5 学園祭編 ※
「ヒデ、今日は何時ぐらいに来るんだぁ?」
玄関先で部屋の中にいる秀行に質問するのは、大学に向かおうとした克己だ。
「そうだな…一通りのことを済ませてからだから──」
「俺の試合、十時からあんだけど、間に合う?」
「多分、それぐらいには行けるだろ」
「そうか。──あ、山ちゃんも連れて来いよな?」
「来るなって言っても聞かないだろ。かなり楽しみにしてるからな」
「そうか、そーだよな。──よぉ~っし、んじゃぁ、向こうで待ってっぞー!!」
「ああ。あとでな」
「おぅ!!」
バタンという音がしてドアが閉まると、軽快な足音が遠のいていった。
(まるで、遠足に行くガキみたいだな…)
コーヒー片手に新聞を読んでいた秀行は、足音だけで伝わる克己の気持ちを感じながらそんなことを思った。しかし、それはすぐに否定した。
(いや…みたいじゃなくて、ガキなのか…)
その言葉に、思わずフッと笑ってしまった。
〝行けるだろう〟と言いながらも、秀行は至って落ち着いている。時間に追われるのは性に合わない。どこまでもマイペースを貫くが、時には時間が限られることもある。
そう、それは今日のように…。
そういう時は、時間をフルに使って計算しながら物事を進めていくのだ。克己からすれば、〝計算する〟事自体が面倒臭いことであり、故に秀行の言動・行動はやはり矛盾してると言うのだが、本人はそうは思わない。最小限の力で最大限の仕事をする秀行には、時間の計算など既に組み込まれている仕事だからだ。
どこまでも自分のペースで進めて行く秀行は、計算通り九時三十分には全てを済ませ出かけるだけとなった。そんな時、これまた計算していたかのように玄関のドアが開いた。
「秀行ぃ~、準備できたか?」
開口一番そう言って入ってきたのは、迎えに行くとも何とも言ってなかった直哉。
「ああ。たった今な」
「よぉ~し♪ ──んじゃ、行こーぜ」
リビングに入る前に秀行の返事が聞こえると、そのまま体を翻して玄関を出て行く。そのすぐあとに秀行も続いた。
克己同様、楽しげな足取りの直哉といつも通り落ち着いた秀行の足取り。
向かう先は克己の大学だ──
今日は日曜日。学園祭の二日目だった。
「おぉ~、懐かしーなぁ、この雰囲気!!」
出店が立ち並ぶ通路を見渡しながら、言葉通り懐かしそうな目をする直哉。
「楽しそうだな…」
「あたぼーよ! 授業はねーし、この日のために放課後まで残って準備するんだぜ、みんな。しかも、いろんな学校からも来るから出会いが多いしなぁ~。現役の頃なんか、秀行がいればどんなに楽しいか…って何度も思ったんだぞ。──けど、お前は誘ってもこなかったよな。なんでだ?」
「お前が現役ってことは、オレ等のことを知ってるヤツが大勢いるってことだろ?」
「そりゃ、知らねーヤツの方が少ないかもな」
「そんな時にオレまで一緒にいてみろ? 学園祭どころじゃなくなるぞ?」
「おまっ…そんなこと気にしてたのか?」
「ああ。一瞬だけな」
「は…?」
「一瞬、気にして…それから、今度は気にしてることが面倒臭くなって──」
「お…ぃ…。まさか、たったそれだけで、来なかったってんじゃ…?」
「そうだが…?」
〝なんか変か?〟と問いかけてくる返答。
一瞬呆気に取られたが、らしいと言えばらしすぎて直哉は溜め息交じりに苦笑した。
「ま、いいさ。こうやってお前と来れたんだからな。しかもあいつの試合を見れるなんて、オレってば、もっ、サイコー♪」
「そんなに、カツの試合が楽しみか?」
そこまで楽しみにする理由が分からない、と首を傾げる。
「──ったりめーだろ。オレはあいつが戦ってるとこ、見たことねーもん。初めて見るんだぜ? どれだけ強ぇか、楽しみじゃねーか♪」
「オレは、心配だがな」
「なんで?」
思わぬ言葉に、直哉が眉間にしわを寄せた。
「…まさか、負けるとでも?」
〝そんなことあり得ないだろ〟と軽く言えば、
「判定ではな」
──と返ってきたから意味が分からない。どういう意味だと聞き返そうとした矢先、時計を見た秀行が〝時間だ〟と指差した。仕方なく体育館とは別に建てられている〝武道館〟へ足を運んだが、その途中、秀行がその理由を話し始めた。
「あいつの一直線ぶりは凄いぞ?」
「だから?」
「格闘技なんてもんはスポーツだろ、一種の?」
「ああ」
「──てことは、ルールがある」
「そりゃぁな。何でもあるだろ、ルールなんて」
「それが厄介なんだ」
「ひょっとして…ルールを守らねーってんじゃ…?」
「守らないっていうより、守れないんじゃないかと思ってな」
「守れない…?」
「ああ。あいつにとって重要なのは、相手を倒すことだけだ」
「つまり…一直線ゆえに、目の前の敵を倒すことだけが頭にあって、ルールなんて知ったこっちゃねぇ…ってことか?」
秀行が〝そういう事だ〟と頷いた。
「何が違反だとか考えられないんじゃないかと思ってな。だから、相手がボロボロになって意識がなかったとしても──」
「なるほど…。判定負けになるってことか、カツが」
「ああ」
「いや、けど…まさかそこまで一直線ってことは──」
「オレも、そう願いたいがな…」
直哉は、秀行の感情を伺い知れる数少ないダチだ。この時の表情や口調から、その本気を、直哉は知った気がした。
(マ、マジかよ…?)
