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32話 【現在】 そしてまた、お休みなさい

【現在】


「お、お前は……」

「…………」

「お前は……一体……?」


 魔王軍幹部アンディは額から汗を垂らしていた。

 つい今の今まで、自分はこの場で最も強い者であった。ここにいた教師10名ほどを軽く蹴散らし、場を支配する側の存在だった。


 しかしその状況は一変した。

 目の前の少女の雰囲気が変わった。

 それまでのお淑やかな様子が、今は妖しく、鋭く、深くなっている。


 魔王軍幹部アンディは自分の前に立ち塞がる少女リズを見て、息を呑んだ。

 彼女の体の中にはどこまでも深く濃い魔の力が宿っていた。


「さぁ、アンディ様……?」

「…………」

「私と踊ってくださいますか……?」


 それまでただの少女だった女が不気味に笑う。


「あなたが地べたに這いつくばるまで」

「…………!」


 自分の体よりも3回りも4回りも小さい少女に、魔王軍幹部アンディの巨体が震える。ただ者じゃない、気を抜けば殺される。

 巨大の化け物の頭の中で警鐘がガンガンと鳴り響いていた。


「お前は一体何者だあああぁぁぁっ……!」


 アンディはリズに向かってハンマーを振り下ろす。

 それまでの余裕を含んだ攻撃ではない。全力の攻撃であり、その一振りだけで校庭の半分が衝撃波で埋め尽くされた。


 校舎の中でその攻撃を見ていた者たちはぞっとした。

 あんな広範囲の攻撃、絶対に避けられるはずがない。攻撃を受けたリーズリンデと、その近くにいたアイナは死んでしまったのか。

 学院の生徒たちは顔を青ざめながらその様子を見ていた。


 しかし、アンディの表情は引き締まったままであり、彼は上空を見上げた。観戦者たちも彼の視線を追い、上を見た。


「ふふふ……」


 リズが上空を飛んでいた。

 背中には小さな黒い羽が生えている。およそ人の体を浮かせられるような大きさの羽ではなかったけれど、その羽に魔法の力が宿っているのは明らかだった。


 背中に小さな黒い羽が生えた彼女の姿を見て、大勢の人が小悪魔を連想した。


「……うわぁっ!? えっ!? な、なにこれっ!? と、飛んでるっ……!?」


 やや遅れてから自分の状況を把握して、驚きの声を発したのはアイナだった。

 彼女はリズに抱えられ、リズと一緒に飛ぶことでアンディの攻撃から逃れていた。


「アイナ様。もう大丈夫ですよ」

「えっ!? わっ……!? リ、リーズリンデ……様……!? こ、これは一体……!?」

「後は私が全部守りますので」


 現状がうまく呑み込めず、慌てるアイナをあやすようにリズが微笑む。


「…………」


 見るものを安心させるような穏やかな笑顔に、アイナは少し頬を染めた。


「さぁっ、お久しぶりの戦闘開始です……」

「ぐ……ぬううぅぅぅ……!」


 リズの言葉に、アンディは小さく唸る。

 勇者パーティー元No.2、リーズリンデ。彼女の戦いが幕を開けた。


「……来い! 謎の女っ!」

「行きますっ!」


 その言葉と共に、リズは超スピードでアンディに迫った。

 空中から一直線、弾丸のようなスピードでリズはアンディに突撃をした。普通の敵だったら何が起きたかもわからないままリズの体当たりを喰らい、吹き飛ばされてしまう程の凄まじいスピードだった。


