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兄弟  作者: Sugary
日常の出来事
12/22

7 妹、参上編 ※

「──んだとぉ!?」

(なんだぁ…?)

 秀行のバイト先に行く途中、克己はよくある怒声を聞いて思わずその方向に目をやった。見れば女子学生一人に対し、男子学生二人がケンカ腰で詰め寄っている。しかし、女の方も負けてはいない。

「だからぁ、落し物だって言ってんのよ!」

「それこそ、知らねーって言ってんだろーがよ! うっとーしぃから、消えろや!!」

「そうそう。これ以上、俺らを怒らせないほうがいーと思うけどなぁ」

「あー、そうっ! じゃぁ、この落し物、交番に届けていいわけね」

「はっ! 勝手にしろ!! そんなもん持ってったって、てめぇが疑われるだけだろーがよ」

 〝おめぇはバカか?〟とでも言うように、鼻で笑う男。そう言われれば、普通なら怒るか悔しがるかするのだろうが、その女子学生は勝ち誇ったように微笑んだ。

「あたしが疑われるですって? バッカみたい。今どき小学生でも分かるわよ。唾液でDNA鑑定できるってことぐらい、ね」

「なにぃ!?」

(唾液…? 落し物にか…?)

 〝一体、何の落し物だ?〟と疑問が膨らめば、足が自然に彼らの方に向く。

「──っざけんなよぉ!?」

 自分がバカにされたと、怒りも頂点を通り越したのだろう。男の一人が女子学生の胸ぐらを掴み、手を振り上げた。

「────!!」

「なっ──!?」

 しかし振り上げた手は下ろされることなく、何者かによって掴まれ瞬時に背中の方でねじ上げられてしまった。

「いっっっ──!!」

「──っにすんだ…この…!!」

 咄嗟に、隣にいたもう一人の男が腕をねじあげる男に掴みかかる。

 しかし──

「そりゃ、こっちの台詞──」

 そう答えるのと同時に、左足が男の腹に蹴りこまれ、

「ぐっっ──」

 男は激しく吹き飛んだ。自分を助けようとしたダチがやられ、更にカッとなった男が腕の痛みに耐えながらも もがき、後ろの男をその目で捉えた、その瞬間──

「あっ………!!」

 さっきまで怒りで真っ赤だった顔からは、一瞬にして血の気が引いていった。

「つ…筒原…さん…」

 吹き飛んだ男が、ダチのその一言でハッとする。

「な…こ、この人が…!?」

「折角、落し物拾ってくれたのに、そんな態度ってねーんじゃねぇの? しかも、女の子によぉ?」

「ひぃ…は、はい…」

「よぉ~し。──んじゃ、〝ありがとう〟っつって、受け取れよ?」

「は…い…」

 落し物を渡すよう女子学生に視線を投げれば、小さな溜め息を付いて右手を差し出す。しかし、差し出されたものにはさすがの克己も驚いた。

(タ、タバコぉ~!?)

 彼女が差し出したものは、まだ火種がついている一本のタバコだったのだ。

 驚いたものの声には出せない。とりあえず、女子学生からタバコを受け取る男の姿を、呆然と見つめていた。

「つ、筒原さん…もう、いいっすか…?」

 怯える声が聞こえ、ようやく我に返った克己。

「あ、ああ…」

 掴んでいた手を離すと、男達は逃げるように去っていった。

(なん…なんだ…?)

 〝全くもって、わけ分かんねぇ…〟と首を傾げば、途端に女子学生の声が聞こえる。

「ありがとう、おにーさん」

「あ…? ああ…まぁ…」

「おにーさんって、強いのね。しかも、なんか有名みたいだし?」

「…………」

「ねぇねぇ、おにーさんの下の名前はなんて言うの?」

「…………」

「ねぇ?」

「知らねーやつには教えねぇ」

「え…?」

 一瞬、わけが分からず口を閉ざすが、すぐにその意味を理解した。

「あぁ~、そうだったわ。──えっと…あたし、倉石サクラ。〝サクラ〟は漢字じゃなくてカタカナね。今年の春に高校生になった、ピッチピチの十六歳。血液型はB型で、星座は乙女座。座右の銘は〝紙切れ一枚に価値はねぇ!〟なの」

 一連の自己紹介を済ませたあと、彼女は再度尋ねる。

「──それで、おにーさんの下のお名前は?」

「…………」

「ねぇ?」

(ヘンだ…なんかよく分かんねーけど、ぜってー、ヘン。フツーじゃねぇだろ…)

 〝知らねーやつには教えねぇ〟と言えば、大概の相手はそのまま去っていく。その言葉の意味は、〝人に名前を聞くときは自分からだ〟というものだが、理解する者は少ない。その意味を理解しただけでもフツーではないのだが、更に〝ヘンだ〟と思わせたのは、そのあとの自己紹介だ。

(名前がカタカナだとか、年齢や血液型まで…コンパの出会いじゃねーんだぞ…?)

 今までとは全く違う反応に、なぜか秀行と出会った時より怪しさを感じてしまった。

 克己は、目の前で〝下の名前を教えてくれ〟と詰め寄る女子学生に危険を感じて、無言で踵を返した。

「ちょ、ちょっと…おにーさん? ねぇ、まだ足りないの、自己紹介?」

(ムシだ、ムシ──)

 これ以上は関わりあいにならない方がいいと、彼女をムシして歩き出す。それでも、彼女──サクラ──は興味を持ったように後をつけてきた。

「ねぇ、待ってよ。何が足らないの?」

(──頭)

 ムシしているはずなのに、なぜか克己は自分の頭の中で突っ込んでいた。

「えーっとぉ…他には、両親がいて姉妹はいないけど、犬が一匹いるわ。あ、名前は吹雪って言うんだけどね。それから──」

(吹雪? 自分の名前と合わせて、サクラ吹雪ってか?)

「小学六年までこっちにいたんだけど、父親の転勤で中学校は他県に行ったの。でも高校はどうしてもこっちがよかったから、寮に入れさせてもらってぇ──」

(聞いちゃいねぇ…俺はそんなこと聞いちゃいねーぞ。なんでペラペラ喋ってんだ、こいつは…?)

 どんなにムシしてもついてくるサクラにウンザリしながらも、克己は目的の場所へと急いだ。

(こうなったら、ヒデに追い払ってもらうしかねーな…)

 最後の手段だとばかりに、秀行が待つパチンコ屋を目指す克己。

 交差点を曲がれば、お目当ての秀行がタバコを吸いながらジッと立っていた。

「…ヒデッ!」

 一瞬でも早く気付いてもらおうと走りながら叫ぶ。もちろん、秀行もその声に気付き振り向いた。

「おぉ、お帰り。今出てきたところだぞ?」

 故に、〝そんなに急いでくることなかったのに〟という意味だ。

「いや…それがよ──」

 〝ヘンなやつに追われてるから助けてくれ〟と言おうとしたのだが、後ろからとんでもない言葉が聞こえた。

「秀にぃ!?」

「なっっっ──?」

 その声に、秀行の視線が克己の後ろに移る。

「あー!! やっぱり、秀にぃだぁー。サクラ、会いたかったよぉ~!!」

 ぼすっ…っという音を立ててサクラが秀行に抱きついた。それに驚いたのは、もちろん克己だ。

「な、なに…やって…おい…こら、離れろ!」

「サクラ、秀にぃに会いたくて、こっちの寮に入ったんだよぉー」

(はて…? いったいこの子は…?)

 驚きを顔に出さず、ただただタバコを咥えたまま立ち尽くす秀行。

「ちょ…おい、離れろって……!」

「聞いてよ、秀にぃ。この人、サクラが自己紹介したのに名前教えてくれないんだよ。ひどくない?」

(出来れば、オレにも自己紹介して欲しいんだがな…)

「そうそう、吹雪も元気だよ。ちゃーんと実家で飼ってて、お母さんも可愛がってくれてるの」

(吹雪…?)

