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転入生

作者: るりはりひすい

  一


 黒板にその名前が書かれた時、教室内にどよめきが起こった。

飛幡響哉とびはた きょうや

 それが転入生の名前。

どよめいたのも無理はない。このクラスには『飛幡とびはた ひびき』という名の生徒が既にいるのだから。

 クラスのみんなが一斉に私を見た。

 そう。『飛幡 響』は私。

「あ、別に飛幡とは関係ないぞ? 偶然に苗字が一緒なだけだ」

 先生が、まるで取って付けたかのように簡単に説明をした。しかしそうは言っても、誰も納得はしないだろう。一字多いだけだなんて、あまりにも出来過ぎているから。当の本人である私でさえそう思うのだから、他の生徒たちは尚更だ。

でも殆どの生徒は、そんなどうでもいい事は聞いていなかったかもしれない。

 私と僅か一字しか違わない『飛幡響哉』が、その甘いマスクと蕩けそうな優しい声で自己紹介を始めたからだ。

「飛幡響哉です。こんな時期にお騒がせして申し訳ありませんが、宜しくお願いします」

 黒板の前に立った転入生は、すらりとした細身の長身を折り曲げて深々と一礼をした。

 そのモデルのようなルックスに相応しい、妙に大人びた丁寧な挨拶。こいつ、ナニモノ?

 私たちは中学三年生。そして今は六月。そろそろ高校受験に本腰を入れなければいけない時期な訳で、こんな大切な時期に転校というのはかなり珍しいのではないだろうか。本人の説明では『親の仕事の都合』なのだそうだけれど、否応無く巻き込まれる子供はたまったものではない。大変だよなあ。

「ま、仲良くやってくれ。とりあえず暫くは空いている席に着いてもらうか……飛幡!」

「は……はい?」

「お前の隣だ。教科書も揃うまで見せてやってくれ」

 有無を言わさず担任が告げた。瞬時にクラスの女子からキッと睨みつけられる。彼女らの嫉妬と羨望の鋭い視線が一気に突き刺さる。

 うわー、勘弁してよ。私、別に興味無いんだけどな。

 転入生が女子の熱い視線を浴びながらこちらに向かって歩いてきた。そして私の隣の席に腰を下ろす。すぐさま声をかけてきた。

「飛幡さんだっけ? 同じ苗字だからヒビキちゃんって呼んでいいかな? 宜しくね」

 ぐわー! 甘いっ! 甘すぎるっ!

 なんだ? この声? 絶対に中学三年生の声じゃないぞ、これ。まるで声優か何かのようだ。

 それに何? 『ヒビキちゃん』って!

 そんなに簡単に他人の名前をちゃん付けで呼ぶな!

「あのさ、飛幡クン?」

「あ、俺の事はキョウヤでいいよ」

 不機嫌そうに声をかけた私を制して、転入生キョウヤは言った。

ちっ。先手を打たれたか。

「じゃあキョウヤくん? いきなり呼び捨ては無いんじゃない? 私はあなたの彼女でも何でもないんだから」

「え? そうなの? 俺、そんな事気にしないけどな。じゃあさ、ヒビキちゃん? 俺の彼女になってよ。だったら良いでしょ?」

 はあ? 何を言ってるんだ? こいつ?

 きっとそれを見た人間全てを悩殺させるような華やかな微笑を浮かべながら、キョウヤがバカな事を大真面目に言った。

「バカなこと言わないで!」

 こちらも真顔で言い返してしまった。

 第一、今日初めて会ったばかりでお互いの事を全く何も知らないのに、軽々しくそんな事を言うなんて、冗談にしてもタチが悪い。私は本気で怒っていた。

「あ、ごめん。怒らせちゃったかな? でも俺は本気だよ?」

 まだ言ってる。ふざけんなよ、このバカ!

「だって俺、ヒビキちゃんの事をずっと探してたんだからさ」

 え? 何だって?

 私を……探していた?

「何を言ってるの? 私はあなたなんか知らないわよ」

「やっぱり覚えてないか……ちぇっ」

 キョウヤは端正な顔を歪めて、本気で落ち込んでいた。そんな顔をされると、何かこちらが悪いような気になってくる。

「大体、何を覚えているっていうの? 何で私を探してたのよ?」

「それは……」

 キョウヤが答えようとしたその時、チャイムが鳴ってホームルームの時間が終わった。

 一言二言、担任が生徒に声をかけて教室を出るや否や、たちまちキョウヤの周りに女子生徒が群がってきた。一瞬で机を取り囲んでしまう。沢山の女子に囲まれて、隣の席の私からでさえもキョウヤを見ることが出来ない。

 こうなるともう何も話せない。私は諦めて、女子に囲まれたキョウヤを眺めていた。

 確かに、年相応には見えない大人びた雰囲気とその甘い声はとても魅力的で、まるでアイドルのような外見や柔らかい物腰と共に女子に人気が出そうだ。時折黄色い声が上がるのも、きっとキョウヤに何か質問をして、その答えを聞いたからだろう。男子にとっては厄介な強敵が転入してきたものだ。そう私は思った。

 しかし、実はそうでもないらしいことが徐々に判明してきた。

 一日中何気なくキョウヤを目で追っていたけれど、男子とも良く話をしているし、打ち解けるのも早かった。もう何人かの男子とは名前で呼び合っているようだ。

 まるで今日初めて会ったのが嘘のように、キョウヤはあっという間にクラスに溶け込んでしまった。

そんな、いち早く仲良くなった生徒の中に、私の幼馴染の牧山周防まきやま すおうがいた。

「よっ! ヒビキ、役得だね?」

「何がよ?」

 不機嫌な顔をして、私が応えた。

「いや、女子に大人気のキョウヤのお世話係だろ? 役得じゃん?」

 悪戯っぽい笑顔を見せながら。気安く私に話しかけるスオウ。

「あなただってキョウヤくんと仲良くなってるじゃない。大体、転入生のお世話係なんか願い下げだわ。あなたに頼むから宜しくね?」

「どうかなあ? あいつ、きっとヒビキの言う事しか聞かないと思うよ?」

「どうして?」

「お前に惚れたってさ」

 ……何? その理由? 

 しかも、スオウにもそんな世迷言を言ってるの? 人をバカにするのにも程があるんじゃない?

 私の眉間に一気に皺が寄った事に気付いたスオウが、慌ててフォローをする。

「一目惚れらしいよ? それに、以前会っているらしいじゃないか。お前、覚えてないのか?」

 またその話?

 私、ハッキリ言ってキョウヤのことなんか全く知らないんだけど。

「まあ俺としては、これでお前のお世話係を引退出来ると思うと嬉しいんだけどな」

 スオウが心底嬉しそうな笑顔で言った。

 その爽やかな笑顔に、無性に腹が立つ。

 私のお世話係、だって?

 それを引退するのが嬉しい、だって?

 スオウは私と一緒にいるのがそんなに嫌だったの?

 幼稚園から小学校、中学校の現在まで、不思議なくらいにクラスが全て一緒だった私たちは、周囲から半ば公認のカップルと思われていた。私にしてみれば、そこに恋愛感情は無いけれど、スオウが傍にいることは当たり前のように感じていて、それが無くなるなんて考えたことも無かった。

 そっか。

 スオウは、私の事は邪魔だったんだね。

 ごめんね。長い間気がつかなくて。

「あれ? どうしたの? 何か元気がないね?」

 自分で暴言を吐いておきながら何を言っているのだろう?

