四十万宗真
:四十万宗真
平凡よりやや裕福、四十万宗真が産まれたのはそんな家だった
父親は小さいながらも会社の経営者
人の上に立つにはやや気弱な性格だったがその分優しく人から慕われるタイプの人間で、経営も社員の皆に助けられながらなんとかこなしていた
母親は、そんな父を優しく支える様な人だった
元々は父親の会社の社員で、社内恋愛から結婚に至ったらしい
とにかく穏やかな人で俺が悪さをしても怒鳴りつけたりする様な事は無く、自分から謝れるまで待っていてくれた
そんな家庭で、俺こと四十万宗真は何不自由なく育った
だが、あれは俺が十歳の頃
「どうかこの通り!」
「そんなに頭を下げられても・・・」
父に向かって必死に頭を下げていた男は父の友人だったか知人だったか
借金か何かで金の工面をしていて、父に金を貸してもらいにきたらしい
何度も何度も頭を下げて必死に頼み込む男、だが父は困った表情をするだけ
それなりに裕福ではあるとは言え、男が貸してほしいと言ってきた金額はそう簡単に出せる金額ではなかったからだ
「頼む!もう他に頼れる人が居ないんだ!」
「・・・」
そんなやりとりを数時間続けた後
父は何かを決心したかの様に母の方を向き、そして母は黙って一回だけ縦に首を振った
「分かったよ」
「・・・!!!本当か!!??」
「ああ、だから頭を上げてくれ」
「ありがとう!本当にありがとう!一生恩に着るよ!!!」
そう言うと男は更に頭を下げ続け、そして最後までお礼を言いながら立ち去っていった
「立派なご両親だったんですね!」
それを聞いたアリアは感動した様に言った
だが、俺は少し俯くようにして呟く
「立派か・・・どうだったんだろうな、実際」
「どうしてですか!?人助けをして、立派な行為じゃないですか!?」
そう興奮した様に言うアリアに、俺は静かに告げた
「・・・結果だけを言うなら。その男はその後二度と、両親の前に姿を見せる事はなかった」
「え・・・?」
俺の告げた言葉に困惑の表情を見せるアリア
「ど・・・どうしてですか?」
「さあ?最初から金を騙し取るつもりだったのか、それともやむにやまれぬ事情があって戻ってこれなかったのか。今となってはもう分からないし、大して興味も無い。残ったのは蓄えの大半を失った事実だけだ」
その後、男に渡した分の金を補うべく仕事に励もうとする父だったが、会社の経営の方も順調とは言えなかった
じょじょに経営は悪化していき、ついに
「社員の皆聞いてほしい。来年度からこの会社は宮島グループ傘下の子会社として、新たにスタートする事になった」
父の言葉を聞く社員達は黙ってそれを聞いている
経営悪化は彼等も理解していたし、この様な事態になるのも分かっていた事だったからだ
「社員の皆については引き続きこの会社で雇用してもらえる様、先方に話は通しておいた。体制の変化に伴って色々戸惑う事もあるかもしれないけど、引き続き頑張って欲しい」
その時、黙って聞いていた社員の一人が口を開いた
「社長は・・・どうするんですか?」
「・・・」
その社員の言葉に口をつぐむ父
社員は引き続き雇用してもらえる様にした、だが父の分の場所はそこには無かったのだ
「僕もこれから新しい環境で頑張っていくつもりだ、だから心配しないでほしい」
「社長・・・」
黙って俯く者、思わず涙ぐむ者、社員の反応は様々だった
だが父は最期まで笑顔を絶やさず社員を励まし続け、会社を去る事となった
それからはまあ絵に描いた様な貧乏暮らし
狭いアパートの一室に家族三人、母も働きに出るようになり両親共働き
だがそんな辛い状況だったにもかかわらず、父も母も怒鳴り散らしたり何かに当たったりせず優しいままの両親だった
そして14歳の頃、丁度中学3年になろうとしていた時
そんな家庭で過ごした俺は
「父さん、ちょっといい?」
「ん?どうしたんだい?宗真」
「俺、中学卒業したら働きに出たいんだけど」
俺は父にそう告げた
少しでも早く働きに出て家計を助けたい、そう思ったからだ
だが、俺の言葉に父は
「宗真は宗真の好きな進路に進んでいいんだぞ」
「でも、高校に進めば学費だってかかるし」
「大丈夫さ、宗真一人分の学費くらい。父さんも母さんも頑張るし、だから宗真は何も気にしなくていい」
そう、優しく言った
こうして俺は父の言葉に甘える形で進学を決める事にした、しかし