そう心の中で呟くが、やはり〝まさか〟という気持ちも捨てられない。
歓声が響く武道館に着いたのは、十時一分だった。
フロアーは四つのエリアに分かれていた。赤・青・黄色・白のシートで、それぞれの場所で二人ずつ戦っていた。
「おぉ~!! いたぞ、秀行。あそこだ、あそこ。赤のエリア!!」
直哉に指を差され目をやると、ちょうど、相手の男が床に沈む所だった。
〝よっし!〟と頷く克己の目は、キラキラと輝いている。
(おぉ~ぉ、楽しそうな顔して…)
〝相手も気の毒に…〟と思っていると、顔を上げた克己と目が合った。
「おぉー!! ヒデ!! 見たかぁ~、今の!?」
未だ気を失っている相手のことなど完全ムシで、一目散に秀行のところにかけてきた。
「なぁ、見た!?」
「…ああ。楽勝のようだな?」
(最初のうちは、まだ正当に勝てるか…)
などと思った直後、克己からは不思議な答えが返ってきた。
「──たりめーよ。なんてったって、〝カツトーギ〟だもんな!」
「カツ…トーギ…?」
聞いた事のない言葉に、秀行は語尾を上げて繰り返した。
「ああ、あれ」
そう言って指差したのは、舞台の上のほうに掲げられた垂れ幕。そこには──
『克闘技!!
── 挑戦者の力を見せてみろ!! ──』
──と書かれていた。
「優勝者には、ちゃんと賞品も出るんだぜ?」
その言葉に再度 垂れ幕を見れば、確かに小さな文字で書かれている。
〝優勝者に賞品あり〟と。
「克闘技…ってなんだぁ?」
珍しそうに質問するのは直哉だ。
「すっげーだろ。俺の名前が入ってんだぞ!」
「そりゃ、見りゃ分かるけどよ。あんな格闘技、聞いたことねーぞ?」
「そりゃそうさ。俺が作ったんだから」
「は…?」
「格闘技で名を挙げてくれ…って言われて、ここに入ったんだけどよ。な~んか、メンドーなんだよなぁ~」
「まさかと思うが、ルールか…?」
先ほどの話が瞬時に脳裏に蘇り、直哉は恐る恐る尋ねた。
「おぉ~!! 山ちゃん、よく知ってんなぁ?」
「は、はは…まぁな…」
(やっぱマジだったのか、こいつ…)
「あ、でもな、別に格闘技をやらねーってんじゃねーんだ。入学の条件が格闘技だからよ、やめるにやめれねーだけなんだけど」
「そうか…」
「反則しないように、気ぃ遣いながら試合するのもストレス溜まるからよ、簡単な格闘技を作ってくれって頼んだんだ」
「それが、克闘技か?」
「そっ!」
「そんな簡単に作ってもらえるもんなのかよ…?」
「う~ん…。まぁ、最初はヤな返事しか返ってこなかったけど。俺に格闘技やめられるのも避けたかったみてーだし、なんか知んねーけど…み~んな俺のこと恐れちまって──」
「なるほど…」
つまり、ストレスの溜まりすぎでまともな格闘技が出来ないか、もしくは格闘技の技に加減が出来なくなった…というところだろう。
「──で、普通の格闘技もちゃんとするっつー条件で、新たなものを自分で作れ…って言われたんだよ」
「じゃぁ、お前が作った克闘技のルールは…?」
驚き半分、興味半分に変わりつつある直哉はその先を急かした。
「そんなの簡単!! ズバリ、身一つで何でもござれ、さ」
「は…あはははは…マジ!?」
「おうよ。簡単だろ?」
「あー。確かに!!」
「それ作ったら、入部するヤツがここ数ヶ月で急に増えちまってよ。だから学園祭には、ぜってーコレやろうって事になって…。とりあえず、他の学校から来るやつも自由参加できるよーにしたんだ。──で、挑戦者と戦って勝ったものが新たな挑戦者とやりあうわけ」
「へぇ…。けど、普通の格闘技の試合も見てみたかったなぁ、オレは」
「そうかぁ?」
あからさまに〝俺はぜってーヤダ!〟という口調だ。
「だいたい、並行してるその普通の格闘技は何やってんだ?」
「ん~~、色々」
「色々?」