 〝秀にい〟と呼ぶ以上、それなりの繋がりがあるのだろうが、記憶を辿っても秀行の過去に彼女の存在はなかった。もちろん、吹雪という名前も。

(どうしたものか…。人違いってことだよなぁ、きっと…)

「ヒデ!! お前もボーっとしてねーで、引き離せよ!」

「あ? ああ、そうだな…」

 克己の声で現実を把握すれば、吸わないタバコの灰がしなりつつある。

「悪いが…ちょっと離れてくれないか?」

「うん」

 克己があんなに引っ張っても離れなかったサクラは、秀行のその言葉だけで素直に離れた。いとも簡単に…。

 ポケットから携帯用の灰皿を出すと、吸ってる暇はなさそうだと判断したのかその火を揉み消した。

「相変わらずだなぁ、秀にぃは。この世の中、秀にぃみたいな人ばっかりだったらいいのにねぇ?」

(フム…)

「おい、ヒデ…今、納得したろ?」

「……………?」

「納得しただろ?」

「いや」

「いぃ~や、ぜってー、納得した!」

 〝間違いねぇ〟と指をさせば、答えたのはサクラ。

「──当然でしょ」

「どこがぁ──」

「少なくとも、名前を教えてくれないおにーさんがいないだけでも、いいことだと思うけど?」

「なに…!?」

「ねぇー、秀にぃ?」

「…フム」

「──!! だ、だいたいなぁ、〝秀にぃ、秀にぃ〟って、さっきから馴れ馴れしーんだよ。一体、ヒデのなんなんだ、おめーわ!」

「妹よ」

「はっ…!?」

 間髪いれず返ってきた答えは思ってもみないもので、一瞬言葉に詰まった。

「それより、おにーさんこそ秀にぃの何!?」

「お、俺は…ヒデの弟に決まってんだろ!」

「いつから?」

「はぁ!?」

「あたしは、五年前から妹よ。おにーさんは、いつから弟なの?」

 暗に、〝あたしよりは遅いんでしょ?〟と強気な口調だ。

「は、はは…何が何年前から、だ。俺は、俺が生まれた時からヒデの弟だっつーの!」

「またまたぁ…」

「おまっ…信じてねーな?」

「そりゃそうよ。だって、秀にぃは一人っ子だもん」

「そりゃぁ、ヒデが忘れてただけだろ? 現に、俺だって忘れてんだからな」

「な…によ、それ…?」

「だからぁ、ちーさな時に両親が別れて、俺らも別々に引き取られたんだよ。だから、幼すぎて兄弟がいることすら忘れてたんだよ」

 克己ならまだしも秀行の年齢で忘れるとは思えないのだが、〝忘れようとした〟ことぐらいはさすがの克己にも理解できることだ。

「そん…なの─…秀にぃ、ほんとなの?」

 信じられず、サクラが秀行に問いかけた。

「このおにーさん、秀にぃの弟?」

「ああ」

「そう、なんだ…」

 これまた、秀行の言葉は素直に受け止めてしまう。

「じゃぁ、名前─…下の名前はなんて言うのよ?」

「克己だ、克己!」

 半ばヤケクソで答える。

 どうして五年前から妹なのかはよく分からないが、とにかく秀行と何かしら繋がりがあることだけは確かだろう。危険だとは思っても、これ以上ムシするわけにもいかない。それに秀行と関わりがあるなら、追い払ってもらうことは無理だと思ったのだ。

「克己かぁ。うん、だったらぁ──」

(今度はなんだよ?)

「おにーさんは…克にぃ、ね!」

「は…!?」

 下の名前を教えろ…と詰め寄ったかと思えば、秀行を見つけるなり〝名前を教えてくれないおにーさんがいないだけでもいいでしょ〟とケンカ腰な態度にかわる。話の流れで名前を教えれば、今度は〝克にぃ〟と決められてしまった…。

(な、なんで…俺がこんなやつの兄貴になんかならなきゃなんねーんだよ…? わけ分かんねぇ…)

 〝これで決まりね♪〟と晴れやかな顔をするサクラとは対照的に、克己の顔は曇り続けた。

 何も言わない秀行を見れば、無表情の中にキラリと光るものが…。

「ヒデ、帰ろーぜ!」

「あ、ああ…そうだな」

「じゃぁ、サクラも帰ろーっと♪」

「おう。とっとと寮に──って、なんで俺らの腕を組むっっ!?」

挿絵(By みてみん)

「だって、秀にぃと克にぃの家に帰るんだもん♪」

「は…? おまっ…なに言って──」

「いいよね、秀にぃ?」

 克己の言葉を遮り、秀行に問いかける。

「……………」

 即座に答えない秀行の代わりに、克己が慌てて続いた。

「い、いいわけねーだろ! だいたい寮だったら門限だってもうすぐ──」

「シャラーァァァァップ、克にぃ!」

「なっ…!?」

「あたしは、秀にぃに聞いてるの」

「な、なんだぁっっ!?」

「ねぇ、秀にぃ、いいよね?」

 同じことを問われた秀行は、小さな溜め息を漏らしながら口を開く。

「門限は?」

「明日は休みだから、〝家に帰る〟ってゆー外泊届け出してきた」

「実家には?」

「友達んちに泊まりに行くって電話する…あとでね」

「食べ物に好き嫌いは…?」

「ない」

「自分のことは自分でできるか?」

「オッフコース!! サクラ、もう十六歳だよ、秀にぃ?」

「そうか…」

「おい、ヒデ…!?」

 既に、嫌な予感を思わせる会話…。

「問題ない、か…」

「どこがだぁ!?」

 一人納得する秀行に突っ込めば、不思議な目が返ってくる。

「あるのか?」

「……………」

(〝あるのか?〟だとぉ!? なに考えてんだヒデは!? 問題なんか大ありじゃねーか──)

 その問題を明らかにしようと口を開きかけた克己だったが、肝心の問題が出てこない。

(……れっ? 何が問題なんだ…?)

 考えてみれば、秀行もサクラもお互い知っている者同士。寮には外泊届けが出してあるし、実家にも〝友達の家に泊まる〟と電話すると言っていた。実家に帰ってから、学生がどこに泊まろうが寮の人間が干渉することではないから、親が承諾すれば友達の家に泊まる事もなんら問題はない…。

 最後の二つの質問に関して言えば、秀行にとって手がかからないと判断する為のもので、それに合格したということは確かに〝問題ない〟と言えるだろう。

 けれど、克己の思考もここまでだ。

 もし、秀行にとって〝サクラは知らない子〟だという事を知っていれば、知らない子を泊めるだけで問題だ。そのうえ、常識から考えても一人の女の子が男のアパートに泊まりにくること自体、問題なのだが…。

 それに気付かないのは克己ゆえ、なのか?

「カツ…?」

「あ…? ああ…いや、何でもねー」

「そうか…」

「ねぇねぇ、話は終わったぁ?」

 二人の会話が途切れるのを待っていたのか、サクラが陽気に話しかけた。それに答えたのは克己だ。

「あー、終わった、終わった」

「そぅ。それで、いーんだよね、泊まっても?」

「ああ。勝手にしろよ」

「イェ~イ!! サクラちゃん、今日はとってもハッピーディ♪」

 何がそんなに嬉しいのか、両手を挙げてクルクルと回り始めた。回り過ぎて、車道に飛び出しそうになり、慌てて克己が服を引っ張った。

「ばっ…あぶねーだろ、サクラ!」

「はにゃ…? あ~、目ぇ、回っちったぁ~~」

(何なんだ、このギャップは…? タバコを落し物だと言って絡んでた時と、大違いじゃねーか…?)

