8 兄弟水入らず…?編 ※
「あぁ~~、退屈ぅ~~」
「…………」
「退屈すぎて死にそぉ~だぁ~~」
「…………」
「なぁ~~、ヒデェ~~」
「…………」
「どっか、行こーぜ~~?」
「…………」
「せっかくの休みなんだぜ?」
「…………」
「しかも、一年に一回しかない。その名も〝ガッコーが出来た日!〟」
「…………」
「なぁ、ヒデェ~~?」
「…………」
「ムシかよ…?」
「…………」
〝ムシかよ〟とは言いながらも、決して諦める素振りはない。
「知ってっか? 祝日と名の付く休みは、殆ど奇数日なんだぜ?」
「だから?」
「だ、だからよ──」
さっきまでソファからずり落ちそうなほど〝のべぇ~〟としていた克己は、ようやく秀行からの反応が返ってきたため、ソファの上に乗りあがった。そして背もたれを抱えるように身を乗り出すと、ベランダの方を覗き込んだ。そこでは、秀行が煙草を咥えながら洗濯物を干しているのだ。
夏ではないためガラスは閉められているが、自分の声が外にいる秀行に届いてないとは全く思ってない。聞こえるはずだと確信しているし、現に秀行にも聞こえていた。故に、〝ムシかよ…〟と言っていたのだ。
「奇数日といえば、バイトの日だろ?」
「…………」
「俺のガッコーが休みになったって、ヒデがバイトだとどっこも行けないんだぜ?」
「…………」
「唯一休みが合うのは、ガッコーが出来たってゆー、この日しかねーんだよ」
「…………」
(確かに…考えてみればそうだな)
克己の言い分に納得する秀行。
洗濯物を干し終え部屋の中に入れば、ついさっきまで克己と遊んでいたジュニアがヘタレ込んでいた。犬ならまだしも、猫だというのに舌を出して呼吸をしている。更に言えば、今は夏ではなく十一月という冬だ。
(そこまで遊ぶジュニアもジュニアだが、遊ばせるカツもカツだな)
呆れて溜め息しか出てこないものの、これ以上遊びの的がジュニアになるのは気の毒な為、克己の要望に答えることにした。
「どこに行きたいんだ?」
「おぉ~!! その気になったのか、ヒデ!?」
「ああ。猫命(人命)救助の為だ」
「は…?」
「いや、なんでも。──で、どこに行きたい?」
「あ…あぁ~~~、そーだなぁ…」
(決まってないのか…。だったら──)
「十秒で決めろ」
「え…?」
「九……八……」
既にカウントが始まってしまった。
「おわっ…ま、待てって──」
「七……六……」
「え、えーと…えーっと……」
「五……四……三……」
「えっと…どこって……」
「二……一……」
「だぁ~~!! 大体、なんでカウントされなきゃなんねーんだよ!?」
行きたい所が浮かばず半ばヤケクソになって叫んだのだが、それが克己にとっては幸いだった。
〝タイムオーバー〟という代わりに聞こえてきたのは、更に納得した秀行の声。
「──もっともだ」
「は…?」
「じゃぁ、ジーパンを買いに行こう」
「はぁ?」
「お前のジーパン、ボロボロだからな」
以前から、なんとなく気にはなっていたのだ。克己のジーパンがボロボロなのを…。
克己自身はそういう所に疎く、〝履けりゃぁ、いいんだ〟的な考えの為、よっぽどの状態にならないと買おうとはしない。
そんな感覚だから、〝ボロボロ〟と言われても正直克己には実感がなかった。しかし、ここで断ったらどこかに出かける理由がないのは確かだ。
「そ、そうだな…」
「じゃあ、用意しろ」
「おぅ!」
子供のように喜び勇んで着替えを始める。数分後には二人揃って家を出た。
タクシーでも拾うつもりでいたが、克己は〝徒歩〟を希望した。理由は簡単。
〝時間があるから〟
──だった。
(元気だねぇ、まったく…)
そういうわけで、二人は大手デパートまで呑気に歩いて向かった。
途中には広い公園がある。周りを歩こうとする秀行だったが、克己の提案で中を通ろうという事になった。
「♪~このぉ~木なんの木、気になる気になる、見たこともぉない木ですからぁ~♪」
楽しそうに口ずさむその歌詞に、秀行がふと口を挟んだ。
「〝気になる木〟だ」
「…ん?」
「〝気になる気になる〟じゃなくて、〝気になる木、見た事もない木ですから〟が正しい歌詞だ」
「は? え? そうなのか?」
秀行が無言で頷いた。
「へぇ…そうか。──あ、そういやよ? あのCMの木って、どこにあるか知ってっか?」
ずっと信じてきた歌詞が間違っていたにも関わらず、意外にも素直に納得したかと思いきや、今度は自信ありげにニヤリと笑った。
(この嬉しそうな顔…。ここは知らないふりをした方がいいか…?)