「ああ。いろ~んな格闘技があって、それにちょっとずつ参加してんの」
「ちょっとずつ…? それでいーのか? せめて一本にしねーと、まともに勝てねーだろ?」
「そんなことないぜ。今の所、全ての種類で一番強ぇーからな、俺!」
「マジ!?」
「マジぃ! 克闘技なんかはダントツだぜ!!」
「は、はは…そうか…」
(さすが秀行の弟…っつーことだな…)
「なあ? それよりよ、あの名前どー思う?」
他の事はどうでもよさげに、誇らしげに問う。
「名前?」
「ああ。克闘技っつー名前、なかなかいーと思わねぇ?」
「そうか? オレ的には薄いと思うぜ」
「なにぃ!? あれのどこが薄いんだよ!?」
「んん~~、どこっつってもなぁ…。なんか、こう…ひねりがねーとゆーか…そのまんまだろ?」
「まんま…ってゆーな! 俺がよぉ~っく考えたんだぞ!! 薄いどころか、手が届かねーほど奥が深いのにぃ!!」
「奥…? カツが作ったから克闘技ってだけじゃねーのか?」
「へへ~ん。あったりめーよ ♪」
「じゃぁ、なんだ?」
「聞きたい、山ちゃん?」
「あー、まぁな」
「ヒデは?」
「お前が喋りたいなら、な」
「よっし、んじゃ、教えてやる!」
ようやく言いたいことが言えるからなのか、克己の機嫌は上々だ。
「俺が作ったから克闘技っつーのは、基本中の基本さ。それ以外に、一番強い俺が闘うってゆー意味の克闘技。それから打倒克己ってゆー意味で俺と闘うから、克闘技。そしてそして…闘って勝つってゆー意味に掛けての克闘技。どうだ、一石四鳥もあるんだぜ?」
「へぇ…なるほどな」
〝そこまでとは思わなかった…〟と納得する直哉に、克己は満足げな表情。そんな顔を見てしまえば、〝単純で、しかも手が届かないというより、手を伸ばせば届く深さだ〟と思っても、既に言う気がしなくなるのは秀行だった。
「おーい、筒原ぁ。終わりの挨拶もせずに、ここを去るな! 次の相手も決まってんだぞぉ」
少し離れた所から叫んでいるのは、明らかに先輩ではなく顧問の先生だった。
「へーい。今行きま~す。──じゃ、ヒデも山ちゃんもここで見ててくれよな?」
「ああ」
克己がその返事を確認すると、〝どこ行っても、顧問はうるせーんだ〟とボヤきながら元の場所に戻っていった。
それからひっきりなしに参加してくる挑戦者と戦っていく克己だが、全てものの数分でケリをつけていった。
他のエリアでは、疲れも重なって次々と勝者が入れ替わっていく。連続して戦っているなら疲れが溜まるのは当たり前なのだが、持久力も強さのうち…らしいので、その問題を取り上げる生徒はいなかった。
一方、克己は疲れが溜まるほど長時間の戦いがないため、いつになっても軽快な動きだ。
十二時になり、午前中の試合が終了すると、克己が〝終わった、終わった♪〟と、楽しそうに近づいてきた。しかし、すぐに声がかかる。
「筒原ぁ~。な~して、お前は試合が終わったらすぐ出て行こうとする!? 片付けやら、午後からの準備があるだろーがぁ」
「あー、そっかぁ」
もちろん、わざと片付けや準備をしないわけではない。単に忘れているだけだ。試合が終われば〝終わった、終わった♪〟と口から漏らすように、克己の中では全てが終わっているのだ。
「ヒデ、三十分後に屋上な」
「屋上?」
「ああ。南校舎の屋上。あそこでメシ食おうぜ。眺めいいから気持ちいいんだ」
「おぉー。屋上なんて久しぶりだぜ」
秀行より先に直哉が反応した。
「高校の時なんか、屋上はオレらの居場所だったもんな?」
「そうだな」
「──んじゃ、三十分後な」
「ああ」
三十分間のフリータイム。
