六十四 裏切りとカラス
「指輪の宝石は人の肌ぐらい切り裂けます!」
「ひゃあ!」
「いいこと、さっさと、あの大男たちを部屋から下がらせなさい。」
「いいわよ。侯爵夫人にこんなことをしたと騒ぎになればあなたはお終いね。ふふ。ここでなくてもあなたは大学生。どこかで下賤な男と子作りだってするでしょう。ねぇ。信じてもらえたらいいわよね。あなたはそんな気がなかったって。」
私は彼女の腕をもっと捩じっていた。
私の頭にはあの綺麗な女性の言葉が浮かんでいたのだ。
「私があの日の事を忘れられないの。あの人にそのことも知られたく無いの。でも、ええ、この子を産むわ。でも、この子が彼の子じゃ無かったら、彼には子供の事も黙っていて。彼の子だったら、ええ、真実を言うわ。私が嫌われても、この子から父親を奪う事は出来ないでしょう。」
大人の会話だからと私は部屋を出されていたが、ドアにあった猫の通り道からはイリアとマリアの会話は漏れていた。
途切れ途切れの言葉であったが、前世を思い出していた私にはマリアの言葉の意味が理解でき、可哀想な彼女へのやるせない思いを抱きながら彼女の茶色の猫を抱きしめていた。
「あなたは一人で悩む必要は無いの。帰りましょう、一緒に。」
「できないわ。私は戻れないわ。ノアの下に戻れなくなったカラスと一緒。裏切った私は彼の下には絶対に戻れないの。」
「あなたは襲われたのよ。裏切りじゃないでしょう。」
「でも、自分が許せないの。」
バサバサっと鳥の羽ばたきの音がして、ステンドグラスには真っ黒い鳥のシルエットが横切った。
思い出した鮮明な記憶は、今の私の知識から鳥が何だったか言い当てていた。
あれはズキンガラスだ。
灰色の頭や羽が黒い、ハシボソガラスの色違いと大昔には考えられていた鳥。
黒く無くても、彼等だってカラスじゃないか。
この世界にはカラスがちゃんといたじゃないか。
カラスはもう戻っているよ。
私もこの世界にいていいって神様は言ってくれているよって、私があの日に叫べたら事態は変わっていたかもしれなかった。
「未来でも出産は命がけだよね。かわいそうだったね。」
私達が説得しきれなかったから、彼女はきっと一人で死ぬ事になったのかもしれない。
「この馬鹿者があああ!」
「ぎゃあああああああ。」
私は取り返しのつかない過去に対してやるせなさから叫んでいて、無意識に大きく力が入っていたがために侯爵夫人の腕を脱臼させていた。
私の足元でおしっこを漏らして泡を吹いている女性を見下ろしながら、私は再び頭を掻いていた。
「あ、やば。」
人質を失った私の前には大男二名。
私は一体どうするべきか。