──と思った矢先、克己はその無言が答えだと思ったようで更に得意げな笑みを見せた。そして、
「ジャンジャジャーン! あれだ!!」
いつぞやの時と同じように自分で効果音を出すと、ある場所を指差した。
「はっはー! さすがのヒデも知らなかったようだな。灯台下暗し…とはよく言ったもんだ♪」
そう言うと、スキップでもしそうな足取りで〝ある場所〟へと向かった。
確かに〝ある場所〟にある木は、CMに出てくる木とよく似ている。しかし、どう見たって大きさは半分ぐらいだ。どこでどう仕入れたネタかは知らないが、それを信じる克己もどうだろうか。
「ハワイだ」
「あぁ…?」
「あのCMの木は、ハワイにある」
溜め息混じりに答えると、さっきまで意気揚々としていた克己の顔が一気にバカ面になった。
「な…なんで…?」
「なんでって言われても、昔からそうだからな…」
「そ、それ…マジなのか…?」
「ああ」
「だ、だって…山ちゃんが──
──とそこまで言って、またもやハメられたことに気付いた。
「どぅわ~~~!! 山ちゃんのヤロォー!!」
〝いっつもいっつもハメやがってぇ!! ロクなこと教えてくれねぇ!! 今日こそ一発殴ってやるからなー!!〟
そう叫びながら、克己は似た木に向かって走っていった。とはいえ、どんなにバカにされても、どんなに腹を立てても殴ることはない…というのは秀行には分かっていたが。
怒りに任せて木の根元まで行くと、克己はキョロキョロと辺りを見回した。
(なにやってんだ?)
克己の行動に気付き、秀行も木に向かう。そのうち克己の視線が地面に移った。
「ヒデェ~、声がする」
「…………?」
「声がするけど、見えねぇ…」
時として、探し物はそれを口に出した瞬間見つかったりする。今回もそれだった。
「おぉ~! いたいた♪」
秀行が克己に近づくと、克己は数歩歩いてしゃがみこんだ。
手の平に載せたのはスズメのヒナ。
考えればすぐに分かる結論。巣から落ちたのだ。
(それにしても、時期外れなヒナだな…)
半ばどうでもいいようなことを考えていると、克己からは案の定と言うべきか、お決まりの言葉が聞こえてきた。
「家に連れて帰ろーぜ?」
「…………」
「んで、元気になったら、ジュニアと遊ばせてよ──」
「…………」
「な?」
振り返った克己に、秀行が呆れたように言った。
「鬼だな」
「へ?」
「お前は鬼か…?」
今度は同じ言葉で問いかけた。
「なんだよ…鬼って…?」
一瞬わけが分からないと首を傾げるが、すぐに思い出した。
「あー、あれか!? また〝ナチュラル派〟とか何とか言って、放っておく気だな!? だったら、ヒデのほうが鬼じゃねーか!」
「あのなぁ…」
「いぃーや、ぜってー、連れてく! じゃねーと、間違いなく死ぬだろ!!」
「カツ…」
「やだかんな! 今回は、ヒデを説得する時間なんかねーんだから」
「聞けって」
「ンんだよ!?」
「もし、お前がオレと一緒にホラー映画やグロテスクな映像が出てくるゲーム見てたとする」
「な、なに言い出すんだよ…?」
「しかも一晩中だ。お前が嫌だとっても、意地でも見さすぞ」
「お、おい…?」
「その時間から開放されたお前は、夢の中でも悪夢にうなされる。やっと目が覚めたと思っても、今度は現実でも追いかけられんだ」
「や、やめろって…」
「顔から血を流し目ん玉が飛び出たゾンビが、〝寂しいから遊んでくれ〟って追いかけて来るんだ。そのうち腹から内蔵が飛び出してきて、足は腐敗に絶え切れずボトボトとちぎれてくる。それでもゾンビが執拗に追いかけてきたら、どうなるんだ、お前は?」
「…………」
(うげぇ…気持ちワリー……そーぞーしたくなくても、ノーミソに浮かんできちまうじゃねーか…)
「カツ…?」
「だぁー、もう喋るな! 俺を殺す気か!? この、鬼!!」
そこまで言われても、克己は秀行の言いたいことを理解してないようだった。秀行は呆れたように溜息を付いた。
「猫は鳥の天敵なんだろ?」
そう言うと、ようやく〝あ…〟と理解した言葉を出した。
(──ったく。コウノトリの時は気付いてただろ…?)
