4話 【過去】 サキュバス1匹、旅のお供にいかがですか?
【過去】
それはカインが聖剣に選定されて、勇者として旅を始めたばかりのことであった。
「この街の人間が、衰弱しているって……?」
「はい、勇者カイン様……。私共としても、一体何が起きているのかさっぱりで……」
ここはとある侯爵家の貴族の家であった。
勇者に選ばれたばかりのカインは、立ち寄った街を治める貴族から奇妙な相談事を受けていた。
聞けば、この街では今原因不明の衰弱事件が多数起こっているのだという。
朝が来ると、この街の誰かが体も起こせない程衰弱しているという事件が長い事引き起っていて、当の被害者はその前日の夜の記憶が丸々抜けているようだった。
被害は男女関わらず起きていて、死人は出ていないものの、もう大勢の人間が被害にあっているというのだ。
「もし……影で魔王軍が暗躍している事件だとしたら、私共の手ではどうしようもありません……。
謝礼はたくさんお支払いします。勇者様、この事件何とかならないでしょうか……?」
「まー、色々見て回らねぇと何とも言えねぇ。取り敢えず時間をくれ」
勇者カインは葉巻をふかしながら、貴族からの依頼を引き受けた。
「あ、ありがとうございます……!」
侯爵家の人間は頭を下げる。
「この街の案内や、勇者様のサポートは私の娘が行います。是非とも使ってやってください」
「娘……?」
「リズ! 入って来なさい!」
侯爵家の貴族がそう言うと、この応接間の中に1人の娘が入ってきた。
金色の長い髪がふわりと揺れている、とても綺麗な少女だった。15歳の、つぼみが花を咲かせたばかりの様な可憐な少女だった。
「初めまして勇者様。私はこの家の長女リーズリンデと申します。以後、宜しくお願い致します」
その少女は優雅な作法でお辞儀をする。
その姿、動きにカインは目を奪われる。
それが彼と彼女の出会いだった。
* * * * *
「今日の調査も成果なし……か……」
「本当に何の手掛かりも出て来ませんね……」
お昼前の時間、活動拠点である侯爵家の家に戻って来て、大きくため息をつきながらカインは椅子に深く腰掛けた。
衰弱の事件の被害はいつも朝に確認されている。故に事件は夜に起こっているのだと推測され、カインとリーズリンデは夜に2手に分かれてこの街を見廻っているのだが、事件の尻尾は一向に見当たらなかった。
昼夜逆転の生活は続く。これからカイン達は睡眠の時間だった。
疲れたようにカインは顎を上げる。
「申し訳ありません、カイン様。貴重なお時間を頂いているというのに、何も成果を出すことが出来なくて……」
「いや、おめぇが悪い訳じゃねえだろ、リーズリンデ」
リーズリンデはカインの為に紅茶を一杯淹れていた。
「ま、焦らずやろう。慌ててちゃ見つかるものも見つからねぇ」
「……勇者様、あなたの様なお方がこんな街の事件に時間を費やすのはあまり良くありません。もっと調査が長引くようであれば、この街は気にせず前にお進みください」
「ま、もうちょっと……もうちょっとな……」
そう言いながら、カインはリーズリンデの淹れた紅茶を飲んだ。
「……! 美味いな、これ!」
「あ、ありがとうございます」
カインは目を丸くし、リーズリンデは優雅に微笑んだ。
「紅茶を淹れるのは貴族の嗜みですので」
「貴族の嗜み、ね……」
「はい」
「なぁ、リーズリンデ。俺に礼儀作法を少し教えてくれよ」
「……はい?」
いきなりそう言われ、リーズリンデはきょとんとする。
「いやさ、俺は最近勇者なんて言われ始めたけど、本当はただのド田舎のバカガキだよ。礼儀や作法がなってねぇって、貴族に会う度に嫌味を言われて超めんどくせぇ」
「それは……失礼な貴族の方達ですね。勇者様に対しなんて不遜な……」
「ま、小さい事をいちいちうっせえとは思うけどな」
カインは椅子の背もたれに強く重心を掛け、椅子の4本の足の内の2本がぶらりと浮く。その様子は確かに貴族の様な優雅さとは程遠いものだった。
「でも、ちょっと礼儀作法を身に付けたら俺もいちいち嫌味を言われぇで済む。
何でこうなったかは知らねえが、俺も今や世界の希望だ。少しぐらい礼儀作法を身に付けようと思ってな」
「……それは」
「なんだよ」
気恥ずかしくなったのか、カインは口を尖らせる。
しかし、カインの言葉を聞いたリーズリンデはゆっくりと微笑んだ。
「それは、美しいですね……」
「……そうか?」
「はい、私で良かったら是非、力にならせて下さい」
そう言って、カインとリーズリンデの礼儀作法の教室が始まったのだった。
* * * * *
それから少し時が経った、ある日の深夜。
「お前……だったのか、リズ……」
「…………」
とある淫魔が男性に襲い掛かろうとした所を、勇者カインが妨害した。この街の衰弱事件の犯人が露わになった。
リズが膝を付き、その彼女に聖剣を向けながらカインはリズを見下ろした。
この街の衰弱事件の犯人はリズだった。
「……どおりで犯人が尻尾を現さねぇ訳だ」
「…………」
リズはカインと共に事件の調査をしており、カインの動きは完全に把握していた。後は2手に分かれて調査をし、カインの行動範囲外で事件を起こせばいいだけだった。
そこでカインはリズを罠に嵌めた。
その日の自分の調査予定範囲について嘘を言い、リズを付け回したのだ。
今、リズは追い詰められていた。
「なんでお前がこんなことを……」
