息を吐く。
「ねえ、レオン。勇者って……思ったより、全然大変なんだ」
「……」
「誰かを助けようとしても、間に合わないことがある。全力で戦っても、倒せない相手がいる。……『勇者』って呼ばれるほど、私は強くないのに」
カノンの横顔は、わずかに震えていた。
それでも瞳の奥には、まだ消えない火が灯っている。
「でもね……それでも逃げるわけにはいかないんだ。怖くても、不安でも。だって……勇者だから」
最後の言葉は、自分に言い聞かせるように小さく。
そして、振り返った彼女は無理にでも笑みを作って見せた。
「だから、レオン。……隣にいてくれると嬉しいな」
レオンの胸に熱いものが広がる。
かつて天真爛漫で、何も恐れず前に進んでいた幼なじみ。
その背に、いまは「覚悟」と「恐怖」の両方を背負った姿が重なって見えた。
「……ああ。俺も強くなる。絶対に置いていかれない」
その返事に、カノンは安心したように小さく頷き、再び夜空を見上げた。
ーー
翌朝、新入生たちは広い講義室に集められた。石造りの壁に沿って並ぶ机と椅子は整然としており、窓からは春の日差しが差し込む。
壇上に立つのは白髪を後ろに束ねた教員――歴史学担当の老教授だ。
「本学園における教育は、ただ剣を振るうだけではない。
諸君には、魔法理論、王国の歴史、戦術学……ありとあらゆる知識を学んでもらう」
低く重みのある声が響く。だが生徒たちの中にはすでに退屈そうな表情を浮かべる者もいる。
レオンは真剣に板書を写しながら、横目で同室のマルコを見る。
(……こいつ、もう舟漕いでるな)
マルコの頭ががくんと揺れ、慌てて顔を上げる。前列に座るカノンは姿勢正しく、教授の言葉に耳を傾けていた。その背中からは生真面目さと集中力が伝わってくる。
一方、シリウス王子の周りには護衛役の騎士が控え、生徒たちも遠巻きに注目している。
「王国が現在の安定を得たのは、百年前の大戦を契機として――」
教授の声がさらに単調になっていくと、あちこちで小さな欠伸が洩れる。
(……これ、正直つらいな。でも、ここで寝るわけにはいかない)
レオンは必死にノートを取り続けた。
昼休みを告げる鐘が鳴る頃には、すでに数人が机に突っ伏していた。
寮の鐘が鳴り、訓練場へと集まった新入生たちは、再び担任のオルド=ハイネマンと対面した。
広大な屋外訓練場は砂が敷き詰められ、周囲を石壁が囲む。既に木剣や防具が整然と並んでいる。
「午後からは実技を始める」
オルドの声は無駄がなく、鋭い。
「まずは模擬戦だ。諸君がどれほど動けるか、実際に見せてもらう」
生徒たちに緊張が走る。昨日までの形式ばった式典とは違い、いまは己の力が露わになる場だ。
「最初は……レオン=ヘムロック、ガイル=ドラン。前へ」
「おっ、いきなりか! やってやるぜ!」
「……やっぱりこうなるのか」
二人は木剣を手に取り、中央へ進む。
周囲を取り囲む新入生たちの視線が突き刺さる。
「始め!」
号令と同時に、ガイルが豪快に踏み込んだ。
「おらぁっ!」
振り下ろされた木剣は重く速い。レオンは咄嗟に受け止め、足を滑らせながらも体勢を保つ。
(……重い! 剣の腕、やっぱり試験の時から本物だ)
「どうした! まだまだいくぞ!」
ガイルはさらに畳みかけ、力強い連撃を繰り出す。観客からどよめきが上がった。
「すげぇ勢いだ」
「レオン、もう押されてるぞ」
レオンは必死に受け流しながら、相手の動きを観察する。
(確かに力は強い。でも、大振りだ。隙がある……!)
レオンは一歩引きつつ、砂を踏み込んで反撃に転じた。
横薙ぎを下からすくい上げるように打ち、ガイルの手首を狙う。
「うおっ……!」
木剣が弾かれ、ガイルの構えがわずかに崩れる。
(今だ!)
突きを繰り出そうとした瞬間、ガイルが大声で笑った。
「いいじゃねぇか! やっぱお前、強ぇな!」
崩れたはずの体勢から無理やり振り抜くガイルの剣。
レオンは反射的に身を翻し、辛うじて避けた。
肩口を掠める衝撃と同時に、審判役のオルドの声が響く。
「そこまで!」
「勝負は引き分けとする。双方、よくやった」
オルドが冷静に告げると、観客席から拍手が起こる。
力強さと機転、互いの持ち味をぶつけ合った好試合だった。
「ははっ、楽しかったぜ! またやろうな!」
ガイルが豪快に笑い、レオンの肩を叩く。
「……ああ、こちらこそ」
周囲ではそれぞれの模擬戦が続いていた。
新たな出会いと競争の始まりを告げるように、訓練場の空気は熱気に満ちていた。