(それでもなるべく節約しないと)
そう考えながら高校のパンフレットを眺めていた俺は、ある項目に目を付けた
「奨学金・・・」
幸い俺には足が速いという特技があった、小学校のリレーでもマラソンでも一位を逃した事は無い
「これなら・・・」
そして俺は陸上を志す事に決めた
だが、足が速いというだけのレベルで奨学金を狙えるはずはない
中学3年で陸上部に入った俺は、ひたすらに走りこみを続け更に早く走り続けた
1年という期間を、俺は勉強と陸上に全て費やし
その甲斐あって、俺は県内で陸上の名門と呼ばれる高校に特待生として入学する事が出来た
「おい、あれ見ろよ」
トラックで短距離を走る一年生達を指差しながら、ソイツは言った
「ん?一年の新入部員がどうかしたか?」
「あの一番右の奴のスパイクだよ」
陸上部の上級生であるソイツ等が指差していたのは、俺のスパイクの事だった
「うわっ!ボロっ!なんであんなにボロボロの履いてるんだよ!?」
「な、走ってる最中にぶっ壊れるんじゃねーの?」
「スパイクぐらい買えよな~、あんなのでマトモに走れんのかよ?」
走り終えた後の柔軟を途中で止めた俺は、大声で笑いあうソイツ等に向かって真っ直ぐ歩いていく。そして
「先輩。先輩・・・ですよね?」
「あ?なんだよ一年」
睨み付けてきたソイツに向かって、俺は一言告げる
「勝負してくんないスか?400メートル一本」
そして、数分後
「何だよあの一年・・・メチャクチャはええ・・・」
俺は上級生のソイツ相手に、5秒以上差を付けてゴールしてみせた
「ハアッ・・・ハアッ・・・クソッ・・・!!!」
俺は少しだけ息を整えると、まだ息が荒い上級生の方に向かって歩いていき
「先輩」
「あ・・・?」
「これでどっちが上か分かってもらえたと思うんで・・・」
そして蔑んだ視線を向けながら言った
「これからは、陰口叩く相手選んで下さいね」
その翌日、その事はクラス中で話題になっていた
「入学早々先輩に喧嘩売るとか、四十万こえー」
「ずっと一人だしな、協調性の欠片も無いっつーか」
「特待だから調子乗ってんじゃねーの?」
「でもアイツさ・・・」
今日も部活でトラックを走り抜ける俺の姿を見て、他の陸上部員達が言った
「やっぱアイツ、クソ生意気だけど滅茶苦茶はえーわ。一年の速さじゃねーぞ」
「もう部長とタイム殆ど変わらないらしいからな」
トラックを駆け抜け、息を整える俺に向かって声をかけてくる男が一人
「よう四十万、調子良さそうだな!」
「部長・・・ウス」
いかにも体育会系といった朗らかな笑みを浮かべたその男は、俺が所属する陸上部の部長だった
「部長、暇だったら勝負してくんないスか?今なら勝てる気がするんで」
「おいおい勘弁してくれ、一年に負けたら部長の威厳が保てなくなっちまう!」
そう言って豪快に笑う部長
基本周囲にトゲトゲしく当たっていた俺だが、この人だけはそれを気にせず接してきてくれていて
俺もこの人の事だけは憎めず、それなりに話す関係になっていた
「部長に勝てば、次の代表取れると思ったんですけどね」
「まあ、ウチは伝統的に二年と三年から代表選ぶからな」
「くだんねーですよ、俺の方がタイム出せるのに」
「まあそう腐るな、一年生大会があるだろ。それに」
そして部長は、少しだけ真面目な表情になって言った
「来年からは間違いなくお前の時代だ。県大会優勝、お前ならもしかしたらその上も狙えるかもしれない」
「全国優勝・・・」
「そうだ。だから、俺らが抜けた後の陸上部は任せたぞ!」
「ウス・・・!」
そう言って部長は俺の背中をバンバン叩いた
そして更に一年後、高校二年の夏の事
「優勝は栖鳳学園二年の四十万宗真君!」
俺は二年にして、県大会で優勝してみせたのだった
その数日後
「四十万すげーじゃん、二年で優勝とか!」
「まーな」
一躍有名人となった俺にクラスの連中がからんでくる
正直顔も名前も一致しない相手だが、俺は適当に返事しておく
「つか、全国もいけんじゃね?」
「タイムだけで言えば全国じゃまだ6位だ、表彰台には乗れねー」
だが俺はニヤリと笑ってみせると
「まあ本番までに縮めるけどな」
そう言ってみせた
そこにはどんな相手だろうと俺が勝つという、傲慢さと自信に満ち溢れていた
「うわー自信過剰」