「舐めるなぁっ……!」


 しかし、魔王軍幹部アンディは反応した。

 リズの超スピードの突進に辛うじて反応して、カウンターの様にハンマーを振るった。


 突撃してくる彼女の体に上手くハンマーを合わせ、彼女の体を思いっきり叩いた。

 やった、ジャストミート! とアンディは思った。

 しかし、すぐに違和感に気が付く。


「ん……?」


 叩いた瞬間、リズの体が白く光った。


「くそっ……!?」


 その瞬間、リズの体が爆発した。10mも爆炎が巻き上がる巨大な爆発だった。当然、アンディもその爆発に巻き込まれる。


「くそっ……!? 分身爆弾かっ……!?」


 爆炎の中でもがきながらアンディはそう口にする。

 先程のリズの体は分身の術で作ったものであり、しかも衝撃が加わると大爆発を起こす分身であった。


 アンディはハンマーを大きく振り、爆炎と煙を吹き飛ばす。

 体を多少焦がしながらやっと彼の視界が晴れ、そしてまた異変に気が付く。


「ぐっ……!?」

「ふふふ……」


 空中にはリズが10人も20人も浮いていた。1人以外はすべて幻術、または分身。幻術のリズがアンディを囲う様にして宙を舞っていた。


 先程までリズが抱えていたアイナの姿がない。アンディが分身の相手をしている間に、リズは彼女を校庭の木の陰に隠していた。


「そーれ!」

「くそおおおぉぉぉぉっ……!」


 複数のリズが一斉に魔術を放つ。

 アンディの周り四方八方から魔術が襲い来る。彼はハンマーを振ってその魔術を叩き潰そうとするが、そのほとんど全てが幻術で、彼のハンマーは虚しく空を切った。


 大量の分身と幻術のその内の1人が奇妙な行動に出た。

 手に持っていた勇者カインの体操服のパンツを自分のスカートの内側にしまい込んで、魔法によってくっつけていた。

 魔力の性質を粘着性のあるものに変え、それでカインのパンツをスカートの内側に張り付けたのだった。


 リズは恍惚の笑みを浮かべる。


「ふふふ……、カイン様のパンツが私のスカートの中に……。これはもうセッ〇スと言っても過言ではありませんね……」

「何を訳のわからないことを言っているーっ……!」


 アンディはリズの狂気に恐怖しながら、その彼女に向かって魔法を放つ。しかし、空中を高速で移動出来るリズはその魔法を簡単にひょいと躱す。


 そしてまた彼女は分身をしたり、幻術を増やしたりして、その身を暗ました。


「くそったれがあああぁぁぁぁっ……!」

「ふふふ、外れですー」


 アンディの放つ魔法はことごとく幻術か分身であった。本物のリズには一切のダメージがいかない。

 逆にリズは幻術と本物の魔法を織り交ぜ、アンディにダメージを蓄積させていた。


「ふふふ、こっちですよ」

「……!」


 自分の真上から声がして、アンディは顔を上げる。

 その瞬間、彼に雷が落ちた。彼の太い体をすっぽり覆いつくしてしまうほど太く激しい雷が彼の下に降り注ぐ。


「ぐおおおおぉぉぉぉぉっ……!?」


 体が焦げるほど激しい衝撃がアンディに襲い掛かる。

 やがて電撃は収まり、彼はよろけて膝を付きそうになる。


「ふふふ、ド淫乱でエッチな雷の魔術が落ちてしまいましたね……!」

「…………」


 アンディの真上をふわりと浮かびながら、リズは腰に手を当てて自慢げにそう言った。アンディはキッと眼を鋭くさせ、上空にいるリズを確認した。


「舐めるなああぁぁっ……! 魔女めええぇぇぇっ……!」


 アンディはハンマーを振り、お返しとばかりに雷の魔術をリズに返した。

 彼の真上にいるリズはまともに電撃の攻撃を浴び、全身を黒く焦がす。


 そして、爆発した。


「くそがああぁっ! これも分身かああぁぁっ……!」


 今アンディが攻撃したリズも、先程と同様分身爆弾だった。爆発の衝撃はアンディにも届き、彼は地面に片膝を付いた。


 先程その分身は自分に雷の魔法を落とした。もし、分身も自由に魔術を放つことが出来るのだとしたら……。

 アンディはぞっとする。


 しかし、ぞっとしている暇も無かった。

 空中でアンディを取り囲んでいる幻術、分身の内1人のリズが片手を高く上げた。

 そして、凛とした声で言った。


