拐われた花婿たち
そもそも、浮音の元へ舞い込んできた依頼というのはどんなものだったのか。有作が聞いた具合によると、あらましはざっと、次のようなものになる。
浮音の知人に、今出川の一帯に多数の不動産を持つ地主、早川徳兵衛という隠居がいる。先日、徳兵衛に誘われて将棋の相手をしに出掛けた浮音は、話の弾みにこんな相談を受けたのだという。
「鴨川くん、きみ、五条の川床会館ちゅう式場を知っとるか」
大黒様に長いあごひげを足した、至って温和な顔立ちの徳兵衛へ、浮音はええ、と返答する。
「川端にある、古い帝冠建築のビルでっしゃろ? ――なんやこの前、変な事件があったとか聞きましたけど……」
そういいながら桂馬を取ると、徳兵衛はちょっと苦い顔をしてから、そこまで知っておれば話は早い、と、籐椅子のひじ掛けをポンと叩いた。
「大安吉日のめでたい日に、お色直しに入った花婿が突如として消えおった。ほうぼう探してどうにか無事に見つかりはしたが――」
「――黒ずくめの奇妙な一団に攫われて、しばらく経ってから上半身を脱がされて、腕へアルコールをベタベタ塗られた状態で帰ってきた。しかもこれが一回だけやなくて、同じ大安の日に続けて起こったからたまらない――」
「ほほう、さすがによう知っとるのう」
そういうと、徳兵衛は香車で浮音の銀を取ってから、実はの……と勿体つけて話をつづけた。
「実をいうと、わしの親類の者が、近々そこで式を挙げる予定でな……」
「――皆まで言いなさんな、ご隠居。大事な花婿が攫われたらかなわない。そこでひとつ、僕に事件の調査を頼みたい――と、こうおっしゃるんでしょ? ハイ、王手」
そこですかさず、飛車を徳兵衛の王将へ走らせると、浮音は徳兵衛の顔を覗き込んだ。
「――やりおったなぁ」
袂にしまった小さな鼻眼鏡を出しながら、徳兵衛は苦い顔を浮かべる。
「ちょうどええ、期末試験がひとつ増えたと思うて、引き受けましょ。それに、ただとは言わへんやろし……」
「さすが商人の倅、その辺は抜け目ないのう」
そういうと、徳兵衛は、年に似合わぬ大きな声で、肩を揺らして愉快そうに笑うのだった。
かくして、依頼を引っ提げ上機嫌で帰宅した浮音だったが、翌日になって思いがけないトラブルが浮上した。ざっくり言えば、「出席不足につき補講へ参加せよ。拒否権はない」という強制命令がとある講義で持ち上がったのだ。で、迷った浮音の思いついたのが、相棒・佐原有作に代わりに事件を追いかけてもらおうという方法だったのだが――。
そんな具合で、頼みを受けた有作だったが、はっきり言って自信は皆無に等しかった。翌朝、補講へ出かける浮音を送り出すと、有作は茶の間でひとり、コーヒーを飲みながら頭をひねった。
――どうしたもんかなあ。
と、そのうちにふっと、有作の脳裏をある考えがよぎった。
――なんだ、僕一人で知恵を出そうとするからいけないんだ。ひとつ、沢村さんか東野さんに知恵を借りてみようじゃないか。
光明が見えれば話は早かった。さっそく電話で事情を話すと、レポートを出し終えて暇を持て余していたということで、二人はすぐ、有作の元へとかけつけた。
「――まったく、浮音くんには困ったものね。講義にかまけて、ビリヤードばっかりしてるからよ」
スカートのヒダを時折なでながら、浮音の幼馴染である女子大生・沢村瑞月は苦い顔をしてみせる。かたや、洒落た麻の上下を着込んだ大柄な青年、浮音の飲み友達でもある東野英二は、きれいに撫でつけたオールバックの額をハンカチで撫で、まァそういわず、と浮音のことを擁護する。
「遊び人の彼らしい理由で、却って面白いじゃありませんか。ボクとしては大いに協力したいと思いますけどネ」
