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兄弟  作者: Sugary
本編
1/22

1 いつもの光景

(また…か)

 右手にスーパーの買物袋を下げた男はキレイな青空を見上げると、そう心の中で呟き溜め息をついた。

 彼の名前は佐々木秀行。ギャンブル──主にパチンコ──で生計を立てる二十二歳の青年だ。

 奇数日の今日は、二日に一度のアルバイト(パチンコ)で予定額の三万円を稼ぐと、夕飯の買い出しにでかけた。そしてレジを済ませ店から出た途端、目つきの悪い学生達がゾロゾロと現れてあっという間に囲まれてしまったのだ。

「アンタだな。筒原の兄貴って?」

 目の前にいた男が、頭を上下に動かしながら鋭い目を向けた。

 額に入った剃り込みは、まるで三角定規を当てそのまま剃ったのではないかと思うほど、とても正確に見える。

(多分、一ミリでも左右のバランスが違えば丸坊主にするんだろうなぁ…)

 などと何気に思ってしまった秀行は、聞かれたことに答えもせず小さな苦笑を浮かべ、次いで腕時計の針に目をやった。

 十六時三十分──

(もう、そろそろか…)

「おぃ…テメェ、シカトしてんじゃねーぞ?」

 動じるどころか何の反応もない秀行の態度に〝イラッ〟ときたのか、その男はより一層 凄みをきかせるように〝ズイッ〟っと剃り込み頭を寄せた。

 どうやら、苦笑したことには気付いていないようだ。──いや、気付くはずもないだろう。

 〝どんな時も冷静に…〟

 小さな頃からそう言われ続けてきた秀行にとって、ポーカーフェイスはお手の物。秀行を良く知る人物ならまだしも、初めて会う素人に見抜けるわけがないのだ。

「きーてんのか、コラァ!?」

 尖った奴は、〝シカト〟されると余計にキレる。もちろん一般人でもそうだが、彼らは特別だ。しかも、周りに弟分と称される後輩がいれば尚更のこと。

 リーダーらしき男は、メンツを潰されてたまるか…とばかりに更にドスをきかせた。その声につられて周りの弟分たちも、リーダーを持ち上げようと一斉に体を寄せる。秀行を囲む円が一回り小さくなった。

 しかし、秀行の表情は一向に変らない。それどころか、学生の後ろに続く道の先だけをジッと見つめているのだ。男達は瞬きも少なに、ある一点を見つめ動かない秀行の姿を目にして、ある種、気味の悪さをも感じてしまった。

 そんな時〝あるもの〟が目に入った秀行は、おもむろに買物袋から一個のリンゴを取り出した。

「…まさか、こんな時に食おうってんじゃねーだろーなぁ?」

 先の読めない行動を不振に思いながらも、〝なにをする気だ?〟とも聞けず、男はバカにした笑みを向けた。しかし、やはりと言うべきか秀行の表情は何一つ変らない。

 そのうち、取り出したリンゴを軽く空中に放り投げ始めた。垂直に放ったリンゴは、重力の法則により、

 ──ストン。

 と、垂直に落ちて秀行の手の中に戻る。そして、またすぐに放り投げた。

 ──ストン。

 リンゴの動きに合わせ、凄んでいた男はもちろんのこと、周りを取り囲む男たち全員の顔が上へ下へとリズムカルに動く。

 ──ストン。


 ──ストン。


 彼らの姿は、反射した鏡の光に遊ばれるペンギンのようにも見え、秀行は思わず心の中で笑ってしまった。

 彼の顔をジッと見ていても心の中など読めはしないが、秀行よって上下に動くリンゴを追いかけている以上、〝笑い〟を表に出しても気付きはしないだろう。

 ──と、その時。

 何度目かに放ったリンゴが手の中に戻った時、秀行は僅かな間を空けたのち、今度は遠くの空へと大きく投げ放った。

 突然のことに、男たちも一瞬〝え…?〟という目をしたが、投げられたリンゴから目を離すことは出来ない。まるで、バスケでフリースローしたボールが遠くのゴールに吸い込まれるまで目が離せないのと同じだ。