 正体が掴めないと服を引っ張ったまま立ち尽くしていれば、サクラも回した目が治るまでしばらくジッとしていた。しかし、三半規管が正常に働きだすと、俯いていた顔をあげ〝よし!〟とばかりに頷いた。

 そして予想もしてない──いや、予想できない─言葉。

「よぉ~し。そうと決まったら、克にぃ?」

「な、なんだ…?」

「家まで競争しよ♪」

「は…?」

「二人で競争!」

「なんで──」

「だって、一人じゃ競争できないでしょ?」

「いや、そうゆーことじゃなくて…何で競争しなきゃなんねーんだよ…?」

「別に理由はないけど、兄妹で競争するのって、なんかよくない?」

「…………」

(わけ…分かんねぇんだけど…?)

「ほら。いくわよ、克にぃ? よーい…」

「あ…?」

「──ドン!!」

「なっっっ…!?」

 克己の準備など全くムシで、自分の号令と共に一気に駆け出した。

「ちょっっ…お…い、待っ──」

 〝なんで俺が…〟と思う間もなく、サクラは猛スピードで走り続け、克己もわけが分からぬまま後を追いかける。

「あたし、陸上部ぅー」

「あぁ?」

「走るの早いんだぁー」

(どうりでスタートがいいわけだ…。いや、そんなこと感心してる場合じゃ──)

「克にぃー?」

「なんだよ!?」

「いっくら陸上部だからってぇー、妹に負けたらカッコ悪いよねー」

「──んだぁぁぁー!?」

 サクラの言葉に挑発されて、克己は地面を蹴る足に力を入れる。流石と言うべきか、すぐに追いついた。

「ひぇ~、はっやー!!」

(──ったりめーだ)

 フンと鼻を鳴らしたものの、そのあとのサクラの言葉に克己は一気に力が抜けた。

「でも、妹相手にマジになったら大人げなーい」

「………!!」

(──っんなんだ…いったい、何なんだ、こいつわ~~~~!?)

「ねぇ、克にぃー?」

 そんな気も知らずに、またもや普通のテンションで話しかけるサクラ。もやは、克己でさえ返答する気にはならなかった。

 しかし、サクラは問いかける。

「ねぇー、克にぃ?」

「……………」

「克にぃぃぃぃぃ?」

「……………」

「克にぃぃぃぃぃ?」

 すぐ後ろにいるにもかかわらず、なぜか、前を向いたまま大声で名を呼び続ける。返事をしなければ、永遠に叫び続けそうな勢いだ。

「克にぃぃぃぃぃ?」

「──んだよ!?」

 ヤケクソで返事を返してみれば、次の言葉に愕然とした………。

「家、どこぉ?」

「は………?」


 かなり離れた所から普通に歩いていた秀行にも、その会話はまる聞こえだった。

 数分前に克己が見つけた無表情の中にキラリと光るもの…。それがハッキリと秀行の頭の中で言葉となった瞬間だ。

(ふむ。面白い…)



 アパートに着くと克己はヘトヘトだった。もちろん体力ではなく精神の方だ。一方、サクラは元気ハツラツ。

「へぇ~。これが、にぃずの部屋なんだぁ~」

 物珍しそうに全ての部屋を見て回る。その姿に後から来た秀行は懐かしさを覚えた。

(カツが初めてこの家に来た時も、同じ反応だったな…)

「あぁー!!」

「な、なんだ、今度は…?」

「ねぇねぇ、克にぃ、来てぇー」

「あぁ~?」

「見て見て、猫がいるぅー」

 リビングから脇を掴まれ情けない格好で連れてこられたのはジュニア。玄関に座り込んだままの克己はその姿を見上げ、短く質問する。

「サクラ…」

「うん、なに?」

「ここは誰の家だ?」

「にぃずの家」

「そこにいる猫は誰んちの猫?」

「にぃずんちの猫」

「だったら、わざわざ見せに来なくてもいーだろーがよ!?」

「あー、そうねぇ~」

(あ、あったま…痛ぇ…)

 ジュニアを抱きかかえたままリビングに戻っていく後姿を見つめ頭を垂れると、すぐ近くで秀行の声がした。

「大丈夫か、カツ?」

「ヒデ…」

「ああ?」

「何なんだ、あいつは…? すっげーバカに見えるぞ…いや、ぜってーバカだ。俺、めっちゃ疲れんだけど…」

 〝何とかしてくれ〟と訴えるその目は今や泣きそうだ。

「でも、お前かなり気に入られてるぞ?」

「勘弁してくれ…。あんなのに気に入られたら、マジ身がもたねぇ…。それに、人間じゃねぇ言葉も使いやがる」

「人間じゃねぇ言葉…?」

「にぃずとか何とか…ってゆーより、ヒデも聞いてただろ?」

「ああ、まぁな。──で、意味は…?」

「知るかよ!? 知ってたら、疑問に思うか!」

「そりゃそうだ」

「──って、軽~く納得すんな…」

「──けど、分からなかったら聞けばいいだろ?」

「じょーだん!! 聞くならヒデが聞いてくれ」

 喋るぐらいなら、疑問も疑問のままにしておくほうがマシだ…という勢いに、秀行は小さな溜め息をついた。

(サクラはカツに似ている──いや、カツがサクラに似てるのか…。どちらにせよ、カツを究極にしたのがサクラだな…)

 靴を脱いでリビングに向かえば、ジュニアを抱きしめて絨毯の上に寝っ転がっているサクラと目が合った。

「あ、ねぇねぇ、ヒデにぃ?」

「なんだ?」

「名前はなんてゆーの、この子?」

「ジュニア」

「へぇ…。どっち?」

「何がだ?」

「性格。どっちに似てんの?」

「どっちも」

「へぇ、そうなんだ♪ ──にぃず似かぁ~」

「サクラ?」

「うん、なぁに?」

「その、〝にぃず〟ってのはどういう意味だ?」

「複数形の〝ず〟だよ」

「複数形…?」

「そっ。秀にぃと克にぃ二人を合わせて呼ぶ時、複数形になるでしょ? ブラザーがブラザーズになるみたいにさ。〝にぃ〟が二つで〝にぃず〟」

「…なるほどな」

 〝そういう事か…〟と納得すれば、サクラも理解してもらえたと嬉しくなる。その会話を未だ玄関で座り込んで聞いていた克己は、ローカに突っ伏した。

(なん…だ、その理由は…!? だいたい、ヒデもヒデだ。なにフツーに納得してんだよ!?)

 叫びたい気持ちもやまやまだが、そんな気力も残っていないと大きな溜め息を付けば、タイミングよく後ろのドアが開いた。

「おわっ…な…カ、カツか…?」

 その声に顔を上げれば、仕事帰りの直哉が立っていた。

「おぉ~、山ちゃん~~!! た、助けてくれぇ~~~。もう、俺には山ちゃんしか頼る者がいねぇーんだぁぁぁ~~~」

 初めて見る憔悴しきった克己の顔に、直哉がマジに心配する。

「ど、どうした…秀行に何かあったのか!?」

「あん? ヒデ…? ヒデは元気だ。なぁ~んも、問題ねぇ。何かあったのは俺だよ、俺!!」

「は…?」

「ヘンなヤツに付きまとわれてる」

「ヘンって…だったら、秀行が始末するだろ?」

「それがしねーんだ……っつーか、できねぇ…」

「どういう──」

「妹なんだってよ、五年前からの」

「はぁ!?」

「おかしーだろ? おかしーよな…? ぜってー。おかしいって!! ついでに、頭もおかしーんだ!!!」

「カ、カツ…?」

「おかしい! そうだ、おかしーんだ。俺がまともで、おかしーのはあいつだぁぁぁぁ!!」

(ダ、ダメだ…完全に壊れちまってる…)

 克己が壊れるなどよっぽどのことだと、慌ててキッチンに向かえば秀行は至って平然としていた。

「早かったな、今日は」

「あ、ああ…それよりカツが──」

 〝壊れてんだが…〟と言おうとした時、聞いた事のない声に遮られた。

「あぁ~~~~!!」

「どぅわっっっ!! な、なんだぁ…!?」

「直にぃ!?」

「直…にぃ…!?」

 オウムのように繰り返し、声のしたほうに視線を向ければ、ソファの脇から顔を覗かせる女の子が目に入る。

「直にぃ、だよね!?」

「あ~~~?」

「…だよね!?」

 わけが分からず、秀行に視線を送るが、肝心の秀行は我関せず。

(〝オレに聞くな〟ってか…?)