秀行と直哉は揃って構内の催し物ルームを歩き回った。サークル主催のものもあれば、この日の為に特別に組まれたグループのものもある。映画鑑賞の部屋。独自に作ったテレビゲームで遊ぶ部屋。午後からミスコンでもするのか、きらびやかな衣装が飾られている部屋──というより、部外者立ち入り禁止の場所だと思うのだが、そんなことを気にする二人ではない──などなど。ほかにもたくさんあったが、時間は限られている。
「そろそろ屋上行くか?」
「そうだな」
「昼メシはどーする?」
「出店で買えばいいだろ」
「んじゃ、オレ、ちょっくら行ってくるからよ」
「…どこへだ?」
「セーリゲンショー」
「ああ…」
「んじゃ、そーゆーことで。買物よろしくぅ~」
手を挙げて走り去る直哉が人ごみの中へ消えると、秀行は昼飯を探しに出店へと足を運んだ。
花火大会や祇園など、街の行事の時に並ぶ出店とたいして変わらないが、学生が作るものだからこそ美味しいものも求めはしない。ただ、買いたくなる雰囲気はやはりあるもので、いくつか立ち並ぶ店の中でも、秀行はちょっとしたユニークさがある場所を目ざとく見つけていた。
〝小腹・中腹・太っ腹〟
──と、ネーミングされた、たこ焼きの種類。小腹は十二個入り。中腹は二十四個入り。そして太っ腹は三十六個入りだ。
もちろん秀行は太っ腹を買った。一パック七百円と、消費者にとって金額も太っ腹だ。それを三つ買った。次に見つけたのは、お好み焼き屋さん。惹かれたネーミングは…。
〝陸軍・海軍・空軍〟
──だった。陸軍は豚肉入り。海軍はシーフード入り。空軍は鶏肉入りだ。具の内容なら海軍だが、三つの名前があるなら三つとも買いたい。──というよりは、言葉にしてみたい。
「陸・海・空…一つずつ」
「毎度ありぃ~!」
かくして昼食を調達し元の場所に戻る直前、お茶と克己が好きそうなワッフルを購入した。
ところが──
久々に、久々な光景を目にすることになる。
目の前がザァ~っと開けたかと思うと、記憶にも新しい顔ぶれが秀行を囲んだのだ。
「よぉ。ちょっと顔かしてくんねーかなぁ?」
「……………」
「怖がって声も出ねぇってか?」
「……………」
秀行が何も言わないのを〝ビビってる〟と思った男は、〝ダッセー〟とばかりに鼻で笑った。しかし、秀行はまだ喋らない。喋っている男を冷静に見ているだけだった。
「まぁ、安心しな。あんたに恨みはねーんだ。ちょっと、人質にでもなってもらおーと思っただけだからよ」
「……………」
「恨むんなら、筒原を恨むんだな」
「……………」
「──で、筒原はどこにいる?」
「……………」
「おい、きーてんのか?」
「……………」
「何とか言えよ?」
バカな質問に答えたくはないが、時間は刻々と過ぎていく。秀行は仕方なさそうに溜め息を付くと、ようやく口を開いた。
「筒原に何の用事だ?」
既に分かりきったことを質問する秀行もどうかと思うが、まともに答えるその男もその男だ。
「オレの弟たちを随分可愛がってくれたみてーだからな。きっちり、お返ししよーと思ってよ」
「へぇ…。それにしても似てない弟たちだな?」
「なに!?」
「オレを人質にするのは構わんが、オレの質は半端じゃないからな。それなりの覚悟がいるぞ?」
「は…!! どこをどう見てそんな事が言えるんだ? あぁ!?」
〝今、置かれている自分の状況をよく見てみろよ!?〟
──と暗に言われ、改めて周りを見回す。自分を囲んでいる男は時計の数字と同じく十二人。しかも秀行の両手は、先ほど買ったたこ焼きとお好み焼きの袋で塞がれているのだ。
「マズイな…」
その言葉に、男はバカにした笑みを浮かべ更にドスをきかせた。
「ほら…、素直に筒原の居場所、教えな!」
(居場所って…構内探せば、いることぐらい分かるはずなんだが…)
あまりにもバカな相手に溜め息しか出てこない。
(とりあえず、今は…)
──と腕時計を確認すれば、時刻は十二時二十七分三十秒。
(ん…?)
