六十五 聞きたかっただけなんだよね
俺は婚約者を助けるためにバルコニーから部屋に飛び込んで、しかし、先に部屋に潜んでいたカーンが大男の一人を簡単に昏倒させた。
俺はもう一人の足を払い、そのままその男を殴りつけて床に倒した。
俺は父に肩を叩かれた。
「お前はできるようになったな。」
「イリア教官をコイツには付けたんだ。これぐらいできなくてどうする。」
一人を倒してしゃがんだままのカーンは暴れたりない様子であり、そして、俺は婚約者の無事を確かめようと彼女の下へ振り返り、しかし、彼女はカーンへと走ってきていた。
「ミモザ。」
彼女はカーンの前に立ちはだかったが、下ろした両手をぎゅうっと拳にして両足で踏ん張っているという姿は、子供が罪を告白しようとする幼気な姿にしかみえなかった。
俺はミモザを抱き締めてやりたいと一歩前に出て、しかし、父に俺の腕は抑えられた。
「ごめんなさい。カーン。忘れていて。ごめんなさい。マリアの事忘れていて。あなたはマリアの事を一言でも私から聞きたかったのよね。」
しゃがんでいたカーンはゆっくりと顔を上げて、そして、全てを求めるかのような顔つきでミモザを見つめた。
「……なんて言っていたかな、マリアは?」
「ノ、ノアの下に戻れなくなった、カ、……カラスと一緒だって。」
「だから君はカラスを捜してくれたんだね。あいつが戻って来れるように。」
ミモザはうんうんと頭を上下に振り、俺は兄が恋人を失っていたという事実を今初めて知った。
それも、俺達が目にしたプラテンス侯爵夫人の汚らしい差し金で、だ。
「ちょっと、二人だけにしてあげよう。」
「父さん。……ええ、いいですよ。」
カーンはミモザを抱き締めていたが、それは俺がミモザを抱き締めるものではなく、父が姉を抱き締める風景を思い出すような仕草でしかなかった。




