9 友情・借りは返した編 ※
ある日曜日の朝。それは一本の電話から始まった──
克己は、テレビを見ながらも視界の端に映る秀行の行動が気になっていた。ソファに腰掛けテレビを見る姿は、いつもとなんら変わらない。ただひとつ違うことがあるとすれば、指の動きだ。左手の人差し指だけが、ある一定のリズムでソファを叩いていたのだ。──とても軽く。
(あれって何か考えてんだよな? しかもえらく重要なことを…)
そう判断しても克己は何も聞けなかった。〝話しかけるな〟と言われてたからだ。
──誰に?
もちろん、直哉に、だ。
ちょうど一ヶ月ほど前、サクラが言い出した〝クセ〟の話で盛り上がった時だった。
「サクラんちの学校、変な先生、多すぎぃー」
「どんなセンコーだよ?」
対応するのはもちろん克己だ。
「社会の先生なんか、ずーっと頭に手を当ててんの。こうやってさー」
──と言って本を左手で持つ仕草をすると、反対の右手は後頭部に当てた。
「黒板に字を書く時意外はずーっとだよ? なんかもう、気になって気になって…」
「あぁー、クセなんだろーな。買い物中の主婦と同じでよ」
「買い物中の主婦?」
「よくやってんじゃねーか。〝今日は何にしようかしらぁ~〟って考えてる時なんかによ、生鮮食品の前で、こーやって手をほっぺたに当てたりしてさ」
「あぁ~、なるほどねぇ。──じゃぁさ、秀にぃもするのかなぁ?」
「ヒデが? まさか?」
──言いながらも視線を秀行に移せば、
「しない」
──速攻で返ってきたから、すぐに話が元に戻った。
「──でね、国語の先生は何かあると必ず、〝あらら〟って連発するの。それから数学の先生なんかは、妙に自分の字に酔っちゃって、縦の線も横の線も真っ直ぐじゃないと気が済まないんだよ。ちょっとでも曲がってると納得するまで書き直すの。そんなに真っ直ぐが好きなら、定規使えってゆーのよ」
「へぇ…。ほんとに変なヤツばっかだな?」
「でしょぉー。チョー、ファニーで、授業に集中できないんだもーん」
「でもよ、〝クセ〟っつったらお前だってあるじゃねーか?」
「なによ、それ?」
「会話に英語が混じったり、嬉しくなるとクルクル回転するだろ?」
「あ~~~~そぉ~~かもぉ~~」
「ま、クセなんて自分じゃ気付いてねーから仕方がねーんだけどな」
「じゃぁ、克にぃは何?」
「俺か? ──う~ん、なんだろーな?」
「〝自分じゃ気付かねー〟んだろ?」
考える克己に同じ言葉を繰り返したのは直哉だ。
「そうだよな。──んじゃ、俺のクセはなんだ、山ちゃん?」
「お前の場合、一直線だな」
「また出たな、一直線。前にもそー言ったけど、どーゆー意味だよ?」
「まんま」
「それが分からねーって──」
「まぁ、いいじゃねーか。〝自分じゃ気付かねー〟ことなんだからよ」
「そーだよね。まぁ、いいじゃん、克にぃ?」
「う~~~~」
「じゃぁさ、直にぃはどーなの?」
「オレ──」
──と言いかければ、即行で答えたのは克己。
「ぜってー、含み会話だ」
「そうか? 結構、わざと言ってんだがな」
「いぃや、ぜってー気付かないところでも使ってるって!」
合宿中に掛けた電話の向こうで、直哉と秀行が話していた会話を思い出し〝間違いねぇ〟と念を押す。イマイチ理解に苦しむ直哉だったが、それ以上は反論してもムダだと思いスルーする事にした。
「ねぇ、ねぇ。じゃあ、秀にぃはなんだろーね?」
「天然だろ」
「それって、クセってゆーの?」
「まぁ…一直線をクセと言っちまったら、天然もそーだろーなぁ?」
「なんだよ、山ちゃん。じゃぁ、天然がクセじゃなかったら一直線もクセじゃねーってことじゃねーか?」
「おぉー。あったまいいなぁ、カツ?」
「おぉー。克にぃ、クレーバァー♪」
「……………」
「だけど、なんだろーね、秀にぃのクセって?」
「う~~~~ん」
「指、だな」
考え込む二人と秀行を交互に見つめて、短く言ったのは直哉。その言葉に克己たちはもちろん、秀行でさえ首を傾げた。
「指ってなに、直にぃ?」
「考え事する時、こーやって指をトントンってするんだよ。イライラすると、机の上で指を叩くのと同じでよ」
「へぇ…」
「まぁ、音の出るような所で叩きはしねーがな。けど、その時は用心しろよ?」
「なんで?」
「面倒臭い性分の秀行が考えなきゃならん事を考えてんだから、イライラは募る一方ってこと」
「じゃぁ、その時は近づかない方がいいってことか?」
「もちろん。話しかけるのもダメだ。まぁ、話しかけた所で返事は返ってこねーけどな」
「へ…ぇ…」
〝気を付けよーっと〟と最後に付け足す克己だが、言われた秀行は理解できていない。
(そんなクセ、オレにあったか…?)