屋上へ向かう途中、克己の視界に秀行の顔がちらりと見えた。反射的に〝おっ〟と足が止まりそっちに向かって方向を変えたが、秀行の様子がどことなくおかしい事に気が付いた。無表情でゆっくりと周りを見回す仕草に、何やら嫌な胸騒ぎを覚える。すると、人の切れ間から見覚えのある男が数人、どこかを睨みつけているのが目に入った。その〝どこか〟が判明し、途端に男の顔も思い出した。午前中、克己が相手した挑戦者たちだったのだ。簡単にやられてしまった恨み、とでもいうのだろうか。
「あ…いつら!? ──おぁ?」
〝ヒデにケンカを売るとは上等だ!〟とばかりに人ごみを掻き分けようとした瞬間、不意に肩を掴まれ後ろに倒れそうになった。
「──って、え…山ちゃん?」
「あいつらバッカだねぇ~。秀行にケンカ売るなんて」
「そんな呑気なこと言ってる場合かよ──」
「まぁまぁ、見てろって」
直哉が秀行に視線を向けたまま、克己の肩越しに呟く。
「は…?」
「いーもん見れるぜ?」
「な…に言ってんだよ…? あんなに囲まれてたら逃げるに逃げれねーじゃねーか」
「何で逃げる必要があんだ?」
「何でって…ヒデは痛いの苦手だろ…? 俺がいねー時は、逃げるしかねーんだって…」
「秀行がそー言ったのか?」
「ああ」
「──で、それ信じてんだ?」
「信じてって…え、ちがうのか?」
「まぁ、見てなって。あいつ、あれで結構つぇーから」
「いや…そりゃ、まぁ…知ってるには知ってるけど──」
「なんだ、知ってたのか。──んじゃぁ、問題ねーじゃねーか。オレは久しぶりに見れそうで、今からワックワクだぜ♪」
「…ムリだ…ぜってームリだって」
「なーんで?」
「だって…まだブレーキがかかったままだから…」
「ブレーキ…? なんだそりゃ?」
「ヒデのブレーキだよ。俺がヒデのブレーキ!! 俺に何かあったらそのブレーキが外れて、ヒデの暴走が始まるんだ」
「へ…ぇ。──っつーことは、お前が無事なら暴走もせず逃げるわけ…か」
「そーゆーこと。だから──」
「──けど、お前がいなかった時から、あいつ強かったぜ?」
「え…? 俺がいねー時からって…?」
「高校の時に決まってんじゃねーか。まぁ、暴走ってゆーもんでもなかったけどな」
「どういう…?」
「〝攻撃は最大の防御なり〟って言葉があるだろ?」
「あ、ああ…。けど、ヒデの場合は攻撃しねーし…」
「まぁな。だから、オレがあいつにピッタリの言葉を作ってやった。〝仕掛けられた攻撃は最大の防御なり〟ってな」
「仕掛けられた…攻撃…?」
「ああ。もっ、サイコーだぜ? 初めて見た時なんか、シビレたもんなぁー。いや、マジ、惚れる♪」
「………………」
助けに行くべきかとも思うが、直哉がそこまで言うなら信じるしかない。克己は仕方なしに彼らの成り行きを見守ることにした。
「筒原の居場所を教えたとして…三分」
「なんだぁ…?」
なにやら数字を呟き始め怪訝な顔をするが、秀行には既にどうでもいいことだった。
「それから二分追加して…さらに二分」
「おぃ、なにブツブツ言ってんだよ? あぁ!?」
「計七分で……五分オーバー。やっぱりマズイな」
「お、おい…!?」
「や、山ちゃん…?」
「んん?」
「ヒデ…壊れちまったんじゃねーのか…?」
隠れて聞いていた克己は、少々心配気味だ。しかし直哉は平然と答える。
「いや。いつものことだろ」
「なに!?」
「らしいじゃねーか。ただ、今までは声に出さなかったってだけだろ」
「どーゆー意味──」
