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六話 天正三年七月三日 椎茸と貝殻の準備

国立歴史民俗博物館のサイトで中世の物価や幕末時の村ごとの石高と納付先が見れます。

アワビは永禄3(1560)年2月23日鮑 1はい(1盃)銭 3文(3文)食料(水産物)相模国府津

銭3文といったところでしょうか、東と西で銭の価値が違うので目安的な参考程度に、銭の価値が違う話はまた今度

 今日は海に行こうと思うので早起きして日の出とともに出発することにして、必要なものを持って家から南に向かい坂を下るように歩いていくと一時間弱ほどで歩くと村が見えてくる。

 村に近づくと村人に対して「おはようございます」と挨拶をすると、相手も返してくる。プラント労働経験者として知らない人に対しても、挨拶しておけば問題ないことは経験上知っているので知らない人でも挨拶はする。


 何人かの村人と挨拶をしながら歩いていると円光寺住職の太蘭さんと出会い挨拶を交わすと。

 「今日は早くからどちらに向かわれるので?」

 「今日は海に行こうと思いまして、暑くなる前に少しでも早く行こうと向かっています」

 「そうですか、今日は佐藤様の畠の麦を刈ろうと村人たちが申しておりましたが、日を改めたほうがいいですか?」

 「いえ、不在でよければ作業をしてもらっていいですか」

 「わかりました」と住職が答え、「では、また」と言って海に向かう。


 今日の目的はサザエやアワビなどの貝類と新鮮な魚と、浜辺に生える草を求めて海に向かっている。

 一時間ほど歩くと村が見えてくる。この村は海岸沿いにある村で、漁業と農業を営んでいる二見村だ。

 挨拶を交わしどこで魚介類が買えるか聞いてその場所に向かうと、おっさん達が網の手入れをしていた。

 誰に声をかけていいのかわからないので、「魚とサザエかアワビが欲しいんですが」と声をかける。


 「村に来たって、魚なんて置いてねぇぞ」

 「アジ・イワシ・サバなんかの小魚でもいいんですが無いですか?」

 小魚ならあると聞いたので、適当な大きさの魚を選びアワビとサザエもいくつか選んで銭を30文ほど払い。

 「おめぇ魚や貝は早く食わねぇと、傷んで腐っちまうぞ」と言われたので、「大丈夫です」と返して物置にあった爺ちゃんが釣りに使っていた保冷剤が入っているクーラーボックスに入れていく。


 「この辺に海岸に生えている草ってありますか?」

 「そのへんにはえているぞ」とおっさんが指さす先を見ると、草が生えているのが見える。

 「あの草って持って帰ってもいいですか」と聞くと、あんな草なんていくらでも持って行っていいというのでクーラーボックスを置いて持ってきた燃えるゴミを出していたビニール袋に草をむしって入れていく。


 2袋いっぱいになったので家に向かって帰る途中で寄った岡村で麦は全て刈り取って乾燥のためにはさ掛けしていると住職から聞いて、またあとで家に来ていいかと聞かれたので構わないと返事をする。

 住職におが屑と米糠が無いか聞いてみると、村人たちに声をかけてもらい少量分けてもらい家に帰ると草の入ったビニール袋は口を開けて草が乾燥できるようにする。

 家に入りクーラーボックスに入っている魚を開いて内臓とエラを取り除いて冷蔵庫に入れ、アワビとサザエは鍋で塩茹でする。

 

 アワビとサザエを食べているとインターホンが鳴り応対すると、ビクッとした住職が見えたので家に入ってもらいダイニングテーブルに案内する。

 椅子に座った住職以外に5人の男の子と3人の女の子が住職の周りに立ち、椅子には俺と住職だけが座る形となった。


 「今日は難しい御話がありましてな、実は彼らを佐藤様に雇っていただきたいのです」

 (話の内容がさっぱりわからないんだけど)

 「この者達は来年15になる者や数年でなる者がいるのですが、この者達が育った貧しいい近隣の村ではこれ以上村人の数を増やすことができず村の外に出る必要があるのです。このような時代でいつ命を落としてもおかしくはありません。この子らを佐藤様の下で働けるように雇っていただけないでしょうか?」


 住職の話では水が常に不足するいなみの台地にある村では養える村人の数が決まっており、それを超えると村そのものが破綻するので毎年成人する者達には村を出て行ってもらっていたようだ。

 ただの村人が働きに出ても足軽となり短くして命を散らすものが多く頭のいいものは行商や商人の下で丁稚奉公をして、女は体を売るなどをしていた。

 少しでも働き口があるようにと、全員に読み書き算術は教えているようで、未来の知識のある俺ならば周辺の村の状況を打破できるとして寺坊達が住職と相談して、この子たちのためと俺の今後に必要と判断して今回の話を持ち掛けてきた。


 (どうするかといえば、確かに難しい問題だ。この時代の崩した字や文章がまともに読めない俺にとっては必要な存在だが、今は資産も銭もない状況でどうしたものか)

 「この子達の為になるなら雇いたいのはこちらも同じですが、今は手持ちがなく彼らを養う自信がないんですよ」

 「佐藤様の生活が安定するまでは無報酬で構わないと、この子達の総意です」


 どうするかしばらく悩み、「わかりましたこの子達を引き受けましょう」と答え、近いうちに三木城に行くことになると伝えると、では今日はこれにてと言って住職は子供たちを連れて帰っていった。


 住職が帰ったあと金もないのに大丈夫かと心配したが、なるようにしかならないと判断して作業の続きを行う。

 村人から貰ったおが屑と米糠を混ぜ合わせ苺ジャムとかが入っていた空き瓶に混ぜ合わせた物を入れ蓋をして、鍋に水と瓶を入れて加熱させ沸騰したら30分ほど煮沸消毒させて冷えたら瓶を取り出して置いておく。

 これで明日十分に冷えた状態で昨日傘を下にして、容器の底にある胞子を瓶の中のおが屑と米糠の混ぜ合わせた物に入れて水を足して湿らせれば椎茸の菌糸を培養できる準備は終わりだ。


 アワビとサザエの貝殻は梅酒を漬ける予定だった空き瓶にトイレの塩素系洗浄剤と入れて紙の雑誌を蓋代わりに置いておく。

 あとは適当に本を読んで、貝殻が明日どうなっているか確認だな。

日本では7歳までは神のうちとして病気やケガで死ぬ可能性が高いという話は聞いたことがある人は多いと思います。

村で人を養うのに技術的な進歩がないと上限が決まっていて戦争のない江戸時代では本来人口はもっと増えてあふれて海外などの外の世界に拡張が必要なのですが、江戸時代の日本はそこまで人口の増加がないんです。

これは農村では7歳までの養えない子は親や親族が殺処分していたと言われ、意図的に人口が増えないようにされていたそうです。

明治になり西洋文明が入ってくると人権意識が世間に浸透していき、兵隊や労働力として人口の増加を望んだ政府によって明治以降は急激に人口が増えていきます。

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