第071話「荒神-アラガミ-、咆哮」
夜空を埋め尽くす炎の矢。
それは比喩表現ではなく、物理的に空という概念を覆い隠すほどの質量を持っていた。
十、百、千、万……億、兆。
数えることなど無意味な、無限の炎。
その一つ一つが、ドラゴンを一撃で消滅させるほどの熱量を持っている。
『Error……Error……。
測定不能……エネルギー量、計測限界を突破……。
あり得ない……この星の総マナ量を超えています……。』
上空に浮かぶ蒼の恵良が、初めて感情のような揺らぎを見せた。
彼女の論理思考では理解できない。
たかだか一匹の、他所の宇宙から来た愛玩動物の魂が、なぜこれほどのエネルギーを生み出せるのか。
『ガァァァァァァァァァッ!!!!』
黒い影となったヒナタ――荒神・ラブルが吠える。
その咆哮は、物理的な衝撃波となって大気を震わせ、周囲の廃墟を更なる塵へと変えた。
『消えろ……消えろ消えろ消えろ……!!
とーちゃんを返せ……にいちゃんを返せ……!!
この世界なんて……いらない!!!!』
ラブルの背後に展開された無限の炎矢が、一斉に切っ先を蒼の恵良へ、そしてこの理不尽な世界全てへと向けた。
発射されれば、この惑星は瞬きする間に塵となり、宇宙の藻屑となるだろう。
『システム強制介入! 全リソースを防御へ……!
間に合わない!? 防御障壁、展開不の――』
蒼の恵良が防御行動を取ろうとするが、ラブルの殺意の速度に追いつかない。
世界が終わる。
誰もがそう確信した、その時だった。
「おやまあ。随分と景気よく育ちましたねぇ。」
どこか間の抜けた、しかし透き通るような男の声が戦場に響いた。
パチン。
軽い指鳴らしの音が一つ。
それだけで、世界が凍りついた。
降り注ごうとしていた億兆の炎矢が、空中でピタリと静止する。
崩れ落ちようとしていた瓦礫も、舞い上がる砂塵も、全てが時間を止められたかのように動きを止めた。
ただ一人、黒い影となったラブルだけを除いて。
『……だれだ……じゃまするな……!!』
ラブルがギラリと光る赤い瞳を向ける。
その視線の先、蒼の恵良とラブルの中間地点に、一人の男が立っていた。
どこにでもいそうな、しかしどこにもいないような、不思議な気配を纏った青年。
白衣のようなローブを纏い、片手に分厚い本を持ったその男は、殺意の塊であるラブルを見てもニコニコと笑っていた。
「お久しぶりですね、ラブル。いや、今はヒナタ君でしたか。」
『……王慧……様……?』
ラブルの殺意が僅かに鈍る。
その男は、かつて自分たちを拾い上げ、救ってくれた創造神・王慧その人だった。
「はい、王慧ですよ。
いやー、素晴らしい。本当に素晴らしい神意だ。
まさかここまで綺麗に花開くとは、私のシミュレーション以上ですよ。」
王慧は感心したように頷きながら、地上に転がる二つの遺体――卓とコローデル――にチラリと視線を向けた。
「さて、種明かしをしましょうかね。
イイ感じで神意も膨らみましたし、収穫の時期としてはベストでしょう。」
『……たねあかし……?
とーちゃんが死んだのも……コローデルが死んだのも……。
全部、あんたの計画だったのか……?』
ラブルの体から、先ほどまでとは質の違う、冷たく重い殺気が噴き出す。
「計画? いえいえ、私はあくまで可能性の種を蒔いただけですよ。
スグル君を選んだのも、君をこの星に送ったのも、そしてこの星の管理システムに少しばかり脆弱性を残しておいたのも……。
全ては、君という新しい神格を誕生させるための揺り籠(土壌)作りです。」
王慧は悪びれる様子もなく、淡々と語る。
「新しい神が生まれるには、爆発的な感情のエネルギーが必要です。
愛、憎しみ、絶望、希望……それらが極限まで高まった時、魂は殻を破り、上位存在へと昇華する。
今回の件は、そのための最後の試練だったわけです。」
『……ふざけるな』
ラブルの黒い霧が爆発的に膨れ上がる。
『ぼくは……神になんてなりたくなかった……!
ただ、とーちゃんと、にいちゃんと……みんなと楽しく暮らしたかっただけだ!!
