第070話「父の愛、母の幻影」
怒濤の展開ではないでしょうか。
光の柱から現れたその存在は、エラコと瓜二つでありながら、決定的に何かが異なっていた。
透き通るような蒼い髪、感情の一切を感じさせない冷徹な瞳。
その圧倒的な神気に気圧されそうになる中、エラコからの念話が卓たちの脳内に響いた。
『あーあ、最悪。遂に出てきちゃったわね。』
『エラコ、あいつはお前なのか?』
卓が問うと、エラコは忌々しそうに、しかし努めて冷静に答えを返す。
『半分正解で半分間違いよ。いい? 手短に話すわ。
本来の創造神・恵良は、アタシ(黄色)とあいつ(蒼)が混ざり合って出来た「緑色」の存在だったの。
いわば、アタシが「感情」や「混沌」を司る側面で、あいつは「論理」や「秩序」を司る側面。
二つで一つだったんだけど、あいつはアタシの部分をノイズだと判断して切り離し、神域の本体を乗っ取った。
それが今の状況。あそこにいるのは純粋な管理機能だけの存在、独立顕現した蒼の恵良よ。』
『黄色と青で緑……絵の具かよ。』
『概念としてはそんなもんよ。
ま、アタシが追い出された残りカスなら、あっちは純度100%の濃縮還元・管理システムってわけ。
融通なんて利かないわよ? なんせアタシ(遊び心)を捨てたんだから。』
なんとも締まらない説明だが、事態が最悪であることだけは理解できた。
情動を持たず、ただ世界をシステムとして管理し、不具合があれば容赦なく切り捨てる神。
それが今、明確な敵として目の前に顕現したのだ。
「――蒼の恵良……創造神のもう一つの側面か。」
卓は地上で、上空に現れた蒼い光の柱を見上げながら呻いた。
その存在感は、先ほどのシャムとは次元が違う。
ただそこに浮いているだけで、世界そのものが彼女を恐れて震えているような、絶対的な圧力が肌を刺す。
だが、そんな神の威圧など今の優貴には関係なかった。
「誰が出てきたって関係ない! ネテーテを傷つけたこと、絶対に許さないんだから!!」
優貴が剣を振り上げると、周囲のマナが強制的に収束し、空間が悲鳴を上げるほどの雷撃が刀身に纏わりつく。
ヒナタのオマケとして与えられたその力は、怒りによってリミッターが外れかけていた。
「消えちゃえぇぇぇぇっ!!」
振り下ろされた剣から放たれた雷撃斬は、光の速度で蒼の恵良へと迫る。
物理的な破壊力を伴ったその一撃は、直撃すれば山脈すら消し飛ばす威力だ。
『……野蛮ですね。王慧の世界の住人は、皆こうなのですか?』
蒼の恵良は、迫りくる極大魔法を見ても眉一つ動かさない。
彼女がスッと右手をかざすと、雷撃の進路上にある空間の座標が書き換えられた。
ドォォォォォン!!
優貴の放った攻撃は、蒼の恵良の遥か後方へ「転移」させられ、何もない虚空で爆発した。
「くっ……魔法が通じないなら!」
優貴は止まらない。
魔法が逸らされるなら、直接叩き込めばいい。
身体強化魔法をフル稼働させ、弾丸のように蒼の恵良へと突っ込んでいく。
『学習しませんね……ですが、その純粋なエネルギー量は確かに脅威です。
まともに相手をして私の現身を傷つけるのも非効率的……ならば。』
蒼の恵良の瞳が、冷たく光る。
『――精神干渉:深層記憶参照・投影――』
優貴が剣を振り下ろそうとした、その刹那。
蒼の恵良の姿が陽炎のように揺らいだ。
透き通るような蒼い髪が黒く染まり、冷徹な女神の顔が、優貴の記憶にある、最も愛おしい人物のそれへと変わる。
「……優貴? まあ、随分と大きくなったわねぇ。」
優しくて、少しおっちょこちょいで、いつも温かかった笑顔。
黒髪を後ろで束ね、見慣れたエプロン姿の女性。
「……え? ……お、母……さん……?」
優貴の動きが、空中でピタリと止まる。
振り下ろされようとしていた刃が、行き場を失って震えた。
あり得るはずがない。
こちらに来てない筈の母、亮子がここに居るはずがない。
頭では分かっている。
だが、目の前の存在は、声のトーンも、匂いも、纏う雰囲気も、優貴の記憶の中の母親そのものだった。
