第2石「すくう者」
ベンジャータウン周辺の砂漠。街に辿り着くまでもう少し――というところで、小型陸上船が炎上していた。
船体に深々と空けられた大穴から炎が噴き出し、黒煙が立ち昇る。
耳障りな振動音を発する翅。威嚇するようにガチガチと開閉する顎。毒液が滴る針。スズメバチ型宝石蟲の仕業だ。
「…………!」
「ひっ……ぱ、パパぁ……怖いよぉ……」
父と娘。陸上船から逃げ延びた一組の親子に、スズメバチ型が迫る。
既にベンジャータウンから自警団が数機のクオーツを駆り現場へ急行していた。状況を目視で確認できる距離まで到達していたものの、それでは間に合わない。
『クソッ! ライフルで、こっちに注意を!』
『待て、宝石蟲と救助者の距離が近すぎる! 流れ弾に当たるぞ!』
『じゃあどうしろってんだよ!?』
疾駆。まごつくクオーツ2機の間を、灰色のクオーツが風を切るようにしてかっ飛ぶ。
そのスピードはあっという間に宝石蟲との距離をゼロにした。
「え……?」
『オォォオォオオォオォォッ!』
悪鬼が如き咆哮と共に繰り出される異形の右腕が、スズメバチ型の胴体を捉える。
滲み出る殺気を感知したのか、宝石蟲は上空へと飛翔しこの一撃を躱す。
渾身の攻撃を空振りした灰色のクオーツに生まれた隙を宝石蟲が見逃すはずもなく、即座に急降下。腹部の毒針を迅速に撃ち込む。
それに対応できないクオーツは、成す術も無く左肩を貫かれてしまった。
『ぐッ……!』
刺突箇所がスパークを起こす。駆動部に甚大な損傷を負った左腕が、力無くだらりと下がる。
『まずい、あのままじゃ穴だらけにされる! 蜂の巣だ!』
『……いや、待て!』
ススメバチ型が毒針を引き抜こうとするが、針はクオーツの左肩と一体化したかのようにビクともしない。内部装甲が圧力によって針に食い付き、抑え込んでいるのだ。
針が抜けないと悟るや否や、宝石蟲は顎でクオーツの胴体を砕かんと噛み付く。噛み付かれた箇所から装甲がみしみしと悲鳴を上げ始める。このままでは、コクピットごと噛み砕かれることは必至。死は避けられない。
『死、ぬ……かよッ!!』
だが、その条件は互いに同じだった。
右腕の鋏がスズメバチ型の頭部関節に食い込む。鋸状の刃が、ぶちぶちぶちと繊維を引き裂いていく。
顎もまた装甲を1枚、2枚と食い千切り、コクピット内部が露わとなる。パイロットは、灰色の髪の男だった。
それは文字通り、殺すか殺されるかの真剣勝負。その場にいる者は何も言い出せず、手出しもできずにいた。
『殺す、のは――俺だァァァッ!』
そして最後は、男の気概が勝った。
スズメバチ型の頭部が千切れ飛ぶ。まるでネズミ花火のように鮮血を撒き散らしながら。
首を失い、胴体だけとなった宝石蟲は肢を痙攣させながら仰向けに倒れる。肢は自然と内側に折り畳まれていた。
『ひーっ、やべーマジやべぇ……けど! 駆除数1ッ!』
「あ……」
巨大な鋏を携えた灰色の機体。"クオーツに似たもの"を、少女は瞳に涙を溜めながら見つめていた。
灰髪の男は風通しが良くなったコクピットを開く。颯爽と機体から降り、震える親子の元へ駆け寄る。
「大丈夫か!? おいお前怪我してんじゃねーか! とりあえず、応急処置で――」
今から5年前。ニアゼム・クズミキコニス19歳の、宝石蟲狩り初陣の日だった。
◇
ニアゼムは、ビッグゴッドの店先に座り込み、夜空の月を、……否。虚空を見詰めていた。
身体中の全ての筋肉が弛んでいた。力を失っていた。思考は空虚。誰の声も届いていない。
≪ニアゼム、ニアゼム≫
「……あー……」
≪ウォーラ博士、行っちゃったよ。なにもしないでいいの?≫
