6 秀行危うし…?編 ※
『──完』
最後の一文字を目にして、秀行はパタンと本を閉じた。一段落してふと時計を見れば、二十二時。
(茶漬けにでもするか…)
面倒臭そうに、鍋を火にかけると、茶碗に御飯と茶漬けの素を入れた。湯が沸く間、ジュニアにも夕飯を与えようとキャットフードを見せれば、いつの間にか習得した芸を披露する。
『お座り・お手・お代わり』
──だ。
(努力の賜物だな…)
──と頭を撫でたが、すぐに〝どっちの?〟という疑問が浮かび苦笑した。
お湯が沸いて用意された茶碗に注ぐと、秀行はテレビの前に座りリモコンの電源を押した。映し出される映像をまともに見ることなく、適当にチャンネルを変える。けれど、特に興味を惹かれるものがなかった。
(いつも何を見てたんだ?)
──と自分に問いかけるが、正直あまり覚えていなかった。
リモコンの定位置はいつも克己の手の中だ。コマーシャルになるたび、チャカチャカとリモコンを弄っては、番組を走りわたる。それでも見たいものはちゃんと決まっているので、間違いなくいつも同じ番組を見ているはずなのだが…。秀行は、いつも見ているものが何なのか思い出せないでいた。
音楽番組はやたら声の高い歌手ばかりで、お世辞にも〝上手い〟とは思えないし、バラエティーも同じネタを繰り返すのが殆どで変わり映えがしない。ドラマなんかはよくあるストーリーで、〝甘っちょろい〟から元々見る対象からは外れていた。ニュースも新聞を読めば事足りるため速報や特番意外は聞き流していたのだ。
(ま、いっか…)
〝なぜ、普段何も思わずテレビを見ていたのか?〟
──という疑問も、既に秀行の中では面倒臭い思考だ。
ただひとつ分かっていることがあるとすれば、〝テレビ番組に興味がなかった〟という事だけだろう。
とりあえず、御飯を食べる間だけ見もしないテレビを流し、食べ終わるとすぐに切った。そしてついさっき読んだ本をしまい、違う本を手に取ってみたのだが、それ以上読む気にはなれず元の場所に戻してしまった。
好きな時に好きなだけ本を読む──
読書好きな者にとって、これほど幸せなことはないだろう。事実、秀行も数年前まではそうだった。しかし克己と住むようになってからは、その幸せなことも出来なくなった。──とは言え、克己の言動・行動が面白かった為、本が今まで通りに読めなくなっても苦とは思わなかったのだが…。
克己が、強化合宿と言って家を出たのは三日前だった。部屋が静かになり、久々に戻ってきた秀行だけの時間。学園祭の日に貰った図書券で買えるだけ買い込んだ小説を、ようやく読める日がきた…と、まともな食事もせずに読書に夢中になっていた。ところが最初こそよかったものの、三日目になると飽きてきた。──いや、正確に言えば、つまらない。そして、物足りないのだ。
(明日は日曜日か…)
おもむろに電話の子機を手に取った秀行は、暗記している携帯の番号を押した。
二回目のコールで出たのは直哉。
『もっしもぉーし。どうしたぁ?』
携帯は電話番号が出るため、誰からの電話かすぐ分かる。
「直哉…」
『ああ?』
「やりたいんだが…」
『…………』
突然の言葉にすぐには返事も返ってこない。
「直哉…?」
『あ、ああ。きーてるぜ。──それって今からか?』
「別に用事があるならムリにとは──」
『あるわけねーだろ』
即答だった。更に電話口では〝あったとしても断るしな〟と、ボソッと言うのが聞こえた。
『けど、カツは大丈夫なのか?』
「三日前から合宿で、来週の土曜日まで家にいない」
『マジッ!? そりゃ、好都合じゃねーか!』
「──だろ?」
『よっしゃぁ。んじゃ、今からすぐ行く!』
「悪いな」
『なぁ~に言ってんだよ。お前とオレの仲だろぉ?』
「そうだな」
『じゃ、あとでな』
「ああ」
秀行の返事と共に電話は切られた。
(あと二十分…いや、この時間なら十五分ぐらいか…)
秀行も静かに受話器を置くと、ベランダでタバコを吸いながら直哉を待つことにした。
予測通り、十五分後には直哉が現れた。
「よっ!」
「悪いな…」
「いいって事よ。明日は休みだしぃ。──それより、寂しかったんだろ?」
〝どうだ、図星だろ?〟
──と問われ、〝寂しい?〟と頭の中で繰り返してみる秀行。数秒考えた後、出された答えに納得。
(ああ…そうか。この物足りなさは寂しさなのか…)
「秀行…?」
「あ…? ああ、そうみたいだな…」
〝みたい〟と返され、思わず苦笑してしまう直哉。
(気付いてなかったのかよ…?)
「どうした?」
「いや、別に。相変わらずの天然だと思ってな…」
「そうか…?」
「ああ」
「フム……」
(それに、思ったより子離れできねー性格だとも、な)
克己は、ようやく電話ボックスを見つけた。
(──ったく、ヒデのやろう。今どきみんな携帯だぞ? 世の中だって、現状に沿って電話ボックスの数も減ってんだからな!)