 秀行が放ったリンゴは、緩やかな弧を描きある男の手中に納まった。

 ごく自然に追いかけていた男たちの目が、手を伸ばし受け取った男の顔を捉える。その瞬間、彼らの顔色が変わった。

「げっっっ…」

 と一言漏らすや否や、遠くにあったリンゴが先ほどの二倍の速さで返ってきたではないか。

 ゴシャッ…!!

 弧を描くより直球と言った方がよく、リンゴはリーダー格の額に直撃したのだ。しかし、それだけではない。額に当たって割れたリンゴが地面に落ちるか落ちないかの瞬間には、おでこを抑え、前かがみになっている男のみぞおちに衝撃と鉛のような鈍痛が走った。膝蹴りを食らったのだ。

「グッ…くっそ…」

 あまりの不意打ちに息もすることが出来ず、男は地面に片膝をついた。当然のことながら、周りの男たちは一瞬にしてひるむ。

「…今度はなんだぁ?」

 呻き声にしか聞こえない男の声などムシして、半ばウンザリしたように尋ねたその質問は、男たちではなく秀行に向けられていた。

 彼の名は筒原克己、高校三年生。父方の姓を名乗っているので苗字は違うが、正真正銘、秀行とは血の繋がった兄弟だ。

「…さぁ?」

 秀行も、なんとも気のない返事を返す。

「〝さぁ…?〟ってな、ヒデ…。なんかインネンでもつけられたんだろ?」

「別に…。ただ、〝お前の兄貴だろ?〟って聞かれただけだけど?」

「それだけか?」

「ああ」

 平然と答える秀行の顔を見て、克己は大きな溜め息をついた。

「…っつーか、またムシしてたな?」

「まさか。聞いてたけど答える必要がなかったから黙ってただけだ」

「それがムシしてんだっつーの。──あぁ、まぁいいや。〝俺の兄貴〟ってだけで十分だよな、理由なんてもんわよ」

「…だな」

「なぁ、ヒデ…?」

「ん…?」

「今日のは弱そうだけど、どうするよ?」

 剃り込み部分にじんわりと汗を光らせた男が、ようやくその場で立ち上がるのを目にすると、克己は落ちてるゴミを指し示すかのように顎をしゃくった。

 秀行は〝あぁ…〟と溜め息交じりに漏らし、しばらく考え始める。

(分かっちゃいんだけどな…)

 秀行がなんと答えるかぐらい確信できるほど容易に想像はつくが、それでも敢えて待ってみる。その間に、周りの男たちの顔をぐるっと見渡してみた。するとついさっき小さくなった円が元の大きさ─…あるいはそれ以上に広がった。その様子から見ても明らかに〝弱い〟と思えるのだが、やはりというべきか秀行はいつもと同じ言葉を面倒臭そうに吐き出した。

「…オレは、パス」

「──だろーな。んじゃ、セーフティーゾーンだけは自分で確保しろよ?」

「了解」

 そう言うと、秀行は自分達を取り囲む円の外にゆっくりと歩を運んだ。円の男たちも、敢えて阻止しようとはしない。それどころか、ごく自然に道を開けていた。

「──さてっと。本来の標的は見失うもんじゃねーぜ?」

 秀行とは違い、克己は喜怒哀楽の表情が豊かだ。どんなに頑張ってもポーカーフェイスなど出来ない。ゆえに今の言葉も、相手をバカにしたことぐらい幼稚園のガキでも分かるほどだろう。

「ヤロー…」

 ブチ切れたリーダの言葉が合図となると、それまでひるんでいた男たちに緊張が走り、一斉に本来の標的へと飛び掛っていった。一人二人ならまだしも、男たちは十人ぐらいいる。普通なら袋叩きになるだろう。