「……いいんだよ。俺の出る幕じゃねェ」
≪でも――≫
「宝石蟲が死滅するだってよ、メレディヤ。ちゃんちゃらおかしいぜ、そんな簡単に滅びちまうほどあいつらは弱かったのかよ」
≪正確には、これから新たに宝石蟲が生まれることはないって話だ。現存してる宝石蟲すべてが一瞬で消えたわけじゃない。だから、その……≫
「くっだらねェなんだよその御伽話! バカバカしいにも程があんだろ!!」
空虚な心に唯一残った感情――怒り、苛立ち。燃え滓に等しいそれが爆発する。
結論から言って、ウォーラの報せは真実だった。ニアゼムは半狂乱になりながら否定したものの、最終的には作戦成功時に記録されたフジヤマの映像を見せることで理解した。そうせざるを得なかった。
だが、理解することと納得することは別の問題だ。
「挙句――なんだって? あの月が地球に落ちてくるだって? ハッハッハ、そりゃ凄ェ、最高だ! 悪夢ってのはこういうのを言うんだろうよ!」
そう言って、夜空の月を愉快そうに見上げる。
月は、ニアゼムが就寝前に見た時よりも明らかに大きくなっていた。……その理由は一つ。地球に近付いているからだ。
天体制圧用超大型宝玉機≪ザ・ムーン≫――それは、皇帝ジプサムが月そのものを材料に作り上げた、惑星を砕く鉄槌。尋常ならざる狂気の産物と言って全く過言ではない。
連絡役の人間は、ベンジャータウンに吉報と凶報の両方を伝達したのだ。だから、当然の結果として。
「月が落ちてくるだぁ!? 冗談だろ!」「上等だ、石ころ一つ砕いてやろうぜ!」「陸上船の準備はできてる、乗り込めェッ!」「搭載する宝玉機の整備、10分で終わらせます!」「5分だ! 時間が惜しい!」「がっはっは! 月にいる奴らに、スカベンジャーは臆病者じゃないとわからせてやろうぜ!」
ベンジャータウンのスカベンジャー達は奮起していた。ついさっきまで酒を呷り、だらしなく床に寝転び、下らない話に興じていたろくでなしどもが、躍っていた。頭に酔いが回っている者は、その酔いを戦意と変えて臨んでいた。
一致団結。普段、協調性などまるでない無頼漢達が見せた光。
……それは、紛れも無く"心の輝き"だった。
「――で、俺はいつこの悪夢から覚めるんだ?」
≪ニアゼム……≫
だが。地球の一大事程度では、ニアゼムの心は燃え上がらない。彼にとっての全ては、宝石蟲を狩ることに集約されていたのだから。
「俺は、……あんな、月を砕くために戦ってたんじゃねェ」
≪わかるよ、ニアゼム……≫
「あァ、頭ン中で諦めと希望をごっちゃにしてたのは悪ィと思ってるよ! 宝石蟲を絶滅させられたらいいな、でも無理だからブッ殺す程度に留めとくか、みたいな! だからって、いきなりこんな現実叩きつけなくたっていいだろ!」
≪……混乱してるんだよね。そうだよ、こんな急に言われたって受け入れられるもんか。与太話だと思っておけばいい。だから、……こんな与太話で、自分を追い詰めちゃダメだよ……!≫
「素直に喜べってんだろ。でも無理だ! 俺の戦いがこんなあっさり終わっちまって、……終わらせられて!! 素直に切り替えられるほど、俺は器用じゃねェ!」
≪わかるよ! でも……!≫
「わからねぇだろ!! お前はいつも対岸から様子を伺ってるだけじゃねぇか! ここにいもしない奴にわかってたまるかよ!!」
≪……っっ……≫
「ッ……! くそ――畜生ッ!」
それは、普段のニアゼムであれば絶対に考えもしない、弾き出されるはずが無い暴言だった。
だから。明らかに錯乱している状態であっても、すぐに気付いた。自分が今、メレディヤを傷付けてしまったのだと。言ってはならないことを言ってしまったのだと。