「全員、突撃」


 四方八方にいた大量のリズが弾丸のようなスピードでアンディに襲い掛かってきた。


「くっそ……!?」


 アンディには容易に想像がついた。あれらの全てが分身爆弾であり、自分の下で一気に爆ぜるつもりなのだ、と。


「くそおおおぉぉぉっ……!」


 アンディはその巨体には似つかわしくないスピードで動き、その分身の突撃を躱そうと動いた。高速で飛び退きながら大きな土の壁を張り、分身爆弾の突撃を防ごうとした。


「でも、無駄ですよ?」


 大量のリズがくすりと笑った。

 分身爆弾は一直線に動くだけではない。アンディが飛び退けばその進路を変え、そして土の壁を避ける様にして動いて、たくさんのリズはアンディに肉薄した。


「ちくしょおおおぉぉぉぉっ……!」


 たくさんのリズが、爆ぜた。

 学院の校庭に連続して爆発音が鳴り響く。ドオン、ドオン、ドオンと何発も爆炎が巻き起こり、アンディの体を激しく焼いた。


 何度も何度も爆発が起こり、やがて止む。

 音が収まり、爆発も収まったが、その中心は悲惨だった。校庭は深く広く抉れ、黒く焼け焦げている。地面はひび割れ、爆発の重さをその光景が物語っていた。


 そして、その中心にボロボロのアンディがいた。

 皮膚の多くが黒く焼け焦げて、荒い呼吸を繰り返している。両ひざと片手を地面に付き、ハンマーを杖の代わりにして何とか倒れ伏せないよう、態勢を保っていた。


 しかし、闘志は衰えていない。

 目は血走り、リズの事を激しい剣幕をもって睨みつけていた。


「なるほど……タフ、魔王軍幹部だけあって、あなたタフですね……」

「…………」

「これだけの攻撃を持って倒れないとは、なるほど……尊敬に値します……」


 リズが言葉を発し、アンディはゆっくりと立ち上がった。先ほどまでとは立場も何もかも逆転していた。


「……殺す」

「では、私も奥義をお見せしましょう」

「……?」


 リズが自分の拳を強く握った。


「……絶対に耐えることの出来ない攻撃というのを、ご存知ですか?」

「……?」


 リズの握った拳に魔力が宿っていく。ゆっくりゆっくり時間を掛けながら、とても不気味で濃度の高い魔力がリズの手に集まっていく。


「これからあなたに放つのは、耐久不能の1撃です。これをまともに浴びてしまったら、勇者カイン様だって耐えきることが出来ない攻撃です」

「…………」

「この1撃で、戦いを終わらせる事を宣言いたします」


 リズはもう片方の拳も握る。その手にも強力な魔力が徐々に宿っていく。


「馬鹿にするなあああぁぁぁっ……!」


 アンディはハンマーを地面に叩きつける。すると、地面から土の棘が出現し、それがリズに襲い掛かる。


「ふんっ……」


 しかしリズはそれに対応する。彼女は拳で地面を叩き、敵と同じようにして土の棘を出現させる。

 土の棘はぶつかり合い、交錯するが、リズの土の棘がアンディのを突き破り、そしてそのままアンディに襲い掛かった。


「ぐおおぉっ……!」


 土の棘に刺され、彼の体が傷つく。皮膚が裂け、緑色の血が漏れる。


「油断はしません。私の全霊をもって、あなたに敗北を授けましょう」

「……っ!」


 リズの手に宿った不気味な魔力は消えていない。今の土の棘は奥義でも何でもない。

 リズはゆっくりとアンディに向かって歩を進めた。


「ぐっ……!」

「…………」

「ぐぐぐっ……!」


 プレッシャーが歩いてくる。

 目の前にいるのは小さな少女であるにも関わらず、人の恐怖の象徴である魔王軍アンディは胸の内に恐怖を膨らませていた。

 汗が垂れる。自然と歯を食いしばってしまう。全身が強張る。


 彼女の両の拳には不気味なほど強大な魔力が込められている。その魔力の色は深く濃くて、どんな魔法が放たれるのか想像もつかない。


「ぐぐぐぐぐっ……!」


 少女は1歩1歩近づいてくる。

 その存在は重圧そのものだった。


「くそおおおぉぉぉぉっ……!」


 そして、少女から逃れる様にアンディはばっと身を走らせた。彼は自分の体の側面をリズに晒しながら、一生懸命走りだした。それは、見る人にとって見れば無様な逃走の様子にも見えた。