──と直哉を見れば、〝いいから、とにかく見てろって〟と顎をしゃくる。
「居場所を教えなければ…一分」
「おい! きーてんのかよ!?」
「二分追加で、計三分。一分オーバーだから──」
「いい加減にしねーと──」
「…容範囲内で、ケッテー」
「──ンのっ!! おい、おめーら、先にやっちまえ!!」
安っぽい台詞が聞こえるや否や、彼の弟たちが殴りかかってきた。瞬時に、昼食が入った袋を片手に持ち替える。秀行は最初に拳を上げた男の手を掴まえると、
「おぉ?」
体制を低くすると同時に、勢いよく右の方へと回転させた。
「ふがっ」
秀行を狙った拳は右の方にいた別の男の顎にクリーンヒット。たったそれだけで、一人は地面に沈んだ。
それを確認する間もなく──実際、確認せずとも秀行には分かりきっていた為、確認する必要もないのだが──拳を掴んだ男の背後に周り込み、今度はまた別の男が秀行を狙った足蹴りを、そいつに食らわした。これで二人目が撃沈。そして三人目の攻撃をかわしつつ、一人よく喋っていたリーダーの隣に立つと、
「ほら」
持っていた袋を手渡した。
「…?」
「落とすなよ?」
そう言うや否や、両手が使えるようになった秀行は、左右から来る手と足を掴み勢いをつけて自分の前でそれをクロスさせた。これで相打ち。二人同時に沈んだ。
四人が沈むのに要した時間は僅か二十秒。
さらに繰り出される攻撃を、秀行は勢いを追加させながら別の相手にヒットさせていった。そうして、あっという間に十一人が地面で動かなくなった。
残ったのは秀行が袋を預けたリーダーだけだった。そのリーダーも、今や嘘のようにおとなしい。動きの素早さから力の強さから─…全てにおいて圧倒されていたのだ。しかも仕掛けてきた相手はボロボロなのに、秀行にはかすり傷ひとつついていない。誰に何を訊かれても、〝自分は関わってません〟と言えば信じてもらえるはずだ。どう見ても、ケンカしている者の近くに秀行が通りかかった…ぐらいにしか見えないのだから。
「分かったか。裏のヒーローっていう意味が」
「あ、ああ…」
華麗な戦いぶりを、これまた初めて目にした克己。
〝逃げるっつってたのは、ウソだったのか!?〟
──なんていう気持ちなど、これっぽっちも浮かばず、ただただそのカッコ良さに見惚れていた。
一息ついた所で、秀行は口を開いた。
「なぁ?」
「ひぃっ…」
「散らかしたゴミは、誰が片付けるんだ?」
指は差さずとも、ゴミが何なのかは視線だけで分かる。ちらりと弟たちを目にしながら、その男は呟いた。
「あ…オ、オレ…です」
「そうか。──んじゃ、よろしくな」
「は…ぃ」
「あぁ~あ。あんなこと言われたら、あいつ立ち直れねーだろーなぁ」
「なんで?」
「えらい侮辱されたろ?」
「どこが?」
「ゴミを片付けろってよ」
「そうか? 俺なんか、ヒデによく言われるぜ?」
「あ…あぁ~~、まぁ、ちーとばかし、意味は違うだろーがな。──けど、お前、秀行に言われて腹立つことってねーの?」
克己相手でも嫌味を言っていることぐらい、直哉は分かっている。
「んん~、別にぃ。それより、なんであんな事ぐらいで腹立つんだよ?」
「じゃぁ、こう考えればどうだ? あの言葉を言ったのが、あの男でぇ、言われた相手がカツだったら?」
「…なんっか、ムカツク!!」
「──だろ?」
──とは言ったものの、直哉は心の中で突っ込んでいた。
(〝なんか〟なのかよ!?)
「それにしても、なんで同じ言葉でも秀行が言うと腹立ねーんだ?」
「さぁ…?」
(本人にも分かんねーってか?)