秀行の表情から、そんな言葉を読み取った直哉だけが僅かに苦笑していた。
(やっべーよなぁ…。これから段々、機嫌悪くなるのか?)
これから何が起こるのか…。先の見えない不安を抱いていると、不意に秀行の指の動きが止まった。
(考え事…終了か?)
──と思うや否や、秀行がコートを羽織り何も言わず玄関へと向かっていった。
「お、おい…ヒデ…?」
恐る恐る尋ねる克己。その声に、秀行は一言だけ言った。
「出かけてくる」
バタン──
(おいおい、〝どこに〟が抜けてんだろーが?)
呆気にとられながらも心の中で突っ込むが、そのままジッとしている克己ではない。
(教えてくれねーなら、突き止めるしかねーよな?)
克己は同じようにコートを羽織ると、秀行の後をつけ始めた。
最初に向かったのはコンビニ。一緒になって入るわけにも行かず、店の外で待っていると数分後には何も買わず出てきた。実際は買ったものがポケットの中に入っているので〝何も買わず〟ではないのだが、克己には分からないことだ。
そして、また後をつける。すると、また別のコンビニに入っていった。同じように外で待っていると、今度は食べ物と飲み物を購入。ここでもまた、ポケットの中に入っているものが一つ増えているのだが克己には分からない。
(何しに来てんだよ、ヒデは…?)
秀行の行動が理解できず次第にイライラが募りだす。それでも後をつけている以上、声を掛けるわけにもいかないので黙って背中を追うのだが……。
それから十分ほど歩いただろうか、昔風の家が立ち並ぶ所まで来ると、秀行はある場所の前で立ち止まった。そしてどこかを見上げたかと思うと、目の前の扉が開き秀行がその家に入っていった。
(こんな所に知り合いが?)
秀行が入った家の前で立ち止まり中の様子を伺おうとした、その時──
表札を目にして驚いた。
(山…ちゃんち?)
ダチの家に行くというのはとても普通のことで驚くことはないのだろうが…なにぶん、直哉の実家はヤクザさん。普通に入っていって驚かない方がおかしいだろう。
改めて見てみれば、秀行が見上げた場所には一台のカメラがあった。
(うげっ…。見られてんじゃねーか…)
咄嗟にその場から離れ、克己は曲がり角で身を隠した。
(そう言えば、電話があってからヒデの様子がおかしかったよな? ひょっとして、ヒデを呼び出したのか?)
秀行をカメラで捉えて扉が開いたことを考えれば、おのずとその答えに辿り着く。
(──けど、なんでだよ? ヒデは山ちゃんのダチだろ?)
浮かぶ考えはマイナスのことばかり。
(恨まれることなんて──)
──とそこで、ハッとする。
(あ~~~!! ひょっとして、山ちゃんの送迎断るキッカケになったのがヒデだからか!?)