「直…にぃ…?」

「あ…? あ~~まぁ、直哉ではあるが──」

 〝直にぃと呼ばれる覚えはねーぞ〟と続けようとしたのだが、そんな間は与えられなかった。

「やっぱ、そうだ!! ちょー嬉しぃ~。秀にぃだけでも嬉しいのに、克にぃまでできたんだよぉ…。更に直にぃにも会えるなんて、サイコー♪ 今日って、絶対アレだよね?」

「アレ…?」

「そうっ!! ズバリ、スペシャルハッピーディ!!」

 ──と叫ぶなりジュニアを抱き上げ、またもやグルグルと回りだした。

 呆気にとられ、ただただ見守るだけの直哉。

 十回転もすると三半規管は機能を失い、サクラはソファに倒れこんでしまった。

「あぁ~~、グ~ルグル回って気持ち悪ぅ~。でも、気分はとってもフィールグーッド♪」

 目の焦点も合わず一人勝手にハイテンションを貫くと、倒れこんだ拍子に逃げ出したジュニアがその視界に入ったらしい…。

「ジュニアちゃ~ん、すっごーい!! 目、回さないのねぇ。ねぇねぇ、直にぃ、すごくない!?」

「ある意味、あんたもな」

「そぉ~~~?」

「ああ。──ところで、あんた誰?」

 普通なら〝よっ、久しぶり〟と声を掛けてきた相手に覚えがなくても、〝誰?〟とは聞かないだろう。相手に悪いと思うため、〝誰だっけ…〟と思いながらも適当に話を合わせる。そして遠まわしに会話で探り、記憶の片隅からそれが〝誰か〟なのかを引っ張り出すものなのだ。しかし直哉は違う。分からないものは〝分からない〟、忘れたなら〝忘れた〟と平気で口にする。前置きもなく、単刀直入に…だ。

 それまでケラケラ笑っていたサクラも、その一言には驚いた。

「直にぃ…覚えてないの?」

「ああ」

 とっても即答。ここまで即答されると、ある意味諦めもつく。

「そっかぁ~、やっぱ、覚えてなかったのねぇ~。ちょぉ~っぴり、ざ~んね~んだけど、ノープロブレム!」

 克己から説明とは言えない説明を聞いたが、所詮、壊れた克己の言葉だ。

 〝秀にぃ〟と呼ぶ以上は秀行も知っている相手なのだろうが、どう見ても教えてくれそうにはない。──ならば、最初から本人に聞いてみるのが手っ取り早いというものだ。

「──で、誰?」

「う~ん…答えてもいいけど、秀にぃはすぐに分かってくれたからなぁ…」

「秀行が…!?」

 〝まさか、ウソだろ…?〟と驚きの目を秀行に向けた。長い間親友をやってきた直哉には、秀行の知り合いで自分が知らないやつはいない、という自信があった。唯一知らなかったのは弟の存在だが、それは秀行自身が忘れていたため直哉が知らないのも当然のことだった。

「お…ぃ、秀行…?」

 何も言わない秀行に我慢できなくなって名前を呼べば、ある意味安心する返事が返ってきた。

「頼んだ」

(は、はは…やっぱな…。覚えてねーから、聞き出してくれってか……)

 あまりにも納得し過ぎて〝だったら、なんで覚えてねー相手を連れてくるんだよ?〟という疑問さえ浮かばない。

(それにしても…〝すぐに分かった〟って勘違いさせたっつーことは──)

「ムシりやがったな?」

「考えてただけだ」

「…で、いつものパターンか?」

「それに、プラスα」

「なにが?」

「観察中…」

(はは…なるほど…)

 短い会話で、ようやく秀行の考えを知った直哉。

 つまり、こういう事だ。

 誰だろうと考えたものの、やはりと言うべきか覚えておらず、そのうち考えるのが面倒臭くなって考えるのをやめた。そんないつものパターンの流れの中、秀行のアンテナに引っかかった相手をただ今観察している…というプラスαの行動がついたという事だった。

(──ったく、ほんと、お前には飽きないぜ)

 苦笑と共に溜め息をついていると、サクラもソファの上で〝う~ん…〟と唸っている。

「おぃ…?」

「よぉ~し。決めた!」

(きーちゃいねぇな…?)

「じゃぁ、第一のヒ~ント♪」

「は…?」

「チェリーブロッサムとは?」

「──んだぁ?」

「だから、チェリーブロッサムだってば。英語のチェリーブロッサム。日本語に訳すと?」

「桜だろ?」

「ピンポーン♪ それがあたしの名前ね」

「…………」

「あ、サクラは漢字じゃなくてカタカナよ」

「あ…そ…」

「じゃぁ、次ぃ! 第二のヒ~ント♪」

「…………」

「遠山の○さんと言えば?」

「…桜…吹雪」

「ピンポン、ピンポン! 正解~!!」

「…………」

「じゃぁ、次ね。歩けば棒に当たるのは?」

「……犬」

「ピンポン、ピンポン、ピンポン!!! 大正解~♪」

(なにが言いてぇんだ…?)

「分かったぁ、直にぃ?」

「分かるか!」

「れれれぇ…ダメなの?」

「……………」

「──っかしーなぁ」

(どこがだ!? おかしーのはてめぇの頭だろ…)

 ──と突っ込んでこの会話を終わりにしたい所だが、〝頼む〟と言われてはそれも無理。これで結構、律儀なのだ。

「…他にヒントは?」

「う~ん、じゃぁ…DNA鑑定は?」

「D…NA…?」

「そっ、DNA鑑定」

 〝これで分かるでしょ?〟と胸の前で腕を組む。

(DNA鑑定って─…確か秀行がよく使ってた言葉だよな?)

 再びキッチンに目をやると、さっきまで動いていた秀行の手がピタリと止まっていた。

(何か思い出したか…?)

