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2/25 インド人はみな信心深いって話


2/25 インド人はみな信心深いって話


 私は二つの選択を迫られていた。20gで2500ルピーか、40gで4000ルピーか。店主いわく、少量で買われると店にとっても割高なのだという。そもそもこれが正当な市場価格なのかも私には判断が付かない。狭い店内で沈黙が流れる。決めかねて天を仰ぐと、神棚のガネーシャ像と目があった。



 話は一日前に遡る。

「ハシシ、ハシシあるよ」カルカッタの息もつかせぬ人混みのなか、耳元で日本語で囁いてくるインド人がいた。興味を持って振り返ってみると、20歳くらいの若い男が、ニヤリと笑みを浮かべてふたたび「ハシシあるよ」と囁いた。


 ガンジャやチャラスといった呼び名もあるそれは、つまるところマリファナ、大麻のことである。要はこの男は売人だ。私は一瞬強い興味を覚えたが、インドに到着して数日で理解したこの国の第1ルール「向こうから話しかけてくる人間にロクなやつはいない」を徹底していたので、警戒しつつ、少なくともまるで興味などないように振る舞った。



「ふーん、ノーサンキュー」



 そういって脇を抜けようとすると、案の定食いついてきて、聞いてもないことをベラベラと喋ってくれた。



「ハシシある!あと両替も出来る!」



 大麻よりも、後段の部分が引っかかった。両替ができる? 売人の両替ってことだから闇両替か? それは「ウマい」んだろうか…。暗い欲望が私のうちの中で渦巻いていた。


 貧乏バックパッカーなら、1円、いや0.5円でも良いレートを提示する両替所を求めて、一日中街を彷徨う、なんてことを誰しも一度はしたはずだ。冷静に考えれば、海外旅行の一日を、たかだか数十円の得のために棒にしてしまうなんて、バカげてると思うだろうが、しかしこれが貧乏人の性なのである。


 いかに安く得に国を渡るか、それが貧乏パッカーの旅の目的なのだ。

 

 そんな卑しい人種に舞い込んくる「闇」の誘惑。私は黒い引力に惹かれて、言われるがままに男へとついていったのである。




 その若男に声をかけられたのは、サダルストリートから4,5分ほど離れた大通りで、露店が歩道に軒を連ねる、カルカッタのなかでもとくに人混みの激しい地区だった。大通りから右の路地へ折れ、しばらく先へ進むと、もはや車両は侵入できない歩行者だけの迷路が現れる。


 両側の建物にはところせましとテナントが入居しており、電気店からメガネ屋・衣料品店までなんでも揃っている。


 右側の建物では、道路の片側を見下ろすように、上部の壁面から巨大な看板広告がせり出ているが、その看板の端を支えるスティールの外側には、なぜかポーズを取ったスパイダーマンがぶら下がっている。


 まさかこれがマーベルの広告だとも考え難く、おそらく広告スペースのオーナーが、広告に箔をつけるため、勝手にスパイダーマンの巨大模型を付け足したのだ。私はそのカルカッタの何でもありな自由さが気に入っていた。この街でなら、スパイダーマンとスーパーマンの共演も実現しそうに思えた。


 そして、男はその「スパイダーマンビル」の内側に潜り込んでいった。




 中は意外な広がりを持っていて、細い通路がアリの巣のように複雑に交差している。おそらく周囲の建物と内部で連結しているのだろう。スモッグに汚染された外の世界とは打って変わって、真っ白な蛍光灯と、白いタイルが敷き詰められたビル内は、まるでSF映画の未来世界のようだった。


 おそらく内部もテナントビルに違いなかったが、そのほとんどはシャッターが降りており人気( ひとけ)はない。街の外だけでこれだけの活気あるのだから、わざわざ商品を買うのにビルの内側に入る客はいなかろう、ゆえに内部が閑散としてるのも当然のことであった。


 だが、ビルの深奥にその土産物屋はあった。周囲のテナントは全てシャッターで閉ざされているなか、その店だけは明かりをつけて営業しており、ガラス張りの入り口からみえる商品と言ったら、まるで旅行者でさえ敬遠しそうなくらい、役に立たないガラクタばかりだった。




 案内した男に促されるまま、私はその店に足を踏み入れた。カウンターにはこの店の主人と思わしき中年の男と、そして客側の一隅には、客と思わしき白人の女性がひとり、パイプ椅子にうなだれて座っていた。


 中は非常に手狭で、せいぜい4畳半かそれくらいの広さしかない。しかも、そのうち店の半分はカウンター兼用のショーケースに遮られているので、通れる隙間と言ったら、せいぜい人ひとりが行き来できる程度だった。


 店の内部は周囲を透明な商品棚に囲まれており、ガラス製ドクロやヒンドゥー教の彫り物など、とても購買意欲をそそられない土産物で埋め尽くされていた。事実、深く埃をかぶったそれらの土産物は、この店の主力商品ではないことを自ら語っていた。カモフラージュというやつだろう。


 むしろメインは、ショーケースに隙間なく埋められた多種多様のパイプと、そしてその関連商品であることが察せられた。



「何が欲しいんだ?」



 店主の男が聞いてきた。



「両替をしに来たんだ」



 男は興味深そうにこちらを眺めると、いくら替えてほしいんだと催促した。

 私が当座の生活費分の円を渡すと、男はルピーにして戻してきた。妥当な金額に思えたので、それを受け取ろうとした瞬間、店主はパッとルピーを自分に引き寄せ、忠告した。



「インドで金を受け取るときは、ちゃんと数えなきゃ駄目だぜ」



 結局その日は、その店で両替をしただけで宿へと帰った。あとで市中の両替所や銀行のレートと比較してみると、闇両替のレートは、街のそれとほとんど同じであることがわかった。おそらく街のレートを参考にしていたのだろう。


