四十四 どうして従者なの?
俺はムスファーザの注文であるルビーのネクタイピンに、それだけではなくルビーのカフスボタンもおまけに付けてやろうと考えていた。
彼のお陰でミモザとのひと時、それも、彼女特製ホットケーキと、俺特製のスクランブルエッグに焦げたベーコンにもありつけたのだ。
ミモザが自分で料理が全部したいと、オートメーション化された台所を壊しまくっていた理由が俺には一口で理解した。
ホットケーキに彼女の味があるのだ。
彼女はバターの味が強い方が好きらしい。
それには俺も異論はない。
噛みしめるとじゅわっとほんのり塩辛いバターの味が口腔に広がって、罪深いほどにたっぷりとかけたシロップの甘さをさらに引き立たせるのだ。
そして、俺の夢のスクランブルエッグとベーコンを添えた幾重にも重ねたホットケーキというものだけでなく、鉄板の前に二人で立ってあれだこれだとくだらない話をしながら料理をするという楽しさ。
毎日がこんな風であるのならば、俺は結婚という枷など怖くはない。
いくらだって丸裸になってやるというものだ。
丸裸になるという考えのせいで、準備中に掛けられたミモザの台詞に違う状況を思い浮かべてしまって俺は失敗しかけてしまったが。
「うわぉ!環境破壊の咎で牢屋に送ってしまうぞ!」
どうして兄を先に鉄板で焼いてしまわなかったのだろうか。
カーンは仲睦まじい俺達の完全な邪魔をするように中庭に出てくると、なんと、俺の横に座っているミモザの隣に当たり前のようにして腰を下ろしたのだ。
「俺にも頂戴。ほら、偉い人に袖の下は必要だよ。逮捕されちゃう!」
「お前!何をでかい図体してひな鳥の真似事をしているんだ!」
カーンはミモザにあーんと口を開けているのだ。
「まあ、でも、このフォークは私が使ったものだし。」
言うが早いかミモザは俺のフォークを取り上げて、俺の皿から一口分のホットケーキを奪うと兄の口に放り込んだ。
カーンはその行為に驚いた風に目を丸くしていたが、口に放り込まれたホットケーキを咀嚼しながら違う輝きを瞳に浮かべた。
「わぉ、凄く美味しい。それから、やっぱり君はイアン教官の薫陶をきっちり受けていたね。これなら、俺の任務地どこにでも君を連れて行ける。君は俺と様々な星を廻り、君の一生の願いでもあるカラスを捜す事も出来るよ。」
「あの、どういうことかしら?」
俺はミモザからフォークを取り返すと皿に戻して、皿を下に置いた。
それから俺は目の前の楽園の蛇にイブが惑わされないようにと、彼女の右手を右手で包むようにして握り、左手は彼女の腰に回した。
「言葉通りだよ。弟は君を待つだろう。君が心行くまで自分の夢を追う間、このオケラ星で白髪になっても君を待ち続けると思うよ。情けない事に浮気もせずにね、ずーと独り身だ。そして、君はハルベルトがそんな未来になると知れば、君の未来に蓋をするだろう。大学に行かずに、この辺境の星一つに留まって子供を産んで夫を愛するだけの人生を選ぶはずだ。」
「ああ、カーンはそれで私とヒュ、いいえ、ハルベルトの邪魔をしていたのね。あなたは優しい人ね。」
「違うよ。利己的な人だよ。俺は君が好きだし、君が欲しい。だからね、俺を選んでごらん。そうすれば君は自分の夢を捨てずに、愛する男を愛し続ける事ができる。」
「あの、私は、たとえ愛が無い結婚でも浮気は出来ないわ。」
俺は天晴れとミモザを自分に引き寄せたが、俺の兄カーンは大将閣下様だけあって負けた事など無い男でもあった。
彼はミモザの左手から彼女の皿を取り上げると下に置き、それから彼女の左手を握って、母の鏡台を割ってしまった時も、父の隠していた高級酒を全部飲んでしまった時も切り抜けた、誰をも魅了する笑顔をミモザに向けたのだ。
ただの魅力的な笑顔だけでなく、瞳に羨望も見える表情も浮かべるとは、なんてこいつは姑息でろくでなしな男なのだろう。
「大丈夫。愛する君。君は俺をカーンと呼んでくれるように馴染んでくれた。毎日毎日俺と顔を合わせるたびに君は俺に馴染み、俺を特別に考え、そしてきっと俺を愛するようになれるはずだよ。」
カーンはイブを誑し込む蛇ではなく、純粋な王子様に特別を教える狐を演じるという純粋なミモザには最も危険な男となった。
「え、えと、あなたのお気持ちは嬉しいわ。でも、私はヒュ、ハルベルトの婚約者ですし、それに、私の初恋は迷子の私を助けてくれた騎馬兵だわ。」
俺は今死んでもいいぐらいの幸福の中にいた。
次のミモザの言葉を聞くまでは。
「私は、ええ、社交界の掟を知っているから、ハルベルトが婚約者の従者だって自己紹介して来た時には悩みました。そして、彼が従者ではなくハルベルト本人だってわかったけれど、私は今も悩んでいます。彼の出自で諦める諦めないを考える自分こそ差別主義者で、こんな人間に家庭を持つことができるのだろうかって。諦めない強さを持てなかった自分では、家族が不当な誹りを受けた時に守れないでしょう。」
俺は俺の馬に乗せた少女が自分よりも賢いと笑って見せたが、本当にその通りだったのだと思い知らされていた。
そして、すまなさだ。
彼女は俺のついた嘘に対し、俺に好意を抱いているからこそ散々に悩んでもいたのである。
「ミモザ、済まな――。」
俺は兄が涙する姿を初めて見た。