「…じゃぁ、どーすんだよ!?」
「巣に戻せ」
「あ…?」
「羽もある程度できているんだ。本能で羽ばたくだろ、落ちる時ぐらい」
「あ、あぁ…」
「だったら、そんなに衝撃は受けてないはずだ。下は土だしな。突然のことでビックリして、呆けてるだけだろ」
「だ、だから?」
「上に巣があるんだし、親鳥も心配してるはずだ。家に連れて行くより、巣に戻してやれ。それにもし万が一のことがあっても、オレらより親に看取られる方が幸せなんじゃないのか?」
「…そ、それもそーだよな…」
ゾンビの話で気持ち悪くなったのもあるが、秀行の意見には大いに賛成だった。
克己は、スズメのヒナを服のフードの中に入れると軽々と木に登り始めた。巣を見つけ、慎重にヒナを戻す。他の仲間と同様、口を大きく開けて啼くのを見て克己もホッと胸を撫で下ろした。そして、何気に顔を上げる。
「おほっ♪ ヒデ、めっちゃ眺めがいいぞ」
「当たり前だ」
「いいなぁ~。ここに家でも建てようかなー」
「そんな事はどうでもいいから、早く降りて来い」
「なぁ、ヒデも来てみろよ?」
「行かない」
「なんで? 気っ持ちいいぞ?」
「お前のせいで、そこに近づけないやつがいるんだ」
「え…?」
〝誰だ?〟と思うや否や、それが母鳥だと悟った。
「あ、そっか。ワリィな…すぐ降りるから──
──と体勢を変えた時だった。
「おぅわっっっ──」
「カツっっっ──」
飛行機なら着陸時より離陸時のほうが難しく、木は登る時より降りる時のほうが気を使うもの。秀行が心配した通り、克己は足を滑らせその高さから落ちてしまった。羽などない人間がまともに地面に落ちれば、かなりの衝撃があるはずだ。けれど、兄貴は頼りになるものだ。
克己が体勢を崩し背中から落ちてくるのを、秀行がその下に回りこみ受け止めた。 もちろん支えたのは上体だけのため、足は地面に打ちつけたが…。それでも大した衝撃はなかったようだ。
「び、びっくらしたぁ~」
「それはこっちのセリフだ…」
「は、はは…そうだよな。ワリィ…」
「立てるか?」
「おぅ! もちろん♪」
克己は軽く立ち上がると、本当にどこも傷めてないようで、さっさとデパートへと歩き始めた。
(やれやれ…)
それから二十分ほど…。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラ…と寄り道しながら、やっとのことで目的のデパートに到着した。
早速、克己はジーパン売り場に向かい、秀行はその店の前のベンチで一休みしていた。
一着履いて問題なければ、あとは同じサイズのジーパンを数枚手に取る。ブランド物には興味がないため安い無名のジーパンばかりだが、克己にとって質は問題ではない。数さえあればそれでオッケーなのだ。ただし、…これでちゃんと片付けてくれればいいのだが…。
枚数的に十分だろうと思った矢先、克己は何気に見ていたTシャツに目を奪われた。
(おぉ、このTシャツ、おんもしれぇー)
「ヒデ、Tシャツも買っていいか?」
「ああ、好きにしろ」
「んじゃ、これ一枚とぉ~」
──と言いながら、他のTシャツも手に取ってみる。
そんな時、不意にどこかをジッと見ている秀行に気が付いた。その表情は、なんとなく硬い気がする。
(ヒデ…?)
何を見ているのかとその視線の先を追ってみれば、兄弟ゲンカをする二人の子供が目に入った。年齢は秀行と克己が別れた頃だろうか…。
(まさか…?)