 しかし、それはただの逃げではなかった。


「……え?」


 そう呟いたのは、木の陰に隠れているアイナであった。

 アンディはただリズの元から逃げたのではなく、隠れているアイナの方に向かって走っていた。


 ハンマーを振り上げ、そこに多量の魔力を込めながらアンディはアイナに迫る。


「うおおおおぉぉぉぉっ……!」

「きゃ……きゃああああぁぁぁぁっ……!?」


 アンディは獰猛な雄たけびを上げ、アイナは悲鳴を上げた。アンディは狙いをアイナに変更したのだ。


 彼は十分アイナに近づき、一拍も呼吸を置かぬままハンマーを振り下ろし始める。アイナはただ悲鳴を上げながらぎゅっと身を縮こませる事しか出来なかった。


「……させません!」


 もう少しでアイナの体はハンマーに押し潰される、という所でリズが間に割って入った。

 アンディは掛かった、と思い、ニヤッと笑った。


 アンディの狙いはこれだった。

 学校の生徒を狙えば、この敵はそいつを庇うだろう。そして友を庇う為に急いで身を滑り込ませたら、いかにこの魔女と言えど防御の魔法を放つ暇はない。


 ほとんど無防備な状態で自分の渾身のハンマーを受けなければいけない。

 そうすれば、防御の暇の無いこの魔女は潰れて死ぬだろう。

 そう魔王軍幹部アンディは思った。


 今まさにハンマーがリズに迫っている。数コンマ後、このハンマーはリズの体を押し潰すだろう。リズには魔法を放つ余裕はない。

 状況は、アンディが望んだ通りのものだった。


「……無駄」


 しかし、リズは短くそう呟いた。

 リズは右手を振り上げた。手の甲を上にして、まっすぐ上に腕を振り上げる。ただそれだけの事をした。


 アンディのハンマーとリズの手の甲がぶつかる。

 ギイィンと鉄と鉄がぶつかり合うような、固く重い音がする。衝突の衝撃が風となり、ぶわっと木の葉を揺らした。


「え……?」

「…………」


 アンディは手ごたえに違和感を覚えた。

 その直後、ハンマーが砕けた。


「…………」

「…………」


 アンディのハンマーはリズの手の甲によって砕かれた。

 大きな金属の塊は小さな破片へと変貌を遂げる。大きなハンマーは砕かれ、ばらばらとその残骸が宙を舞い、無残な姿を晒していく。


 アンディは訳が分からず呆然とした。

 何が起こったのか、意味が分からなかった。


「これはただの身体強化の魔法……」

「…………」

「別に何でもない、ただの身体強化の魔法です」


 リズがアンディのハンマーを砕けたのは、ただ単純に自分の拳を固くしたからであった。

 リズは防御魔法で敵の攻撃を防ごうとしたのではなく、自分の体を強化することで敵の攻撃を防いだ。


 しかしそれでもアンディの理解は追いつかない。

 自分の武器をただの拳に破壊され、呆然としていた。


「ご安心ください。今のは奥義ではありません」

「…………」

「奥義は、これから……」


 リズの不気味で濃い魔力はまだ彼女の拳に宿っている。彼女の言う耐久不能の奥義はまだこれからであった。

 彼女の拳の魔力が一気に高まっていく。より濃く、より深く、彼女の拳の周りでゆらゆらと揺らめいていた。


 アンディには大きな隙が出来ていた。自分の武器が少女の拳によって破壊され、動揺を隠せないでいた。


「はっ……!」

「…………」


 リズは両の拳を同時に突き出して、隙だらけの巨体のお腹を殴った。

 ぼよんと垂れたアンディの腹にリズの拳が埋まる。その拳自体には大して威力は無かった。アンディは突き飛ばされることもなく、怯むこともなく、ただその場で立ち竦んだ。


 しかし、すぐに異変が起こる。

 リズの両の拳に宿っていた不気味な魔力が彼の体の中に染み込んでいく。


「……え?」

「…………」


 どくんと、アンディの体の中が震えた。体が内側から震えた。


 戦士にとって、痛みとは克服するべきものである。

