十六 何が何だか
ミモザが直接俺にデトゥーラとブランズウィックをくっつけようと言って来た時はピンとこなかったが、ミモザの後ろ姿を茫然と見守るうちに、ミモザが言って来たことがデトゥーラが俺との婚約破棄を静かに受け入れた理由だったと、ようやく俺は思い当たったのである。
久々に再会したあの二人の遠乗りでの姿は、まるで恋人同士のように幸せそうで仲睦まじかったではないか、と。
俺こそミモザよりも彼らの様子に気付いておくべきであったのに、俺はきっと自分のくだらないプライドによって敢えて見逃していたのだろう。
惚れた女性が自分を全く見ていなかったという事実だ。
こんな荒野に骨を埋めることも覚悟し、間抜けな男の女房になることを誓ってくれた夢の女が、一族への責任感だけで一片の愛情も俺に抱いていなかったという事実を俺は認めたくなかったのだ。
そして、今の俺の前には自由な妖精がこんにちはをしている。
そこで俺はデトゥーラに真意を確かめたくなったのだ。
デトゥーラに真意を確かめて、俺は俺の完全な失恋を経験したその上で、恋物語の相手に保安官は素敵だと言ってくれたミモザに立ち向かおうと思ったのだ。
まだ恋心は無い。
だが、彼女が言った通りに友達から始めるにしても、真っ新な心持で彼女に向かい合うべきだと俺は思ったのである。
あの子はとっても純粋だ。
ただでさえ自己紹介で嘘をついてしまったのだから、それ以外は彼女に誠実でありたいと俺は思っているのである。
つらつらと思いながら歩いた先には三軒のスペイン風の邸宅があるが、客人用として建てたこれらは、実は煩い自分の家族用に建てたものである。
両親については言わずもがな、どんなに仲の良い兄弟姉妹だって年を重ねて独り立ちをする年になれば、煩くうっとおしい存在となるのだ。
弟思いだった自慢の姉は結婚後に母のクローンと化しており、結婚はいいわよ教を布教するだけの人となり、数分も同じ部屋にいられなくなってしまった。
兄達は未だに気のいい奴らでもあるのだが、俺の大事なコレクションを俺の目が無い所で無造作に触りそう、どころか、いくつか壊された苦汁を舐めさせられたので、やはり、いや、奴らこそ俺の家から遠ざけたい。
そんな家族専用隔離部屋だったが、実際の家族に使われる事が全くなかった。
奴らは意外と出不精だったのだ。
その代りのように、俺の婚約者志願者達が住み着き利用する事になるとは、とんだ人生の皮肉と言ってもよい。
俺が新品のはずの迎賓館の一つの扉をノックすると、玄関ドアは蝶番をこれでもかという風にギイイイと音をさせながら開いた。
だが、開いても、通常はセンサーでパッとつくはずのエントランスホールの灯りは点かず、しかし、間接照明の光はあるためにかろうじて真っ暗であることからは逃れられている。
普通だったら家の中が異常だと中に入っていくべきであろうが、エントランスホールに置かれた大きなカウチから立ち上がった人物を俺の目が感知した。
それは、信じがたいが、侍女、という人物だ。
デトゥーラは勘当されているといっても伯爵令嬢であり、深窓の令嬢でもある彼女に侍女がいるのは当たり前であるが、俺にゾンビか幽霊のように近づき来つつある目の前の存在を俺は侍女と認めたくはない。
真っ白い髪を玉ねぎ型に結って真っ黒なドレスを常に身に纏っている彼女は、伯爵家の歴史と同じぐらいの年代なのかと思う程の骨とう品なのだ。
艶やかな肌を持つ人形のような顔には、年齢を消すための施術の後遺症によって表情も無く、喋る時も殆ど口を動かさない。
しかし、老齢によって体のバランスが保てなくなっているのか、機械仕掛けの人形のようにぎっちらぎっちらと動くのだ。
いつも黒づくめという服装だけでなく、存在として、デトゥーラの侍女とイアンは共通している所がある。
人でない風情、という所だ。
俺はこの侍女ごと抱えてデトゥーラと結婚しようとしていたのだと、自分の懐の深さに感激もし、婚約が流れていることに、いま、まさに、この上ない感謝を運命に捧げている。
よって、俺の顔は自然にほころびて、いつも以上に気さくそうな声が出ていた。
「デトゥーラはいるかな?」
「おじょおうさまはおでかけされていらっしゃいますぅぅぅぅ。」
全ての言葉を吐き終わった時には、この侍女は死んでしまうのではないかと、俺は笑顔のまま脅えていた。
うううううと、息が抜ける音が語尾の後にしばらく続いているのだ。
「み、ミモザの部屋の方に行っているのか?」
無言で俺の尋ねたことが違うとぎちぎちと首を横に振り、手品のようにいつのまにやら指で挟んでいた白いメモを俺に手渡した。
豚小屋で大事な話がある、と書かれたメモだった。
筆圧の高い下手糞な字はミモザのものだろうか?
しかし、ミモザに豚小屋を案内していなかったはずだと不思議に思いながら俺は豚小屋に向かい、そこで、俺の世界は時間を止めた。
俺の髪は藁のような茶色だが、藁のように枯れてしまったかもしれない。
きっと明日には全部の毛が抜けてしまっていることだろう。
目の前で起きたことは恐怖でしかなかった。
豚小屋の扉を開けると、ちょうど給餌器が作動した所だったが、俺の目の前でミモザが餌と一緒にブタに供給されたのである。
俺が彼女を助けに走ったのは俺の意志では無い。
俺は何も考えられず、頭が真っ白なまま駆けだしており、行動をインプットされただけの機械人形のように餌箱の中に両腕を差し出し、どろどろに汚れてしまった少女をそこから救い上げただけだ。
ああ、脳みそが止まっていてよかった。
一瞬でも躊躇していたら、彼女は悲惨な状況となるところだった。