「──ねぇ、まだ分かんない?」

 思った以上に反応が悪い、とサクラの機嫌が崩れだす。

「あ…ああ、ワリーな。もうちょい、ヒントくれ。とっておきのヒント、あるんだろ?」

 これ以上機嫌が悪くなっては喋ってもらえなくなる…と判断して、ここは一つ下手に出た。しかも〝とっておきのヒント〟と言われたら、大概の子供は意気揚々とするものだ。

 案の定、サクラの機嫌も一気に直った。

「じゃぁ、これが最後ね。ラースト・チャーンス・ヒーント♪」

「よろしくぅ~~~」

「ズバ~リ、〝紙切れ一枚に価値はねぇ!〟」

 〝どぅお?〟と付け足し腰に手を当てれば、数秒後、直哉が叫んだのと秀行の手が動いたのは殆ど同時だった。

 ──つまり、思い出したのだ。

「あぁ~、よかったぁ。思い出したのね、直にぃ?」

「あ…ああ、まぁ…。いや…でも、お前…はなっつー名前じゃなかったか…!?」

「あぁ~、あれはニックネームよ、ニックネーム」

「はぁ…!?」

「だって、サクラは花でしょ? 自己紹介する時、サクラはカタカナ…ってゆーの面倒なんだもん。だから総称して、はな…って言ってたの」

「…………」

(ますます分かんねぇ…。書類に書くわけでもなし、いちいち〝サクラがカタカナ〟だなんて説明は要らねーだろ? それに総称ってなんだぁ? ニックネーム程度なら、〝さっちゃん〟で十分じゃねーか!? だいたい総称して〝はな〟にしたら、それが漢字かそうでないかの説明が要らないってゆー、その根拠が分からん…)

「どうしたの、直にぃ?」

 サクラが、呆然と立ち尽くしている直哉を心配して覗き込む。しばらくして目が合えば、〝よかった〟とにっこり微笑んだ。

(なにが〝よかった〟だ…)

「秀行…」

「ああ?」

「貸し、一つだからな?」

「…分かった」

 克己の究極バージョンなら疲れるのは当たり前。よく、キレずに聞き出したと褒めてもらってもいいぐらいだ。

(カツが壊れるのもムリはねぇ…)

「ねぇ、直──」

「あぁ~~、オレ、メシ作るから勝手に遊んでろ」

 これ以上付き合うのは勘弁してくれと、サクラの呼びかけを遮った。

「何でもいいの?」

「ああ、何でも。本でもいいしゲームでもいーぞ」

「へぇ~い。了解しやしたぁ、サー!!」

(サー?)

 キッチンに入りサクラをチラリと見やれば、上官に命令された兵隊の如く手を額にかざしていた。そしてクルリと背を向けると、本ではなく一目散にゲームソフトを物色する。

「なぁ、秀行…」

「なんだ…?」

「あいつ、あんなんだったか?」

「さぁな。──けど、変わるもんだろ?」

「そーだけどよ……せめて、もーちょいカツ寄りなら…」

「そうか? アレで丁度いいと思うがな…」

「どこが…?」

「少なくともカツにはいい」

「なんで?」

「カツが兄貴風吹かせられるのは、アレぐらいだろ?」

「それって…つまり、アレぐらいのレベルじゃねーと成長しねーってことか?」

「ああ。自分のことがよく見えるからな」

「人の振り見て我が振り直せ…ってか?」

 秀行が頷いた。

「気付くか、あいつが…?」

「可能性は低いな」

「はは…だったらダメじゃん」

「でもまぁ、仲良くなるとは思うぞ」

「あぁ~、そりゃ、オレも同感だな。ただ──」

「ただ…?」

「かなぁ~り参ってるぜ、今の段階で」

「慣れるさ」

「簡単だな?」

「ああ。面倒クセェだろ、考えるの」

「そりゃ、そうだ」

 かなり無責任な会話だが、今に始まったことではない。変わった人間が集まるこの場所で、〝普通〟を求める方が間違っているというものだ。

(頑張れよ、カツ)

 直哉は、食事を作りながら直哉は心の中でエールを贈った。



 夕食が出来上がると、サクラが玄関に突っ伏したままの克己を引きずりテーブルの前に座らせた。

「もぉ~。しょーがないなぁ、克にぃは。ほら、食べようよ。おいしそーだよ♪」

 そう言って、箸を目の前に差し出す。

 ウンザリした顔で箸を受け取る克己は、何か言いたげだ。

「なぁに?」

「ウマいんだ」

「…なにが?」

「おいしそーじゃなくて、ウマいんだよ。ヒデの料理は!」

「へぇ~、そうなんだ。──じゃ、そんな顔しないで食べようよ♪」

「……………」

「ねぇねぇ、知ってる?」

「知らねー」

「豚のしょうが焼きって、疲れにはいいんだよねぇ~。いっただきまーす!!」

 〝きいちゃいねーな〟と言いそうになったが、〝疲れにはいい〟という一言で〝いただきます〟の言葉に早変わり。精神的な疲れに効くはずもないが、今の克己にはどっちでもいい。とにかく疲れにいいなら食べるだけだと、目の前の豚肉にがっついた。事実、御飯を食べれば幾分元気を取り戻した。もしかすると疲れの殆どは空腹のせいだったかもしれない、と思ってしまうほどだ。

「──それで、吹雪は元気なのか?」

 あの時の犬が吹雪と名付けられたことを悟り、直哉がその後の状況を尋ねた。

「うん、元気だよ。お母さんも同じように可愛がってくれてるし」

「そうか、よかったな。──芸とかは教えたか?」

「うん、教えた」

「なにを?」

「えっとねぇ~。お座り・お手・お代わり」

「それだけ?」

「そっ、それだけ」

「ジュニアと同じだな」

「え…ジュニアもするの?」

「ああ。カツが教えたぜ」

「へぇ~、すっごぉ~い!! 克にぃ、ソンケー♪」

 目を真ん丸くさせ素直に尊敬の眼差しを送れば、克己だって悪い気はしない。

「──んなの、わけねーぜ」

 〝すごい、すごい〟と褒め称えるサクラと、気分のいい克己。そんな二人を見て秀行と直哉が思うのは……。

(すごいのは、ジュニアだと思うがな…)

 ──だった。

「あ、でもね。教えてないこともするよ」

「なんだよ?」

 直哉の代わりに受け答えしたのは克己。

「ズバリ、吹雪は消防犬!」

「は…?」

「火の付いたタバコを見つけたら、オシッコかけるの」

「なっっっ……マジッ!?」

「うん。それも、百発百中だよ。ちゃ~んと、火種に命中するんだから♪」

 サクラの言葉を信じられないという面持ちで聞いているのは克己だが、直哉は大爆笑だった。もちろん秀行も吹き出している。

「どぅわはははははははー!! やってくれるじゃねぇーか!! らしいぜ…いや、マジ…らしすぎる……!!!」

 〝なぁ、秀行?〟と問い掛ければ、秀行も〝ああ〟と頷いた。

 状況把握が出来ていないのは自分だけだと悟り、克己は慌てて説明を要求した。

「ヒ、ヒデ…な、なんだよ…!? 俺をのけ者にするな…。や、山ちゃん…? なにが、らしいんだよ? 説明してくれ!!」

「あ~、分かった、分かった。教えてやるのはいーけど、これはやっぱ、サクラからの方がいーだろ?」

「なに…?」

「え…サクラでいいの?」

 直哉にふられ、キラリンと目が輝く。

 出来るなら秀行か直哉に説明して欲しいものだが、多分、おそらく…絶対と言っていいほど、する気なしだ。故に、素直に頼む。

「教えてくれ、サクラ…」

「うん、いーよ♪ えっとねぇ──」



 時は五年前の夏。

 はな(=サクラ)十一歳、秀行・直哉共に十八歳の春だった。

 子犬を胸に抱いていた少女は最後にもう一度ギュッと抱きしめて、ようやく足元のダンボールの中に戻した。

 学校帰りに子犬を見つけ、飼いたいと家に連れていったものの──よくある話で──親に断られたのだ。〝元の場所に戻してきなさい〟と言われ渋々戻ってきたところ。

「ワンちゃん、ごめんね…。お母さんがダメだって…」

「クゥ……」

 小さく震えながら見上げる瞳は、とても愛らしく、そしてとても悲しげ。それを見て、少女の目にも涙が溢れてきた。

「誰かいい人に拾ってもらってね。それまで毎日ここに来るから…」

「……クゥ……」

 幼いながらも、自分の非力さを知るのはこういう時なのだろうか。悲しいやら悔しいやらで、少女は涙を流しながらその場を走り去っていった。そんな姿を少し離れて見ていたのは、学校帰りの秀行だった。普段なら、〝目に入った〟としても〝我関せず〟で、気にも留めないようなことなのだが、その頃は母親が亡くなって一ヶ月ほどしか経っていない時期で、悲しげな目や涙…そして孤独な子犬の運命などが妙に気になり、〝目に入って〟からずっと〝見ていた〟のだ。