その返答に、直哉はそれ以上聞くのはやめた。
ゴミを片付ける人間が必要だという事ももちろんあるが、相手が一人になれば、その相手を倒すのに秀行が手を出さなければならない。故に、秀行はそのリーダーに手をかけることはなかった。
まぁ、その光景を目の当たりにした者は、大抵逃げ出してしまうのだが…。
〝片付けは頼んだ〟とばかりにその男の横を通り過ぎた秀行だったが、肝心な事を思い出し振り返った。
「忘れるとこだった」
「え…?」
「落とさなかったのは褒めてやる」
そう言って両手で持っていた昼食の袋を奪うと、屋上に向かって歩き始めたのだった。
「よぉし、全て片付いたから、昼飯食いにいこーぜ」
〝いいもの見れた〟と上機嫌の直哉に続いて、納得した克己もあとに続く。しかしやはりと言うべきか、あの意味が分からない。
「よっ! 秀行♪ お待たせぇ~」
声がして振り向けば、直哉たちと目が合う。
「いたんだろ?」
「あらら、気付いてました?」
「その顔見れば、な」
「そっかそっか♪ ──けど、オレらは大人しくしてたほうがよかったんだろ?」
主催者側の学校の生徒が乱闘騒ぎを起こしたとなれば、それなりの処分があるだろう。現役学生の克己がやりあうわけにもいかない。もし直哉と秀行が乱闘したとしても、克己と関わりがあるなら、やはり処分の対象は克己に向けられてしまうのだ。しかしその中でも秀行が相手となると──傷ひとつ負わないのだから──周りで他校の生徒が仲間割れでも起こして乱闘していた…と言えば、それはそれで丸く収まる。目撃者が何人いようと、秀行が殴った…とは言えないのだ。
それを考えて直哉も克己を止めたのだった。
「…まぁな」
しかし、そんな会話の意味など理解していない克己は、質問するどころか全く気にしていない。気になることがあるとすれば、ただ一つ…。
「なぁ、ヒデ…あれはなんだったんだ?」
「あれ、とは?」
「さっきの数字だよ。三分とか二分とか──」
「ああ…。分が付いてんだから、時間に決まってるだろ」
「あ…いや…そうなんだけどよ──」
「オレが教えてやるよ」
長い説明は面倒だ…と、克己の質問に直球で答えれば、後は引き継いだ…とばかりに直哉が助け舟を出す。
秀行にとっても克己にとっても、ありがたい存在だ。
「おう、教えてくれ、山ちゃん」
「いいか。カツの居場所を教えたとして、呼びに行って戻って来るまでに往復三分。それからカツが、あいつらをぶちのめすのに二分。更に屋上まで到達するのに二分かかる計算になる。合計七分だから、予定より五分オーバーすんだよ。分かるか?」
「あ、ああ…」
「んでぇ、居場所を教えず、自分でケリつけちまえば、呼びにいく三分はカットできるし、ぶちのめすのに一分。更に屋上まで二分で──」
「合計、三分。予定より一分のオーバーだよな?」
「そうゆーこと」
「でも、別にいいじゃねぇか。少々、遅れてもよ?」
「まぁ…秀行が何も持ってなければな」
「なんだ、それ?」
「マズくなるだろ?」
「なにが?」
「温かいものは温かいうちに食うから、うまいんじゃねーか」
「は…?」
指を差されて秀行の手を見れば…。
「も、もしかして…マズイってメシのことだったのか!?」
「ああ。──なに、もしかして…秀行の状況がマズイとでも思ってたのか?」
「だ、だって…フツーはそーだろーがよ!?」
「ま、フツーはな ♪」
その口調は、〝フツーだと思うのが間違ってんだ〟と聞こえた。
「だぁ~~~!! なぁ~してケンカする時までそんな計算してんだよ、ヒデは!? ややこしーことすんなよなー」
一人理解に苦しむ克己だったが、秀行も直哉も少々呆気に取られた。
何に取られたか…?
それは……。
(〝なんで、あんな奴ら相手に、俺(克己)が二分もかけなきゃなんねーんだよ〟とは、思わないわけね…?)