なんとも、的外れな原因だ。
助けに行くべきかどうか悩む所だが、とりあえず、あと十分しても出てこなかったら乗り込んでやる…と心に決めその場に座り込んだ。
その頃、家の中に入った秀行は、朝かかってきた電話の主と顔を合わせていた。テーブルを挟んでソファに座るのは、年齢四十歳ぐらいの男性。がっちりとした体格と鋭い眼光の持ち主は、親分の右腕と認められている坂上修二。ヤクザの世界で生きているためそれらしい顔付きだが、職さえ違えばかなりモテるはずだ。時々感じる紳士的な雰囲気を漂わせ、仕事も出来れば言うことはない。
「あの時以来だな?」
「そうですね」
「まさか、あんたに電話する日が来るとは──」
「時間の問題でしたね」
「それも予想してたことか?」
「当たって欲しくはなかったですけど、確率は高かったですから」
「オレの役職もか?」
「それは、ただのカンです」
平然と答える秀行に、坂上は小さな笑みを漏らした。
「さすが、坊ちゃんが惚れた男だ」
「それはどうも」
直哉が本気で父親と話し合い、〝人生の転機〟を迎えたあと、秀行は一度だけこの家に招かれたことがある。友達を家に連れてくるのも初めてなら、そこまで直哉が本気になったのも初めてのことだった。故に、直哉の父親も舎弟も秀行だけは一目を置いていたのだ。そんな中で、秀行はある一人の男に目を付けていた。数年後には親分の右腕になるだろうと予想したのが、この坂上だったのだ。
帰り際、秀行は一枚の紙を彼のポケットに忍ばせた。そこに書かれていたのは、家の電話番号と短い文章。
〝直哉に何かあったら〟
──だった。
「──それで、親分さんは?」
「二日前から私用で出てるが、あと一時間ほどしたら戻ってくる予定だ」
「──ということは、このことはまだ?」
「ああ。帰ってきてから話すつもりだ。大抵のことならあんたに知らせることもなかったんだが、坊ちゃんから頼まれてた事もあってな」
「直哉から?」
坂上は頷き、ポケットから出したタバコに火を付けた。秀行も勧められたが、手の平を見せ無言で断った。
一息吸い、ふぅ~っと白い煙を吐き出してから、坂上は直哉から頼まれた時の言葉を思い出すようにゆっくりと口を開いた。
「自分にもしもの時があったら、あんたに知らせてくれ、とな」
「なるほど。──じゃぁ、早速、聞かせてもらえますか、直哉が拉致られた経緯と居場所を?」
時間をムダにしたくないとすぐさま本題を切り出せば、ややあって、姿勢を整えた坂上が喋りだした。
「ヤクザの組はいくつもあるが、会社の組織と同じで、この世界にも必ずトップが存在する。今のトップは、知っての通りこの組の親分だ」
(知らなかったな…)
「全ての組を牛耳ることが出来る地位は誰だって欲しがるものだ。ただ問題は、トップを殺せばなれるってもんじゃねぇ。力も信頼も頭も…全ての面において認められなければならねぇんだ。故に、次期トップは必ず指名制だ。現役トップからの、な。直々に指名された者との間で交わされた書類がなければ成立しない」
「つまり、直哉の解放と引き換えにその書類を書け…と?」
「頭がいいな。つまりは、そういうことだ。けど親分がヤツの言う通りに書くとは思えない」
「でしょうね。例え自分の息子であれ、汚い手を使うヤツに屈する性格じゃなさそうだし、万が一にでも書類にサインでもしてしまえば、この組は解散ってことになる」
「ああ。立場が立場だけに、一番の弱みを握られまいと小さな時から必死で坊ちゃんを守ってきたんだが…。おそらくあんた達は覚悟が決まってんだろう、既にあの時からな」
あの時とは、もちろん直哉の人生の転機から、だ。送迎──つまり護衛──を拒否した時点で、狙われる確立は跳ね上がった。トップの息子を利用する考えが出るのは当たり前で、今までなかったのが不思議なくらいなのだ。
(──ということは、オレの責任か?)