 さらに、このときに受け取った1000ルピー札は、高額すぎてインドでは滅多に使えないということを、その晩に知った。使おうにも、相手に釣り銭がないのだ。

 1000ルピー札はまるでババ抜きのジョーカーだ。インド貨幣経済とは、使えないお札を如何にして相手に押し付けるかの戦争なのである。





 その翌日。私はまたその土産物屋にいた。


 闇両替の成功で気が大きくなっていた私は、次の商品に進んでみようと決意したのである。その日訪れたのは昼ごろだったが、まだ開店準備中だったらしく、店主が慌てて店のカギを開けて入れてくれた。

 

 店に入ると、店主の男がカウンター裏の神棚に手を合わせ始めた。神棚には、象の顔を持った小さな人型の彫像が置かれていた。



「これはガネーシャと言って、インドの富の神様なんだ。だから、商人は毎朝こうやって手を合わせるのさ」



 聞いたわけでもなかったが、店主は丁寧に説明してくれた。大麻の売人でも神様にお祈りするんだ、と私は変な感動を覚えた。



「ハシシがほしいんだ」



 そう私が口にした瞬間、店主の眼光が鋭くなった。



「…誰から聞いたんだ?」



「昨日ここにつれてきてくれたヤツから」



 店主は納得したように頷いて、



「20gで2500ルピー、40gで4000ルピーだ」



「…ちょっと高い。もっと少ないやつはないの?」



「ない。みんな40gで買っていくからな。中途半端な量で買われると残りが売れ残るから、分割でほしいなら高くなる」



 なるほど。しかし2500ルピーもあれば、5日はインドで生活が出来る。正直なところ、初回お試し大麻として少しの分量で良かったのだが、そういうことなら仕方がない。



「20gを買うよ」



 店主は満足そうにうなずいた。





「ならパイプも買わないと。パイプ持ってないんだろ? ほら、これとかオススメだ」



 私がドラッグの初心者であることを見抜いていたのだろう、店主はショーウィンドウから取り出したパイプを丁寧に解説し初めた。実際に、右も左もわからなかったので、言われるがままにパイプも購入した。それでも200ルピーだか300ルピーだかだったが。


 最後に5センチ四方のジップロックを受け取った。中には緑色のタールのようなものが入っていて、大麻といえば乾燥しきった草葉を予想していた私はその姿形にビビっていた。しかしビビっているのがバレるとダサいのでビビってないフリをしていた。



「じゃあ取引成立ということで、チャイを飲もうか」



 そういって男は店の裏側からチャイを淹れてきた。インド人はチャイが大好きだ。どこでもチャイチャイ言っては、どこでもチャイを飲む。一口サイズの紙コップになみなみと注がれた熱いブラウン色の液体は、たしかに美味しそうに見えたが、飲むのは躊躇われた。


 当時、インドでは睡眠薬強盗というのが流行っていた。このように「お近づきの印」といって勧められた食事やチャイを旅行者が口にしたが最後、強力な睡眠薬で立ちどころに昏睡し、あっというまに身ぐるみ剥がされるという手口が珍しくなかったのである。


 『忍びの習性でな。人からもらった飲食物は喉を通らねーんだ』とでも言えればカッコよかっただろうが、あいにく私にはとっさにそれを口にできる機転も英語力もなかった。

 それに、ここまできてチャイを口にしないのは、失礼に思えたし、この店主との友情を壊すのもなにか悲しいことのように思えた。



(もし睡眠薬が入ってるなら味で分かるはず…)



 私は恐る恐る、チャイを口にした。あの国のチャイ特有の、甘ったるい味が舌一面に広がった。そして2、3口飲んで、「うまかったよ」とチャイを返した。


「もういいのか?」店主は訪ねたが、「実は腹の調子が悪いんだよねー」と(うそぶ)いて誤魔化した。あとあと考えてみれば、仮にチャイに薬が入ってるなら一口飲んだ時点でアウトだったろうし、そもそも私に住所バレしてるのに睡眠強盗なんてする意味がなかった。



「それじゃあ、もう帰るね」



「ああ。ところで今はどこに泊まってるんだい?」



「ホテルパラゴン」



 本当はホテルマリアだったが、密告されたら嫌なのでウソをついた。相互不信が、この国の旅のスタイルなのだ。



「Oh~、気をつけなよ。あそこは蚊に噛まれて死んだ日本人が二人いるんだ」



「マジで!?」





 宿に戻り、私はハシシの隠し場所を求めた。明後日には鉄道でバラナシに発つ。もし移動中に草が見つかってしまってはコトだ。カバンやパンツのポケットではあまりに安易だし…。


 そうだ。私はあることをひらめいて、バックパックから、お土産物を詰め込んだビニール袋を取り出し、中をぶちまけた。中身はすべてインド映画のBD・DVDだった。私はそのうちのひとつに狙いを定めて、アウターケースを外し、パッケージを開き、そしてミニぺーパーを挟む“ツメ”にジップロックを挟み込んだ。よもやこんなところに草が入ってるとは思うまい。パッケージを閉じる。リティク・ローシャン主演“Bang Bang!”だった。


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