 こいつ、子供の頃からうすうす感じていたけれど、やっぱりバカなんだと思う。他人の気持ちを推し量る事なんか出来ないヤツなんだ。きっと。

「この……」

「え? 何?」

「バカあっ!」

 絶叫して私はスオウを張り飛ばした。

 スオウはとっさに身体を捻って避けようとしたものの、後ろから誰かに体を抑え付けられて、動けないまま私の平手打ちをまともに頬に受けてしまった。

 スオウの身体を押さえたのは……キョウヤ。

「スオウ、ヒビキちゃんを怒らせたな? ダメじゃないか!」

 やはりニコニコしながらこちらを向く。

「で? バカスオウは何と言ってヒビキちゃんを怒らせちゃったのかな?」

「な……何でもないわよ。大体、キョウヤくんには全然関係ないんだから」

 つい赤い顔をして返事をしてしまった。それを見て更に笑顔になるキョウヤ。

 もう!

 別にあんたの事なんか、何とも思っていないってば。ちょっと恥ずかしいところを見られたから赤くなっているだけだよ。

 私に全力で頬を打たれたスオウは、情けない顔をしてキョウヤに縋り付いていた。

「見てくれよ、キョウヤ。ヒビキの奴、酷いだろう?」

「どうせお前が何か余計な事を言ったんだろう? 本当に女の子の気持ちが分からない奴だな、お前は……」

 呆れ顔をしながらキョウヤが言った。やっぱりこいつは侮れないな。女の子の心を掴むことに長けている。こんなイケメンが甘い声でこんな事を言うのなら、きっと多くの女の子は一瞬で篭絡されてしまうだろう。

 しかし。

 こんな奴にこんな顔をされて、ちょっと情けないぞ? スオウ?

 スオウだってそんなにルックスは悪くない。細身の長身という点ではキョウヤと同じだし、キョウヤよりも更に甘い優しげな顔立ちは、キョウヤが転入する前までは確実に全校女子の人気ナンバーワンだった。よく嫉妬した女子から嫌味や嫌がらせを受けたっけ。

 しかし、今のスオウの仕草を見ていると、そんな女子人気が嘘のような情けなさだ。幼馴染の私まで気恥ずかしくなってくる。

 いきなり『一目惚れ』とか言いだすキョウヤにせよ、私に張り飛ばされる情けないスオウにせよ。二人とも顔は決して悪くないのにな。

 あーあ。

 何か、私の周りにはロクな男子がいないような気がしてきたよ。


 放課後になった。

 部活に入っておらず、委員会活動とも無縁な私は、ホームルームが終わるとさっさと帰宅するのが常なのだけれど。

 今日は違った。

「ヒビキちゃん、一緒に帰らないか? 色々とこの辺りの道とか教えて欲しいんだ」

 キョウヤが声をかけてきたのだ。

 あーもう! 何で私に声をかけるかな? 道を教えてもらうなら私じゃなくてもいいだろうし、そもそも親しくなった生徒なんか他にもいっぱいいるだろうに。

「嫌!」

「うっわ……」

 私のにべもなくハッキリとした拒絶の態度に、思わず身を引いたキョウヤ。まるで断った私が悪いような驚き方をしている。

「え? 何で? 良いじゃん」

「嫌ったら嫌! 他に教えてくれる子がいくらでもいるでしょ? スオウとかさ」

 私は周囲の女子の嫉妬と羨望の厳しい眼差しをひしひしと感じながら、でもきっぱりと断る。

「ヒビキちゃんが良いんだよ」

「何故?」

「一目惚れしたから」

 またそれか!

 それでなくても、授業中に教科書を見せる為に机をつけていた時に散々『好きだよ』を連発してきたキョウヤだ。僅か一日の事なのに、私はもうその手の言葉にはウンザリしてしまった。多分、本当に気持ちを込めて言ってくれた言葉でさえ信用出来なくなってしまったと思う。私にとってその言葉は、それほど耳タコで安っぽい言葉に成り下がってしまっていた。

「スオウじゃ駄目なんだ。あいつ、ああ見えて案外裏道とか知らないんだよな」

「私だって詳しくないわよ?」

 別にスオウの肩を持つつもりはないが、でもキョウヤの言葉には少し反感を覚えた。

 自分だって転入してきて間がないのだからこの辺りの地理には疎い訳だし、そもそも『教えてもらう立場』の筈じゃない? なのに何でそんなに高飛車な態度になれるのだろう?

 まるで、地理に詳しくないスオウが悪いような口振りだ。

 ちょっとおかしくない?

「あれ? 俺、何か今、ヒビキちゃんを怒らせるようなこと、言った?」

 きっと心の中の想いが顔に出たのだろう。こういうことにはやたらと敏感なキョウヤが、慌てて私に訊ねてきた。

 私はそんなキョウヤが許せずに、何も言わないまま背を向けて歩き出した。教室の出入り口を目指す。

「あれ? あれ? スオウの事で怒ってるの? ゴメン! ゴメンよ?」

 朝のように、それを見た誰もがつられて微笑まずにはいられないような無敵の笑顔を浮かべながら、慌てて私を追ってくるキョウヤ。

 私から見れば、その無敵の笑顔こそがイラつく原因なのに。

 その笑顔、どうにも何か企んでいるような印象を受けるのよね。

「でも、ヒビキちゃんはスオウと付き合っている訳では無いんだし、俺がアプローチしてもいい筈だよね?」

 だったら何よ?

「俺と付き合わない? 絶対に大切にするよ? 俺、ヒビキちゃんの事大好きだから」

 だーかーら!

「私はあなたと付き合う気は無いし、スオウとも別に付き合っている訳じゃない。そんなバカな事を言ってないで、受験生らしく少しは勉強でもしなさいよ!」

 遂に私が爆発した。追ってくるキョウヤの方に振り返ってぴしゃりと告げる。周囲で私たちの様子を伺っていた生徒たちが、全員ビックリしたような顔をしていた。

 と同時に、『キョウヤと付き合う気は無い』『スオウとは付き合っていない』という私の宣言を聞いて、クラスの女子たちは色めきたった。

 何と言っても、全校で一、二を争うイケメン二人がフリーであることが判明したのだ。これを放っておくテはない。

 たちまちキョウヤは女子生徒たちにとり囲まれた。それはスオウも同じなようで、彼の机の周りには、いつの間にか沢山の女子が鈴なりになっている。

 その様子を横目にしながら、私はこれ幸いと教室を出た。

 大体、沢山の人が集まるところは苦手なんだ。私は大勢でわいわいやるよりも、一人で静かに読書したりする方が好きなのだから。スオウはその辺りをよく分かっているので、あまり必要以上に私に干渉してこない。たまに冷やかしたり嫌味を言ったりはするけれど、それ自体は悪意があるものではなくて、幼稚園時代から続く私たちのコミュニケーションの仕方の一つに過ぎないのだ。私もたまにスオウに嫌味を言ったりするし、お互い様と言えるだろう。その絶妙な距離感を、いつも保って接してくれる。

 しかし、キョウヤは違う。

 キョウヤとは、今日初めて出会った。

 もしかしたら本当に一目惚れなのかもしれない。私は信じないけれど、そういうこともあるのかもしれない。

 でも、それを一方的に押し付けてくる彼の言動や振る舞いは、私にはとても自分勝手で図々しく見える。私の世界に土足で侵入しているような錯覚を覚えるのだ。

 そんなデリカシーのないキョウヤに、私が惹かれるハズが無い。

 どんなにイケメンでも、どんなに優しい言葉をかけられても。

 私にとって大切なものは、そんなものではない。

 私は私を大切に扱ってくれる人じゃないと、決して惹かれたりはしない。

 沢山の女子に取り囲まれて動きの取れないキョウヤとスオウを教室に残して、私はさっさと帰路に付いた。振り返りもしなかった。


  二


 校門を出てすぐ、私は何かがいつもと違う事に気付いた。

 何だろう?