自分なりにその答えを見つけた克己は、さっさと会計を済ませて秀行のもとに戻っていった。
「ヒ、ヒデ…」
「ん…?」
「お、俺…今がハッピーだからよ…」
「ハッピー…?」
「小せぇ時に一緒にいると兄弟ゲンカが絶えなくて……ほら、よくあるだろ? 〝俺の兄貴、めっちゃ、ムカツク〟とか、〝弟なんて、かわいくねー〟とかよ…」
「…………?」
「まぁ…小せぇ時は一緒にいれなかったけど、その分…こう、なんつーのかなぁ…仲がいいっつーか…その…つまりだな……ヒデが、俺の兄貴でよかったっつーことだ」
「カツ…」
それはそれで嬉しい言葉だったが、何故に今、そんなことを言うのかが理解できないのは秀行のほうだ。けれど、敢えて深くは追求しなかった。何故なら、それ以上に気になっていたことがあったからだ。それを克己に問うてみる。
「カツ…」
「んだよ?」
「あれ、弟か?」
「は…?」
「いや…同じ服を着てるし、髪の毛も短いんだが…仕草がどうも女の子のような気が─…」
その質問に、克己は嫌な予感が頭をよぎる…。
「……なぁ?」
「あぁ?」
「まさかと思うが、そんなこと気にして見てたのかよ、あのガキ…?」
「ああ」
「────!!」
(──んだよ!? 俺はてっきり、あの事件を思い出してるかと思って…)
「どう思う?」
平然と問いかける秀行に対し、心配して損したという気持ちと、自分の言った事の恥ずかさで、克己はカッーっと顔を赤らめた。
「カツ──」
「知るか!!」
「……?」
「帰るぞ!」
「お、い…なに怒ってんだ?」
「フンッッッ──」
さすがの秀行も、克己が怒る理由は分からなかった。けれど、そう心配することはない。克己の場合、怒りなど時間が経てば忘れてしまうからだ。しかも、今回はあるものを見つけた為、一気に機嫌が直ってしまった。
「あぁー!!」
「………?」
「ヒデ、あれ撮ろうぜ、あれ!」
そう言って目をキラリンとさせた克己が指差したのは、秀行にとってウンザリするものだった。
「なっ。あれなら、片付けなくて済むだろ?」
重くなる秀行の足取りとは反対に、ズンズンとその目的の場所に向かうのは克己だ。そんな秀行の服を引っ張る姿は、まるで、欲しいおもちゃが置いてある場所に親を連れて行く時の子供と同じだ。
(確かに片付けなくて済むが、それそのものが好きじゃないんだけどな、オレは…)
それは、カラフルに彩られた薄っぺらいビニールで囲まれたボックス。
──そう、プリクラだ。
もちろん〝そのもの〟とは、プリクラではなく写真に撮られることだが…。
あっという間にボックスに連れ込まれた秀行は、慣れた手つきで目の前の機械を操作する。そんな克己を、秀行は半ば呆れるように見ていた。
「えぇーっと……ふ・れ・ぇ・む・はぁ~っ──」
〝これは小せぇし…こっちはガラが気にくわねぇな…〟と一人文句を並べて、矢印のボタンを連打していく。
「写真が好きなら、カツだけでいいだろ?」
背後でボソリと呟けば、その言葉に克己の手が止まった。
「なんだよ、ヤなのか?」
ついさっき原因も分からず怒っていた克己は、プリクラを見つけただけで機嫌が直ってしまった。何はともあれ機嫌が直ったならそれでいいとホッとしたのも束の間、またもや怪しい雰囲気になる。怒るというよりはふてくされる…と言うほうが正しいが、これがまたどうして、怒るより厄介だから困るのだ。
「ヤなのかよ?」
次いで同じ言葉が繰り返されれば、秀行とて本音は言えまい。
「別に、イヤってわけではないが──」
「よしっ! ンじゃ、問題ねーな♪」
秀行の返答に満足して有無を言わせずそう言い切ると、再び画面に向き直りフレームを選び始めた。楽しそうに選ぶ克己の背中を、秀行は無言で見つめるしかない…。
そんな時、不意に克己が呟いた。
「兄弟の写真って、ろくすっぽねーからよ…」
「…………」
しかし、すぐにいつもの克己に戻る。
「よっしゃ、これに決まり!」
〝決定〟ボタンを押して画面を見れば、既に自分と克己の顔が映っていた。選んだフレームは、〝度胸のあるヤツ、かかってこいやぁー!!〟とコメントされたヤンキー調のもの。
「いくぜ、ヒデ!」
そう言って決めのポーズをとる克己の傍で、秀行は小さな溜め息をついた。
(まだまだ、ガキだな…)
そしてカウントが始まる──
三秒前…。
「カツ…?」
「んあ?」
二秒前…。
「お前がオレの弟で…」
「………?」
一秒前…。
「よかったって思ってるよ、オレも」