 戦場にはあらゆる痛みが蔓延っている。打撲、裂傷、圧迫、火傷、電撃……、戦士はそれらの痛みに耐えなければならない。


 痛みによる怯みは戦いの最中で致命的な隙となる。腕に傷を負って、その痛みで動けなくなり、その隙に命を取られてしまってはどうしようもない。

 だから戦士たちは痛みに対する耐性を得る為、日々自分の体を苛め抜く。


 痛みに屈しない体を手に入れようと、日々努力を重ねていく。

 あらゆる苦痛、刺激に対し負けないよう、鍛錬を積み重ねていた。


 しかし普通の戦士たちが完全に度外視している刺激がある。

 それは快楽だ。


 快楽に対する耐性を得ようという戦士はほとんどいない。寧ろ快楽は積極的に受け入れていくべき刺激だった。それは戦士だけでなく、普通の人間全般がそうであった。

 快楽は自分を幸せにするため、わざわざ防御する必要はない。そんなこと、当たり前のことであった。


 快楽に溺れようとする自分を戒めようとしているのは修行僧くらいのものである。しかし、そんな彼らでさえも自分の中の煩悩を制御しきることはとても困難な業なのであった。


 だから、ほとんど誰も快楽を防ぎきることなど出来ない。

 快楽はたくさんたくさん欲しいものであるからだ。


「だから、この拳は一撃必殺……」


 リズは言う。

 その瞬間、魔王軍幹部アンディの体の中で強烈な刺激が暴れ出す。リズの拳に宿った魔力がアンディの体の中に這いずり回り、強烈な快楽となって全身を駆け巡る。


 快楽、悦楽、享楽、逸楽、幸福感、愉悦、愉楽、満悦、快感、恍惚、歓喜、狂喜、驚喜、多幸感……。

 幸せの刺激がアンディの体の中で満たされ、彼の全てを支配した。


「淫魔最大奥義っ……!」


 リズは叫んだ。


「絶 対 ☆ 快 楽 拳 っ!」

「ぬ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!」


 リズの技の名乗りと共に、アンディの体は大きく震えた。

 ビクンと彼の巨体が仰け反り、そしてそのまま白目を剥く。もはや彼の体の内側は彼のものではない。

 駆けずり回るのは誰にもどうすることも出来ない程の強過ぎる快楽。それは彼の体と意識を完全に支配した。


 大き過ぎる快楽の刺激に、彼の意識は耐えることが出来ず、そのまま彼は意識を失った。

 ずんと巨体が後ろに倒れる。どんな攻撃も耐えてきた彼の巨体が倒れ伏せ、初めて地に背中が付いた。


「…………」

「…………?」


 校舎で見ている生徒たちにも、すぐ傍で震えていたアイナにも何が起こったのか分からない。

 しかし魔王軍幹部の体は倒れ伏せ、リズは両足でしっかりと立っているという事実だけが目の前に広がっていた。


 リズは魔法の鎖を作り出し、気絶したアンディの体を拘束する。

 そして、片手を天高く突き上げた。


 リズの完全勝利であった。


「わああああああぁぁぁぁぁぁぁっ……!」

「リーズリンデ様がっ……! リーズリンデ様が勝ったあああああぁぁぁぁぁぁっ……!」

「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!」


 学院中から歓声が響きだす。

 魔王軍の襲来という最大の恐怖から解放され、皆が歓喜に震え上がった。


 学院中の至る所で喜びの声が広がる中、リズは尻餅をついてぺたんと座り込んでいるアイナの元に歩き出した。


「さ、これで終わりです、アイナ様。よく頑張りましたね」

「…………」

「立てますか? お手をお貸ししましょうか……?」


 リズは自分の金色の髪を軽く払い、座り込むアイナに手を差し出した。


「…………」


 アイナは呆然としている。

 この数十分、一体何が起こっているのか分からなかった。魔王軍の襲来、リーズリンデの変貌、高度で速過ぎる戦い、最後の決まり手……。

 アイナには何も分からず、唖然としながらリズの事を見上げていた。