 校門の正面にあるバス停。そこに置かれているベンチ。ベンチに腰掛けてバスを待っている生徒たち。聞こえてくる生徒たちの笑い声もいつもと変わらない。

 でも。

 いつもと同じ光景なのに、いつもとは決定的に何かが違う。

 何だろう?

 この強烈な違和感は。

 私は目を凝らして周囲を見渡してみた。

 でも、いつもと違う何かは見つからない。

 おかしいな。私の思い過ごしなのかな?

「何をしてるんだ?」

 校門前で立ち竦んでいた私は余程目立っていたのだろう。誰かから声をかけられた。

 声をかけてきたのは……。

「スオウ?」

「ヒビキ、お前そんなところで何をしてるんだ? 今日はバスか?」

 私の家は学校からそんなに遠くはないので、普段は徒歩通学をしている。なので、バスに乗る事なんてまず無い。

 スオウも同じ。私の家の隣に住んでいるので、私同様に徒歩通学なのだ。何か用事でもない限り、ここのバス停からバスに乗る事はない。

「あなた、よくあの女子の群れから逃げて来られたわよね」

「まあね。みんな優しいから、『用事があるから早く帰りたいんだけど』って言ったら、直ぐに開放してくれたよ。キョウヤはまだみたいだけどね」

 クスリと笑うスオウの顔は、相変わらず優しげだ。

 そんな穏やかな笑顔を見ていると、ふと朝の会話を思い出してしまった。

「あなた、私の事、今までお荷物とか思ってた訳?」

「はあ?」

「とぼけないでよね。朝、キョウヤくんが転入の挨拶をした後で言ってたじゃない」

「ああ、あれ?」

 意外そうにスオウが言う。

「あんな冗談、真に受けてたのか? 俺、お前の事をそんな風に思った事なんか一度も無いよ。あれはただ、話を合わせただけさ。気にすんなよな」

「話を合わせたって、何よ?」

「実は俺とキョウヤは、今日初めて会った訳じゃないんだ。ずっと以前からお互いの事を良く知っているのさ。そんなアイツがヒビキに会えたのを物凄く喜んでいたから、ちょっと話を合わせてやっただけ。俺はお前の傍を離れるつもりなんか、これっぽっちもないよ」

 恥ずかしい言葉をさらりと言ってのけるスオウ。そんな言葉を聞くと、こっちが赤面してしまうじゃないか。バカのクセに、なかなかやるな?

 しかしその話の内容の方は、呑気に恥ずかしがって赤面していて良いような内容ではなかった。

 ちょっと待て。

 こいつとは長い付き合いの筈なんだけど、こんな話は聞いていない。

 キョウヤとは以前から面識があった?

 いつ?

 どこで?

 何で私は知らないの?

 幼稚園から中学校までずっと一緒だった私が知らないなんて、一体いつ知り合っているのだろう?

 もしかして……。

「そうそう。だからお前もキョウヤには会っている筈なんだ。だからアイツは朝、あんな事を言ったのさ」

 そういうスオウの顔は少し曇っている。思い出したくない事を思い出してしまったような、そんな苦々しささえ浮かべている。

「それより」

 スオウが話を変えた。私を見る目が、さっきまでの曇った色から一変して心配そうな色になった。

「お前、何をやってるんだ? 何かバス停に用事でもあるのか?」

「いや……何となく……」

 いつもの景色に違和感があるなんて、言うときっと笑われるだろうな。

「もしかして、気付いたのか?」

 え?

 気付いた?

 ということは、スオウは私が感じているこの違和感が何か知ってるの?

「そうだな。今のお前でも感じるんだな」

 何か一人で分かったような事を口走っているスオウ。一体何の事を言っているのだろう?

「信じる信じないは勝手なんだけど、確かに今日は昨日とは違っているんだよ」

「何が?」

「世界が」

「世界?」

「そう、世界」

 何の事だろう?

 世界が違う?

 世界って、この『世界』の事?

「分からないって顔をしてるな。ま、当然だろうね。俺自身、どう説明していいか分かってないから」

 スオウが、何やら困ったといった風情で話を続ける。

「今日、正確には今朝八時くらいから、世界は変わってしまった」

「今朝から?」

「そう、今朝から。お前の周りで昨日と何か変わった事はあったかな?」

「うーん……。特には……」

 昨夜から今朝にかけての様子を思い出しながら考える。私の周囲で特に変わった事はないと思うけれど……どうだろう?

「あるだろう。大きな出来事が」

「え?」

「転入生」

「あっ……」

 そうだ。自分の生活を中心に考えていたから気付かなかったけれど、そうだった。キョウヤが転入してきたんだ。

「でも、それと私の感じる違和感とは関係無いんじゃないの?」

「そっか。そこまでは見えないんだな」

「?」

 スオウの言葉を聞いて、思わず首を捻る。

 見える?

 何が?

 余程私が不思議そうな顔をしていたのだろう。スオウが説明を始めた。

「つまり、俺とキョウヤ、そしておそらくはヒビキだけにしか見えない秘密があるって事」

「秘密?」

「うん。つまりね……」

「何を話しているんだ?」

 スオウが説明を始めようとした正にその瞬間、その時をまるで見計らったかのようなタイミングでキョウヤが現れた。

 今日一日中振り撒いていた人懐こい笑顔ではなくて、それを見た人の心を凍らせるような酷く怖い顔。そして厳しい声色。

 獲物を狙う鷹の目のような鋭い眼光が、私たち二人を捕らえていた。

「スオウ、その話はヒビキちゃんにするべきものではないだろう。控えろよ」

 ゾッとするような冷徹な響きが私の耳に届いた。

 その声を聞いて萎縮したのか、スオウは何も答えなかった。

 キョウヤは直ぐに笑顔に戻ると一気に私の隣にやってきて、耳元で甘く囁いた。

「気にしないで。スオウはちょっと疲れているんだ。世界に違和感なんて無いよ。俺が保証する」

 何の根拠もないそんな言葉で私を誤魔化そうとしたってダメだからね。違和感は私自身が感じているんだから。どんなにキョウヤが『無い』と言ったところで、私自身が感じている事まで否定する事は出来ないよ。そう考えて、キョウヤを睨み返した。

 でも私は、ここで『ある』と強弁する事はしなかった。そうする事でこの話を続けたくなかったからだ。続けると、きっとキョウヤは『無い』と言い張るだろうし、そのまま平行線で時間ばかりが過ぎて何の解決にもならないからね。

「どうしたの? 俺の言う事が信じられない?」

「ええ。だってキョウヤくんの言う事だもん」

 私は冗談めかして答えた。

「あ、酷いな。ヒビキちゃん」

 もういつものキョウヤに戻っている。一体さっきの様子は何だったのだろう?