「ごめんね、優貴。寂しい思いをさせたわね。さあ、こっちへいらっしゃい。」
母が両手を広げる。
優貴の目から、戦意という炎が消え失せた。
ただの甘えん坊の子供の目に戻り、剣を下ろして、ふらふらと母の胸へと吸い寄せられていく。
「お母さ――」
「優貴ィィィ!! 騙されるなァァァッ!! それは幻だ!!」
地上からの卓の絶叫も、今の優貴の耳には届かない。
優貴は無防備に、その懐へと飛び込んだ。
ドシュッ。
肉が断たれる、濡れたような音が響いた。
「……え?」
抱きしめられるはずだった母の腕は、存在しなかった。
代わりに、空間そのものが鋭利な刃となって、優貴の胴体を真横に薙ぎ払っていた。
母の姿が霧散し、無表情な蒼の恵良の顔に戻る。
『馬鹿な子ですね。
愛などという不確定なバグに依存するから、判断を誤るのです。』
「あ……が、あ……?」
優貴の視界が上下にズレる。
自分の足が、自分より下の方へ落ちていくのが見えた。
大量の鮮血が夜空に撒き散らされ、二つに分かれた体が重力に従って墜落していく。
「優貴ィィィィィィッ!!!」
卓は結界の維持を放り出し、落下してくる息子の体を受け止めようと走った。
エラコも、サロモンも、他の誰もが反応できない速度で落下してくる。
ドサッ……。
「優貴! しっかりしろ! 今治してやる!!」
卓は震える手で優貴の上半身と下半身を無理やり合わせると、渾身の魔力を込めて回復魔法を発動した。
<聖属性魔法:ハイ・ヒール>
<聖属性魔法:エリア・ヒール>
<聖属性魔法:リジェネレーション>
金色の光が優貴を包み込む。
だが、傷口は塞がらない。
いや、塞がってはいるのだ。
切断された断面が、それぞれ「皮膚」で覆われ、綺麗に「治癒」してしまっている。
上下が繋がることなく、それぞれが独立した物体として「完治」してしまっていた。
「な、なんだこれは……!? くっつかない!? なんでだ!!」
『無駄ですよ。』
頭上から、蒼の恵良の声が降ってくる。
『事象を改変しました。"その傷は既に癒えている"と。
既に治癒した皮膚同士がくっつくはずがありませんよね?
彼はもう助かりません。虫の息のまま、絶望して死になさい。』
「き、さまぁぁぁぁっ!!」
卓が怒りに我を忘れ、蒼の恵良を睨み上げる。
その一瞬の隙を、管理者は見逃さなかった。
『おやおや、よそ見をしていて良いのですか?』
蒼の恵良の指先から、音もなく放たれた漆黒の魔弾。
それは、呆けている卓の心臓を正確に狙っていた。
結界を解除し、無防備な背中を晒している卓に、それを避ける術はない。
「危ないっ!!」
ドスッ!
肉を貫く鈍い音がした。
だが、卓に痛みはない。
卓が目を開けると、目の前にはピュリナック教の司祭服を着た女性が、覆いかぶさるようにして倒れ込んでいた。
「コローデル……!?」
彼女の背中から胸にかけて、大きな風穴が空いていた。
心臓を一撃で貫かれている。即死級の傷だ。
本来、卓の心臓を穿つはずだった死の閃光を、彼女が身を挺して受け止めたのだ。
「が、はっ……ま、間に合って……よかった……。」
「馬鹿野郎! なんで飛び出してきた! お前は後ろにいろと言っただろうが!」
卓は優貴から手を離し、崩れ落ちるコローデルを抱き留める。
彼女の口から、ゴボリと血が溢れ出す。
「スグルさん……私……貴方にお会いできて……本当に……幸せでした……。」
「喋るな! 回復魔法を……!」
卓が手をかざすが、魔力の光は彼女の傷を塞ぐことなく霧散していく。
心臓の破壊、そして魂の座すら砕かれた即死攻撃。
回復魔法の理を超えた死が、そこにあった。
「いいえ……分かります……これは、もう……。
それに……私、満足なんです……。
ずっと……貴方をお慕いしていました……。
最期に……貴方を守れて……聖女として……女として……本望です……。」
コローデルの瞳から光が失われていく。
震える手が、血に濡れた卓の頬にそっと触れた。
「優貴君を……助けてあげて……ください……。
愛して……います……お幸せ……に……。」