間も無く。深く、重い沈黙が、その場を支配した。スカベンジャー達が騒ぐ声など、まるで別世界の出来事だとでも言うように。
「俺は、……どうすりゃ、……立てンだよ……」
頭を抱える。目の焦点は定まらず、足に力も入らない
希望と絶望。その両方がぐちゃぐちゃに混ざった灰色の感情が、鎖となってニアゼムを縛る。
唯一の理解者すら拒む彼に、誰も声を掛けられない。
「なにしてんの~、ゼムにぃ?」
その筈だった。
この状況に似付かわしくない、無遠慮で無邪気な声が、灰色の状況に土足で踏み込んできた。
実に。軽やかな足取りで。
「――お前、は……」
頭を抱えるのを止め、こちらを見下ろす小さな影に、目の焦点を合わせた。
そこには、少女が立っていた。白が入り混じる金髪に長めのサイドテール、そこにボロ切れのような赤いリボンを巻き付けた、可愛らしい――
「ね~ゼムにぃ~、どうしちゃったの? なんか向こうで戦える人達募ってるけど、いかないの?」
「……うるせェ。どうでもいンだよ、もう」
「わ、もしかしてビビってんの~? よっわーいざっこーい! だよねー月が迫ってるのちょー怖いもんね、さすがのゼムにぃもビビっちゃうね。みはははは!」
……可愛らしい、小生意気で挑発的な少女だった。
セーマ・シュネデール。ビッグゴッドの向かいにある老舗パーツショップの一人娘だ。
にやにやとこちらを値踏みするような目付きと態度。黒く艶めく際どいショーパン、ダメージ加工が施された肩出しへそ出しの服。そして、16歳と言うには発育の良すぎる身体。
特徴を列挙するのに暇が無いが、彼女を一言で表すのならば――
「メスガキ! テメェの相手してるほど暇じゃねンだよ! 俺に絡むよりそのデカ乳に見合ったブラでも見繕ってた方が有意義だろうぜ!」
「みはっ、なにそれセクハラー? ブラとか蒸れちゃうから嫌いなんだよね。あ、ちなみにパンツは穿いてるよ、ほらほら」
「見せつけんなッ! ガキがセクハラしてくるんじゃあねェッ!」
「みはははははっ! なんか今日のゼムにぃおもしろー! めっちゃ食い付いてくるー!」
ニアゼムはこの少女、セーマが苦手だった。昔から――それこそ10年前から近所の付き合いで、年下と言うこともあり、よく面倒を見てやってはいた。が、彼女はここ数年で急速にマセてしまい、ノリと調子を合わせるのが極めて困難となっていた。
そのため、いつものニアゼムなら適当にあしらっているところだが、……心境がそうはさせてくれなかった。
「本当にどしたのさ。メスガキ様が話を聞いてしんぜよっか?」
「……ハァ……」
だが、ニアゼムにとって。彼女のこの無遠慮さは、今は逆にありがたかった。嫌でも冷静にならざるを得なくなるからだ。
実は、と話を切り出し、セーマに事の詳細を手短に話す。
「へぇ~、月のことはみんな騒いでるから知ってるけど、宝石蟲もいなくなっちゃうんだね。みははっ、ウケるー」
「ウケねーよ、なに一つ!」
「で、ゼムにぃは自分の仕事が無くなっちゃうからしょぼくれてんだ」
確信を突く一言。大まかに言えば、そういうことになる。
「……そうだよ! 悪ィか!」
「うんうん、じゃあ次のお仕事探さないとだねー」
「――"次の仕事"……?」
次。宝石蟲狩りを生涯の生業とするつもりだったニアゼムにとって、考えてもみなかった事だ。
セーマは、真顔のニアゼムを余所に軽い調子で話を続ける。
「あーあ、セーマ将来スカベンジャーになるつもりだったけど、それならやめちゃお。順当にパパのお店継ぐしかないかなー」
「な、なんでだよ。なればいいじゃねぇか」