 まあ、いいや。

 今晩にでもスオウに聞いてみよう。さっき一体何を言いかけたのか。かなり大切な話のはずなんだ。

 そんな事を思いながらその場を離れようとした私は、慌てたキョウヤとスオウに呼び止められた。

「何よ?」

「道案内、してくれないかな?」

 縋るような目つきでキョウヤが私に頼み込む。

「実は、家へ帰る道が分からなくなっちゃっててさ」

 はあ? 何だそりゃ?

「ヒビキ、頼むよ」

 スオウまでが私に頭を下げる。

 はあ。

 何なのよ、もう。

 分かったわよ! やればいいんでしょ? やれば!

 結局、二人のイケメンのたってのお願いを無碍には出来ず、私はキョウヤにこの界隈の道案内をしながら、 家まで送ってあげる羽目になってしまった。

 あーあ。

 私の一日の中でもかなり貴重な時間帯である放課後を奪われてしまったじゃない。

 この借り、絶対返してよね。全くもう。


   三


 キョウヤが転入してきてから一ヶ月が過ぎた。

 キョウヤは恐るべきスピードで学校生活に慣れ、クラスに慣れ、今や最初からこの中学校の生徒であり、最初からこのクラスにいたような雰囲気さえ漂わせている。なんでも校内の女子の間では絶大な人気を誇っているらしくて、ファンクラブまであるとかないとか。

 教師の間でも大人気らしいし、ある意味、凄いカリスマ性を持っているという事なのだろう。黙っていれば凄いイケメンなので無理もないけれど、でも私には相変わらずおバカな『スキスキ攻撃』を繰り返して煙たがられている。

 これも毎日の事なので、それを聞いている私ももうすっかり慣れてしまって、その類の言葉を聞いても全然抵抗を感じなくなってしまった。また、キョウヤがその手の言葉を吐く度に、相変わらずファンの女子から激しい嫉妬の視線が飛んでくるものの、最近はそれにも慣れてしまい、あまり気にならなくなっていた。

 キョウヤの転入当日に感じた『この世界への違和感』みたいなものは相変わらず何となく感じている。あの日の夜にスオウに電話して聞いてみたものの、結局はぐらかされてしまって答えらしい答えは教えて貰えなかったし、それ以降は何となく聞き辛くなってお互いにその話題は出さないようになってしまった。アイツ、絶対に何か知っているハズなんだけれど、私には知られたくないみたい。頑として口を割らないもんね。

 ただ、違和感を感じるのはどうやら私だけみたいで、他の生徒たちは全く意に介していない様子だし、それが具体的に何か問題を引き起こしているという訳でもないので、私自身もあまり気にならなくなってきていた。

 つまり、慣れたのだ。

 キョウヤやスオウと過ごす毎日の学校生活はなかなかに楽しくて、実害の無い違和感にいつまでも気を取られるほど、現代の中学生に余裕は無い。

 そう。

 六月中旬には全国模試、七月の最初には期末試験といった具合に、何かにつけて試験や小テストが頻繁にあって受験生は忙しいのよ。オマケに私の場合、進学塾にも通っているから、試験の数は二倍にも三倍にもなるし。忙しさは並みの受験生よりも格段に上だわね。

 という訳で。

 慣れてしまった違和感は、もう私にとっては違和感では無くなってしまっていた。

 結局、毎日の生活の方が大変なのよね。

 所詮人間ってそんなものよ?

 そう感じ始めていた矢先、その『私にとっての日常』は、あっという間に脆くも簡単に崩れてしまった。

 いつ?

 夏休みを向かえる直前。一学期の終業式の朝に。

 どうやって?

 巨大な宇宙船の群れが空一面を覆っているという、絶対にありえないような現実を突きつけられて。

 それでどうなったの?

 さて。

 どうなったと言えば良いのかしらね? 今のこの状態を。

 正直に言って、私自身が状況を把握出来ていないのね。

 でも当事者になってしまった以上、一応責任はある訳で。

 いやはや。

 一体どうすれば良いんだろう?

 空一面を覆ってしまった巨大な宇宙船の団体さんは。

 事もあろうに、私をよこせ、と言ってきたのでした。

 何故?

 どうなってるの? 一体?

 現実のあまりの非現実さに、私は途方にくれてしまったのだった。


「そんなバカな話があるか! 拒否だ拒否! 断固拒否だよ!」

 校舎の裏のひっそりとした中庭で声を荒げているのはスオウ。人気のない朝の中庭に、スオウの澄んだ声が響き渡る。

 私たち三人は、今朝のこの事態を受けて、登校後すぐには教室に入らずにここで対策会議を開いていた。

 三人?

 そう、三人。

 私、スオウ、そしてキョウヤ。

 スオウの言う事はもっともである。相手は素性も何も全く分からない正体不明の謎の宇宙船なのだ。そもそも何故に私なのか、ちっとも理由が分からない。

「でもさ。ヒビキちゃん御指名なんだよ? もし違う人を送ってバレたりしたら、どんな報復を受けるか……」

 案外まともな事を言っているキョウヤ。いつもの大人びた雰囲気では無く、歳相応の少年のような、少しおどおどしている表情だ。

確かに相手の科学力の方が比較にならないほど格段に上なような気がするし、もしそんな相手に逆らって、いきなり人知の及ばない超兵器とかで攻撃されたんじゃ全く歯が立たないだろう。私たちの浅慮の所為で、この辺り一面が火の海になっている様子は想像したくない。

「大体、他の人に見えていないって時点で負けてるよ」

 私が二人の会話に呆れながら、肝心な事をさらりと言ってのけた。

 そうなのだ。

 この空を埋めた宇宙船の群れは、どうも他の人には見えていないようなのだ。これだけの数で空を埋めていれば太陽の光は遮られる訳で、さすがに地上はまるで夜のように暗くなってしまうのだけれど、私たち三人以外の人たちにはそれさえも厚い雨雲か何かに見えているらしい。通勤中のサラリーマンや通学中の他の生徒達は勿論、テレビ等のマスコミが触れることもなく、まして警察や自衛隊が出動するといった気配も微塵もないのだ。

 そんな中、おそらく唯一気が付いたであろう中学生の私たち三人に、一体どうしろというのだろう?

「しかも、ね?」

 私は言葉を続ける。

「私に来い、って言葉をかけてきたのよ? 日本語で。直接」

 正確には『言葉』ではない。

 私の脳に直接メッセージが伝わってきたのだ。

 曰く。

『逢いたい』と。

 ナニコレ? 超能力?

