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一話 天正三年七月一日の播磨国加古郡

 門扉のところにいたハゲは高齢の背の低い男性で袈裟(けさ)を身に纏い、その後ろには50人ほどの男女がいた。

 (何だ?ハゲは坊さんか?他にも何人か坊さんが見えるけど、変な格好をした人達もいるな、とりあえず声をかけてみるか)

 「あのすみませんが、何か用事ですか」

 「一刻ほど前に地震いがありましてな、村の者がこちらに見慣れぬ建物があるというのでこちらに御声をかけさせていただいたのです。この建物はいつごろたてられたのでありますか?」

 (いつ頃って俺が小学生ぐらいの時だから20年ぐらいか?)

 「たぶんですが20年ぐらい前からだと思います」

 「はて20年も前からこの様な建物がありましかな?村の者たちに聞いても今日まではこのあたりに何もなかったという話ですが」

 「いやいや、そんな訳ないでしょ。20年前からあるし、他にも同じような家なんていくらでもあるしょ」

 そう言って周囲を見回すといつもなら見えるはずの近所の佐藤さん・鈴木さん・田中さんなどの家が見えないことに違和感を感じて塀の向こうをみると雑草しか見当たらなかった。

 (どういうこと?周りに家がないんだが、もしかして夜逃げ?夜逃げでも家ごとは無くならないよな。とりあえずこの坊さんっぽい爺さんに話を聞いたほうがよさそうだな)

 「昨日までは周囲に近所の家もあったんですが全く見当たらなくて少しお話をさせてもらえませんか、今日は暑いので家の中で話しませんか?」

 「これは貴方様の家だったのですか、わかりました。当寺の者も数名お話を伺わせてももらってもいいですか?私は円光寺の住職太蘭と申します。彼らは岡村の者達です」

 「構いませんが、あまり大人数も困るので五人ほどならいいですよ」

 では拙僧を含めて5人の坊主を連れてこちらにやって来た。


 「寺僧の者達で左から水輪・金瑠・地烈・火魯です」

 5人の坊さん達を玄関に案内して履いていたサンダルを脱いで先に玄関に上がって坊さん達の足元を見てみると、草履に裸足であった。

 (あれっ坊さんって普通は足袋履いてないか?草履に裸足って何かおかしいような、なんだろうな。まぁええか)

 「どうぞ、上がってください」

 坊さんたちに声をかけてたのだが何の反応もなく違和感を感じて顔をよく見ると、全員が目が見開いて驚愕という言葉を体現したかのように驚いた表情をして硬直していた。

 「どうかしました?上がってもらっていいですよ」

 何度か声をかけるとやっと住職が他の坊さんに声をかけて草履を脱いで玄関に上がった。


 ダイニングキッチンに案内して好きな席に座ってくださいと声をかけると、椅子などに座らずフローリングの床面に胡坐で座りだした。 

 いきなりのことでこちらがビックリしたが、すぐに椅子を勧めたのだが断りを入れられ地べたから動こうとしなかった。

 しょうがないので住職たちを椅子に座らせるのは諦めて、冷蔵庫から麦茶を取り出してガラスのコップに人数分入れて坊さんたちの前に置いていく。

 「麦茶ですどうぞ、今日は暑いので冷たい麦茶をどうぞ」

 そう言って自分用のコップに置いた麦茶を半分ほど飲んだが、坊さんたちはまたも驚愕の表情で固まっていた。

 「瑠璃(るり)の器に、夏に冷えた麦湯とは」

 (さっきから何なんだろうな、何を見てもビックリしてる感じで驚きすぎじゃないか)


 「とりあえずこちらから話を進めますね、太蘭さん達はどこから来て円光寺はどちらにあるのでしょうか?」

 こちらから何者でどこから来たのかと声をかけると坊さんが話し出した。

 「先ほどお伝えしように、拙僧は円光寺の住職太蘭でこの者たちは寺僧です。ここから南に少し行ったところにある岡村にある円光寺の僧でございます。先ほども伝えましたが、地震えの後にこちらに見慣れぬ建物があると聞いてこちらにやって来ました」

 (太蘭さん達は円光寺の僧で、円光寺はここから南あると。次は西暦か元号とここが本当に兵庫県加古郡稲美町なのか聞いたほうがいいな)