などと思ってはみるが、責任を押し付ける気など全くないのは、坂上の目を見れば一目瞭然。故に、秀行も本気では思っていない。
「オレらがなんと言おうと、最終的に決めるのは親分だ。その意思をムシするつもりはねぇが、今の親分も次期親分もオレらには大事な存在でよ。親分に知らせる前に乗り込むことも考えたが、顔を覚えられている以上、下手に動くと坊ちゃんの命が危ねぇ」
「それでオレに?」
「いや。これはさっきも言った通り知らせただけだ。あんたになんとかしてもらおうってんじゃぁない。素人さんを巻き込むわけにはいかねぇからな」
居場所を教えるつもりはないということだった。これ以上話しても意思は変わらないだろう。
秀行は部屋を出て行こうと立ち上がり、背を向けた。
「坂上さん」
「なんだ?」
秀行が背を向けたまま話を続ける。
「オレは、直哉に借りがあるんですよ」
「借り?」
「ええ。借りたものは返す、それは至極、当然のこと」
「しかし──」
「義理と人情の看板を掲げたこの世界にいるあなたなら、オレの気持ちはよく分かるはずですよね?」
「…………」
坂上には十分すぎるほど分かる気持ちだった。背を向けた状態で聞こえる秀行の口調からは、克己や直哉が感じ取ったのと同じように素の感情が伝わってくる。しかし、だからといって巻き込むわけにいかないのも事実だ。その意志の強さは、さすがと言うべきか。
「…悪く思わねーでくれ。あんたの命まで危険にさらすわけにはいかねぇんだ」
その言葉に、秀行は小さく笑った。
「命…ですか。オレには関係ないですね。ただ借りたものを返すだけなんで。──じゃぁ、失礼します」
顔も見せず軽く会釈すると、秀行はドアを開け出て行った。
その頃、克己は──
(そろそろ、十分か…?)
──と腕を見るが、肝心なものがないことにようやく気付いた。
(げっ…。時計持ってきてねーじゃねーか…)
〝どーすんだよ〟と頭を垂れたその時、ついさっき聞いた音が聞こえてきた。
扉が開いたのだ。
咄嗟に頭を上げると、入っていったままの秀行が出てきた。
(と、とりあえず、なんもなかったみたいだな…)
胸を撫で下ろし、再度後をつけ始める克己。ところが、数メートルも歩くとピタリと足が止まった。
〝やばっ…〟と思い近くの電柱に隠れようとしたが、意味はなかった。
「お前はここにいろ」
「へ…?」
振り返りもせず、そう言ったのだ。
「も、もしかして…気付いてたのか?」
「ああ」
「いつから?」
「最初から」
「マジ!?」
「ああ」
「何者だ、ヒデは!?」
〝プロか、お前は!?〟と言いたいようだが…。
秀行はようやく後ろを振り返った。
「お前の兄貴だ」
(ごもっとも…)
「…で、何でここにいなきゃいけねーんだよ?」
「詳しいことは言えないが─…」
「んじゃ、簡単でいい」
「直哉が拉致られた」
「はぁ!?」
「借りを返しに行くが、場所が分からない」
「ど、どーすんだよ…!?」
「あと数十分もしたら直哉の親父さんが戻ってくる。直哉のことを聞いたら、動き出すはずだから、あとをつけてくれ」
「どうやって─…だいたい車で移動されたら終わりじゃねーか」
「バイクでも何でも、使えるダチはいるだろ?」
「お、おお。そーか、そーだな。けど、連絡が──」
「使え」
そう言ってポケットから出したのは、プリペイド式携帯電話だった。
「随時連絡しろ。オレの番号はそっちに入れてあるから」
「あ、ああ…分かった」
(携帯を二つ買うために、コンビニをハシゴしたのかよ…。マジで、最初っから気付いてたんだな)
「…で、ヒデは?」
「ちょっとした準備」
「ふ…ん、そっか」
「それから、これ」