「宝石蟲がいないなら漁るゴミも無くなるじゃん。需要ガン減りする仕事やる意味あるぅ?」
「あ――あぁ、いや、そう、だが」
「身の振り方って奴? そーゆーの、早めに決めとかないと苦しくなるだけだもんね」
「……そんな……そんな、簡単に決められるかよ!」
思わずかぶりを振った。
「10年抱えたこの感情を捨てて、なにもかも忘れて、未来のことだけ考えろって!? そんな無責任なこと……俺が、俺を許せなくなっちまうだろうが……!」
次。ニアゼムは、それを考えた時、自らのアイデンティティが消えてなくなる気がして恐ろしくなった。
だから否定する。だから必死になってまくしたてる。己の中で燻る火種を消さないために。
だがしかし、
「捨てちゃえばいいじゃん?」
「は?」
セーマはそれを、あっさりと切って捨てた。
「捨てても。ゼムにぃの経験とか実績とかは無くなったりしないし、ゼムにぃがベンジャータウンの功労者だってことは変わったりしないよ?」
「はぁ? 経験とか実績はともかく、功労者って……何の話だ?」
「ゼムにぃが宝石蟲狩り始めたのって何時からだっけ」
「……5年前だ」
「あの日、セーマとパパのこと助けてくれたよね」
「そんなことも……あったかもな」
5年前、初陣の日。ニアゼムが"結果的に"助けたのはシュネデール親子だった。
ニアゼム自身にはその自覚はまったく無く、ただその日の彼は、初陣の狂熱と憎悪で動いていただけだ。
「知ってる~? 日頃、ゼムにぃが自警団よりもたくさん宝石蟲狩ってくれてるおかげで、ベンジャータウン周りの宝石蟲被害めちゃくちゃ少なくなってんだよ?」
「……マジ?」
「ここが運び屋とスカベンジャーの拠点として重用され始めたのも、この5年のことなんだから」
「じょ、冗談だろ。そりゃ俺じゃなくて自警団が頑張ってるだけで……」
「自警団の人らも感謝状の一つくらい送ってもいいのにね~、プライドが邪魔したのかな? 大人ってヘンなものに縛られ過ぎでカワイソ~」
みははは、と愉快そうにからからと笑う。ニアゼムは愕然とするばかりだ。
ただ宝石蟲を狩っていただけ。自分だけの復讐と自己満足を追求しているはずだった。
その行いが、自分以外の誰かを助けていた。……そんなおこがましいこと、考えたこともなかった。
戸惑う以外にどう受け止めるべきか。ニアゼムは困り果てる。だがセーマの言うことが本当かなどわからない。自分をからかっているだけかもしれない。
そう思い、ひとまず納得を、
「つ~ま~りぃ、セーマが言いたいのはぁ!」
させてはくれなかった。
セーマは問答無用でニアゼムの顔を両手で掴み、自分の方に向けさせる。
ニヤついていた表情は、見たこともない真剣さを帯びたものに豹変していた。
「ゼムにぃはヒーローなの! ベンジャータウンと、セーマのヒーローなの! 宝石蟲がいなくなってもそれは変わらないし、変えちゃダメ。過去を見捨てちゃダメ!」
「ひ、ヒーロー?」
「そう! ゼムにぃの次のお仕事は誰かを救うヒーローってことで!」
「おい勝手に決めんな! 俺はまだ、なにも納得しちゃ――」
ニアゼムが言い切る前に、セーマは髪のリボンを解き、そのままニアゼムの手に握らせてきた。
それは、ボロボロで、薄汚れていて。年季を感じさせる手触りだった。リボンのように見えていただけの布切れと言って過言ではなかった。
「こいつァ……」
「5年前、怪我してたセーマに巻いてくれた奴。覚えてない?」
――とりあえず、応急処置で……仕方ねぇ、俺の服の切れ端巻くからそれで我慢してくれ。ほら、長いし白いから一応包帯っぽく見える。あ、でも結局血で赤くなっちまうか、悪ィ!