 「今は西暦か元号で何年ぐらいですか、暦や月日があれば教えてほしいのですが。あとここは兵庫県加古郡稲美町ですか」

 「西暦というのはわかりませんが、今は天正三年六月二十九日のはずです。ここは播磨国加古郡いなみ野です」

 (てんしょうさんねん?てんしょうってもしかして、戦国時代の天正のことなのか?はりまこくというと播磨国で、兵庫県南西部で加古川の東側にある加古郡のことだろうか。天正で播磨国加古郡ということは、戦国時代の稲美町に家ごとタイムスリップしたのか)


 聞いた話を少し頭の中で考えていると、住職がこちらに質問をしてきた。

 「あなた様はどちらから来られたのでしょうか?この家も中の物に至るまで初めて見るものばかりで仏の使いの方でしょうか、この家の屋根には虹色に輝く屋根瓦などをありこの世のものとは思えません」

 (虹色に輝く屋根瓦って太陽光パネルが光に反射してそう見えたのか。それよりも、もしこの時代が本当に天正三年の播磨だとするとかなりやばいのではないか)


 天正三年の播磨国は美嚢郡にある釜山(かまやま)城で現代では三木城と言われる別所長治が治めており織田信長の武将羽柴秀吉が中国地方の毛利家攻めの総大将に任命されると初めは羽柴秀吉に従っていたのだが、天正六年二月に三木城に籠城し反織田勢力の中心となり天正八年一月十七日に城主別所長治と親族の切腹により落城した。

 三木城落城後の播磨は羽柴秀吉の支配下となり、毛利攻めの中心となった。

 (今が天正三年の夏だとするとあと二年程度で三木合戦が始るのではないか、どうする家を捨ててどこか別の場所で暮らすか?どこかの大名家にでも仕えるか信長は気性が荒いからブラック上司のような典型だから直接接する上司は論外として、秀吉や家康も何だかんだ残虐な部分や猜疑心の塊のような奴らだから正直仕えたいと思わないんだよな。それに冷暖房完備のこの家を手放したくないんだよな、太陽光パネルで発電はできるしこの家の水は井戸から汲み上げているから太陽光パネルや蓄電器なんかの電気系統に故障がない限りはこの家こそが最高の居住空間なんだよな。ここは坊さん達に正直に身の上を話そう、この家や家の中まで見られて下手に嘘ついても意味ないからな)


 「実は先ほど元号とこの地がどこなのか聞いて思ったのですが、もしかすると私は400年ほど先の未来から来たかもしれないんです。正直どうしてこうなったのかもわからないですし、元の時代に戻る方法も戻れるかもわからないのでこの時代で生きていこうと思うんですがどうしたらいいですか?」

 住職達も未来から来ただの、訳の分からない事を言われて戸惑っていた。

 「ここが私の知っている天正三年の加古郡だとすると後二年ほどすると三木城の別所家と織田家が戦になりこの周囲の村や寺も織田家によって焼かれていたはずです。この家を守り生きていくために俺に力を貸してください」

 「そんな事を言われても困りましたな、別所様と織田様が戦になりこの辺りの寺が焼かれると言うのは本当のことですか?」

 「円光寺が焼かれるかどうかはわかりませんが、最初に野口城が戦場となり教信寺の僧も多く戦に加わった事で教信寺は焼かれていました」

 「まさか教信寺が」

 今まで黙って話を聞いていた寺僧の一人水輪も声を質問をしてきた。

 「別所様に御話して、織田様と戦にならないようにはできないのですか?」

 「そうですね私の知ってる歴史では別所家は加古川城で行われた評定で織田家の羽柴秀吉と別所吉親の意見が合わずに戦になったというので、吉親を説得できれば回避できるのではないかと思います」

 その後も色々と話し合って検討したが、当主長治の叔父である別所吉親をどうするかと言う話で先に進まなくなっていた。

岡村は近代に入り複数の村が合併して天満村と名前が変わり、現代の天満神社は江戸時代は岡大池と呼ばれていて、国安天満神社も円光寺が仕切っていましたが明治に入り神仏分離で円光寺は別の場所に移転しました。

円光寺の僧はわからないので創作で、太陽系の惑星から適当に名前を付けています。

挿絵(By みてみん)

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