「でも、こんな奴じゃないと上には行けないのかもな~」
「つか優勝したらどうすんのよ?オリンピックとか目指すわけ?」
「うわっ!金メダルとか取れたら凄くね!?」
騒ぎ出すクラスメイト達、まだ県大会で優勝しただけなのにどんどん話が飛躍していく
だが、俺は至って平静な態度で答える
「カネになるなら、メダル目指してもいいけどな」
「つまんねー、現実主義」
だが内心、俺は高ぶっていた
(このまま陸上で頂点まで登りつめれば有名になれる!それでCMとかのオファーがあれば莫大な金が手に入るだろう!そうすればもっと楽な生活を・・・)
その時だった
「二年F組の四十万宗真くん、二年F組の四十万宗真くん。今すぐ職員室に来てください、繰り返します・・・」
校内放送が俺の呼び出しを告げる
「ん?四十万、なんか呼び出しくらってんぞ?」
「ああ。なんだ?」
「隠れてタバコでも吸ってたのがバレたんじゃねーの?」
「吸ってねーよアホ」
そんな金ねーっつーんだよ
しかし、そうなると呼び出しの理由が分からない
俺は不思議に思いながら職員室の扉を開ける
「失礼しまーす」
「おお!四十万!早くこっちに来い!!!」
職員室中に響き渡る様な大きな声で俺を呼んだのは、俺の担任だった
片手には受話器を持っている
(電話?)
一体誰から?そんな事を考えながら受話器を受け取る
「もしもし」
「・・・宗真?」
「母さん?どうしたの?学校に電話までして」
「・・・お父さんが・・・」
「!!!」
次の瞬間!俺は受話器を放り投げると全力で走りだした!
タクシーを呼ぶなんて声が後ろから聞こえたが、そんな物待っていられない!
俺は学校から連絡のあった病院まで全速力で走り!そして病室のドアを開けた!
「・・・宗真」
だが俺を待っていたのは、既に息を引き取った後の父さんの姿だった
「父さん・・・」
俺は動かなくなった父親の横に立ち尽くす
医者の話によると父さんは仕事中に突然倒れたらしい
死因は急性心不全、原因は過労だそうだ
家を支える為、父さんはずっと無理をしていたのだ、誰にも気付かれない様に
「うっ・・・うっ・・・」
そして俺は、父の亡骸の前で涙を流す母さんの隣に座ると
「大丈夫・・・これからは俺がなんとかする。学校辞めて働くよ・・・それで凄い金稼いでくるから、だから心配しないで・・・だから・・・」
だが、その3年後
広い部屋の中で俺が唖然と見つめていたのは、部屋の中央に飾られた母の遺影だった
「お父さんに続いてお母さんまで亡くなるなんて、まだ若かったんでしょ?」
ざわざわとそんな言葉が聞こえてくる
そう、無理をしていたのは父さんだけじゃなかった
3年前からすでに、母さんの体も病魔に冒されていたのだ
「これからどうするのかしら宗真くん、まだ二十歳でしょ?」
「生活費とか大丈夫なのかしら?」
「それなんだけど、実は・・・」
何も考えられず唖然と遺影の前に座りこむ俺
その時、俺に話しかけてきた男が居た
「やあ宗真くん。僕は君のお母さんの従兄弟の・・・まあ遠い親戚みたいなものなんだけど」
俺はその言葉に反応せず、身動き一つしないまま遺影を見つめていた
だが男は続ける
「もし良かったら一緒に暮らさないかい?これから一人で生活していくのは何かと不便だろうし」
そして、男はこう言った
「僕と家族になろう」
「家族・・・」
その言葉にようやく反応を示した俺は後ろを振り返った
「あの時見た物は今でも鮮明に覚えてるし、きっと一生忘れる事は無い」
「一体何を見たんですか・・・?」
「その時、俺に家族になろうって言ったその男は・・・」
そして、後ろを振り返った俺はそれを見て愕然とした
その男は「嗤っていた」のだ
口からは家族だ何だと美辞麗句を吐いておきながら、その顔は人間がここまで醜くなれるものかと言わんばかりに歪んでいた
そう、男の言葉は全てデタラメ
男が欲しかったのは、俺の為に両親が残した多額の保険金だった
「・・・!?」
そして同時に気付いた、それはその男だけじゃなかった事に
俺を哀れむ声、両親を悼む声、それらを口から紡ぐ人間のことごとくが嗤っていたのだ
体面だけは整えておきながら、どいつもこいつもどうにかして金を掠め取るチャンスを窺っている
僅かな声や態度の違和感から、その事が俺には理解出来てしまった
(何だこれ・・・コイツ等は何を言っているんだ・・・?)
