二十六 昔の男
私達は覚悟をもって踏み出したにもかかわらず、たった一歩で戸口から動けなくなったのは、舞踏場で次々とドラマが巻き起こっていたからである。
ヒューの昔の女や、デトゥーラが語ってくれたアカシアやら、だ。
ただし、アカシアの言い分には首を傾げるばかりだ。
デトゥーラが死ねば自分が後釜になれると思い込んでいるが、大きな胸以外デトゥーラに勝てる要素は、うわ、デトゥーラの胸の方がデカい。
すごいな。
あそこまで自分がデトゥーラより優れていると考えることができるポジティブさを、デトゥーラこそ持って欲しいと思う所だ。
「ごめんなさい。ミモザ。一人で行かせて。」
私と手を繋いでいたデトゥーラは、そっと私の手を離した。
私は彼女の横顔に怒りの色が見えた事にそれだけで嬉しく、彼女を送り出す気持ちで私も彼女の手を離した。
「頑張って。」
自由になった彼女はつかつかと、ガウンを翻させながら、怒れる女神のような美しい姿で真っ直ぐに舞踏場の真ん中に進んでいき、そして彼女の登場に振り向いた人々の輪の中に入る手前で止まった。
そして、輪の端に立ってデトゥーラの姿に見惚れていたブランズウィックに張り手をかました。
「え、アカシアじゃないの!アカシアこそじゃないの!どうしてブラン!」
当たり前だが私を含めてデトゥーラ以外の全員が驚いた顔を作っており、叩かれたブランズウィックなど床に尻餅までついてデトゥーラを見上げている。
叩いたデトゥーラは、なんと、両目からぽろぽろと涙を流しているではないか。
「う、うそつき!あなたは、あなたは!ああ、どうして私は気が付かなかったのかしら。一言もしゃべらなくても、あなたはいつも優しかったのに!」
うわ、尻餅ついていた男が、今度は近衛兵が女王に謁見する時のようにデトゥーラに対して跪いたではないか。
そして、右手をそっと差し出して、デトゥーラのガウンの裾を掴んでそこに口づけをした。
「あ、あ、あなたは。あ、あ、名乗らなかったあなたが、あなただったなんて!」
「ああ、俺を許してください。俺は素晴らしいあなたがあんな男に嫁いでいくことが許せなかった。だから、すいません。あなたを庇う所であなたを庇う事が出来なかった。辛かった。後悔ばかりです。このまま死んでしまいたいほどに。仕事も失って、死ぬばかりだとこの星に来て、そうしたら、あなたがここにいた。俺は謝るどころか、あなたの優しさに何も言えなくなってしまった。すいません。本当に許してください。いえ、憎んでくださっても構わない。」
「ああ!ブランズウィックは間抜け王子の付き人をやっていたのね!」
「ああ、そっか。君達は最初から知り合いか!ああ、それで君は目は治るのに再生機を使わず、包帯を外さなかったのか!」
私とヒュ―は同時に、そうか!という風に大声をあげていた。
それで私はムスファーザに口をふさがれ、いい所なのにと叱られた。
あ、ヒューはブランズウィック本人によって拳で脛を殴られた。
うわぁ、痛そうだ。
足の痛みにしゃがみ込んだヒューの存在をものともせずに、デトゥーラとブランズウィックの愁嘆場は続き、デトゥーラは自分のガウンの裾を掴んだままの男の前にとうとう崩れ落ちた。
「で、では、あなたの気持ちは罪悪感だけなのですね。わ、わたくしはあなたを、ああ、あなたを愛しておりますのに!」
「愛しております!ああ、あなたを抱く事こそ俺の夢です。あなたとの乗馬は俺の最高の出来事でした。」
「では、どうして抱いてくださらないの!」
デトゥーラの問いに答えたブランズウィックの声は言い難いかのように苦しそうに酷く擦れていたが、言葉としては誰もが想像のつくものだった。
「俺は、身分違いです。」
数分前のデトゥーラだったら、ここはただ悲しみに浸るだけだったろうが、彼女は友人の私を守ると言って見せたくらいなのだ。
ブランズウィックと心が繋がっているのにここで何もしないなんてありえない。
彼女は飛び掛かるようにしてブランズウィックに抱きついた。
私はやったと飛び上がり、身軽になったのは私を拘束していたムスファーザが消えたからだと気が付いた。
まあ、ここにはイリアがいるものね。
私だって、あんな風に愛する人を抱いて抱きしめられたいもの。
ブランズウィックは、デトゥーラが消えてなくなるかのようにして必死に抱きしめている!
「ああ、俺を憎んでください。俺を罵って下さい。俺はこんなにも幸せなのに、あなたを、愛するあなたを不幸にするばっかりなのです。」
「あなたが私を愛してくれるだけで幸せなの。あなたの愛がなければ、私は不幸のままだわ。」
「俺は爵位どころか、仕事もなく、紳士名鑑にも載りはしないただの男ですよ。」
「いや、紳士名鑑には載っているよ。君は勲章付きの騎士様だもの。今後は騎士としての褒賞もあるから食っていけるだろうし、公爵を助けた騎士と伯爵令嬢の恋愛だったら、普通に祝福されるでしょうよ。」
デトゥーラとブランズウィックは抱き合ったままであるが、無表情になって得意そうな顔をしているヒューを見上げた。
ヒューがデトゥーラとブランズウィックの盛り上がりに水を差したのは、彼等の門出が不幸では無いと一刻も早く教えたいというよりも、ブランズウィックに殴られた脛の痛みの報復かもしれない。
何しろ、ヒューはブランズウィックに目玉を回してお道化て見せたのだ。
そんな事をしたせいで、彼は再びブランズウィックに脛を思いっきり殴られた。