差し出したのはコンビニの袋。中を覗けば、あんまんと温かいミルクティーが入っていた。少々冷めてはいるが、今の克己にはありがたいものだ。
「サンキュー!! よぉ~っし、こっちは任しとけ」
「頼んだ」
早速、あんまんにかぶりつく克己を残し、秀行はある場所へと急いだ。
準備中という札がかかった店の扉を、秀行は何の躊躇いもなく開いた。途端に聞こえてくる、中年男性の声。
「すいませんねぇ~、今準備中──」
「悪いな…」
言葉を遮られたものの、中年男性にもその声は聞き覚えのあるもの。というより、聞き慣れている。
「先生! どうしたんすか!?」
「おっちゃんに頼みがあってな」
元ヤクザの組長で、現在居酒屋の経営者。そして秀行のアルバイト仲間である、おっちゃんだ。
「へぇ…珍しい。──で、ヤバいことか?」
「どうだろうな」
「へぃへぃ、先生の為なら一肌でも二肌でも脱ぐぜ?」
「実は…オレのダチがあるヤクザに拉致られた。オレはそいつに借りがあって、返したいんだ」
「なるほど。助けに行くってことか?」
「いや、借りを返すだけだ」
その言い方に、おっちゃんはフッと笑った。
「らしいね、先生」
「そうか?」
「ああ。それで? 銃でも何でもあるが──」
「眠れるタバコが欲しい」
「眠れる…?」
「ちょいと細工して、吸ったら眠れるタバコなんて出来ないか?」
「…は、はは…簡単に言うねぇ?」
「ムリか…」
「いや、全然。今までにそんな発想したヤツがいなかっただけさ。作るのは簡単だ」
「そうか」
「──で、どれくらい必要なんだ?」
「何人いるか分からないからな…」
「マジかい!? じゃぁ、どこの組にやられてんだ?」
「さぁ…」
「さぁ…って─…はは…全く、先生には敵わねーな、そのキモの据わり方はよ」
「無知なだけかもな」
「いや、例えそうでも先生にはカンケーねぇ事だろ?」
「──かもな」
「それで、いつまでに用意すればいい?」
「四十五分後」
「──分かった。ちょっとここで待っててくんな。下で用意してくるからよ」
「助かる、おっちゃん」
「いいってことよ。オレと先生の仲じゃぁねーか。貸し借りはなしってことで、これからも付き合ってくれや、先生」
「サンキュ」
すっかりサービス業が身に付いたのか、いい笑顔を見せて、おっちゃんは下──おそらく地下だろう──へと姿を消していった。
それから十分もすると、準備中のはずのその店に続々と人が集まってきた。見るからにあっち系だと分かる。何のために集まってきたのかは、秀行にも大体察しがついた。
(やってくれるな、おっちゃん…)
更に三十分後、克己からの電話を受けた。直哉の親父さんだけがタクシーで動き出したとの事だ。そして数分後には、頼んだタバコを持っておっちゃんが現れた。
「どうだい、先生?」
「大きな借りが出来そうだな…」
「心配するこたぁねぇ。こいつらを呼んだのは、オレの勝手だ。もし借りがあるとしたら、オレがこいつらに借りを作っただけのこと。先生にはカンケーねぇさ」
「サンキュ、おっちゃん」
「何度も言うなや、先生。──さ、行こうぜ?」
「ああ」
随時克己から連絡を受けた秀行は、おっちゃんと仲間達を引き連れ、直哉がいると思われる場所へ向かった。
着いた所は、廃墟になった小さなビル。周りも錆びれた工場ばかりが集まり、日曜日のため働いている人はいない。──つまり、周りには誰もいないのだ。
「ヒデ! ヒデ、こっちだ!」
秀行を見つけ、小声で呼ぶのはもちろん克己。しかし、バックに引き連れている連中を見て息を呑んだ。
「おっちゃん…と…だれ?」
「その仲間たち…」
「はは…なんかすっげー事になってきたな…」
(拉致られただけでは、すっげー事にはならないのか?)
