四十五 仔猫の瞳は水色だ
カーンの涙には驚かされた。
ワハハと雷同のように笑う男が、今や静かにほろりと涙を流しているのだ。
「あ、あの。」
「いえ。すまなかった。俺は過去を思い出していたんだ。ねぇ、ミモザ知っているかな。生まれたばかりの子猫はみんな目が青いんだよ。」
何を言い出し始めたのかと彼を見つめると、彼は私から目を逸らすと、私の横に座り直した。
さっきまでの私を見つめる座り方ではなく、相棒のように私の横に並んで座ったというだけだが、私はカーンの横顔なんて初めて見たと驚いていた。
彼はいつもミモザミモザと私を呼び掛けての正面顔なのだ。
「だ、大丈夫ですか?あの。」
背中から回されているヒューの腕によって、私の腰がヒューの方へとグイっと引き寄せられた。
「ミモザ騙されるな!こいつは無駄に俺達よりも年長だぞ。」
「ひどいな。本当に弟は可愛げが無い。俺はね、今度こそ水色の瞳にずっと見つめて欲しいと願っているだけの男なんだよ。ねぇ、ミモザ。人間の子供だって、生まれたばかりは全部青い目なんだ。」
私はあの夏の日を思い出していた。
シュバルツコフはいつも私の傍にいて、私と手を繋いでどこにでも歩いてくれたのだ。
「ミモザは転んでも泣かないんだね。そんなに膝小僧が擦り剝けているのに。」
「大して痛く無いもの。泣いて時間をロスするよりも急いで消毒の方が重要だわ。破傷風は怖いもの。そうじゃなくて?」
「でもね、子供には泣いて助けを求めて欲しいなって、俺は思うんだよ。」
「あなたはみんなの守り神のシュバルツコフ君ですものね。」
だめだ。
私の脳裏には笑顔のシュバルツコフ君しか思い出せず、思いついた事を台無しにしかしない。
「あれはお前のせいじゃ無いだろ。」
兄を諫めたヒューの声に私はハッとさせられた。
カーンにはやはり辛い過去があったのね、と。
子供がいた、とか。
「いや、俺のせいだよ。」
「そう思うならさ、今までに散々お前が壊した俺の持ち物について謝罪しろよ。」
「え、謝ったでしょう。」
「あ、悪い、は謝った内に入らないよ。」
「仕方がないでしょう。壊れたんだから。ちゃんと同じものも買って君に返したでしょう。」
「ああ、むかつく。俺が三年かけて手に入れたボトル入り帆船、どうしてお前だと三日で手に入るんだよ。」
「それは俺が侯爵様だからだろ。俺がせっかく手に入れた帆船、お前の品よりも数段良い品なのに、お前は受け取らないんだものなあ。」
いつの間にか兄弟喧嘩になっていると、私はカーンに下ろされた皿を再び手に取った。
今度はいつ食べれるかわからない私特製パンケーキなのだ。
絶対に残さず食べてやる!
「あ、ミモザばっかり。俺にももう一口。君のフォークで大丈夫だよ。」
「いや、いい加減にここは引けよ。俺とミモザが良い感じだった所だろ。お前こそ邪魔をするなよ。さっさとお前の部下が待つ俺の迎賓館に戻れ。」
「嫌だね。お前こそミモザちゃんの為に諦めろ。俺はね、この子を失いたくないんだ。俺はミモザに心配そうに見下ろされた時、死んだあの子が俺を心配して天国から戻ってきたと思ったんだ。」
ああ、やっぱり。
きっと、庶民との許されざる恋で出来た赤ん坊でもいたのね。
うん、それならば、カーンの長い独身も頷ける。
八歳の私が十八になるまで待っていた、クマ着ぐるみの中の人だったロリコンストーカーであるよりも絶対良い。
「一回茶色の目になったら、死んでも青くなんないよ。それこそ死んだミャウミャウちゃんが可哀想じゃないか!」
「死んだら一番いい時だろうが。ミャウミャウは生まれたばかりは白くて青い目の最高の奴だったんだよ。どうして、全部が茶色になっちゃうの!茶色ばっかりって最悪だろ!」
「悪かったな。茶色ばっかりの愚弟でよ。無個性な奴でな、悪かったよ!」
私はバカなことを言い出したヒューを突き飛ばし、それから兄であるカーンの肩も軽く突くと、自分のホットケーキの皿に戻った。
あの夏の日に、彼が私を呼び間違えた名前はミャウミャウじゃない。




