第069話「蹂躙と暴食」
熱くなってきた気がしますね。
赤熱した大地、かつてベンデーンと呼ばれた場所の上空で、激しい戦闘の火蓋が切られた。
「まずは足元の掃除からよ! 爆ぜろ!!」
サーラの短い詠唱と共に、押し寄せていたフェンリルの群れの中心で極大の爆発が巻き起こる。
火と風の複合魔法だ。
爆風に巻き込まれ、数体のフェンリルが吹き飛ぶが、後続は死体を踏み越えて津波のように押し寄せてくる。
「キリがない……でも、負けない!」
サーラは次々と魔法を放ち、前線を維持しようと奮闘する。
そのサーラの横を、黒と白の影が疾走した。
卓専属メイドのユーリだ。
「邪魔です。
どきなさい。」
ユーリが冷たく言い放つと同時に、眼前に迫ったフェンリルの巨体が沈んだ。
一瞬の交差。
ただそれだけで、鋼鉄よりも硬いはずのフェンリルの前足が切断されていたのだ。
体勢を崩したフェンリルの首元へ、ユーリは迷いなくナイフを突き立てる。
「……次。」
返り血(粉雪)を浴びることなく次の獲物へと向かうその姿は、まさに掃除を行うメイドそのものだった。
そしてもう一人。
冒険者ギルドの副ギルドマスター、サマンサもまた、鬼神の如き強さを見せていた。
「名誉あるサロモンお父様の顔に泥を塗るわけにはいきません!」
サマンサが振るうのは、身の丈ほどもある巨大なハルバードだ。
彼女の細腕のどこにそんな力があるのか、一振りするたびに衝撃波が発生し、フェンリルたちが纏めて吹き飛ばされていく。
彼女は魔法使い系のサロモンの養女だが、その戦闘スタイルはバリバリの物理特化だった。
三人の奮闘により、館への直接侵入は何とか防がれている。
だが、空を覆うドラゴンの群れは、地上の攻防など意に介さず、ただ無慈悲に破壊の光を降り注がせていた。
『鬱陶しい虫けらですね……消えなさい。』
上空に浮遊するシャムが、冷ややかな視線を地上に向ける。
彼女が指先を動かしただけで、数千のドラゴンが一斉に急降下を開始した。
「させんわ!!」
そのドラゴンの群れに、一人の老人が立ちはだかった。
サロモン・モルダウルだ。
彼は背中から漆黒の翼――魔力で形成された翼――を展開し、空中へと躍り出ると、先頭のドラゴンの顔面に拳を叩き込んだ。
ドゴォォォン!!
空気が弾ける音と共に、巨大なドラゴンの頭部が粉砕される。
だが、サロモンの攻撃はそれだけでは終わらなかった。
「ふぅむ…なんか普通に食えそうじゃし、じゃあ生まれた世界の理にのっとって、遠慮無くいただくとしようかの!」
サロモンが大きく口を開けると、あろうことか粉砕されたドラゴンの肉片を空中でパクリと口に入れたのだ。
「むぐむぐ……ふむ。ま、不味くはないのぅ。」
ゴクリと飲み込むと、サロモンの魔力が爆発的に膨れ上がる。
「お前達はただの魔物ではない。マナの塊じゃろ? ならば儂の糧になるには丁度良いわい!」
サロモンはニヤリと笑うと、次々と襲い来るドラゴンを殴り飛ばし、引き裂き、そしてその肉を貪り食っていく。
ドラゴンのブレスを正面から受けても、サロモンはまるでシャワーでも浴びるかのように口を開けて飲み干してしまう。
「あ~、じゃっかんイチゴシロップの味がするのぅ。
練乳があればもっと美味かもしれん。ま、かき氷よりはマシじゃな。」
圧倒的な暴食。
元魔王と呼ばれた男の、これが本性だった。
彼が通り過ぎた後には、食い散らかされたドラゴンの残骸すら残らない。
下半身をブレスで吹き飛ばされても、近くのドラゴンの肉を食えば瞬時に再生する。
その異様な光景に、流石のシャムも眉をひそめる。
『……下品な。やはり古い時代の遺物は処分すべきですね。』
シャムがサロモンに向けて手をかざす。
その掌に、この世の理を書き換えるような、青白い光が収束していく。