「え…?」
突然の告白に思わず顔が横を向く──
カシャ…。
「え…!?」
どんなことがあっても絶対に目を背けてはいけない瞬間──
目を瞑ることすら気を付けるというその瞬間に、克己はその音を聞いた。間違いなく、横を向いたその瞬間に、だ。
「おぁぁぁぁ~~!!」
せっかくの決めのポーズも水の泡。数分後に出てきた写真には、あまりにも間抜けな克己の横顔が写っていた。
(なんっで、ヒデはこう…前触れもなくサラリとゆーんだよ? しかも、これが愛の告白なら、どー考えたって女が喜ぶようなタイミングじゃねーか…)
お前が笑ってれば…と言った時もそうだが、こういう時の秀行の心境は克己には分からなかった。お得意の計算なのか、それともただの天然か…。
真相など理解されぬまま、二人は何事もなく家路へと向かうことになった。
家に着いてしばらくすると、秀行は夕食を作り始めた。順調なら、数十分もすれば直哉がやってくる時間だ。しばらくすると、予想通り我が家のように玄関を開けて直哉が入ってきた。
「お帰りぃ~、山ちゃん」
「おぉ~…」
「今日は混んでなかったみたいだな?」
「ああ。どこぞのガッコーが休みだったからな」
「俺らのせいかよ?」
「どーだろーなぁ? ──で、今日の夕飯はなんだ?」
冗談交じりに答えながら、キッチンにいる秀行に聞いた。
「餃子」
「おぉ~、いいねぇ」
そう言うや否やくつろぎウェアーに着替えた直哉は、一息も着かずにキッチンに入って行った。しばらく一緒に作っていたものの、直哉はふと、秀行の動きがいつもと違うことに気が付く。
(なんだ、この違和感は…?)
おそらく普通の人には気付かない動きだろう。長い付き合いで、尚且つ無表情の中にでも感情を見つける直哉や克己にしか分からないほどの違和感。けれど、今はその克己にさえ気付かないものだ。何気に動きを観察していた直哉は、なんとなくその違和感がなんなのか気付き始めてきた。
(かばってるのか…?)
何とかそこまで判明したものの、さすがにその原因までは分からなかった。
(直接聞いたところで、隠してるなら教えてくれねーしなぁ…。方向を変えてみるか…)
直哉は、ソファの上でジュニアと遊んでいる克己に視線を移した。
「──で、どうだった? 久々の兄弟水入らずの休日は?」
「おぉー、よくぞ聞いてくれた、山ちゃん。今日なぁ、俺、木から落ちたんだ」
「は?」
「スズメを家に連れてこよーとしたら、ヒデがゾンビの話するんだぜ? でもまぁ…言いたいことは分かったから、木に登って巣に戻してやったんだ。そしたらさ、足滑らせて落ちた」
「…………」
(こいつの説明はなんなんだ…? なんで、スズメからゾンビの話が出んだよ? オレは、言ってることが分かんねぇ…)
理解できずに黙っていると、克己が怪訝そうな顔をする。
「なぁ、きーってかぁ?」
「あ、ああ…」
(ま、まぁ…とりあえず、深く追求すんのはやめとこう…)
「それで、ケガはしなかったのか?」
「おぅよ! ヒデがオレの脇をこーやって受け止めてくれたからな。無傷で生還よ!!」
そう言いながら、助けてもらった時のことを再現するかのように、直哉の後ろに回り込み両脇に腕を回した。
「まさに、九死に一生スペシャルだな、うん」
〝テレビ番組に応募しようかな〟などと一人呟く克己をよそに、直哉は一人納得していた。
(なるほど。それで、アレなのか…)
原因が判明すれば克己が気付かないのも─…いや、克己に気付かれないように振舞っていたのも分かることだった。
順調に餃子が作られ、目の前で焼きながら夕食は始まった。お腹いっぱい食べた克己は、いつものように絨毯に寝っ転がった。秀行と直哉も、いつものように食後の一服をしにベランダへ繰り出した。
「湿布、貼っとけよ?」
ベランダの手すりにもたれた直哉は、とても自然に階下を覗きながら言った。
「………?」
「左肩、痛めたんだろ?」
秀行からの返事が何もなかった為、ここでようやく彼を見やると、そこには珍しく驚きの表情を浮かべた秀行がいた。
「気付いて…たのか?」
「分からいでか。なんてたって、オレはお前に惚れてんだぜ?」
〝見くびるなよ〟とでも言うような口調に、フッと笑う。それがいつもの調子で軽く答えるから、秀行も軽く受け答えた。
「そうだったな」
「それにしても、お前にケガさせられるのはアイツぐらいだろーな?」
「…かもな」
(かもな…ってか。そんな程度の認識なのかよ…?)