克己も数年前までは携帯を持っていた。しかし、秀行と一緒に暮らすようになってからというもの、〝携帯不許可〟の指令が出たのだ。
別に断固禁止…というものではなく、正確には、
『新しいものは買わない。欲しければ自分で買え。携帯料金も自分で払え』
──と言われたのだが…。
扱いが乱暴な上に物をよく失くす。新しいものを買ってもすぐに使えなくしてしまうため、二度目の時点でこれ以上は買わないと言われてしまったのだ。更にバイトでもして金を稼ぎ、その中でやりくりできるのなら文句は言わないとまで言われ、普通ならそこでバイトを探すのだろうが、克己はそれをしなかった。生きる為ならまだしも、なして携帯の為に働かなきゃならんのだ…と思ったからだ。
結局、携帯を持たなくなってから一年以上が経っていた。
合宿から三日目。
最初の二日間はなんとも思わなかったが、三日目になると合宿仲間だけの時間がつまらなくなってきた。見たいテレビが見れないというのもあるが、秀行やジュニアのことが頭をよぎるのだ。
〝電話してみよぉー〟と思い立ち財布からテレホンカードだけを抜き取ると、合宿所の外で電話ボックスを探し始めた。携帯を持たなくなってそれにも慣れたのだが、なかなか お目当ての電話ボックスが見つからないことを実感して、再び携帯不許可を出した秀行に不満の感情が再燃したのだった。しかし、それも秀行の声を聞くまでの間だけなのだが…。
コール四回目にして、十分に聞き覚えのある声が耳に届いた。
『はい』
「ヒデ…?」
『なんだ、カツか。──どうした?』
「い…や、どうもしねーけど…ちょっと、つまんねーなと思ってよ…」
『フム…。練習でバテバテにはならないのか?』
その裏の意味は、〝つまらないと感じる前にバタンキューとならないのか〟だった。
「あぁ~…んん~…まぁ~…」
『サボってんじゃないだろうな?』
「──んなわけねーだろ。これでも嫌いじゃねーんだからよ、格闘技!」
『そうか。ケガとかはしてないか?』
「あたぼーよ。相手が人間なら慣れたもんさ。鍛え方が違うんだから」
『そうだな』
「な、なぁ…ヒデ?」
『なんだ?』
「その…ヒデはつまんなくねーのか?」
『あぁ、今はな』
「そ、そうか…」
『ついさっきまでは寂しかったけどな…』
「な…マジ…!?」
『ああ』
「そ…うか──」
『──だから、呼んだ』
「へ…?」
聞き返す前に聞こえてきたのは、これまた聞き覚えのある声。
『秀行ぃ~、まだかぁ?』
『──ああ。もう少し待ってくれ』
「…れっ…山ちゃん?」
『ああ』
「今週は寄らねーって言ってなかったっけ…?」
自分のアパートと会社の途中に秀行のアパートがある。その為、帰りには夕飯を食べに寄っていたのだが、今週は会社とは正反対の場所にある支店に行くことになったため、真っ直ぐ家に帰ると言っていたのだ。
『ああ。けど、明日は日曜日だしな。オレが電話して──』
『秀行ぃ~、オレ、待てねーんだけど…』
「…………?」
『そう焦るな。時間は十分あるだろ?』
『まぁなー。──けど、お前から〝やりてぇ〟なんて誘ってくるとは思わなかったしよ…』
「なっ──!?」
(なんだぁぁぁ~~!? ヒデが誘っただってぇぇぇ!? ヒデはノーマルだろぉぉぉ~~!?)
『不満か?』
『まさかぁ! チョー、嬉しいっつーの♪ だからこそ、一秒たりともムダにしたくねーんじゃねーか』
「ちょっ…ヒデ──!?」
会話の危うさから思わず叫ぶ克己。
『あ…? ああ、すまんな』
「すまんな…って──」
〝どういう事か説明しろ!〟と付け加えたかったが、鼻歌でも歌うような直哉の声が更に届いてきて、一瞬黙ってしまった。
『今夜は二人っきりぃ♪ 邪魔なカツもいねーし、思う存分楽しめるぅー』
(────!!)
「お…ぃ……ヒデ!!」
『ああ、どうした? 聞いてるぞ?』
〝なにを怒ってんだ?〟の問いかけモード。
「なっんで…山ちゃん呼んでんだよ!?」
『なんでって言われても─…オレの相手が出来るのは、あいつしかいないし』
「なっ…にぃ……!?」
平然と答える秀行に、克己の焦りはピークに向かう。それを知ってか知らずか──いや、電話の向こうなど顔も見えないのだから、知るはずもないだろう──再び直哉の声。
『なぁ、秀行ぃ? 絨毯とはいえ長時間ともなると痛いぜ?』
『──なら、布団でも持ってくればいいだろ』
(布団…!?)