管理者権限による直接干渉攻撃だ。
「させないわよ!!」
その射線上に割り込んだのは、黄金の光を纏ったエラコだった。
彼女の背中には、光で構成された六枚の羽が出現している。
なぜか鳥でも蝶でもなく、トンボ羽根なのかと…
「あら、やっと動けるようになりましたか? 黄色いポンコツの方。」
『うるさいわね! アタシだって元は一つの存在、あんたの好き勝手にはさせないんだから!』
エラコの手から、無数の光弾が放たれる。
シャムはそれを障壁で弾きながら、余裕の表情を崩さない。
『無駄ですよ。今の私はこの星の半分の権限を持っています。
貴女のような残りカスに何ができるのですか?』
『半分しか持ってないくせに偉そうに! 残り半分はヒナタが持ってるんだからね!』
上空で、二人の恵良の眷属と分体の激突が始まった。
神域の権限を巡る争いは、周囲の空間を歪め、色とりどりの閃光となって夜空を焦がしていく。
一方、館の中。
結界を維持する卓の背後で、優貴がじりじりとした様子で空を見上げていた。
「お父さん、僕も行くよ!」
「駄目だ優貴! お前は……。」
「みんなが戦ってるのに、僕だけ見てるなんて出来ない!
ヒナタだって苦しんでるんだ、僕がアイツを倒せばヒナタも楽になるんでしょ!?」
優貴の言う通り、ヒナタは未だに高熱に浮かされたように苦しみ、動けずにいた。
ヒナタの持つ権限とシャムの権限が衝突し、その負荷が全てヒナタにかかっているのだ。
「それに、僕だって強くなったんだ。
お父さんに教えてもらった魔法もある!」
優貴は制止を聞かず、窓枠を蹴って外へと飛び出した。
<飛行>の魔法で空へと舞い上がると、剣を構えてドラゴンの群れへと向かっていく。
「くそっ……! 優貴!!」
卓は結界の維持で動けない。
歯噛みする卓の横を、もう一つの影が駆け抜けていった。
「私がユウキをお守りいたしますわ!!」
ネテーテだ。
彼女もまた、漆黒のドレスの裾を翻し、風の魔法を纏って優貴の後を追う。
「ネテーテ! 来るな、危ないよ!」
「貴方を行かせるくらいなら、私も共に参ります!
これでも帝国の第一皇女であり、全属性魔法の使い手。
足手まといになどはなりませんわ!」
ネテーテは優貴の背後に張り付くと、正確無比な風の刃で迫りくる小型のドラゴンを撃ち落としていく。
二人の連携は見事だった。
優貴が広範囲の爆撃魔法で敵を散らし、漏らした敵をネテーテが迎撃する。
瞬く間に数十体のドラゴンを屠り、二人は戦場を駆け上がっていく。
「調子に乗るなよ、猿共が。」
上空でエラコと交戦していたはずのシャムが、僅かに視線を優貴たちに向けた。
ただそれだけの動作。
しかし、次の瞬間、優貴たちの周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。
『――事象改変:座標圧縮――』
目に見えない巨大なプレス機のような圧力が、優貴たちを襲う。
「っ!? 体が……動かない!?」
「ユウキ!!」
回避不能の全方位圧縮。
優貴が死を覚悟したその時、ネテーテが自身の魔力を暴走させるようにして加速し、優貴の前に体ごと割り込んだ。
「ぐあぁぁぁぁぁっ!!」
「ネテーテ!!」
ネテーテの障壁が砕け散り、彼女の体が拉げ、血飛沫が舞う。
だが、その身を挺した防御のおかげで、優貴への直撃は避けられた。
二人は絡み合うようにして、地上へと落下していく。
「ネテーテ! しっかりして! ネテーテ!!」
地面に激突する寸前、金色の柔らかな光が二人を受け止めた。
卓が結界の一部を変形させ、クッションにしたのだ。
「お父さん!! ネテーテが!!」
優貴が泣き叫ぶ。
腕の中のネテーテは、四肢があらぬ方向に曲がり、口から大量の血を吐いて意識を失っていた。