 少女が去った後、ダンボールの前で子犬を見下ろす。

(飼ってやろうか…)

 ──と思ったものの、ナチュラル派なだけに考えてしまう。

(仕方がない。しばらく様子を見てみるか…)

 とりあえず〝様子見〟という判断を下すと、その日は家に帰ることにした。


 翌日、秀行は同じ少女を目にした。給食の残りだろうか、半分のパンを子犬に与えている。

 翌日も、そのまた翌日も…。

 ランドセルを背負った少女は、毎日その子犬のところに顔を出していた。


 そして休日──

 パチンコに向かった秀行は、二万円ほど儲けて店を出た。帰る途中にいつもの場所を覗くと、子犬だけがまだそこにいた。

(わざわざ休みの日まで来ないよな…)

 秀行はしばらく考えてから、近くのコンビに入ってパンと牛乳と紙皿を買ってきた。

 ダンボールの前でしゃがみこむと、子犬は見覚えがない顔に困惑する。不思議そうに首を傾げるが、与えられたものが食料だと分かるや否や途端にがっついた。

 パンを食べて牛乳を飲んでいると、何かの気配を感じたのか、不意に顔を上げた。その瞬間、目はキラキラと輝き、それまで殆ど動かなかった尻尾が、うるさいほどパタパタとダンボールを打ち付けて音を立てた。

 何事かと振り返れば、同じように食料と飲み物を持った少女が目に入る。

(来たのか…)

「おにーちゃん、このワンちゃん飼ってくれるの?」

 ようやく飼ってくれそうな人が現れた、と目を輝かせる。その目を見た秀行は、ややあって小さく呟いた。

「…いや」

「ダメ…なの?」

「ああ。オレの家では飼えない」

「そう…」

 僅かな希望が砕けた少女は、途端に沈んでしまった。

 別に飼えないわけではない。実際、アパートでのペット飼育は禁止だが、秀行にとってどうでもいいルールだった。ナチュラル派でも、このままずっと飼い主が見つからなければ飼ってやってもいいか…ぐらいには思い始めていたからだ。ただ子犬の反応を目の当たりにすると、〝飼えない〟と思った。少女は子犬を、そして子犬は少女を望んでいると分かったからだ。

 しばらく沈黙が続いていたが、不意に少女が口を開いた。

「おにーちゃんの名前、なんてゆーの?」

「知らないやつに教える気はないな」

「え…?」

 初めての反応に、少々驚く。

(聞くなって事なのかな…? それとも黙れってこと?)

 意味が分からず困り果てていると、再度違う言葉がかかった。

「相手を知りたい時は、自分のことを話してからだ」

 それが十一歳の子供にとって分かりやすい言葉なのかは分からないが、少なくともその少女は理解した。

「あ…えっと…あたしは、サ…は、はなってゆーの」

「そうか。オレは秀行だ」

「ひで──」

 名前を繰り返そうとした時だった。秀行のすぐ横から、何か赤いものが横切ったのが見えた。そしてそれは、〝ポトッ〟という音を立てて子犬が座っているダンボールの中に落ちていった。まだ火種の付いた、秀行にとってはとても見慣れた物。どうやらそれは、後ろを通り過ぎた高校生二人組みの落し物のようだった。

 ゆっくりとそのタバコを拾った秀行は、無言のまま高校生の後をつけた。二十メートルも歩けば、秀行にとってベストな場所。そこに辿り着いた時、ようやく秀行が声を掛けた。

「なぁ…?」

「あぁ?」

「あんたの落し物、拾ったんだけど?」

「あ、あぁ…そうか。ワリーな」

 後ろから呼び止められ、条件反射の如くガンを飛ばし振り返った男。しかし親切にも〝落し物を拾った〟と聞いて、表情が柔らかくなった。ところが──

 差し出された物を目にして、その一変する。

「お…ぃ、何のマネだ?」

「別に。ただ落し物拾っただけだけど?」

「はっ! バカか、おめぇは!? それは落としたんじゃなくて、捨てたんだよ」

「だったら、捨てる場所を間違えただけなんだな?」

「はぁ!? お前、何言って──」

「あぁ~~、もうほっとけって」

 面倒くさいとばかりに、もう一人の学生が止めた。

「頭イカれてんだろ、こいつは」

「はは…そうか、そうだな」

「ま、言っても分かんねーかもしんねーけど教えてやるよ、にーちゃん。俺らは、捨てる場所なんてこれぽっちも間違っちゃいねーの。なんてったって、地球は大きなゴミ箱だから。分かる、この意味?」

 〝分かんねーだろーな〟と二人してバカにした笑みを浮かべたが、秀行は逆に安心したような笑みを浮かべた。

「なるほど。バカだから分からないと思ってたが、ちゃんと自分の事は分かってるんだな」

「あぁ?」

「ゴミ、だって」

「──んだと!?」

「地球が大きなゴミ箱なら、そこに住んでる自分もゴミってことだろ?」

「てンめぇ──」

 反対にバカにされ今にも殴りかかろうとする男だったが、僅かに冷静さを保っていたもう一人の男に制された。

「いい度胸してんじゃねーか、あんた?」

「そりゃ、どうも」

「その度胸に免じて、落し物受け取ってやるよ。──けど、せっかく拾ってくれたわけだから、お返しはしなきゃなんねーよなぁ?」

 さっきまで怒り心頭だった男が、最後の一言で冷静さを取り戻した。

「おぉー、そうだな。お返しは一割…だったっけぇ?」

「ああ。でもその一割っつったら、どー分けりゃぁいいかねぇ?」

「そーだなぁ。まっ、火種ぐらいでいーんじゃねーの?」

「いいねぇ、それ」

 面白そうにニヤニヤしながら話す二人。

「どうよ、にーちゃん?」

「いらないな」

「はっ! 遠慮すんなよ?」

「別に。こんな時の遠慮はハナからしない主義だ。ただ、別のもなら貰う」

「へぇ、面白い。──なんだ、言ってみろよ?」

「心」

「は?」

「心だ」

 いたって真面目に答えれば、男たちは〝ぶはっ〟と吹き出した。

「は! あはは…あははははは…!! お…おい、聞いたか? こ、心だってよ…!?」

「あー、聞いた聞いた。ぶわぁははは……わっけ分かんねー、こいつ。完全に頭イカれてるだろ!」

「一度、病院で見てもらったほうがいーんじゃねーのぉ?」

「いやー、ムリだろ、それ。ぜってー、不治の病で治らねーって言われるさ…!」

「あはは! 確かにな!」

 止みそうにない陳腐な会話に、秀行はウンザリした。

「そんなに面白いか?」

「ああ、面白いね。あまりにもバカ過ぎて笑いしか出てこねーよ」

「そうそう。オレらをナメるのもいい加減にしねーと、後悔するぜ?」

「それはどうだろうな」

「あぁ!?」

「後悔するのはそっちだと思うが?」

「ンだと──」

 あまりにも冷静で自信たっぷりな口調が、男たちの感情を逆なでしたようだ。面白くないと、男が秀行の胸ぐらに掴みかかったその時だった──

 秀行の背後から聞きなれた声が聞こえてきた。

「おぉー。秀行、何やってんだぁ?」

 秀行は僅かに顔だけを後ろに向けると、右手を上げて手首だけを動かすジェスチャーをした。

「あ~らら。ポイ捨てしちゃったの?」

 その質問は、明らかに秀行以外の男に向けられていた。

「──んだ、てめぇは!?」

 掴んでいた胸ぐらを勢いよく離すと、新たに現れた男にガンを飛ばした。

「オレ、フェア主義なんだよねぇ。だから、名前のあるヤツにしか教えたくねーんだ」

「──んだと!?」

「──にしても、おたくら運が悪かったねー。よりによって、秀行に見つかっちまうとは。素直に言う事聞きゃぁいいけど…その様子じゃ、ダメだったみてーだし。──まっ、だけどオレってば優しーから一つだけ忠告してやるよ。〝心〟をどーするとかいう言葉が聞かれた時は、それ以上反論しないほうがいいぜ?」

