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出会い

森の奥深く、男は一人の死体を眺めながら立ち尽くしていました。


人とはどうしてこう、無駄なことをしたがるのだろうか。


それはなんとか生きたいと命乞いや抵抗を試みる人間と、それを弄んだ後に結局は殺した自分自身への問いかけでした。


息を深く吸い込み真っ青な空を見上げると、鳥たちが木々の間を悠々と飛び交っています。


男は自嘲気味に吐き捨てるように笑いました。


「だから、面白いんだ」


赤紫の小さな一輪の花が、そこには咲いていました。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


第二次大戦が始まる前の話。

ドイツではヒトラーを党首とするナチスという政党が政権を握っていました。


ナチスは我がドイツ人らが世界で一番優秀な民族であるとし、ユダヤ人はそれをおびやかす最大の悪だと主張しました。


ユダヤ人という敵を作ることで、ナチスは多くのドイツ国民を団結させ、力を増していきました。


こうしたナチスの政策により、ドイツ中のユダヤ人は差別・迫害されていきました。


ついにはユダヤ人やその他下等民族とされた民族は、収容所に囚人として収容され過酷な労働を強いられ、使いものにならなくなったユダヤ人たちは殺されていきました。


話はここからなのですが、ドイツのとあるユダヤ人強制収容所に、ローリッツ大佐というナチスの親衛隊員の男が所長として働いていました。


※親衛隊とは、ナチスの党員の中でも優秀な者しか入隊できない、特別な組織のことです。


ローリッツ大佐はとても残酷な性格でナチス親衛隊の中でも有名でした。


収容所と言っても彼の仕事は囚人(ユダヤ人など)の名簿登録や作業監督などの事務や管理業務が殆どで、直接囚人と関わる仕事はありません。


しかし裏では適当なユダヤ人を勝手に殺したりしていたのです。


本来、労働力にならないと断されたユダヤ人達は皆、毒ガスやピストルなどで殺して廃棄することになっていました。


しかしどういうわけかローリッツ大佐は、労働力があるなし関係なしに殺害し、その方法も地味なものを好みませんでした。


部下の中にも残酷な人がいて、健康なユダヤ人をゲーム感覚で銃で撃ち、殺した数を競っている者もいましたが、ローリッツ大佐はそれは許されないと憤りました。


彼はより残酷で芸術的な殺し方を愛していたのです。


足に重しをつけた後に大きな水槽に入れて窒息死させたり、檻の中でガソリンを撒いて火を着け焼き殺したり、子供の目の前で両親を殺すなど、精神的に追い詰めたり、すぐには死なないような殺し方が好きでした。


挙げ句の果てにはそのユダヤ人たちの死体を犬に喰わせたりもしました。


ガス室担当の親衛隊員や収容所の残酷な看守らでさえ、その大佐の奇行を見て


「頭がおかしい」


「サディストの究極だ」


「それはやりすぎだ」


と顔をしかめたそうです。


しかし大佐はそのように周りから言われると、余計に嬉しそうに笑うのでした。

いつしかローリッツ大佐はユダヤ人達から、


「ダッハウの処刑人」


などと呼ばれるようになりました。

大佐の勤めていた収容所は、ドイツのダッハウという場所にあったからです。


ある日ローリッツ大佐は、何か他に美しい虐殺の仕方はないかと考えていました。


しかしこの日ヒトラーから直々に、


「お前の囚人の私的使用が目立つ。生産性のあるユダヤ人を殺すのは控えろ」


との連絡が入ってしまいました。


ヒトラーは殺人鬼ではなく政治家ですから、安価な労働力として使えるユダヤ人たちが、無駄に殺されてしまうことに我慢なりませんでした。


ローリッツのナチスに対する忠誠心は本物でしたので、当初ヒトラーは彼の残虐行為を大目に見ていました。

が、それでも頻度が多く目に余ったのでしょう。


「つまらねえな」


大佐は吐き捨てるように一人グチをこぼし、気だるそうに乗馬ズボンのポケットに手を入れて、今日は仕方なく一人も殺さずに自分の宿舎に戻りました。


収容所には親衛隊員たちの宿舎が隣接していて、大佐を含む多くの親衛隊たちは住み込みで働いていたのです。


兵舎で一番広くて豪華な大佐の部屋。

ドアを開けるなり一目散にベッドに飛び込んで大の字になりました。


その時ガタン、と物音が響きました。


「なんだ…?」


クローゼットの方からでした。


何か中にしまっている物でも落ちたのだろうか?