どうして嗤っていられるんだ?
どうしてそんなに浅ましく生きていられるんだ?
どうしてそんなに平気で嘘をついていられるんだ?
いつからだ?いつからコイツ等は・・・いや、そうか・・・そうだったんだ
「一緒に行こう宗真くん」
そう言って男は俺の肩に手を乗せようとした、その瞬間!
バシッ!!!
俺はその男の手を渾身の力で払いのけた!
そして男を睨みつけながら言う
「汚ねえ手で触るな・・・!」
そして立ち上がった俺は叫んだ!
「テメエ等もだ!!!母さんの前でその歪んだ顔を晒してるんじゃねえ!!!」
だが、俺の叫びを聞いたソイツ等は
「どうしたの宗真くん?」
「いきなり叫びだすなんて」
訳の分からないと言った表情でこっちを見つめてくるだけだ
そしてまた嗤ったまま、可愛そう、お気の毒に、心配なんて言葉を吐き出した
繰り返されるその言葉に、俺は怒りのままにまたもや叫ぶ!
「ふざけるな!!!何が可愛そうだ!何が心配だ!テメエ等のそれは嘘だらけだ!!!他者を哀れむ自分に酔いしれたいだけの嘘だ!!!そんな事を言って、誰も父さんと母さんを助けなかったじゃないか!!!本当に心配なら、可愛そうなら助けてくれたはずだ!!!テメエ等はただの偽善者共だ!!!」
そして俺は思い切り叫ぶ!
「テメエ等全員ここから出て行け!!!!!」
誰も居なくなった家の中、俺は一人佇んでいた
頭に浮かぶのは一つの事だけ
そうだ、いつから?じゃない、最初からだ
最初から世界は醜く出来ていた、俺はただ気付いていなかっただけだ
アイツ等がオカシイんじゃない、異常なのは俺だったんだ
父さんも母さんはこんな醜い世界でも人に優しく生きようとした、でもだから死んだ
だったら俺は優しくなんか生きない、嘘つき共の言う善意なんて信じない
俺は俺の為だけに生きてやる
全てを失った俺の目に、新たな炎が灯り始める
「金が要る・・・沢山の金が必要だ」
そして家に引きこもった俺は、両親の遺した保険金を元手に資産運用を始めた
もちろん、最初から順風満帆だったわけではない
「はあ!?なんでこの状況で株価が落ちるんだよ!?ふざけんな!!!」
ダンッ!!!
俺は両手をデスクに叩きつける!
「いい加減な仕事しやがって!クソッ!クソッ!!!」
だがそんな生活が一年、三年、五年と続き、俺もじょじょに力を付けていった、そして
パソコンに別の画面が映し出される、彼の銀行口座の預金額だ
そこには人一人どころか十人が一生遊んでお釣りがくる額の数字が並んでいる
「フッフッフ・・・ハッハッハッハッハッ!!」
それを見ながら彼はこみ上げてきた笑いをそのまま口から吐き出した
「ハッハッハッハ!!!ついにやったんだ俺は!!!」
俺は勝ちあがった!これ以上無い程多額の金を手に入れた!このクソみたいな世界に負けなかった!!!
「俺は自由を手に入れたんだーーーーー!!!!!」
それは小さな部屋から世界に向かってあげた、俺の勝ち鬨だった