そう突っ込みたかったがムダな時間はない。
「よぉ~し。なんか、心強いぞ~♪」
秀行が、今にも殴り掛かりにいきそうな克己を冷静に制した。
「お前はここにいろ」
「──んでだよ!?」
「そこら辺のザコを相手に戦うんじゃないんだぞ?」
「──んなの、分かってるさ。気合入れていくって♪」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どーゆー問題だ?」
「お前の場合、派手になる」
「は…?」
「今回は静かに進めるんだ。それが出来るか?」
「…ど、どういう事だよ?」
「音を立てず、喋らず、タバコを吸わせる」
「…わけ、分かんねーんだけど?」
「だから、ここにいろ」
「はぁ!? ──んなの納得できっかよ!?」
「納得しなくても、ここで待ってろ。これは、オレが借りたものを返しに行くだけなんだからな」
その言葉に大きな溜め息を付いたのは、珍しく克己だ。
「あのなぁ、ヒデ。俺とヒデは兄弟なんだぜ?」
「だから?」
「借りたものの連帯責任は俺にもあるってぇの! カンケーないとは言わせねーからな!!」
(ふむ…)
なかなか鋭い所を突くと納得すれば、反論する言葉もない。
「…静かにやれよ?」
「任せとけ!」
入り口にいる男は、大抵下っ端だ。頭の切れるヤツではない。故に、最初の出番は克己だった。戦略を教えられた克己が、〝イイモンが手に入った。気に入ったら俺もこの世界に入れてくれ〟と近づきタバコをおすそ分けする。眠りに付けば、次はおっちゃん達の番だ。中に入ると──時と場合によりけりだが──見張りに立てた舎弟たちの頭に銃口を突きつけ、例のタバコを黙って吸わせた。三呼吸もすればフワリと力は抜け、あっという間に眠りについてしまった。
(いつの間に銃を持ってきたんだ…?)
少々呆れる秀行だったが、スムーズに事が運ぶのはありがたい。次々と眠りに落ちていくのを見て、ただひとつ気になることが出てきたものの、敢えて今は考えないように努めた。
(全ては最後だな…)
静かに事は進められ、秀行たちはあっという間に目的の部屋の前まで到達することができた。
ドア越しに様子を伺う──
ちょうどその頃、部屋の中には四人の男がいた。
今にも壊れそうな椅子にふんぞり返る男──組長の藤代──と、その目の前には冷めた目の中年男性。いるだけで圧倒されそうなほどのオーラを放つのは、冷めた目の男──直哉の父親──だ。しかし少し離れた場所では、もう一人の男が痛々しいほどの傷を負う男に銃口を向けている為、怯むことなくふんぞり返っていられる。
「さぁ~て。どうしましょうね、山﨑さん?」
ヒラヒラと見せられた書類から直哉に視線を移せば、既に彼の意識は飛びそうだった。直哉からの言葉は返ってこないが、言いたいことは分かっている。直哉もまた、飛びそうになる意識の中で逸らすことなく父親の目を見つめていた。
その目が語る。
〝覚悟はできてんだ、親父〟
──と。
「山──」
「断る」
ドスの利いた声が、藤代の言葉を遮り部屋に響いた。
「貴様…それがどういう事か分かってんのか?」
「オレの息子は本物だ。お前らがトップに立つぐらいなら、命なんて惜しまねぇ。そういう男だ」
「は、はは…本気でそう思ってんのか?」
「ああ」
「それは、徐々に苦しんでいく姿を見てもそう言ってられるかな?」
そう言うや否や、銃を持っていた男が銃口を下に下げ引き金を引いた──
「どぅわっ────!!」
意識が飛ぶ寸前だった直哉も、痛みのあまり意識が戻る。
「ぐっっっ──」
銃口からは白い煙と火薬の匂い。直哉の太ももからは赤い血が溢れてきた。
「次はどこがいいかねぇ~?」
「藤代…!」
「はっ! この状況じゃぁ、例えあんたに銃を突き付けられても怖くはねーぇな。さぁ、もう一度聞くぜ? 書類は書くのか?」
「オ…ヤジ…」
「おぉ~、やっとお願いする気になったか、坊ちゃん?」
「ンな…わけ──」
「─ないだろ」
突然ドアが開いて、直哉の言葉を続けたのは秀行だった。
「──ンだ、貴様ぁ!?」
「ダチ」
平然と答える秀行を目にして、藤代が怒りを露にした。
「他のものはなにやってんだ!」
──と外にいる舎弟に向けて叫ぶが、反応は全くない。
「躾がなってないんじゃないか?」
「──んだと!?」