 これ一つとってみても、相手は私の理解を遥かに超えている存在なのだった。

「今日は学校は昼までだろうから、放課後に屋上に来てくれ、だってさ。よくこっちの細かい都合まで知ってるわよね」

 私はこれにも呆れていた。

 何か、身近なところにスパイでもいるんじゃないか、とさえ思う。

「何でそんな事まで知ってるんだよ? 今までどこかで隠れて覗いていたのか?」

 スオウが私と同じ疑問を口にした。

「そんな事まで知られているんじゃ、逃げも隠れも出来ないよ。仕方がない」

 キョウヤが半ば諦め気味に言った。

「ヒビキ一人で行かせないからな! 俺も行く!」

「俺も行くよ。大好きなヒビキちゃんを一人にはさせないさ」

「ありがと。お願いするわ」

 ため息をつきながら、私は二人に言った。

 結局こうなるんだな。あーあ。

 私だって正体不明の宇宙人と会うなんて怖い。

 なので、こんな二人でも傍にいてくれると嬉しい。心強い援軍、とはいかないかもしれないけれど、でもスオウは間違いなく私の味方だし、今はキョウヤだっている。

 何とかなるかもしれない。

 そう思って、放課後を迎えることにした。

 放課後が来るまでの半日はとても長かった。

 長くて退屈な終業式。教室に戻っての成績表の配布。夏休みの注意事項を先生が述べる事さえ長く感じる。そして遂に放課後になった。

 楽しげな会話をしながら、クラスメイトが少しずつ教室を出ていく。私は全員が出てしまうまで教室に残っていた。それを離れたところから見ているスオウとキョウヤ。

 やがて全員が下校し終わり、私たち三人だけになったところで、私は意を決して教室を出た。スオウとキョウヤもついて来た。三人とも顔が強張っている。

 三階にある教室を出て、すぐ隣の階段を上がる。もう校舎には残っている生徒はいないのだろう。終業式の終わった夏休み前の学校には、いつもなら元気の良い声を響かせている運動部の生徒すら残っていないようで、いつもの喧騒とは違うしんとした特別な雰囲気が漂っている。

特別教室の並ぶ四階を過ぎて更に階段を上がると、行き止まりに鉄の扉が現れた。屋上へ出る扉だ。

 普段なら鍵がかかっているその扉は……。

「あれ? 開いてる?」

 準備がいいな。誰だ? 前もって開けておいてくれたのは?

 重い鉄の扉を身体全体で押して抉じ開けて、私は屋上に出た。スオウとキョウヤも続いた。

 夏のむっとするような暑い空気が頬を撫でる。空一面を埋め尽くした宇宙船のおかげで厳しい夏の日差しは無いものの、代わりにまるで夜のような暗い空の下。

 私の目の前に人影があった。

 あれは……。

 キョウヤ?

 あれ?

 どうして私と一緒に来たキョウヤがそこにいるの?

 あれ?

 じゃあ私の後ろにいるのは? 誰?

 振り返ると、そこにキョウヤはいなかった。

 スオウもいなかった。

 あれ?

 私、一人で来たんだっけ?

 あれ? あれ?

 頭が混乱してきた。

 どうなってるの? 一体?


   四


 何処からとも無く、美しい旋律が聞こえてきた。思わず音の出所を探して辺りを見回してしまう。

 何の楽器の音なのかさえ良く分からないけれど、少し悲しげなそのメロディに耳を奪われていたら、ふと頭の中に声が聞こえてきた。

『そうですか。もう母国語さえも覚えていないんですね』

 ?

 母国語って何?

 私は日本人で母国語は日本語です。そのぐらいはちゃんと分かります。

 というか、今の旋律は言葉なの?

『そう。あなたも以前は普通に使っていましたよ? 姫』

 姫?

 誰が?

『あなたが』

 物悲しげな旋律が続く。

 知らない人が耳にすると、きっと泣いてしまいそうな悲しいバラード。

 その旋律を紡いでいるのは……目の前にいるキョウヤなの?

『その名前でしか私の事を呼べないなんて寂しいですね。私たちは婚約者なのに』

 は?

 私とあなたが婚約者?

 何を言っているの?

 私の困惑を他所に、キョウヤは続ける。

『愛しいあなたの本当の名前も呼びたいのだけれど、今のあなたにはただの音階にしか聞こえないのでしょうね。悲しい事です』

 目の前にいるキョウヤが泣きそうな顔をしている。

 彼自身は全く声を発していない。口を開いていない。

 でも聞こえる。あの甘く優しい声が。

『あの日、私の国の軍勢があなたの国を包囲した時、あなたは私の求愛を退けました。そしていずこかへと去ってしまった』

 キョウヤが、どこか遠い目をしながら話し始めた。

『私は必死になって探しました。私にとって、あなた以外のものはどうでも良かった。あなただけが欲しかったのですから』

 悲しい旋律が、より一層悲しげになっていく。

『私には分からなかった。あなたが私を退ける理由が』

「そんなあなただから退けたのです」

 凛とした女性の声が聞こえた。

 あれ?

 誰が話しているの?

 私?

 これ、私の声だよね?

 でも私は何にも喋ってないよ?

 あれ? あれ?

「私にはあなたと婚姻する理由もなければ、戦う理由もありません。私は私の国を静かに治めていられればそれで良かった。あなたがそれを破ったのです」

 え? え?

 何? これ?

 私の頭の中に、今まで見た事も無い光景がどんどんと流れ込んでくる。

 どこか中世を思わせる緑豊かで静かな農耕国に、突如として襲い掛かった凶悪な軍隊の激しい大波。

 屈強な軍隊は、大した抵抗も出来ない農耕国をあっという間に蹂躙し、農耕国の象徴たる白く美しい城を瞬く間に落としてしまった。

 その崩れ落ちる白亜の城を背に、従者に手を引かれて逃げている、眩いばかりの金髪と青い瞳の姫君。

 あれ? この従者って、もしかしてスオウ? 姿形がそっくりなんだけど。

『姫様、今は異世界へとお逃げ下さい。準備が整い次第、お迎えに参ります』

 追われている姫と従者は、森の中のとある小さな建物に飛び込んだ。

 その中にある、何やら複雑な装置の中に姫を押し込む従者。

 何事かを叫びながら抵抗していた姫だったが、従者はそんな姫の制止を振り切った。

 装置の扉が綴じられた。

 操作盤を操って、従者がスイッチを入れる。

 世界がぼやけて……。

 そしてビジョンは終わった。

「あれから幾多の次元回廊をくぐり抜けました。苛酷な環境に気が遠くなるくらい長い時間晒された所為でしょうか、いつの間にか私の肉体は失われてしまい、ただの精神体になってしまいました。それでも滅びることなく生き続けていました……」

『そうです。私が愛したあなたを、そう簡単に失う訳にはいきません』

 キョウヤが嬉しそうな笑顔を見せた。あの、それを見た誰もを悩殺させずにはおけないような、極上の笑顔を。

『良かった……。あなたが、どんな形であれ生きていてくれて……』

 その笑顔から涙が溢れる。

『私は探しました。あなたを見失ったあの日からずっと。時間と空間の狭間を。世界の隅から隅まで。宇宙の果てから果てまで。持てる全ての力を注ぎ込んで探しました。それでもあなたを見つける事は出来なかった』

 キョウヤの告白を私は黙って聞いていた。

 私が?

 いや違う。

聞いているのは『姫』。

『長い時間がかかりました。幾度と無く絶望もしました。しかし、遂に見つける事が出来ました。精神体になっていたので発見が大幅に遅れてしまいました。お迎えが遅くなってしまい申し訳ございません』

 何だ? コイツのこの言い草は?

 聞いていて、段々と腹が立ってきた。

 コイツは、『姫』の事を考えているように見えて、その実自分の事しか考えていない。

 自分の欲望の為に『姫』の国を滅ぼして、その大切な筈の『姫』の居場所を奪い取ってしまったくせに、今度は探していたと言う。

 しかも自分と婚姻させる為に。

 そこに『姫』の想いは全く含まれていない。あるのは自分の想いだけ。欲望だけ。

 コイツ、一体何を言っているのだろう? なんて身勝手なんだろう?

 『姫』もその事が分かるのだと思う。『姫』の心がざわめくのが分かる。

『さあ、帰りましょう。あなたと私の故郷であるあの星に。そしてあなたの肉体を取り戻しましょう。今の私たちの科学力では、それが可能です』

 え?