「そうね、ここで何にもしないんじゃ、有作くんがかわいそうだものね。いいわ、私も協力しましょう」
二人がにっこりと微笑んでみせると、さっそく、昼食をはさんで作戦会議が幕を開けた。そして、瑞月が被害者たちへの聞き込み、有作と英二が現場の再検証という風に割り振りが決まると、三人は意気揚々と鴨川邸を出立した。
懇意の刑事・牛村警部の協力もあって、有作たちの捜査は初手にしてはうまく進んでいった。ここまでに四件続いた被害者の新郎新婦はいずれも、私立のマンモス大として有名なK大の九九期生、いわゆる「同窓会で火が付いた仲」だったこと。紹介による費用割引サービスを提供していた川床会館で順繰りに式を挙げて行った方が安上がりだし、出席も都度出来て楽しいだろうという提案が一転、裏目に出て実に悲しんでいるらしい……。
四組の関係がはっきりしていれば、そこから先は簡単だろう――有作や瑞月、英二は勝利を確信した。もちろん、それに満足して何もせずにいるわけはない。大学新聞の記者をしている瑞月の伝手で、K大の同窓会や事務局、委員会やサークルなどへ渡りがつくと、三人はさっそく、電話や訪問による聞き込みをかけた。
が、結果はすべて空振り。花婿四人の見事なまでに潔白さが際立ったのみであった。
「――これはなかなか、厄介な事件みたいね」
最初に集まってから三日後の夕方、鴨川邸で行われた打ち合わせの場はひどく湿っぽかった。
「調べれば調べるほど、四人が善良な市民であることがわかっただけ――。今回ほど、身の潔白が憎たらしいと思ったことはなかったわ」
それだけ言うと、瑞月はいらだちまぎれに、グラスに入ったロゼを勢いよく飲み干した。
「そういえば東野さん、式場の人たちへの聞き込みはどうでした?」
空気をかえようと、有作が英二へと話を振る。しかし英二も瑞月同様、浮かない調子で、
「――こっちもトンと、空振りでしたヨ。ひとつたしかなのは、犯人があの式場についてかなり詳しく調査をしたらしい、ということくらいですネ」
「どういうことですか?」
「つまりですネ――。あの会館は、建て増しの上に建て増しをしてる、今の形になってるんだそうデス。そのせいで、勤めの長い人でも、うっかりすると迷ってしまうそうでして……」
「よっぽど綿密な計画を立てないと、厳しいってわけかぁ……」
「今度の犯人は、かなり知恵のまわる人物のようですネ。――ああ、疲れた」
そういうと、英二はいらだちを紛らわすよう、丸氷の浮かんだロックグラスでブラック・アンド・ホワイトをあおり、マルボロをふかす。そんな二人に挟まれて、有作はどこか所在なさげに、瓶へ差したストローで、サイダーをちびちびなめていた。
「――カモさんみたいには、なかなかうまくいきませんねえ」
しばらく続いた沈黙を破るように、有作がため息交じりにつぶやくと、瑞月はグラスをテーブルの上に置いて、その通りね……と力なく答える。
「悔しいけど、突拍子もないことに気づくのは、浮音くんの専売特許みたいね。――同じようにいかないのは百も承知で、地道に調べるしかないわ」
「そうしましょ、三人いれば文殊の――オヤァ?」
そういって英二が箱からもう一本、マルボロを抜き取ろうとした時だった。玄関先で戸が開き、疲れたような足音が近づいたかと思うと、浮音が応接間のドアからヒョイと顔をのぞかせたのだ。
「――ただいま」
「あら、おかえりなさい。補講、どうだった?」
どこかあてこするような瑞月の言い方に浮音は怒るでもなく、申し訳のなさそうな表情と声で、
「これ、陣中見舞いや」
緑の掛け紙でくるんだ、経木の寿司折を三つ、三人の前にのぞかせた。