普通なら即死の重傷だ。
「どけ優貴!!」
卓が結界の出力を維持したまま、遠隔で回復魔法を発動する。
<聖属性魔法:ハイ・ヒール>
幾重にも重ね掛けされた最高位の回復魔法が、ネテーテの体を包み込む。
バキバキという音と共に骨が元の位置に戻り、裂けた皮膚が塞がっていく。
ほんの数秒で、ネテーテの体から外傷が消え去った。
「……う、ん……ユウキ……?」
「ネテーテ! 良かった……本当に良かった……!」
優貴がネテーテを抱きしめて涙を流す。
卓は大きく息を吐き、額の汗を拭った。
「……肝が冷えたぞ……。
優貴、いいか、調子に乗るな。
相手は神様だぞ? 俺たちの常識は通用しない。
ネテーテを連れてすぐに結界の中に戻れ!」
「……ううん。
まだやるよ。」
優貴が立ち上がる。
その目には、恐怖ではなく、明確な怒りの炎が宿っていた。
「ネテーテをこんな目に遭わせたあいつを、絶対に許さない。」
「優貴!」
「大丈夫。次は油断しない。僕の全力で、あいつをぶっ飛ばす!」
優貴の周りに、かつてないほどの濃密な魔力が渦巻き始める。
それは、ヒナタのオマケとして与えられたチート能力の片鱗だった。
「……分かった。
だが、無理だと思ったらすぐに引け。
俺が必ずカバーする。
絶対に無理しない。
約束だぞ!」
「うん。行ってきます!」
優貴は再び空へと舞い上がった。
ネテーテはまだ動ける状態ではないため、コローデルに引き渡される。
「スグルさん、ユウキ君は……。」
「あいつの意思だ。親としても、止めるわけにはいかないだろう。」
卓は震える手で結界を維持しながら、空へと向かう息子の背中を見つめた。
その胸中には、言いようのない不安が黒い染みのように広がっていた。
(頼むぞ優貴……無茶だけはしないでくれよ……。)
上空では、エラコとシャムの戦いが激化している。
そこへ、怒りに燃える優貴が突っ込んでいく。
「シャムっ!! よくもネテーテを!!」
優貴の杖から、極大の雷撃が放たれた。
それはシャムの不意を突き、彼女の障壁を大きく揺るがした。
『ちっ……! この私が、たかだか人間の子供に押されるなど……!』
シャムの表情に焦りが浮かぶ。
エラコの光弾と、優貴の規格外の魔力攻撃。
二方向からの攻撃を受け、管理者権限を半分しか持たないシャムは防戦一方になりつつあった。
『おのれ……おのれぇぇぇっ!
認めません……こんな不確定要素ごときに、蒼き恵良様の計画が邪魔されるなど!!』
シャムが叫ぶと同時に、彼女の身体に亀裂が走った。
銀色の髪が抜け落ち、可愛らしい顔がひび割れ、内側から青白い光が漏れ出し始める。
「な、なんだ!?」
攻撃の手を緩めた優貴が驚愕する。
『私の器では、この程度の権限出力が限界ということですか……。
ならば! この身を贄として捧げましょう!!
お出で下さいませ、真なる管理者、蒼き恵良様ぁぁぁぁっ!!』
シャムの身体が、内側から爆発したように弾け飛んだ。
だが、そこには血肉はなく、ただ純粋な青い光の柱だけが残った。
天を衝くような光の柱。
その中から、一人の女性が姿を現す。
エラコと同じ顔。
エラコと同じ姿。
だが、その髪の色は透き通るような蒼色で、瞳は氷のように冷たく、感情のない光を宿していた。
『……騒がしいですね。
我が依り代を壊してまで私を呼ぶとは、シャムも不甲斐ないものですね…』
その声は、鈴を転がすように美しいが、聞く者全てを凍りつかせるような絶対的な威圧感を持っていた。
「あ、あれは……?」
優貴が呆然と呟く。
「……来たわね。
蒼いの」
エラコが忌々しそうに吐き捨てる。
その女性こそが、神域を乗っ取り、この星のシステムを改変しようとしている元凶。
蒼の恵良。
創造神のもう一つの側面が、遂にその姿を現したのだった。