 ちょっと待ってよ?

 私は?

 私はあなたの知っている『姫』じゃないよ。ヒビキだよ。

 何が何だかさっぱり分からないままに、どこかへと連れ去られるなんてゴメンだわ。

「それは出来ません」

 『姫』はきっぱりと言った。

「私はもう以前の私ではありません。今は『飛幡 響』です。私の身体はヒビキのもの。私の心はヒビキと一体です」

『では何故、姫はここにいるのですか? 何故滅んでいないのですか? 再び私に逢う為ではないのですか?』

 はあ?

 何を言っているの?

 『姫』が何故私と一体化しているかなんて知らないけれど、今ここに『姫』が生きている理由がキョウヤに逢う為ではない事だけは分かる。

 よくもまあそんなに自分中心に物事を考えられるもんだわ。

「私は、あなたが私の治めていた国を滅ぼした事を責めるつもりはありません。その行為は私から見れば腹立たしい事ですが、あなたにはあなたなりの正義があってやった事でしょうから」

 『姫』はそこで一呼吸おいて、改めて話を続けた。

「でも、私にも私の信じる正義があります。私は私の治めていた国の民を脅かしたあなたを許すつもりはありません。そんなあなたと婚姻するつもりは全くありません。言葉を無くそうが、肉体を失おうが、これだけは絶対に譲れません」

 『姫』の言葉は重かった。

 きっぱりと言い切った『姫』の瞳は、きっと強い意思の光で輝いていたのではないだろうか。

 その言葉の重みが、『姫』の覚悟が、果たしてキョウヤに伝わったのかどうか。

『やはり拒絶するのですね。私がこんなにも愛しているのに、どうして分かって頂けないのですか?』

 キョウヤの優しげな瞳が紅く濁った。

 『姫』の最大限の拒絶にあって、キョウヤは酷くショックを受けたらしい。自分を全否定されたような、そんな錯覚に陥っているのかもしれない。

 しかし、同性として『姫』の言う事に全面的に納得出来る私は、そんなキョウヤを見るのがとても残念だった。

 学校でもクラスでも、誰に対しても人当たりが良く優しいキョウヤ。

 私やスオウと一緒の時でも、時々鬱陶しく感じる事もあったけれど、でも明るく楽しい仲間だったキョウヤ。

 そんなキョウヤが実は宇宙人で、しかも他国を滅ぼし、その国の姫を欲している悪党だったなんて、私には信じられない。信じたくない。

 しかし、目の前で繰り広げられている会話は紛れも無く本物で、私自身がその当事者でもあるのだ。もしここで『姫』がキョウヤの求婚を受け入れるような事があれば、実際に結婚するのは私なのである。

「ヒビキ、安心なさい。そんな事は決してありません」

 私の懸念を『姫』が払拭してくれた。

「キョウヤ、もうお引取り下さい。あなたが私を探して下さった事は感謝します。肉体を復活させようとの申し出もとても嬉しかった。でも、私があなたの妻になることは決してありません。ごめんなさいね」

 慈愛に満ちた表情で『姫』が語る。私には絶対に出来ない、まるで女神様のような美しい表情で。

『信じない……』

 キョウヤの紅く濁った瞳が、より一層どす黒く染まった。

『私の愛が受け入れられないなんて……そんな事は信じない』

 何事か思い詰めたような表情をしながら、キョウヤの瞳がどんどん暗く濁っていく。

 その口元が、醜く曲がっていく。

 あれだけ端正だった美しい容貌さえも、その表情が故に醜く歪んでいる。

 キョウヤを壊しているものは、怒り。悲しみ。そして憎しみ。

 自分を受け入れてくれない『姫』に対して発せられるそれは、その愛情の大きさ故に反動も大きい。

『姫。そんな事を言っても良いのですか? 今、私が号令を一声かけるだけで、この美しく青い星は瞬く間に滅んでしまいますよ?』

 醜く歪んだキョウヤの口から、とんでもない脅迫めいた言葉が飛び出した。

この辺り一面を埋め尽くした宇宙船の群れは、実はこの辺りだけではなくて地表の全てを覆ってしまっているらしい。そんな状態から一斉に攻撃を受ければ、この星なんて一瞬で滅んでしまうだろう。

 ちょっと待ってよ。

 なんでそうなるの?

 私、関係ないじゃない。

 私たち、関係ないじゃない。

 あなた達の痴話げんかに、私たちを巻き込まないでよ?

 宇宙船から放たれた無数の火球が地表に降り注ぎ、地上が火の海に包まれている情景を想像して私はゾッとした。

「卑怯な……」

 そんな私の心境を知ってか、『姫』が心底がっかりしたという風情で吐き捨てた。

「あなたはそんな手段で私を手に入れて、それで満足なのですか?」

『手段なんかどうでも良いのです。私はあなたが欲しい。ただそれだけなのですから』

「私はあなたを軽蔑しますよ? あなたを憎む事はあっても愛する事は絶対に無いでしょう。それでも良いのですか?」

『あなたさえ手に入れば、後の事はどうでも良いのです。私にとっては、あなたこそが全てなのですから』

 うわー。参ったな。

 キョウヤって、ストーカー気質だったんだ。

 これじゃ何を言っても通じないよ。

 自分の思い通りにならないと全部破壊だなんて。一体何処のお子様思考なのよ?

「分かりました」

 『姫』が静かに答えた。

「一つだけ教えて下さい」

 そして、静かに質問をした。

「私はヒビキでもあるのです。彼女はどうするのですか?」

 そうだよ。

 私は『姫』かもしれないけれど、私でもあるんだからね?

 何故だか知らないけれど、私たちは一心同体なんだから、どちらか片方だけって事は出来ないよ?

『大丈夫です。私の国の科学力で姫の肉体を再生してお救いした後は、ヒビキは用済みですからちゃんと返して差し上げますよ』

 『姫』がほっとしたような気がした。

 しかし、すぐにその安心感は消し飛んでしまった。

 キョウヤの次の言葉で。

『宇宙の塵として、ね』

「なんですって?」

 卑猥な笑顔を浮かべてそう言い放ったキョウヤを、キッと睨みつける『姫』。いや、私。

『姫さえ取り戻せば、もう他のものは何もいりません。この星もヒビキも用済みです。そんなゴミはさっさと処分するに限ります。後顧の憂いを絶つ為にもね』

「あなた……」

 『姫』の美しい瞳に厳しい光が宿った。私の心に激しい怒りの感情が渦巻く。

それは私だけの怒りではない。『姫』の怒りも含まれている。いや、もしかしたら『姫』の怒りのほうが激しいのかもしれない。

 あまりの激しい怒りの為、私の全身が震えている。

『さあ、参りましょう。姫の御帰還を、国の民たちも待っております』

 そう言って近付いてくるキョウヤ。

 その薄ら笑いを浮かべた、下卑た顔が近付くにつれて、私の全身に虫唾が走る。

『さあ』

 キョウヤの手が『姫』の、いや私の手を取ろうとしたその瞬間。

「姫様から離れろ!」

 その声は聞こえた。

 キョウヤの後ろに人影が見える。

 その人影は、凄いスピードで一直線に駆け寄って来ていた。

 手に、何か光るものを持って。

 ほんの一瞬。

 キョウヤが振り向いた瞬間。

 何か鈍い音がした。

「がっ……」

 私は初めて、この姿のキョウヤの生の声を聞いた。

 それは……呻き声だった。

 足元に赤い液状のものが滴り落ちる。血だ。

 そうか。

 キョウヤも人間だったんだ。

 キョウヤに飛び掛ったのはスオウ。

 いや。

 今のスオウのその姿は、私の腐れ縁の幼馴染ではなくて、『姫』の従者といった方が正しいのかもしれない。

 今まで物陰に隠れて様子を伺っていたのだろうか、『姫』の窮地に飛び出してきた。その手に短剣を持ち、キョウヤの背中に向かって突進してきたのだった。

 しかし。

「うおおおおおおおっ!」

 一声吠えて、キョウヤが背中に取り付いたスオウを振り払う。振り飛ばされるスオウ。いつの間にかキョウヤを刺し貫いた筈の短剣は、そのままスオウの腹部に深々と刺さっていた。

 どうなっているの? どうやったらそんな風に出来るの?