「瑞月ちゃんや東野くんも必死になって知恵ェ貸してくれてると聞いて、申し訳ないやらなんやら、胸がいっぱいで――」
そういいながら、めいめいの手元へ折箱を置く浮音だったが、瑞月はひややかな目で、
「――ご飯粒、頬についてるわよ」
「なにっ――」
「ひっかかったわね。――呑気な人ね、私たちの苦労も知らないで……」
瑞月の言葉に、浮音は顔を真っ赤にしながら腰を下ろした。聞けば、補講中の講義を受け持っている教授に誘われて、近くの寿司屋で軽く飲んできたのだという。
「あの先生ってよく、お気に入りの学生を飲みに連れていくらしいからね。こればっかりは仕方ないんじゃないかなあ」
折詰の寿司をつまみながら微笑む英二と有作へ、浮音はピースをふかしながらぎこちない笑みを浮かべる。
「それよりどや? なんか気になる情報は……?」
浮音の問いに、有作はしめ鯖へ伸ばしかけた手をひっこめる。
「それが皆目ダメなんだ。なにか見落としがあるんだろうけど、まるでわかんなくって……」
「ありゃ、三人いても全然アカンのか。――弱ったなあ、いつもなら僕の出番なんやろうけど、講義でヘロヘロ、よう知恵が出んのよ」
大げさにカブリを振る浮音に、瑞月はぼそりと、
「――日頃いかに講義をフケてるか、察しがつくわね」
といって、コハダを口へ放り込んだ。
「――にゃにおう」
「まあまあ、二人とも落ち着いて……」
瑞月と浮音をどうにかなだめると、有作は心置きなくしめ鯖を堪能した。やがて、議題が煮詰まったのもあって、会議の席は解散となった。
それからしばらく、二人は台所で食器を洗っていたが、そのうちに浮音がこんなことを有作に持ち掛けた。
「カドの風呂屋でもいかへん? ひろーい湯船で心身リフレッシュ……どやさ?」
たすきがけをしてグラスを洗う浮音の提案に、有作はふきんを持ったまま、いいねえ、と返す。
「ここんとこ、面倒くさくてシャワーばっかりだったからねえ。そいじゃ、九時半出発にしよっか」
「了解っ。ほな、ピッチあげて洗わんと……」
あっという間に食器を洗い終えると、二人は洗面器を手に、意気揚々と近所の風呂屋へ急いだ。
「――やっぱり、広いお風呂はいいねぇ」
疲れの抜けた有作の笑顔に、浮音は満足そうに口をほころばせる。
「これでちっとは、僕も丸投げの罪を滅ぼせそうや。あ、ちっとアカスリ借りてくるわ」
隣で湯につかっていた浮音は、頭に手ぬぐいを載せたまま湯船から上がろうとした。と、それを見ていた有作は視界に妙なものの映ったのを見て、カモさん……と浮音を呼び止めた。
「どったの、佐原くん」
「カモさん、右肩のとこ……」
湯船へ舞い戻った浮音は、有作の右肩、という言葉に左の指を這わせたが、その理由が分かると、カラカラと笑い出した。
「ああ、これ、昔からあるんよ。話したことなかったっけ?」
右肩で真っ赤に浮かぶ、五弁の桜に似たアザを差して、浮音は気にも留めずに微笑んでみせる。
「初耳だよ。だいいち、前にプールに行ったとき、アザなんて見た覚えがないもの」
「そらそうや。酒で酔ったあととか、よく温まったりしないとでない、ユーレイみたいなアザなんやもの」
それだけ言うと、ほなお先……と言って、浮音は洗い場の方へ消えていった。有作はしばらく、その桜のようなアザを脳裏に浮かべて考え込んでいたが、
――そうか、だから上半身だけ脱がせていたのか!
脳裏に瞬いたある推測に、有作は目に爛々とした輝きの帯びるのを覚え、そのまま口元まで湯船へもぐりこんだ。
――それなら説明がつく! なるほど、そういうことか……。
頭にかっと血のめぐる、そんな感覚に有作は包まれていた。
あったまると出てくるアザ。最近あまり聞きませんね。