六 未来って泣きそう
「あれ、伯母様がいない。」
案内された別宅は、窓も玄関ドアも上部が丸いという不思議な形の木のドアで、ドアノブは真鍮製というアンティーク感溢れる素敵な家だった。
私は真っ白な壁の家の外見から一目で気に入り、ここで素晴らしい春休みを謳歌しようと心に決めた。
婚約者もヒューへの思慕もどうでも良く、そう、どうでもいいと考え、ハルベルトに嫌われて追い出されてすっきりしようと決めたのだ。
両親をがっかりさせることになるかもしれないが、私は元々貴族の娘として生きるには前世の庶民臭さが抜けなくて生き辛かったのだ。
大学に行って、働きたいと考えていた環境保安課でカラスを捜そう。
私は見たのだ。
幼い日に、真っ黒なカラスが空を羽ばたく姿を。
絶対に、あいつらは地球で絶滅なんかしていない。
ものすっごく賢い鳥が地球で滅ぶはずなんて無い。
昼寝という安息を取ることで気力が湧いて、私はいつのまにやらそんな決意を胸に抱いていたが、私に昼寝を薦めたというか部屋に押し込んだイリアがいない。
「あれ、どうしよう。お腹が空いちゃった。」
貴族の家に招かれた場合、受け入れた先では小間使いなるものが必ずいるもので、彼女達によって普通は頼む間もなくお茶や菓子などが振舞われるものである。
だが、ここには小間使いなど一人もいなかった。
「だから文句を言いに行ったのかな。イリアはこういう所が煩いから。でも、イリアがいないのなら、私はホットケーキでも焼こうかな。」
居間から台所に歩いていき、白で統一された素晴らしい台所に私は感激だ。
「よその家の台所どころか、私は自宅の台所も触らせてもらえなかったもの。でも、これなら私でも使えるわよね。」
未来の台所は進化しすぎていたのである。
物心ついた頃の私は同時に前世の記憶も戻ってしまったが、その前世の記憶のままお菓子をレンジに入れ、レンジを爆破してしまった過去がある。
それ以来、私は台所に近づけさせては貰えない。
あ、思い出してしまった過去に私は急に不安になってしまった。
「えっと、この世界においては見た目がアンティークだけど、見た目だけ、かもしれないわよね。」
ガスレンジのスイッチをカチッと押してみた。
「あ、つかない。そうか。元栓。」
下の棚を開けて元栓を開けようと手を伸ばし、ガス管が無い代わりに取り扱い説明書が扉の裏側に親切にぶら下っていた。
「なーいす。そうよ、取説読めばいいのよ。」
しかし、取扱説明書を読んでも理解が出来なかった。
私は前世の記憶が強すぎて、この世界の機械の仕組みが理解できないのである。
ああ、悔しい。
理系のクラスにいた筈の女が、台所の使い方さえもわからないなんて。
「何をしているの?」
柔らかく可愛らしい声が、台所というか私の上に落ちた。
私は声がした方を向くと、なんと、台所の勝手口に大き目のグラタン皿を抱きかかえている美女が立っていたのである。
蜂蜜色のブロンドは簡単に一つ髷に緩く結わえられていたが、巻き毛のウェーブがある髪質だからか、柔らかい月の光のように彼女の顔を輝かせている。
白い陶器のような肌を持つ卵型の輪郭の中には、大きなアーモンド形の菫色の瞳が輝き、口元なんて、ピンクですよって程にきれいな色合いだ。
「うわ、女神さまがいる。」
彼女はとても気さくな人らしく、初対面のまともな返しも出来なかった私に対して、肩を震わせて笑い、ダイニングテーブルにグラタン皿を置くと、何もできない家主の私の代りにお茶の支度をし始めた。
つまり、お湯を沸かし始めたのである。
「ヤカン、沸騰。」
彼女が水が入ったヤカンを五徳に乗せて呟くや、魔法のように炎がぼっと吹き出してヤカンの下で燃えだした。
「え、どうして!このスイッチは一体何なの!飾りなの!私は偉くないけどわかんない!」
「ふふ。それは言葉が話せない人用のスィッチ。そうね、右のスイッチを押し込みながら左の小さな選択盤を操作してごらんなさいな。」
私はヤカンを沸かしている隣の台のスイッチを怖々と押し込みながら、言われた通りに左側の選択盤に触れた。
「まあ、次々に表示が出るわね。でも、普通に強火、中火、弱火でいいのに。」
「まあ。そんな単純だったら美味しいご飯が作れないじゃないの。一番簡単な卵料理だって火加減が一番大事なんだから。」
いや、そこまで機械がしたら手料理する必要なくね?と、私は親切な美女に言いそうになっていた。
そう、親切な美女だ。
わぉ、彼女の持ってきたグラタン皿の中身はバナナクリームパイじゃないか。
「まあ、おいしそうなパイ。あなたが焼いたの?」
「ええ。これから仲良くする事になるのだもの。わたくしはデトゥーラ・メーテル。ハルベルトに婚約破棄されたばかりのあなたの先輩ね。」
「あら、まあ。」
と、言う事は、これは隣人の友好的なこんにちわ!ではなく、ライバルに対しての宣戦布告という行動なのかしら。
「あの、あなたはハルベルトが忘れられないのかしら。」
しかし、ライバルかと思われたデトゥーラは首を振り、ここが気に入ったからいるだけよ、とせつなそうな表情で答えた。
その顔は違うでしょう。
よし、私は彼女の幸せを応援しよう。
こんなに美人で優しそうな女を妻にしなかったハルベルトは目が悪いか、頭が悪いに違いない。
ここはハルベルトを彼女に振り向かせ、そして、私はヒューに恋心を、って、そんな結果になったら両親は、あんなに頑張っている両親は社交界から爪弾きにされてしまう。
そうか、だから彼女も首都星に戻れないのだ。
「仲良くしましょうね。私もこのまま住み着く事になりそう。でも、いいか。そのうちにここの地を振られた婚約者居住区にして、どうして俺は抱いてもいない女達を養わなければならないのだろうと、頭の悪いハルベルトの頭を悩ませてやれそうだし。」
ディトーラは真っ白な頬をピンク色に染めて、私を最高だと褒めてくれた。
「あなたはきっと選ばれる。ううん。私も応援するから頑張って。」
「そんなことをしたらあなたは。あなたのご両親は。」
「ふふ。もう勘当になっているもの。でも、決めたの。私は彼がここにいる限り、ここにいようって。」
私は彼女の健気さに涙が零れそうになった。
よし、私だって両親に勘当になってもいい。
この友人になりたい彼女の為に、私も彼女を応援しよう!