 目の前で繰り広げられるその光景を見ながら真っ青になる私、いや『姫』。あまりの恐怖感に心の震えが収まらない。

「スオウ……裏切ったな……」

 息を切らせながらキョウヤが語る。

「……裏切ってなどいない。……大切な姫様を……お前になど渡すものか……」

 刺された腹部を抱えながら後退りするスオウが、息も絶え絶えに言葉を絞り出す。

「何だと?」

「俺は最初から……お前に協力するとは……一言も言っていない……」

「では何故私に協力した? 姫の居場所を私に教えたのはお前だぞ?」

 背中から大量の赤い血を噴き出しながら、それでも努めて冷静に振舞うキョウヤ。

 そのキョウヤの発した言葉に、少なからずショックを受けた『姫』。『姫』の激しい動揺が手に取るように分かる。

「姫様の為だ……。お前の国の、いや元はといえば姫様の国の科学力で、姫様を元の美しいお姿に戻したかった……。ただそれだけだ……」

 苦しげに声を吐き出すスオウ。絶対に知られたくなかったであろうスオウの想いを聞いて、私は胸が熱くなった。きっと『姫』も一緒だったに違いない。

「そうか……。その一点ではお前と俺は意見が一致していたのだな……。残念だ……」

 キョウヤの身体が赤く光った。

『姫……。その従者の忠誠心に敬意を表して今日は引きましょう。しかし、あなたがここにいることは分かった。私は諦めませんよ。また来ます』

 全身を赤く染めながら、キョウヤの体が光に飲み込まれていく。激しい光の奔流が徐々に身体の輪郭を失わせて、キョウヤの身体を赤い光球へと変化させていった。

『ご安心なさい。空を埋め尽くした宇宙船には何もさせません。あなたが思っている程、恥知らずでも卑怯者でもありませんのでね。では御機嫌よう。また逢いましょう』

 かつてキョウヤだった光球は、あっという間に空へと向かって飛び去ってしまった。

 光球はどんどん小さくなり、空一面を埋め尽くしている宇宙船のどれかに飲み込まれたのだろうか。やがて跡形も無く消えてしまった。

 そして間もなく、宇宙船が姿を消し始めた。時間を置かずにあっという間に虚空に消え去るその姿は、まるで最初からそんなものは存在しなかったと言わんばかりだった。

 厚く覆っていた雨雲が晴れるように、空はその本来の青さを取り戻した。眩しい夏の日差しが街を射し照らしている。その日差しに呼び覚まされたように、セミの鳴き声が聞こえてきた。

 街に日常が戻ってきたのだ。

 あれは、あの光景は幻覚だったの?

 いや違う。

 絶対に実在した。

 少なくとも私は感じていた。私には見えていた。

 キョウヤはそこにいた。宇宙船は確かにそこにいたのだ。

 そして。

 キョウヤの転入以来感じていた違和感が、今この瞬間に綺麗さっぱりと消えてしまった事に気付いた。

 そうか。違和感の原因はキョウヤだったんだ。

 私の日常生活の中に、本来いるはずの無い宇宙人が混じっていたから感じていたのか。

 思わず納得してしまったけれど、今はそんなことに感心している場合じゃない!

 私は慌てて、屋上に赤い池を作りながら倒れているスオウに駆け寄った。キョウヤに振り飛ばされた後、力尽きて倒れてしまっていたのだ。

 そっと抱き起こすと、うっと呻いて私の方を見上げた。私の腕に抱かれたスオウは、その長身からはちょっと想像が出来ないくらいに軽かった。

 このスオウの姿を見ると、さっきまでの出来事が幻覚なんかじゃないとハッキリ言える。

 でもそれ以外は、全てが夢のようだった。

「スオウ……」

 私が問いかけると、スオウは薄く微笑みながら頷いた。

 血の気の無い、青い顔をこちらに向けて。

 一言。

「ごめん……ヒビキ……」

 そう言った。

 掠れた声は、あまり綺麗には聞き取れなかった。

 そして。

 スオウの全身から力が抜けた。

「スオウ?」

 私が。

 『姫』が。

 どんなに問いかけても。

 スオウが応えることは、二度と無かった。


  五


 受験生にとって、夏休みはとても忙しい。

 学校は休みでも塾の夏期講習は毎日あるし、それも朝から晩までずっとあるので遊ぶヒマなんか無い。余計な事を考える余裕なんか全く無いのだ。

 私にとって、それは幸いだった。

 あの日。

 スオウを失ったあの日以来、私は塞ぎ込む事が多くなっていた。

 こんな気持ちじゃ、勉強なんか出来ないよ。

 塾には行くけれど、全く集中出来ない。それどころか、講師の話をまともに聞いてさえいない。耳には入っているのだけれど、それは右から左に抜けていて、内容は全く頭に残っていないのだ。それほどショックが大きかったということなのだろう。

 そうは言いながら、やることがあるということで随分と救われている。

 もし本当に忙しく塾に通っていなければ、きっと私は今以上に塞ぎ込んで、もしかしたら引き篭もってしまっていたかもしれない。

 私は、自分では恋愛感情は無いと思っていた。

 スオウは生まれてからずっと一緒にいた、いわば家族や兄弟のようなもので、恋愛対象ではないと思い込んでいた。二人の距離が近過ぎたのだ。

『違うわ。そうではないでしょう?』

 あの日以来、スオウに代わって私の傍にいる『姫』が言った。

 結局、何故『姫』が私と一体化しているのかとか、いつから一緒なのかとか、肝心な事は何一つ分からないのだけれど、分離する事も出来ないので、あの日からずっと一緒にいる。

 普段の『姫』は、私の思考や行動には全く関与してこないのだけれど、今日は違った。

『自分の心には正直にならないと。私のように後悔しますよ? ヒビキ』

 ちぇ。

 『姫』には何でもお見通しだからなあ。

 今は、もしかしたら本当はスオウのことが好きだったのかもしれないと思っている。

 私は怖かったのだ。

 私の想いを伝えてしまったら、きっと今までの関係が壊れてしまう。その恐怖感が、私に行動を思い止まらせていた。

 だから。

 自分に嘘をついていた。

 スオウは恋愛対象じゃない。

 他の女の子たちが騒いでも気にならない。

 そう思い込んでいた。

 でも、本当はそうじゃない。

 私は、スオウを取り囲む他の女の子たちの黄色い声を耳にしながら、いつもやきもきしていた。

 優しいスオウは、いつも女の子には丁寧な応対をしていた。その度に私の心中は乱れていたのに、私はそのことに気付かないふりをしていたのだ。

 そしてスオウを失った今。

 私の心には、大きな空洞がぽっかりと穴を開けている。

 決して埋まる事の無い大きな穴。かつてスオウが埋めてくれていた心の一部。

 スオウはもう私の一部だったのだ。

 例え『姫』が私の中にいて、いつも一緒にいてくれるとしても、その穴を埋める事は決して出来ない。

『失って初めて分かる事もあります。私もそうでした』

 『姫』が言う。

 『姫』は私より格段に長い時間を生きている。その間に、気付かずに後悔するような事があったということなのだろうか。

『そうですね。例えばキョウヤとの関係もそうです』

 えっ?