「──なぁ、秀行?」
「あぁ?」
「あいつはお前のブレーキらしいが─…気を付けろよ?」
「…どういう意味だ?」
「お前の場合、あいつに何かあったら命さえ投げ出しそーな気がするからよ。心配してんだ、オレは」
「ああ、そんなことか…」
「そんなことってなぁ──」
「安心しろ。オレには緊急停止ボタンがある」
「は…?」
「暴走を止められるのは、緊急停止ボタンだけだろ?」
最初こそ何のことを言っているのか分からなかったが、秀行の目を見て、それがなんの事かだいたい分かってきた。
「それって、まさか…?」
半信半疑で自分を指差す直哉。それに対し、ゆっくりとタバコを一息吸った秀行は、白い煙を夜の空に吐き出した。
一気に冷たい風がさらっていくのを見送って、ようやく口を開く。
「他に誰かいるか?」
〝オレは、それ以外に心当たりはないな〟とでも言うかの口調に、直哉も返す言葉は一つしかない。
「は、はは…いねぇよな」
「──だろ?」
「ああ。──けどよ、もし万が一その緊急停止ボタンが先にイカレちまったらどーすんだ? その可能性のほうが高いと思うぜ?」
話の流れからいくと、秀行より先に直哉が暴走したら…という意味に聞こえそうだが、最後の言葉がそうではないと教えられた。
この時の〝イカレ〟とは、直哉に何かあったら…という意味だ。親の職が職だけに、狙われる可能性は一般人より遥かに高い。しかも、相手はそこら辺にいるザコではないのだ。
「ブレーキは正常なんだから、暴走はしない」
そのもっともな答えに、〝あぁ、そうか〟と直哉が納得した。
「それに…オレよりあのブレーキの方が先に暴走しそうだし、アテにできないだろ?」
「そりゃそうだ。──なら、安心だな」
〝暴走はしない〟という言葉にどこか寂しい気もするが、それが賢明だとも思う。いくらなんでも本職相手に勝てるわけがないのだから。
少なくとも、自分のせいで秀行が暴走しないなら安心だと言えるだろう。そう思ったが、その考えが間違いだと気付くのにそう時間はかからなかった…。
そのうち、友達と遊び終えたサクラがやってきたため、二人はタバコを灰皿に押し付け家の中に入った。
サクラは、部屋に入るなり新しい紙袋を目ざとく見つけると、〝なになに?〟と興味津々に開ける。袋から出したTシャツは、白地に筋肉質の体がプリントされていた。
「おぉ~!!」
──と目を光らせたのはサクラだったが、そのすぐ後に続いたのは秀行だった。
「なんだ、これは?」
「おぉ、それな。おもしれーだろ?」
「それで?」
「だから、買ってきた」
「着るんだろうな?」
「まさか。そんなダッセーもん着れるかよぉ~」
「じゃぁ、なんで買ってきた?」
「決まってんじゃん。おもしれーから、ヒデに見せようと思ってよ」
「…それだけ?」
「おう!」
予想はしていたものの、こうもハッキリとした返事を聞いてしまうと大きな溜め息をつくしかない。
それでも同じ事を繰り返されてはたまらないため、敢えて口を開く。
「カツ…」
「なんだ?」
「見せるだけなら、なぜその場で見せん?」
一瞬間があって聞こえてきたのは、人事のような気の抜けた口調。
「あぁ~、そーだよな」
「……………」
それからしばらくの間は、秀行と克己の間で押し問答が繰り返された。
〝もったいないから着ろ〟という秀行に対し、〝そんなダッセーもん着れるかぁ〟と反発する克己。しかしその問題も、サクラの一言によってあっけなく解決された。
「とってもファニーじゃん♪ サクラ着るぅ~」
かくしてマッチョマンのTシャツは、サクラの寝巻きと化した。そんな光景を腹を抱えて笑っていたのは直哉だった──
お ま け
「いやぁ~~~、なにこれ、なにこれ、なにこれぇ~~!?」
