二十三 使用人部屋
私達はベンジャミンの部屋に行ったが、荷造りはしてあるがそこに軟禁されていたはずの男はいなかった。
ただし、部屋には誰もいない、という事でもなかった。
ベンジャミンが使っていただろうベッドに、中肉中背のいつまでも可愛らしい顔つきの中年男が転がっているのである。
何も知らないデトゥーラは見ず知らずの男性の出現にガウンの胸元をぎゅうっと閉じ、私は自分の頭を左手で掻いた。
やべ、って感じだ。
私は今までにムスファーザに余計なメールをしたっけ?
イリア一筋の彼は、イリアだけが世界であるので、物凄く嫉妬深いのだ。
あ、婚約者も婚約者の部下もイリアの教え子だったってメールしたかも!
「あの、わ、わたくしはデトゥーラ・メーテルと申します。恐れ入りますが、この部屋にいたベンジャミン・ルビンという使用人の行き先はご存知かしら?」
あ、そうだった。
私達がここにいるのはそれが理由だったとムスファーザを見つめると、ムスファーザは閉じていた瞼を左目だけ開けてデトゥーラをチラリと見て、それからイリアが彼をファーファと呼びたくなるのがわかるほどの甘い笑みだけをデトゥーラに返した。
あのイリアを陥落できた魅力的な男の笑顔だ。
当たり前だがデトゥーラはその素晴らしい笑顔によって二の句が継げなくなり、私は仕方が無いなと後を継ぐことにした。
「ファーファ伯父様。お願いだから教えてくださいな。」
彼はごろっと私達に背中を向けて、いや、と言った。
「どうしてですか!」
「だって、僕には来るなってイリアが言うんだもん。いや。」
……イリアが何かする時にムスファーザがいると邪魔だって事はわかる。
彼はイリアを目にすると、仔犬並みに小煩く纏わりついてくるのである。
よって彼女は仕事の時は、公私混同はいけないからとイアンに戻る。
この世界は病気や怪我を直すための再生機というものが存在するが、再生後の性別を変えることで性別も簡単に変えられるという非常識な使い方も出来るのだ。
性別を変える手術をする前の身体のデータと、手術後の身体のデータを残しておけば、その時々にどちらに再生するのか選べるという、とんだカオスだ。
「あの、ねえ、ミモザ。この方はどなた?おじさまって。」
肩つつかれてデトゥーラを見れば、彼女はとても困惑顔だ。
「ああ、彼はイリアの旦那様よ。ムスファーザ・リリオぺ様。」
ねぇ、と後ろ向きのはずのムスファーザを見返したら、彼は私の方に体の正面を向けていた。
「ひゃっ。その嬉しそうな笑顔は何ですか!」
「うふふ。だって旦那、さま。そう旦那様。僕はだんなさま、なの。ぐふふ。」
旦那って紹介でこんなにも喜ぶなんて、彼はイリアには旦那じゃなくてペットという扱いだったのだろうか。
私はベッドのわきに身を屈めると、ムスファーザの手を取った。
彼は茶色の瞳を仔犬の何かなって言う風に私に向けた。
「なあにかな、ミモザ。」
「ねえ、伯父様。私は何度か殺されかけているの。それでね、その真実を知りたいからこの部屋にいた筈の青年の居場所を知りたいのよ。」
ムスファーザは私の手を優しく振りほどくと、再びぐるっと寝返りを打って私に背中を向けた。
「ファーファ伯父様!」
「……だって、イリアが来るなって。」
「じゃあ、私のお願い。私のボディガードをして下さい。それだったら、私の行く所はどこでもついて来れるでしょう。」
「わお!」
ムスファーザは嬉しそうな声を出すとぐるりと勢いよく再び私に体を向け、でも起き上がるどころか、ちょっと待って、と言った。
目元に軽く右手を当てている所を見ると、イリアを裏切るようだと急に心配になったのかもしれない。
「伯父様?」
「ちょっと待って。グルグルしていたら目が回った。」
この人は本当に恐ろしい人なのだろうか。