「あの日。セーマとパパのこと助けてくれて、ありがとね。ゼムにぃ。ずっと、ちゃんとお礼が言いたかった」
「そう、だったのか」
「ほんとはいつでも言えたけど、なんか勇気出なくて。大人っぽく振る舞ったら言えるかなとも思ったんだけど、ゼムにぃのこと困らせるだけになっちゃってたね。ごめん」
「……礼なんて、俺には」
「言葉だけじゃ足りない? え~、おっぱいでも揉んどくぅ?」
「バカバカバカ!!」
全力拒否。立ち上がり、セーマから数歩後ずさるニアゼム。
「お、やっと立ったねゼムにぃ」
「あ」
ニアゼムは立っていた。自分の二本の足に、力を入れて。
……何時の間にか。自分を縛る、鉛のように重い気怠さは消え失せていた。
「……ヘッ、単純だな俺も。ガキにまんまと乗せられちまった」
「もう落ち込まない?」
「正直、まだ心の整理は付かねェ。……けど」
「けど……?」
「宝石蟲狩ること以外で、親父とお袋に胸を張れることができちまった。なら、俺はそれを受け入れる。そっちの方向に進んでみるのも"アリ"だ、ってな」
ニアゼムは微かに笑う。セーマはそれを見て、満足気に――そして、どこか誇らしげに笑って見せる。今日初めて見せる、年相応の明るい笑顔だった。
一つの結論が出て、普段の調子をある程度取り戻すことはできた。だが、ニアゼムの心境は未だ複雑に渦巻いたままだ。道があるのはわかるが、どう進むべきか。そんな漠然とした不安感から抜け出せてはいなかった。
≪――それじゃ、次は靄を晴らさないとね≫
「! メレディヤ……あのよ、さっきのことは……」
≪気にしないで、ニアゼム。それより……私も、覚悟を決めたよ≫
「覚悟って……」
≪"話したいこと"……それを明かすよ≫
ビッグゴッドの事務所内。
ニアゼムとセーマは、来客用のソファに座っていた。
「なんで俺の膝の上に……向かいに座れ向かいにッ」
「みはははははっ、いいじゃん別にぃ、知らない仲じゃないんだしぃ」
意を決した告白の後でも、ニアゼムに対する馴れ馴れしい態度が改善されることは無いようだ。
とはいえ、逆にしおらしくなっても困るだろうが。
「で、メレディヤ。このメスガキも一緒に連れて話がしたいたぁどういうこった」
≪丁度必要かな、と思って≫
「あー、またゼムにぃがイマジナリーフレンドと話してる~、そういうのも卒業したらぁ?」
「違ェんだって、本当に聞こえるんだって! 俺の妄想とか幻聴じゃなくて……」
≪――こほん≫
「黙ってような、メスガキ」
「むぐ!」
メレディヤの"真面目な話をしたそうな空気"を察したニアゼムはすぐに口をつぐむ。ついでにセーマの口も手で塞ぐ。
≪ニアゼム。宝石蟲はこれから死に絶えるけれど――少し、例外が存在する≫
「なに……!?」
「なに、なに?」
例外。聞き捨てならないその言葉に思わず目を見開くニアゼム。当然そのやり取りはセーマには聞こえてないので、彼女は戸惑うばかりだ。
≪……その例外は二つ。地球と、そして月に一匹ずつ。直接手を下さなければ、絶対に死ぬことはない個体が存在する≫
「それは……なんだ、宝石蟲の親玉みてェなもんか!? いや、それより月に宝石蟲がいるってのは真実か!?」
≪真実だよ。でも、親玉というのは少し違う。言わば、宝石蟲の特異個体。相当知能が高くて、相当邪悪寄り。完全に駆除しないと世界が滅ぶレベルの奴だ≫
絶句する。その突拍子の無さ、脈絡の無さに。人に話せば"都合の良い妄想"と一発で切り捨てられるレベルの、ニアゼムですら信じられない内容だ。
「お前、なんでそんなことを……!?」
「ね、ねぇどうしたの? セーマにも教えてよゼムにぃ」
「月に……宝石蟲がいるんだと。メレディヤが教えてくれた」
「……ゼムにぃ、落ち着いて? 心の整理が付いてないのはわかるけど……自分を騙そうとしちゃダメだよ」
「いや、俺だって正直信じられねーけどよ……!」
案の定、他人からすればこのような反応になる。だが、メレディヤはそれで話を終えてくれない。