突然奇声にも似たサクラの声が聞こえ、克己や直哉はもちろん、秀行の顔からも驚きの表情が伺えた。
「な、なんだよ…?」
おそるおそるサクラに尋ねる克己。
「写ってる…」
「は…?」
「秀にぃが…写ってる…」
「写る…?」
その三文字の意味が分からなくて、克己も直哉もサクラが手にした一枚の紙を覗き込んだ。
「おぅぁ~~~~!!」
サクラの手から奪い取り、彼女同様 奇声をあげたのは直哉だった。隣にいた克己は平然としている。それもそのはず。サクラの手から直哉の手に渡った紙は、昼間に撮ったプリクラなのだから。
「な、何で…ここに秀行の写真があんだよ…!?」
「何でって…昼間、ヒデと撮ったからに決まってんじゃん」
「決まってって…。秀行は承諾したのか?」
「あたぼーよ♪ なにそんなに興奮してんだよ、山ちゃん?」
「興奮するに決まってんだろーがぁ。オレでさえ、秀行とのツーショットの写真は持ってねーんだぜ!?」
「え…そうなのか? だって高校からのダチなんだろ?」
「そりゃそうだけど─…秀行の写真嫌いは極めてんだよ」
「極めてる…?」
「いいか? どんなに写真に写りたくなくても、卒業写真には写るもんだろ? 写真撮影時に休んだって、それ様の写真が合成されるもんだ」
「あぁ、そうだな」
「──だろ? けどな、秀行の場合その合成する写真さえなかったんだよ」
「へ…?」
「なんだかんだいっても、そーゆー写真は学校側にあるはずなんだけど…秀行は、そーゆー写真さえ消したんだ。盗みに入ったっつーか…まぁ…証拠隠滅だわな」
「マジ…!?」
「ああ。お蔭で卒業写真にさえ秀行は写ってない。記念に〝盗んだ写真くれ〟つったんだけど、〝一生会えないわけでもないし、本物が目の前にあるんだから必要ないだろ〟っつって、もらえなかったんだ」
「へ…ぇ…なんか大変だったんだな…」
「おまっ…人事のように─…」
(しかもなんだ、この秀行の表情は…。いつもの無表情じゃなく、兄貴っぽい良い顔してんじゃねーかよ…)
仕方がないとは思いながらも、羨ましい気持ちには変わりない。
「よぉ~っし、これ貰ったぁ」
「なに!?」
「あぁ~、サクラも欲しぃ~~~!!」
そう言や否や直哉は引き出しからハサミを持ち出すと、それを三等分に分け始めた。
「山ちゃんなに勝手に─…」
「うるせぇ! いっくら弟だからって、お前だけが写真持ってんのは許さん!」
「そうだそうだぁ~。独り占めはずっるーいんだから、克にぃ!」
「なっ…」
「けど、この横顔はチョイ、ジャマだな」
「切ればいいじゃん、直にぃ」
「おぉ、そうか」
「──て、勝手に俺を削除するなぁ~!!」
「いいだろ、お前の写真はいくらでもあんだからよ?」
「そーゆー問題じゃねぇ!」
「お前なぁ…オレが野郎の写真持ってたら気味悪いだろーが。しかも二人なんてよ?」
「なんっだ、その理由は…? 一人だったら気味悪くないってゆー事でもねーだろ、山ちゃん!?」
「まぁまぁ、そんな屁理屈こねんなって…」
「屁理屈はどっちだぁ~~!?」
「シャラァァァァップ!! うるさいよぉ、克にぃ」
「な…にぃ…!?」
サクラだけならまだしも、直哉と手を取られては克己に勝ち目はない。
「お、おい…ヒデ…何とか言えよ…」
頼れるのは秀行しかいないとふってはみたが、アテにはならなかった。言い争っている意味さえ分からないというように、不思議な顔をしていたのだ。
(ダメだ…全く聞く耳もたねぇ…)
──と克己が肩を落としている頃、秀行の頭の中には天然が顔を出していた。
(直哉がプリクラに興味あったとはな……)
結局、秀行が写った写真は、克己・直哉・サクラにそれぞれ平等に分けられたのだった──