 あの粘着質のストーカーだったキョウヤの事?

『随分ですね。あれでも私が最初に出会った頃は、あんな風ではなかったのですよ? 隣国の王子として、とても立派な立ち振る舞いでした。それを知るだけに、あんな事になってしまって悲しいのです』

 苦笑しながら答えてくれていた『姫』の声のトーンが下がる。

『私があそこまで追い込んでしまった。私はキョウヤの想いに応えてあげられなかったから……』

「どうして?」

 私は疑問に思って聞いてみた。

 そんなに悪く思っていないのなら、お友達……という事も出来たのではないのかな?

『それは無理です。私にはもう好きな人がいましたから。その人とは片想いでしたし、身分も違っていたので、決して結ばれる事は無いと分かっていたのですけれどね……』

 私の心が寂寥感で満たされる。『姫』が感じているその寂しさは、心と身体を共有する私には、『姫』が感じているそのままの形で伝わってくる。

 『姫』の好きだった人。それは……。

『ヒビキには分かってしまいますね。そう、スオウです。彼は私の従者でした。物心付いたときからいつも一緒にいてくれた、ただ一人の真の私の理解者なのですよ』

 でもスオウは私の腕の中で消える直前、『姫』ではなく私に『ごめん』と言った。『姫』の失望はどんなに深いだろう。私は『姫』の感じる寂しさが、本当はもっと深いのではないのか、と心配になった。

『良いのです。ヒビキは気にしないで下さい。彼は私の想いは知っているのですから。その上で、それを受け入れる事が出来ない事も良く分かっているのです。だから私には声をかけてはくれなかったのですから……』

 『姫』の心が泣いている。

 分かっている、と言いながら、それでも言って欲しかった筈だから。

 私には分かる。

 スオウはいなくなった。

 キョウヤもいなくなった。

 残されたのは私だけ。

 あの、いつまでも続くと思っていた私の日常は、こんなにも簡単に崩れてしまうものだったんだ。

 そして二度と帰ってこない。

 私は『姫』と一緒に泣いた。

 大声を上げて、二人分の涙を流した。

 それで全てを忘れられる訳では無いけれど、でもそうするしか、私に出来る事は無かった。


 悲しみにくれた夏休みが終わった。

 結局、塾の夏期講習は何となく全部出席したけれど、その修了試験の成績は散々で、先が思いやられる結果だった。

 『姫』と二人、未だ立ち直れないままに新学期を迎えている。

 まだ眩しい夏の日差しの強さが残る朝日を受けて登校した。

 家を出て、隣を見る。

 かつてスオウの家があった場所は、今は空き地となっている。

 スオウが私の腕の中で光となって消えた時、どうやらこの世界は変わってしまったらしい。

 スオウの住んでいた家は跡形も無く消えてしまって、まるで最初から存在していなかったかのようにその痕跡すら見出す事は出来なかった。

 人の記憶も同じ。

 幼稚園の頃からずっと一緒だった筈のスオウの事を、私以外は誰一人として覚えていなかった。

 私はそんな現実を受け入れる事が出来ずにいた。

 私が好きだったスオウは、本当は存在しなかったのだろうか?

 いや。

 スオウは確かにいた。

 ついでに、キョウヤもいた。

 他の全ての人が忘れても、私だけは覚えている。

 あの、女の子には誰にでも優しく、でも私にだけは少し生意気な態度を示すイケメンの幼馴染。

 初めて会った時から『好きだ』と連発して私を呆れさせた、ちょっとプライドの高い大人びたイケメンの転入生。

 二人の顔がふっと瞳の奥に浮かぶ。二人とも優しげな笑顔を浮かべている。

 その笑顔が、空に飲まれるように消えていく。

 今はいない。

 誰もいなくなった。

 その悲しみ、寂しさを抱えたまま、新学期の学校へと重い足を進める。辺りでは、楽しかった夏休みの報告を話し合う生徒の明るい声が響いている。その明るい輪に入る事も出来ずに、とぼとぼと校門をくぐる。

 その時。

「何やってるんだよ? そんなにのんびり歩いてたんじゃ、遅刻しちまうぞ?」

 懐かしい声が聞こえたような気がした。

 えっ?

 私はその声の聞こえた方へと振り返った。

 そこには……。

「スオウ?」

「や。久しぶり」

 照れたように笑うスオウ。優しい笑顔を赤く染めて、こちらを遠慮がちに眺めている。

 そして……。

「また来たよ。ヒビキちゃん!」

 その声はキョウヤ?

 え? なんで?

 はにかんでいるスオウの後ろから、ひょっこりと顔を覗かせたキョウヤ。

「また来るって言ったでしょ? 今度は二人で転入しちゃったよ」

 思わず空を見上げる。あの空を埋め尽くした宇宙船を探してしまった。

「そんな無粋な事はしないよ。『姫』に振り向いてもらうためには、そんなものに頼ってちゃダメだからね」

 こちらも、あの見る人全てを悩殺するような必殺の笑顔を満面に湛えている。

「な……。どうして?」

「ごめん、ヒビキ。壊れた身体を再生するのに、案外時間がかかっちゃって……」

 身体を再生?

 そんなことが出来るの?

 私の疑問にはキョウヤが答えた。

「今の俺の国の技術じゃ、そんなに難しくないんだ。再生する元の細胞があればね」

 ふーん。凄いんだね。

「そう。俺もスオウに刺された身体を再生して戻ってきたんだ」

 それじゃあ『姫』の身体もすぐに作り出せるんじゃないの?

「残念ながら、『姫』の場合は再生元の細胞が無いから難しいんだよ。ヒビキちゃんと精神体である『姫』を分離する技術も、完全に確立している訳ではないしね」

「というか、二人が何故一体化しているのか、その原因が分からないと分離出来ないんだ」

 キョウヤの解説に補足を加えるスオウ。

 でも、私はもうそんな小難しい事など全く聞いていなかった。

 スオウが帰ってきた。

 ついでに、キョウヤも。

 私の心を曇らせていた厚い雨雲が、一気に晴れたような気がした。

 それは『姫』も同じようで、私の心の中で『姫』の喜ぶ気持ちが昂ぶっているのが手に取るように分かる。『姫』自身は何も語らないけれど、私たちは二人で一人なのだから、『姫』の考えていることは何でも分かるのだ。

「さあ、早く行こうぜ」

「うん!」

 そう答えたのは、私だったか、『姫』だったか。

 新学期。

 新しい季節の始まりを、私は新しい想いで迎える。

 スオウの。

キョウヤの。

『姫』の。

そして私の。

 みんなの想いが眩しく輝いている。

 まだ暑い、真夏のような日差しの刺す始業式の朝。

 その青い空のように、どこまでも広がる新しい未来に向かって。

 私たちは歩き始めたのだった。

                            (了)


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