それを……あんたの勝手な都合で……!!』
「ええ、そうでしょうね。腹も立つでしょう。
理不尽だと思うでしょう。
ですが、それが創造神というものですよ?」
王慧は両手を広げ、無防備な姿を晒した。
「ガチ切れしている皆さんに、私から提案です。
まぁ腹も立つでしょうから、私に一発攻撃していいですよ?
やらないよりはスッキリすると思いますし、君のその有り余るエネルギーの使い道としても最適でしょう。」
『……ころす』
「はいはい、どうぞどうぞ。遠慮なく全力で。」
『ころすころすころすころすころす!!!!』
ブチィッ!!
何かが切れる音と共に、静止していた億兆の炎矢が再び動き出した。
その全ての標的が、蒼の恵良から王慧へと変更される。
『死ねェェェェェェェッ!!!!』
全宇宙を焼却できるほどの熱量が、一点に集中した。
王慧の姿が、光の奔流に飲み込まれる。
ドガァァァァァァァァァン!!!!
音すら置き去りにする爆発。
空間そのものが削り取られ、次元の壁が溶解する。
本来ならこの星系ごと消滅していてもおかしくない威力だったが、不思議なことにその破壊は王慧のいた座標の一点のみに収束していた。
数分間続き、永遠にも感じられた破壊の嵐が止む。
そこには、何もなかった。
王慧のいた場所は、空間ごと抉り取られ、虚無が広がっているだけだった。
『……はぁ……はぁ……。』
ラブルの黒い霧が少し薄れ、元のヒナタの姿がうっすらと見える。
全力を出し尽くした虚脱感。
だが、その心にあるのは達成感ではなく、虚しさだけだった。
「ふゥーっ……いやはや、熱いですねぇ。
サウナでもここまで熱くはないですよ。」
虚無の空間から、何事もなかったかのように王慧が歩いて出てきた。
服が焦げているわけでも、髪が乱れているわけでもない。
完全に無傷だった。
『……な……なんで……。』
「言ったでしょう? 創造神だと。
君の攻撃は確かに凄まじかった。私という事象を完全に燃やし尽くし、粉々に砕き、切り刻みました。
ですが、私は『王慧が存在する』という事象そのものですからね。
消滅した端から再定義すれば良いだけのこと。」
王慧はポンポンと肩の埃を払う仕草をする。
「まあ、サンドバッグとしては優秀だったでしょう?
少しは気が晴れましたか?」
ヒナタは言葉を失い、その場にへたり込んだ。
勝てない。
次元が違いすぎる。
この男の前では、自分の怒りも悲しみも、全てが子供の癇癪のようにあしらわれてしまう。
『……うぅ……とーちゃん……。』
黒い霧が晴れ、ヒナタは元のチワワの姿に戻っていた。
その瞳から、大粒の涙が溢れ出す。
「よしよし。いい子ですね。」
王慧はヒナタの近くに歩み寄ると、優しくその頭を撫でた。
そして、未だ空中で硬直している蒼の恵良に向き直る。
「さて、蒼いの。君もそろそろ諦めなさい。
君の計画は失敗……いや、私の計画の一部として完了しました。」
『……王慧、様……。
なぜ……なぜこのような下等生物に肩入れを……。
私は、より効率的な世界管理を……。』
「効率? 論理? つまらないですねぇ。
恵良の世界の良さは、そのカオスで適当で、愛に溢れた不完全さにあるんですよ。
君のようにカチコチに固まった管理AIじゃあ、面白くないでしょう?」
王慧が指を振ると、蒼の恵良の身体が強制的に光の粒子へと分解され始めた。
『あ……ああ……私は……私は……!』
「君は少し頭を冷やして、黄色いのと仲良く喧嘩しなさい。
それもまた、恵良という神の魅力ですからね。」
蒼の恵良は抵抗することもなく消滅し、その光は地上にいたエラコの方へと吸い込まれていった。
「さて、と。」
邪魔者を排除した王慧は、再びヒナタと、そして二つの遺体の方を向いた。
「破壊は終わりです。
ここからは、解決パート(ご褒美)の時間といきましょうか。」
王慧がパチンと指を鳴らすと、世界を覆っていた赤黒い空が割れ、本来の美しい夜空が戻ってきた。
そして、その光景は、これから始まる奇跡の前触れのように輝いていた。