『おぉー!! いいねぇ、その覚悟。よっしゃぁ、乗った! ぜってー、朝まで寝させねーからな!』
「ばっ…何いってんだ、山ちゃ──」
電話越しに声を荒げるが、もちろん届くはずもない。
『任せろ。持久力には自信がある。お前のほうこそ、途中でバテるなよ?』
「ヒデ…!! お前もなに言って──」
『ナメてもらっちゃぁ、困るぜ。いくらご無沙汰だって、バテるほど体力落ちちゃぁいねーよ』
『そうか。なら、安心だな』
『それに、高度なテクニックも健在だぜ? ぜってー、満足させてやる』
『ほぉ、そりゃ、楽しみだ』
『ああ。期待してろ。オレは裏切らねーから』
その返事なのか、受話器からは秀行が鼻で笑った音が聞こえてきた。
(山ちゃんのヤロぉ~~!!)
克己の受話器を持つ手は力の入れすぎで、プルプルと震えている。
『カツ…?』
直哉との会話が終わると、途端に電話口が無言な事に気付いて呼びかけた。しかし、返事が返ってこない。
『おい…カツ、どうした?』
「……………」
『どうしたんだ、カツ。聞いてるのか?』
「……………」
『カツ……』
「フンッッ──」
『フン……?』
我慢できなくなった克己は、叩き付けるように受話器を置いた。
ガチャンッ──
(うぉ~!! ぜってー、やべぇ!! よりによって、なんで俺がいない時に山ちゃん呼ぶんだよ、ヒデは!! だいたい、山ちゃんだって〝男として惚れた〟とか言ってたじゃねーかぁぁぁ~!! アレはウソだったのかぁ、山ちゃん!?)
〝こう…しちゃいられねぇ…〟
そう思うや否や、克己はテレホンカードすら取らず電話ボックスから飛び出していた。
一方、突然のことにわけが分からない秀行は、しばし〝プープー〟という電子音を聞きながら立ち尽くしていた。
「どうした、秀行?」
「あ? ああ、切れた」
「電話が?」
秀行が頷く。
「何も言わずにか?」
「なんか怒ってたみたいだったけど…すごい音で切れた」
「そりゃ、切ったんだろ、カツが」
「そうか…」
自分から切ったのなら問題ない…というように納得すると、秀行もさっさと受話器を置いた。
「──けど、オレらがこぉ~んなことしてるなんて思ってもみねーだろーな、カツのやつ」
布団を運び終わった直哉が面白そうに呟く。
「おそらくな」
「ほぉ~んと、合宿サマサマだぜ。──よぉし、準備は万端! ノンストップで行くぜ?」
「了解」
そして更に数時間後──
秀行は、何やら後ろのほうで小さな物音がして振り返った。リビングの入り口には、いるはずのない人物が立っていた。突然のことに一度ゆっくり目を閉じて、顔を元の位置に戻す秀行。その仕草に画面を注視していた直哉が気付き、横目で聞いた。
「どうした?」
「いや…なんか幻が見え──」
「──んなわけあるかぁぁぁぁー!!!」
「のぉわっっっ!!」
大声に直哉も振り返る。そこには、すごい形相をした克己が立っていたのだ。
「おまっ…何でここに──」
「ふむ…。幻じゃなかったのか…」
ボソリと呟くのは秀行。
「な、な、何が幻だぁー。たった今、しっかりと目が合っただろーが!! それに、なんなんだよ、これはぁ!?」
「まぁまぁ…そう怒んなよ。秀行だって、欲求不満が爆発する時だってあらーな、な?」
「ぶわっかやろぉー!! お、俺は…ヒデがヤバイと思って急いで帰ってきたんだ!! それなのに…それなのに…なんでゲームなんかやってんだぁぁ!!!」
絨毯とはいえ長時間座ってるとお尻が痛くなると、布団の上で二人揃ってテレビ画面とにらめっこ。お尻が痛くなるならソファに腰掛ければいいと思うだろうが、ソファだと、体勢的に力が入らないのだ。
「ヤバイってなぁ…。持久力には自信あるって言ってただろ?」
〝故に朝まで起きてても大丈夫だ…〟と言うのだが、ハナっから勘違いしている克己にとって、そんな言葉は心配を増強させるだけのものだった。
「あ、あのなぁ…頼むからその含み会話だけはやめてくれ…山ちゃん…」
合宿の練習よりひどい疲れが克己を襲い、今や泣きそうだ。
「もっ…知らねぇ……」
そう言うなり、ソファに突っ伏し眠ってしまった。
未だにわけが分からず、頭の上に〝?〟を浮かべるのは直哉。その隣で、全てを理解した秀行が密かに笑う。
(ほんと、飽きないやつらだな。カツも直哉も)
秀行は、玄関先で呆然と立ち尽くしていたタクシーの運転手にお金を払うと、克己には布団をかけてやり、直哉とはゲームを再開した。
翌日、合宿先に戻った克己は無断外泊をしたせいでひどく怒られ、その後の練習はかなり厳しいものになった。故に練習が終わったら〝バタンキュー〟状態で、電話をかける気にもならなかった。
まぁ、掛けた所でいらぬ心配するのがオチなのだが…。