「はぁ…!?」

「手遅れだな」

「な…マジ!?」

 秀行の言葉に、忠告した男がわざとらしく大げさに驚いた。

「そりゃもう、救いよーがねぇや。なんてったって、精神破壊にかけちゃぁ、プロ並みだもんなー」

 そんな言葉に不満げな顔したのは秀行だった。

「直哉」

「ああ?」

「〝並み〟は余計だ」

「おっ、そーか。そーだよな。ワリー、ワリー♪ ──でもよ、ほんっと相変わらずだな、お前って」

「なにが?」

「毎回毎回、こぉーんな場所の前でよぉー」

 ──と左を見れば、小さいながらもれっきとした公務員が働く交番があった。

「オレにとっては、ベストな場所だからな」

「まぁな~」

 それまで押され気味に秀行たちの会話を聞いていた二人だったが、直哉の一言で交番を目にすると、再び自信ありげな笑みを浮かべた。

「なぁ、おめぇらよ?」

「なんだ?」

「この状況で、サツに見つかったらどっちが疑われるんだろーなぁ?」

「そりゃぁ、どっからどー見ても、秀行だわな?」

 未だ秀行が手に持っているタバコを見て、直哉は当たり前のように答える。それに対し、秀行も人事のように〝そうだな〟と答えた。

「ほぉ…。分かってんじゃん。じゃぁ、このまま、そのドアくぐるか?」

 意気揚々と笑みを浮かべた男たちだが、更に余裕な笑みを浮かべて答えたのは直哉だった。

「いいぜ。その代わり、捕まるのはあんただけどな」

「はっ! お前、バッカじゃねーの!? 現行犯だぜ、現行犯。火も付いてんだから、言い訳なんて通るかよ!?」

「──ったく。バカはどこまでいってもバカだから、嫌いなんだよなぁ、オレ」

 直哉は本当に嫌そうな顔をした。

「──んだとぉ!?」

「あんたらさぁ、外見は現代人でも、ノーミソは原始人並みだよな?」

「んだと、こらぁ!?」

「直哉…」

「なんだ?」

「だから〝並み〟は余計だって言ってるだろ。何度も言わせるな」

「あ~、ワリーワリー。オレってば、どっか優しーからよぉ~♪」

「それはオレが優しくないってことか?」

「あぁ~まぁ…なんだ、その…遠からずとも、近からず…って感じかな」

「なら、オレはどうすればいいんだ?」

「あ~~、そうねぇ。──んじゃぁ、今回だけは精神破壊すんのやめて、この原始人ノーミソに教えてやれば? どうせ、精神破壊しちまったら使い物になんねーし、社会にとっては、めーわくなだけだろ?」

 〝まっ、別にどうでもいいんだけどさ〟と言うぐらいの軽い口調に、秀行も小さな溜め息を付く。

 乗り気ではないが、直哉の言う通りこれ以上社会に迷惑をかけられても困りものだ。

「──仕方ないな」

「おぉ! マジ!? 珍しぃーねぇ。──おい、お前ら。これから、秀行がタメになる話をしてくれるってよ。ぜってぇ損はしねーから、ありがた~く拝聴しな」

「なん──!?」

「今の時代、唾液だけでDNA鑑定ができるなんて、小学生のガキでも知ってることだ。──以上」

 荒げた声を遮りそう言うと、火種の付いたタバコをそのまま男のポケットに突っ込んだ。

「────!!」

「お前らしい、短い講義だな?」

「長いのは──」

「面倒くさい、だよな?」

「あぁ」

「うっし! そんじゃまぁ、行くか?」

 肩を叩けば、秀行も〝あぁ〟と頷く。背を向けて歩き出した二人だったが、残された男が黙っているはずもなく。

「──んのやろぉー!!」

 力いっぱい握った拳を秀行の後頭部めがけて打ち込もうとすると、もう一人が直哉の肩を掴んだ。しかし、次の瞬間──

 秀行は直哉の肩を掴んだその手をとり、一瞬にして自分がいた場所へと引っ張り出した。当然のことながら、後頭部めがけて打ち込んできた味方の拳がその男の頬に命中する。一方直哉は、同時に後ろを振り返りながらも、既に秀行を狙った相手に拳の照準を合わせていた。

 つまり秀行は直哉を狙った相手を、そして直哉は秀行を狙った相手を何の迷いもなしに攻撃したのだ。しかも、計ったように僅かなズレを考えて…。

 味方の頬を打ち込むより直哉が放った拳のほうが早ければ、二人同時に撃沈することはないのだが…。

 なにぶん、秀行は面倒臭がりだから二度手間を嫌う。だからこそ、僅かなズレは必要だったのだ。

「そっちはどうか知らねーけど、オレの方は手加減したからありがたく思えよ?」

 敵に向かって繰り出した拳だ。手加減などあるはずもない。故に、それを食らった味方は既に意識が飛ぶ寸前だった。

 この時になって、ようやく男達は自分達の間違いに気が付いた。表情のない冷たい眼の男と、表情はあるものの鋭い眼差しの男。見た目だけなら陰と陽だが、眼は同じものを持っていた事に。

「あ…れが…表裏一体の二人……」

 意識のある男が震える声でボソリと呟けば、秀行の耳にも直哉の耳にも届いてくる。しかし、二人は振り返りもせず家に向かう。

 ただし、秀行だけは少々不満気だった。

(もう少し、マシなキャッチフレーズはないのか…?)



 翌日、学校帰りのはなは、いつものように給食のパンを与えていた。そこに秀行と直哉が通りかかった。

「あの犬、まだ飼い主が見つからねーんだな?」

「ああ…」

「あの子も諦めて飼えばいーのに…」

「……………」

 飼いたいけど飼えない理由はいくつかあるものだ。それを確かめようと、秀行は珍しく自分から話しかけた。

(名前も知ったしな…)

 その行動に直哉は少々驚いていた。

「はなの家は飼えない所なのか?」

「え…?」

 突然の声に驚いたのもあるが、質問の意味が分からなくて聞き返した。

「飼えない…?」

「つまり、動物の飼えないようなアパートに住んでんのかって事だ」

「あ…う、ううん。普通の家だよ」

「庭は?」

「ある…」

「他に飼ってる動物は?」

「犬が一匹…」

「そうか。じゃぁ、二匹目がムリって事か?」

「ううん…そうじゃないんだけど…」

「じゃぁ、なんで反対してんだ、親は?」

「血統書付きじゃないから、だって」

「…………」

「血統書って、そんなに大事なものなのかな?」

「…どうだろーな」

「……………」

「お前は、どうしたい? 自分が飼いたいのか、それとも誰かに飼ってもらえたらそれでいいのか」

「え…と…」

 はなはしばらく考えた。子犬にとっては〝飼いたい〟という人が現れればそれでいいのだろうが、飼うのが自分じゃなくてもいいのかと問われれば、そうじゃないと思った。

「飼いたい…。あたし、このワンちゃんが飼いたい…」

「そうか。じゃぁ、家に帰ったら〝証明書〟と名のつく紙を全部集めて、親の目の前で燃やしちまえ」

「え…!?」

「おい、秀行──」

「それでも飼ってくれねーなら、オレが飼ってやる」

「ほんと…?」

「ああ」

「秀行! おまっ…なんちゅーことを……信じたらどーすんだよ!? ──お、おい…お前もマジに取るんじゃ──」

 何が良いか悪いかの判断は自分で出来る年頃だろうが、それで犬が飼えるなら迷わずやってしまうのが子供の怖いところ。それを心配して止めようとした直哉だったが、時既に遅し…だった。

「分かった…」

 〝聞く耳持たぬ〟ぐらいの目をして、はなは家に帰っていったのだった。

(し、知らねーぞ…秀行…?)