大佐は考えを巡らせました 。


大佐は腰に付けている拳銃を取り出して構え、クローゼットの扉をガラガラと勢いよく開けました。


そこには一人の少女がうずくまり隠れていました。


顔立ちは美しく色白で、長い黒髪。

年は17、8くらいでしょうか。


しかし彼女は縦縞の囚人服を着ています。

この収容所に所属するユダヤ人であることは確かです。

彼女は大佐を見て怯え、震えているようでした。


「ここで何をしている」


怒鳴るわけでもなく、しかし冷たい口調で問いただします。


けれども彼女はより一層怯えるだけで、一言も喋ろうとしません。


大佐は彼女の腕を持ち、目の前に引っ張り上げると、囚人服の左腕の袖を乱暴にめくりあげました。

腕には入れ墨で番号が彫られています。

新しい番号。

今日入所してきたばかりの囚人だと分かりました。


脱走してきたのか…?

どうやってここに…

大佐は、少女に突きつける拳銃を更に近づけ、再度問いました。


「ドイツ語通じるか?ここで、何を、しているんだと聞いている」


「やっ、お願い…撃たないで、殺さないで!」


彼女は顔を真っ赤に腫らして、大粒の涙を流し、大佐に懇願してきました。


これは面白い。

大佐はフッと息を出して鼻で笑いました。


いつもこの瞬間がたまらなく好きでした。

自分を見て命乞いをし、相手の生死を支配して、全てが自分に委ねられるこの瞬間が。


それはまるで神にでもなったかのような感覚でした。


「お願いよ…やめて…!」


大佐は引き金を引こうと指をかけました。


いや…まてよ。

大佐は考えました。


ひょっとしてこの状況はまたとないチャンスなのではないか。

ユダヤ人を自分の部屋に持ち込めることが過去にあっただろうか?

周りに他の隊員や囚人がいる状況じゃできないことも、今ならできるってわけだ。

ここで普通に殺してしまえば、そのチャンスを失うことになる。


大佐は突きつけた拳銃を下ろしました。


周りに見られていてはできないこと。

それは、このユダヤ人と普通に暮らすこと。


そして、ただ暮らすんじゃない。

彼女を信頼させてから、裏切るようにして殺す…

信頼していた人間が豹変すれば、もっと残酷で、彼女が激しく泣き叫ぶ姿を見れる…。



「…分かった分かった。殺さないでおいてやるから質問に答えてくれ」


大佐は口元に嫌らしい笑みを浮かべながら、ピストルを腰にしまいました。


少女は驚いたようにこちらを見上げました。


「殺さないから、どうやってここに来たのか話してみろ」


声のトーンを穏やかにして聞くと、 彼女はようやくか細い声で話し始めました。


「私の前の人が、足が悪くてきちんと歩けなくて、それで使えないってピストルで撃たれていたの…怖くなって、隙を見て逃げようとしたけど…出口がわからなくて、ここに、隠れて……」


うつむいて泣き崩れる少女。

こんな小娘一人が誰にも見つからず逃げおおせただと…?

他の隊員達は一体何をしていたんだよ…


そんなことを思いながら、大佐は座り込んだ少女の目線に合わせてしゃがみました。


「かわいそうにな、俺の部屋にお前をかくまってやるよ。他の奴にこれがバレたら俺もお前も最後だ。だからいいか、大きな声は出すな」


少女は大きな目を更に大きくして驚きます。


「……え?」


「ガス室も行かなくていいし、殴られたり撃たれたりしなくていい。ただ俺の言う通りにしていればな」


「本当に…?」


「ああ。本当だ。嘘ならこんなリスク犯すと思うか?」


そう言って彼女を抱き締めました。


少女は一瞬体を硬直させて驚きましたが、状況を理解すると、今度は大佐を支えにしてその胸ですすり泣いてしまいました。


その様子は人に裏切られたことも裏切ったこともないようなほどに純粋な感じで、その目は大佐のことを完全に信じきってしまっているようでした。


面白い。


大佐は後に起こる、少女が再び地獄に落ちて泣き叫ぶ様子を想像しては、ぞくぞくしていました。


自分に騙されたと知った時のこいつの顔はどんなだろうか、どんな言葉を発するだろうか。


澄んだ瞳が捉えた黒服姿の男が悪魔に変わるその瞬間は、いかほどなのだろうか。


興味が尽きません。


そしておそらくこの殺し方が一番美しく、一番芸術的で、一番残酷であるだろうと大佐は確信しました。


何故ならこの少女そのものが花のように美しく、虐殺という名の芸術の舞台に最も相応しい演者だと思ったからです。


すすり泣く少女の背中を撫でながら自らに言い聞かせます。


これから俺は『世界で一番優しい親衛隊員』なのだ、と。

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