≪ニアゼム。あなたは私の存在を……どこか、心の中で疑っているところがあるんじゃないかな≫
「疑ってなんか……! やっぱ、さっきのこと気にしてんじゃねーか!」
≪そう思ってくれるのは嬉しいけど、一欠けらの疑念はあるはず。私はそれを、晴らそうと思う≫
「……そりゃ、お前がこの場に、メスガキにも見える形で出てきてくれたりするなら話は早いけどよ……」
≪じゃあそうしよっか≫
え、と反応を返す暇も無く。ニアゼムの胸の古傷に、強烈な違和感が発生する。
「うっ……? な、なんだ、……傷が、熱ィ……?」
「ぜ、ゼムにぃ、なんか胸が光ってるよ!?」
服越しでもわかるぼんやりとした発光。その光源は、傷だ。ニアゼムの古傷が、青白い光を発していた。
セーマは思わずニアゼムの傍を離れ、向かいのソファまで移動する。
ぼんやりとした形の無い光は、段々に収束し、一つのシルエットを形作っていく。細長い紐のような、ごく小さな光の塊を。
「なん、だ、こりゃ……!?」
形成された"光の糸"は、ニアゼムの古傷から離れると、ふよふよと気侭に宙を舞う。漂っているのではない、舞っているのだ。
まるで意思を持っているかのように。
「な、なに、なんなのこれぇ!?」
その尋常ならざる光景に、もはやセーマはパニック状態だ。余裕など、欠片もありはしない。
瞬間――光の糸が、セーマの胸にするりと飛び込む。
「へ?」
「メスガキ!?」
抵抗する間も無く。光の糸は、そのままセーマの身体に溶け込んだ。目から光が消え失せ、そのまま、糸が切れた人形のように力を失い、ソファへ倒れ込む。
「――セーマ!!」
名を呼び、すぐさまセーマの元へ駆け寄る。彼女は目を見開いたまま、完全に意識を失っていた。
身体をゆさぶり、必死に呼びかける。彼女が意識を取り戻すように。何度も、何度も。
その甲斐あってか――やがて、返事が返ってきた。
「ニアゼム」
セーマの眼球がぐるり、と無機質に動き、自分を抱き抱えるニアゼムを捉える。その挙動と声に、背筋が凍り付く。
それは、セーマのものではなかった。ニアゼムにとって、……聞き慣れた声だった。
「驚かせちゃってごめん。大丈夫、セーマは死んでない。ちょっと眠ってもらってるだけだから」
「…………メレ、ディヤ……?」
「いえす」
"メレディヤ"を名乗るセーマはニアゼムの腕の中を離れ、行儀よく背筋を正してソファに座る。その素行は、明らかに普段のセーマとかけ離れたものだ。
それに、顔が違う。顔が変わったという意味ではない。形は同じでも、表情の色が一変している。どこか穏やかで、薄ぼんやりとした、本来の彼女ならまずしない灰色の表情を浮かべていた。
「さっきの姿のまま喋れたらよかったんだけど、私の生態上、あのままだとなにもできなくてさ。だから、セーマの身体を拝借させてもらったんだ」
「なにがどうなってやがる!? 本当に! メレディヤなのか!?」
「いえすだってば」
「ッ……!!」
その返答に激しく狼狽するニアゼムを見て、くすくすとおかしそうに笑う。その笑い方も、どこか品があり、セーマのそれとはまるで別物だ。
もう疑う余地は無い。眼前の女はセーマではない。セーマの身体を借りたメレディヤだ。実際に見たことは無くとも、その振る舞いには心当たりしかなかった。
「例外の二つ目だよ、ニアゼム」
「例外……」
メレディヤが言っていた"例外"の話。それは、なんのことだったか。
いや、わかっている。ニアゼムはもう、彼女が話そうとしていることを理解してしまっている。
月の宝石蟲の次、地球の宝石蟲の話だ。
「――ニアゼム。私は、私はね。蟲なんだ。宝石蟲なんだよ」
息が止まる。思考が塗り潰される。灰色の感情が、胸中に蘇っていく。
「ずっと、あなたの身体の中に巣食っていたんだ」
「嘘だメレディヤ、お前は……!」
気長に待つつもりだった真実の姿が、あらわになる。
「あいあむ・ゆあ・ぱらさいと」
「ノォォォォォッ!」