「……ッ!」
リズはカインに襲い掛かる。サキュバスとして蓄えた魔力を使って、勇者と壮絶な戦いを繰り広げた。
夜に2人、激しい剣戟が舞う。
勝ったのはカインだった。
体中がボロボロになりながら、リズは地面にぐったりと横たわった。
その傍に注意深く、カインが歩み寄る。
「……私はもう終わりです」
「あ?」
リズは息が漏れる様な小さな声を発する。
「……貴族として一生懸命勉強し、礼儀作法も習い、音楽とか料理とか、清廉で真面目な貴族の人間として……こつこつと、こつこつと積み上げてきたのに……なんでっ……!」
「…………」
「なんでっ、私はっ……! 先祖返りの……サキュバスだなんて……!」
リズは横たわりながら涙を流し始めた。
リズは最初からサキュバスの力を持っていた訳ではなかった。普通に貴族として生活をしていたのに、体が成長すると共にサキュバスとしての力と情念が高まってしまったのだ。
その体の奥の存在は、容易く彼女の生活を壊した。
「正しい……誠実な貴族として正しい生き方をしていたのに……! 私の体は淫乱で! 下劣で! もうどうしようもなくなって……! 止まらなくて……!」
「…………」
「止まらなくて……」
次々と人を襲ってしまった。
「……私はもうおしまいです。もう貴族として生きられない……。私の中のサキュバスとしての存在が、それを許さない……」
「…………」
「もういっそ、殺して下さい……」
リズは腕で目を覆いながら、嗚咽を漏らした。
それまでの貴族としての全人生の努力が、自分の情欲によって壊されてしまった。
どうにかしたいと頑張ってきたのだけれど、どうしようもないことであった。
カインはゆっくりとリズに近づいて、かがんだ。
「なぁ、リズ……」
「…………」
カインは言う。
「……男を5人くらい囲ってみたらどうだ? それで退廃的な生活を送るんだ。いいだろう?」
「……え?」
勇者はとんでもない事を言いだした。リズは驚いて、自分の腕をどかして、涙で濡れた目でカインを見る。
「愛人を5人でも10人でも囲ってさ、毎夜毎夜代わる代わる抱いちまうんだ。サキュバスとしてのお前も満足するし、男たちも満足するだろう。いや、囲うのは女でもいいのか? きっと楽しいぜ?」
「は……はあああぁぁぁっ……!?」
リズは素っ頓狂な声を出さざるを得なかった。
「そんな事、出来る筈が無いでしょうっ……!?」
「出来るさ! だってお前は今までで1人も死人を出してねぇっ……!」
「で、でも貴族としてのモラルは!? 愛人を5人や10人とか、良識とか倫理観が壊れてますよっ!?」
その言葉を受けて、カインはにかっと笑った。
「そんなもんは、犬にでも食わせちまいな」
「…………」
リズは呆気に取られ、カインは横たわる彼女の頭を撫でた。
「いいんだよ、欲望に流されても、淫乱でも、卑猥でも、変態でも……お前は素の自分を出していいんだ。自分に素直になっていい。誰かに何か言われても、鼻で笑ってやれ」
「…………」
「そうしてたら、きっといつか、誰か素のお前を受け止めてくれる奴がいるさ」
素の自分を隠したままじゃ、素の自分を受け止めてくれる奴なんか現れやしねぇ、とカインは続ける。
リズの目に光が宿った。
「お前はもっと自分を肯定してやれ、リズ」
そう言ってカインは笑う。
今まで彼女の中に居座り続けていた重くて苦しい存在が、すっと軽くなっていった。
彼女の夜は今、明けたのだった。
* * * * *
そうしてこの街の衰弱事件は解決した。
侯爵家からの報酬を貰い、暫くの後、懐が潤った勇者は次の街へと足を進めようとした。
そうして彼はまた1人で旅を再開させようとしたのだが……、
「カイン様~! 待って下さい~……!」
「…………」
カインは呆気に取られる。
魔法使いの黒い三角帽子と黒いローブを身に着けたサキュバスが勇者の背中に走り寄って来ていた。
背中には旅をする為の大きな荷物を背負っている。
「カイン様っ……!」
「…………」
それまでの薄暗い表情から一変、リズはきらきらと目を輝かせながら背の高いカインの顔を見上げる様に覗きこんだ。
「サキュバス1匹、旅のお供にいかがですかっ!?」
「要らんっ!」
カインは手でリズの顔を押し、彼女を押し退けようとするものの、リズは必死にカインの腕にしがみ付いた。
「カイン様が仰ったんじゃないんですかぁ! お前はもっと自分に素直になっていいって……!」
「だー! うるせぇっ! 俺の迷惑の掛からないところでやりやがれっ!」
「人でなしー! 責任取って下さいー!」
ぎゃーぎゃーと掴み合いの喧嘩が発生する。リズの綺麗な金色の髪がふわりと揺れる。
「もう私は勇者様の専属のサキュバスなんですからっ……! もう他の男とは交わりませんっ……!」
「うっせぇ! 他所でやれっ!」
「あー! 勇者様羨ましいっ! サキュバスを自分のペットに出来るなんて、世界中の男性から滅茶苦茶羨ましがられますよっ! はい! 私を滅茶苦茶にしてくださいっ!」
「サキュバスなんかペットにしても、なんのステータスにもならんわっ!」
「あ、でも、昨日のカイン様の言う通り、女性は何人か囲っちゃおうかな!? それなら浮気になりませんよねっ!」
「いいから、はーなーれーろーっ……!」
リズは笑った。
朝の太陽が2人の旅を祝福する。
勇者カインの苦難は今ここから始まったのだった。