「──と言うわけよ」

 一通りの話が終わり、サクラはコップのお茶を一気に飲み干した。

「お…い…?」

「なに、克にぃ?」

「〝なに〟じゃねーだろ? 〝──と言うわけ〟ってどーゆーわけだ!? ちゃんと最後まで説明しろ!!」

「だからぁ。今、その犬はサクラの家で飼われてるし、あーゆーことがあったから、タバコのポイ捨てには厳しいのよ、吹雪はぁ」

 克己が頭の中を整理する間、秀行も直哉も黙っていた。しばらくして全てを理解した頃には、サクラは既にゲームに夢中になっていた。

 けれど、敢えて確認してみた。

「な、なぁ…ヒデ?」

「なんだ?」

「つまり…証明書と名の付くものは、全て親の目の前で燃やしちまったってことだよな…?」

「ああ。燃やされてヤバイものもあったみたいだが、まぁ、問題ねーだろ」

「そんな無責任な…」

「まぁ、確かにオレも最初はそー思ったけど、大事なことにも気付いたぜ?」

「どこがだよ、山ちゃん!?」

「証明書なんてもんは、結局ただの紙切れだってことさ」

「ただの…紙切れ…?」

 直哉が頷いた。

「大衆を納得させるには必要な証明書かもしれねーが、それがなくなったからって、そのものの価値がなくなるわけじゃねぇんだ。親子だって証明するものがこの世からなくなっても、親子には変わりねーだろ?」

「そりゃ…」

「ダイヤモンドの証明書がなくなったからって、それがダイヤモンドじゃなくなるか?」

「いや…」

「血統書の証明書がなくなれば、その時点で雑種になっちまうなんてバカげてるだろ?」

「あー、それはまぁ…」

「だったら、証明書って一体なんなんだ?」

「何って─…ただの…紙切れ…?」

「そーゆーこと。血統書があるからって飼っていた犬を、書類がなくなったから捨てれるようなものじゃねぇだろ? それが、そいつにとって本当の価値ってもんなんだよ。つまり、紙切れ一枚に価値なんてねぇってことさ」

「じゃぁ、それをサクラの親も気付いたってことか?」

「そーなるな」

「へぇ…。ヒデはそこまで考えたのか…」

 ほぼ独り言のように納得すれば、

「まぁ、半分はな」

 ──と返ってきた。

「半分…?」

「ああ」

「んじゃ、もう半分はなんだよ?」

「そりゃ、お前…いつものことだろ…」

「いつものって─…」

 ──と考えてすぐにハッとした。

「まさか、説得させる方法を考えるのが面倒臭かったってんじゃ──」

「当たりぃ~!」

「マ、マジかよ!?」

 〝信じられねー〟と秀行を見れば、〝何か間違ってるか?〟とでも言うような目。

(は、はは…さ、さすがヒデ…ってゆーべきか…?)

 今やサクラがタバコ一本で絡んでいたことも、座右の銘の意味も、そして吹雪が消防犬になった事も全て理解できた。

「それにしても、ヒデって結構喋んだな。普段もそれぐらい喋ればいーのに」

 純粋に感じた事をボソッと言うと、克己は自分の背中越しにゲームと奮闘しているサクラの所へ合流しにいった。

「おぉー!! おまっ…ひょっとして、このコース優勝したのか!?」

「そうだよ♪」

「ここ、けっこー難しいんだぞ?」

「うん。だからファイトしてみた」

「ファイトしてみた…って…。お前、ひょっとしてこういうゲーム好きなのか?」

「大っ好き!」

 サクラがやっているゲームは、克己が所持するゲームソフト。オートバイレースだった。しかも難しいコースを優勝されれば、負けず嫌いの克己が闘志を燃やさないはずがなく…。

「よし! ──んじゃ、オレと勝負だ!」

「ほんと!? 克にぃ、強い!?」

「あたぼーよ!」

「やったぁー!! 他の友達、サクラとやってもみ~んな負けちゃって、つまんないんだよねぇ~」

「へぇ。けどオレには勝てねーぜ?」

「う~ん。でもファイトする!!」

「おっしゃぁ! かかってきやがれ!!」

「おぅ~!! 久々にバーニングしてきましたぁ。サクラちゃん、スペシャル・ワンダッフル・ハッピーディに、どどぉ~んといきまーす!!!」

 結局、克己とサクラの勝負は五分五分に終わるのだが、秀行の相手が直哉にしか出来ないように、克己の相手はサクラしか出来ないと分かるのは時間の問題だった。


「なぁ、秀行?」

「ああ?」

「カツの目の付け所って、やっぱ、違うよな?」

 もちろん、その会話の理由は〝ヒデって結構喋んだな。普段もそれぐらい喋ればいーのに〟という、克己の言葉だ。

「まぁ、だから一緒にいられるんだがな」

「面白くて、飽きねーってか?」

「ああ」

「ンじゃ、オレは?」

「お前も同じだ」

「そっか♪ ──オレにとっちゃぁ、お前も同じだけどな」

「それは喜んでいいのか?」

「──ったりめーだろ。オレだって嬉しーんだからよ♪」

「フム…」

(よく分からないが、まぁいいか…)

「でもよ、結局カツも気に入ったみたいだし、良かったよな?」

「面白いからな、サクラも」

「──ったく。それしかねぇんだよな、オレらって」

「十分だろ?」

「…まぁな」

 なんだかんだ言っても、結局この集まりは楽しい。飽きもしないし、最高だと思える。それだけで十分だろう。

「──タバコ、吸うか?」

「ああ…」

 灰皿を手にしてベランダに出れば、冬も近いと思わせる澄んだ空。いつの間にか風も冷たさを含んでいた。

 僅かに開けた窓からは、ゲームに奮闘中の二人の声が漏れてくる。それを聞きながら、秀行たちは夜空に向かって白い煙を吐き出した。

「オレらって、いつまでこんなことしてんだろーな?」

「永遠だろ?」

「マジで?」

「少なくとも、オレがカツの兄貴である以上は続くな」

「あ~、そうねぇ…。んじゃ、オレはどーなのよ?」

「お前の場合…? そうだな…オレの唯一のダチである以上、続くんじゃねーか?」

「あぁ~、なるほど。そりゃ、間違いなく永遠だわ」

 〝永遠〟も〝唯一のダチ〟も、秀行の口から聞ければ嬉しいものだ。直哉は上機嫌でドーナツ型の煙を作って遊び始めた。

(ほんっと、分かりやすい性格だな、お前も)

 喜ぶ顔が近くで見れれば、秀行の気持ちも柔らぐ。

 二本目のタバコに火を付ける頃には、ジュニアがクーラーの室外機の上で寝そべっているのに気が付いた。家の中は騒がしい…と、ベランダに非難してきたのだろうか。うるさい奴がもう一人増えたとウンザリしているのかどうか…それを伺い知ることは出来ないが、少なくとも〝にぃず似〟である以上、心配することはないだろう。

 〝これから先はもっと面白くなる〟

 ここにいる誰もがそう思えたからだった。

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