「コローデル!! コローデルゥゥゥッ!!」
カクリ、と彼女の手が落ちる。
コローデルは事切れた。
その顔は、不思議なほど安らかで、満ち足りた微笑みを浮かべていた。
その瞬間、卓の脳内でシステム音が鳴り響いた。
――ピローン――
<呪神の呪い 480/500>
<条件達成:真実の愛による自己犠牲を確認>
<蓄積値増加:+20>
<呪神の呪い 500/500(MAX)>
<隠しスキル:事象転嫁 解放>
(……そうか。そうだったのか……。)
卓は静かに理解した。
このふざけた名前のスキルの、真の解除条件。
それは、誰かが自分に対して命を懸けるほどの「真実の愛」を示すことだったのだ。
そして今、コローデルの死によって、その条件は満たされた。
「……保険、か。使いたくはなかったがな……。」
卓はコローデルの亡骸をそっと地面に寝かせると、まだ虫の息で苦しんでいる優貴に手を置いた。
そして、未だ苦痛に耐えているヒナタに念話を飛ばす。
『ヒナタ、聞こえるか?』
『……とー、ちゃん……? あたま……いたい……。』
『よく聞けヒナタ。優貴を頼む。お前が守ってやってくれ。』
『え? なに……いってるの……?』
『俺はただの保護者だ。保護者の役目を果たすだけだ。
……じゃあな、ヒナタ。優貴と仲くな。』
『とーちゃん!? まって! やだ! やだよ!!』
ヒナタの悲痛な叫びを遮断し、卓はスキルを発動する。
「<事象転嫁>」
世界が一瞬、反転した。
光が溢れ、そして収束する。
卓の体から力が抜け、視界が急速に暗くなっていく。
代わりに、目の前の優貴の体が淡い光に包まれ、切断された胴体が「最初からそうであったかのように」繋がっていく。
優貴が死にかけた事実が、卓が死んだ事実に書き換えられる。
世界の理そのものを騙す、禁忌の御業。
「……あ……父……さん……?」
意識を取り戻した優貴が、薄く目を開ける。
その視界に映ったのは、事切れたコローデルと、その横で崩れ落ちるように動かなくなった父の姿だった。
「お父さん……? ねえ、お父さん!?」
返事はない。
卓の心臓は停止し、その命の灯火は完全に消え失せていた。
『あらあら、仲間割れですか? それとも心中?
まあいいでしょう。どのみち全員ここで死ぬのですから。』
上空から蒼の恵良が嘲るように笑う。
だが、その笑いはすぐに凍りついた。
「う、うあぁぁぁぁぁぁっ!!」
優貴の慟哭と共に、空間が裂けた。
ネローテと、回復したネテーテがゲートから飛び出し、呆然とする優貴を無理やり抱きかかえる。
「ユウキ様! 今は退きますわ!」
「いやだ! お父さんが! お父さんが!!」
「なりませぬ! ここで死ねばスグル様の死が無駄になります!」
ネローテが強引に優貴をゲートへ引きずり込む。
ゲートが閉じる寸前、優貴が見たのは、二つの亡骸と、残された一匹の犬の姿だった。
残されたヒナタは、卓の冷たくなった頬をペロリと舐めた。
動かない。
大好きな匂いが、死の匂いに変わっている。
とーちゃんは、もういない。
にいちゃんも、いなくなっちゃった。
『……ゆるさない。』
ヒナタの小さな体から、どす黒い靄が噴き出した。
それは魔力ではない。
もっと根源的な、この宇宙に存在する負の感情そのもの。
かつて地球で、何万、何億という同胞たちが抱いた、無念と怨嗟の叫び。
『ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない。』
ヒナタの姿が形を失い、黒い影へと変貌していく。
愛らしいチワワの姿は消え失せ、そこには世界を飲み込むほどの巨大な獣の影が顕現した。
荒神・ラブル。
宇宙で二番目のイレギュラーが、最愛の主を奪われ、再び目覚めたのだ。
『ガァァァァァァァァァッ!!!!』
咆哮と共に、ヒナタの背後から無数の炎の矢が出現した。
十や百ではない。
億、兆、京……。
夜空を埋め尽くし、星々さえも見えなくなるほどの炎の矢が、蒼の恵良へと、そしてこの理不尽な世界全てへと切っ先を向けた。