──だった。
そんなこんなで仲良く屋上に向かうと、たこ焼きとお好み焼きをそれぞれ一パックずつ分け、美味しいうちに平らげた。
「ヒデ…」
「あぁ?」
「さっきのアレ、教えてくれよ」
「戦い方か?」
デザートと称し渡されたワッフルを頬張りながら、克己は〝そうそう♪〟と頷いた。
「…断る」
「なっ…なんで!?」
「ムダなことはしたくない」
「はぁ!? ──ど、どーゆー意味だよ?」
「カツにはムリだってことさ」
間に入ったのは直哉。
「なんで!?」
「そうだなぁ~。オレが察するに、〝一直線だから〟ってとこかな。なぁ、秀行?」
「ああ」
「は…? 一直線…? ──一直線って、何のことだよ!?」
「アレ、簡単に見えて結構難しいぜ? 相手の攻撃をかわしながら、その攻撃を別の相手にぶち当てる。周りをよく見て、間合いや次に誰が仕掛けてくるかを一瞬で判断しなきゃなんねーんだ。計算しながら効率よく、な。一瞬でも間違えたらアウト。もろに攻撃を受けちまう。判断の素早さはヨシとしても、計算は苦手だろ、カツの場合?」
(た…確かに、数学ってのは好きじゃねーからな…)
もちろん、ここで言う〝計算〟は教科のことではない。──が、そう思ってしまうところが既に一直線だろう。
〝計算=数学〟
もっと、いろんなことを考えればいいのだが…。
結局、それが問題なのだ。一直線ゆえ、目先のものにしか集中できない。先を読み計算しなければ、秀行のアレは意味がないという事だ。
「まぁ、オレも学生の時に少し教えてもらったけどな、半分も習得できなかった」
「山ちゃんが!?」
「ああ。最初は出来ても、一発喰らっちまうと、面倒臭くてよ…。結局、真っ向勝負になっちまうんだ。その方が簡単だし、性に合ってんだけどな。──お前も、オレと似たよーなトコがあるから、ムリだと思うぜ?」
「ふ…ん。──けどよ、俺にはヒデと同じ血が流れてんだから、センスはあると思うぜ?」
「──な~んて、言ってるけど。どうよ、秀行?」
「ムリだな」
「──だってよ」
即答で返された返答に、直哉は中継するように克己を見やる。
「なんで!?」
「お前は人間として生まれる為に、お袋の卵を借りただけだ。九十九パーセントは親父の血」
「は…?」
「オレは、人間として生まれる為に、親父のおたまじゃくしを借りただけで、九十九パーセントはお袋の血なんだ。──だから、ムリだ」
「……………??」
「ふは…ははは……あはははははぁー。確かに、そのとーりかもな。ほんっと、相変わらずの言い回しで、惚れるぜ!」
「そうか…?」
「ああ。もう、サイコー。な、カツ?」
「うぅぅ~~~~?」
自分一人だけ取り残された会話に、克己は、それ以上の説明を求めようとはしなかった。
午後からの試合も順調よく進んだ。時折〝弱すぎ!〟と、あからさまな表情をする克己だったが、それなりに楽しんでいるのは一目瞭然だ。
各色のエリアで勝ち残った者が、ベストフォー進出。そこで更に四人が戦い、優勝者が決まる。
もちろん勝ったのは──
「ヒデ! 貰ったぞ、賞品!!」
晴れやかな顔で、賞品を掲げる克己。手に持っているのは長方形の薄い代物だ。
「えらく、小さいな?」
「まぁな。──ほら、これは俺からのプレゼントだ!!」
「オレに?」
「もちろん。ヒデの為に、優勝者の賞品をコレにしたんだから」
賞品を何にするか…その権限は、克闘技を主催したものにある。故に、今回は克己が選んでいた。
嬉しい顔が早く見たくて〝ほら、開けてみろよ〟と促す。
「フム…」
急かされ渡されたものを開けてみれば、図書券が五万円分。
なるほど。
部屋に教科書さえ置かない克己には必要ない代物だ。逆に、読書好きな秀行にはありがたい物。
「どうだ? これだけあれば、結構、買えるだろ?」
「ああ、そうだな」
「誕生日のプレゼント、ちゃんと渡してなかったからよ…」
「そうか…」
同じ誕生日だと分かったのは数ヶ月前。愛情たっぷりの写真を貰い、自分は何を返そうかと、ずっと考えていたというのだろうか…。
「嬉しいか?」
「ああ、もちろん。けど、オレはお前の──」
そのあとの言葉を、なぜかコンピューターの如く素早く察知してしまった克己。思わず、焦り、秀行の言葉を遮った。
「だぁ~~!! それ以上、ゆーな。ぜってー、ゆーな!!」
「カツ…?」
「いいか、ゆーなよ!? しかも、シラフの時なんて、もってのほかだ!」
「…………?」
「ゆーなよ!?」
〝なんでもいいから、とにかくそれ以上 言うな〟と眼差しの目も加われば、素直に黙るしかない。
「…ああ」
「よしっ!!」
「カツ…」
「な、なんだよ…今度は…?」
「ありがとな」
不意を突かれた言葉と、無表情の中にある笑顔。それを見つけて克己は照れてしまう。
「お、おぅ…」
そんな二人のやりとりを見て微笑ましく笑うのは直哉。
克己にした昼間の質問──なぜ、秀行に言われても怒らないのか──の答えが、なんとなく分かった気がした。
(…羨ましいほど、かっわいいー兄弟愛──っつーか、親子愛だな♪)