「勝手に眠るし、タバコはポイ捨てするし…ロクなもんじゃない。躾もまともに出来ないやつがトップに立たれたら、本物のヤクザも終わりだな」
〝タバコのポイ捨て〟
この状況下で、これがさっきまで気になっていることだったとは、弟の克己でさえ気付かなったことだろう。
「どこのどいつか知らねーが、貴様一人に何ができる?」
そう言ったのは、直哉に銃口を向けている男。直哉の姿を見て、秀行は更に冷たい目をした。
「誰が一人だって?」
「なに!?」
その反応が合図であったかのように、後ろのドアから藤代とその男に銃の照準を合わせた男達──おっちゃんとその仲間たち──が現れた。
どんなにバカな者でも、この状況になったら勝てないことぐらいは分かるものだ。
数分後、秀行から知らせを受けた坂上たちによって、直哉は信頼のおける病院に連れて行かれた。そして藤代組はその日で解散。坂上の手によって、様々な罪の証拠と共に警察へと送られた。
帰り際、納得いかないと言うように呟いたのは克己だった。
「なぁ、ヒデ?」
「なんだ?」
「あのやり方なら、わざわざタバコ吸わせなくても催眠スプレーとかでよかったんじゃねーの?」
そう言われ〝あ…〟と思ったが、無表情の中にその反応が見えたかどうかは分からない。
数日後──
〝ぜってー、見舞いに行く!!〟と言い張る克己を、〝学校が終わってからだ〟とムリヤリ言い聞かせた秀行は、とっとと家事を済ませ直哉が入院している病院にやってきた。
「どうだ?」
「秀行─…」
何か言おうとしたが、秀行はその間を与えなかった。
「借りは返したからな」
「は…?」
「サクラを思い出せなかった時、〝貸し〟作ったからな」
「まさか、その返し…?」
「ああ。オレは借りを作るのが嫌いなんだ」
「それ…だけ?」
「ああ」
「ああ…ってなぁ、お前…なに考えてんだよ!?」
「何って、返すことだが?」
「あ、あのなぁ…。そぉゆーことじゃなくて…なんでそんな事の為にここまでやんだって事だよ!? 命、落とすかもしれなかったんだぞ!?」
「それは、〝命懸けるか、フツー?〟って言いたいのか?」
「決まってんだろーが!!」
「命を懸けるかどうかが問題じゃない」
「はぁ?」
「返す時が〝いつか〟ってなだけだ」
「お…まえ…」
本当に平然と答える秀行に、直哉は返す言葉もなかった。
「直哉…」
「あ、あぁ…?」
「…オレが言う〝唯一のダチ〟は、〝一生のダチ〟っていう意味だ。それは一人で十分。なぜだか分かるか?」
「いや…?」
「一生のダチが二人も三人もいたら、万が一同時に死にそーになった時に面倒だろ?」
「はぁ?」
「オレは、一生のダチの最後は自分の目で見届けたいタチなんだ。二人も三人も同時に死にそうになってみろ。できないだろ、全員の最後を見届けるなんて?」
「……………」
「それに、この時を逃したら一生、返せなくなるかもしれないしな、借りたもの」
まるで〝そんなのはごめんだ〟とでも言うような口調だった。
「……………」
(──ったく、カッコ良すぎだろ。益々、惚れちまうじゃねーか…)
抱きつきたいほど嬉しい言葉だが、それほど簡単に動く体じゃない。もどかしいやら、嬉しいやら、痛いやら…もう複雑な心境を心に秘めながら、直哉は冗談交じりに口を開いた。
「なぁ、秀行…」
「なんだ?」
「もし、オレとカツが同時に死にそーだったらどーするわけ?」
その質問に戸惑うだろうと思っていた直哉だったが、秀行から返ってきたのは即答だった。
「心配ないな」
「は…なんで?」
「オレの性格を知って、お前らがそんなバカなことするはずがないだろ?」
「は、はは…違いねぇや…」
そう呟きながらも、直哉はその言葉の裏に隠された秀行の本音を知っていた。
〝そんなことが許されると思ってんのか? 万が一、そんなことになったら、オレがこの手で殺してやる。──だって、面倒臭いだろ?〟
(──っつーか、一種の脅迫だよなぁ…)
病室の外で二人の会話を聞いていたのは、親分さんと右腕の坂上。
前日、坂上から秀行と交わしたやりとりを聞いていた親分さんは、益々秀行を気に入ったのだった。
(なんて男だ…。是非、二代目になってもらいたいものだな)
なぁ~んて、現役親分さんが思っていることなど、息子の直哉はもちろん、当の本人である秀行も知る由はなかったのだが。