 ──そう、普通なら。

 少し離れた垣根のブロックに腰掛けた秀行は、タバコに火を付けてその光景を見ていた。するとラグビーの試合を思わすような人の塊から、〝バキッ〟という音が聞こえると同時に、体をくの字にした男が一人転げだしてきた。地面で一回転すると、そのまま動かない。

(アバラいったな…)

〝ゴキッ〟

(あれは顎か…)

 聞きなれた音が耳に届くたび、秀行の〝診断〟が心の中で下される。

 一人、また一人と黒い塊が飛び出しては、呻きと共に地面にうずくまっていった。

 そして──

「お前が、トリだぁー」

 そう叫ぶと、克己が最後の男──リーダーらしき男──に鮮やかな後ろ蹴りを頬に食らわした。

「グゲッッッ」

 カエルが地面に叩き付けられたような情けない声を最後に、男は地面に倒れ込んでしまった。

「お見事…」

 クライマックスを見終わった秀行が軽く手を叩く。火を付けたばかりのタバコは、まだ半分も残っていた。

 秀行はそのタバコを惜しみながら一息吸うと、携帯用の灰皿を取り出し揉み消した。

「だーっっっ! こいつら、弱すぎ!! かえってストレスたまっちまったじゃねーか」

「お前が強すぎんだよ」

「──にしても、弱すぎだぁ!!」

「まぁまぁ…。今日は血も出てねーし、上手くなったんじゃないか?」

 スカッとしない克己の肩を軽く叩きながら諭した秀行は、地面の上で無残な姿をさらす〝残骸〟のひとつをつまんだ。

「あ~ぁ、リンゴが台無し…」

「リンゴ?」

「ほら」

 秀行は潰れたリンゴの欠片を、克己の目の前にぶら下げた。いかにも〝もったいない〟と言いたげな瞳だ。

「いくらした?」

「今日は広告の品だから、一個九八円…」

 〝──ったく、しょうがねーな…〟と呟くと、克己は足元に伸びている男の襟元を掴み上げ両頬を軽く叩いた。

「…おい、起きろよ?」

「うぅ…?」

 うっすらと開けた目に、克己の顔が〝ズイッ〟と近づく。

「お前、三百円持ってるか?」

「え…?」

「三百円だよ!?」

「あ、ああ…」

「んじゃ、とっとと出しな」

「あ…はい…えっと…」

 ズボンのポケットに震える手を突っ込み、ジャラジャラと小銭を取り出す。広げられた手の平から三百円をキッカリ受け取った克己は、

「よし、じゃぁな」

 そう言って荒々しく胸元を掴んでいた手を離した。もともと意識を失っていた男だ。自分で体を支えきれないまま後頭部を地面に打ち付けると、手の平に残っていた幾らかの小銭が散らばるのと同時に再び意識も飛んだ。

「──ほら。もう一回買いに行こーぜ?」

「…小せぇなぁ。どうせなら、三万ぐらい取ればいいのに」

「いーだろ!?」

「まあな…。でも、潰れたリンゴは一個だぞ…?」

「──けど、今日カレーだろ?」

「ああ。だから?」

「だからぁ、一個はカレーに、あとの二つは俺とヒデとで分ければいーじゃん」

「…なるほど」

 そう言ったかと思うと、秀行は何やら考えるように地面に視線を落とした。

「ヒデ…?」

 そのあとに続く、克己の〝どうしたんだ?〟という暗黙の質問さえ聞こえていないのか、秀行は無言のまま地面に散らばった小銭を拾い上げた。

「こまっけーよ……」

(──ったく、どっちが小せぇんだ…?)

 消費税分を拾う秀行にそう言い返したかったが、料理の主導権は彼にある。下手に気分を害すると、大好物の甘~いカレーを作ってもらえないため、敢えて克己はその言葉を飲み込んだ。

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