 そんな彼女に対し、リズはにこりと微笑んだ。


「……っ!」


 アイナの頬が赤く染まる。

 分からない事だらけのこの戦い。しかし絶対に揺らぐことの無い事実を、彼女は理解していた。


 自分はリズに救われたということだ。


「お……」

「ん……?」

「お姉さまっ……!」


 アイナは目を輝かせながら、そう言った。

 リズの手を取り立ち上がり、そしてアイナはリズの腕にしがみ付いた。


「お姉さまっ! お姉さまっ……! 私の命を守って下さって深く感謝します……! この御恩、一生忘れませんっ……!」

「ふふふ、大袈裟ですね。この程度の事なんでもないですよ?」

「お姉さまぁっ……!」


 自分にしがみ付いてくるアイナを受け入れ、リズはそっと彼女の頭を撫でた。

 アイナの表情がうっとりと恍惚の笑みに染まる。


「私、一生お姉さまに付いていきます……!」

「ふふふ、可愛い人。今度私の手作りクッキーでも食べますか?」

「いいんですかぁ!?」


 アイナの顔がぱあぁっと喜びで輝く。強く逞しくかっこいいお姉さまとお茶をする約束が出来るなんて、なんて幸せなんだと思った。

 手作りのクッキーに何が入っているかなんて、知る由もない。


「今までのお姉さまに対する数々の無礼、お許しください! なんでもします……! なんでもしますからぁっ……!」

「ん? 今何でもするって言いました?」

「喜んでさせて頂きますっ……! どんな罪でも償います……!」


 2人が今考えていることには大きな溝があった。


「ふふふ、いい子いい子」

「お姉さまぁっ……!」


 リズはアイナの頭を撫でる。

 自分の理解が及ばないほどの凄まじい戦いを間近で見せられ、命を救われ、アイナの心はリズに釘付けとなっていた。


 ただひたすら熱い視線がアイナから漏れ出している。そしてそれを、リズは正面から受け止めていた。


「リズっ……!」

「あれ?」


 その時、男性の大きな声がした。

 よく聞き慣れた男性の声、それとその仲間たちがリズに近寄ってきた。


「カイン様……お久しぶりです……」


 勇者カイン達が学院に戻ってきたのだった。


「早かったですね。もう2,3日掛かるものかと思っていたのですが?」

「あぁ、陽動だって気が付いてな。一瞬であっちの問題片づけて、急いで戻ってきた」

「なんだ。じゃあ私が頑張る必要なかったじゃないですか」

「ん……? リズ、お前……?」


 カインはリズの様子に違和感を覚え、彼女の顔を覗き込む。アイナはリズとカインの会話を邪魔しないように、しがみ付いていた腕を離して2,3歩下がった。


「あぁっ……!? これは、絶対☆快楽拳っ!?」

「な、なんだとっ……!?」


 倒れている魔王軍幹部アンディの様子を調べていたメルヴィとシルファが驚きの声を上げる。

『絶対☆快楽拳』によって敵がやられている。それはつまりリズが力を取り戻したことに他ならなかった。


「リズ……お前、記憶が戻ったのか……?」

「カイン様、1年分のパンツ下さい」

「くそっ……! 記憶戻ってやがる……!」


 カインたちは彼女の一言で今のリズの状態を正確に把握した。今までの絆が成せる技だった。


「おいリズっ、お前……」

「あ……」

「えっ……?」


 驚きながらも現状を把握するためにカインはリズに質問を投げかけようとした。しかしその前にリズの体がぐらついて、カインの胸にもたれかかる。

 リズの体はぐったりとして、倒れそうになっていた。


「お、おいっ! リズ!? 大丈夫か……!?」

「…………」


 カインはリズの体を受け止めて、優しく支える。リズの目はうつらうつらとしていて、まるで眠そうにしている子供のようであった。


「すみません、カイン様……。戻った……、取り戻したまでは良かったのですが……」

「…………」

「あいつ倒すのに結構力が要りまして……」


 リズは弱々しい声でゆっくりと喋った。


「また眠ってしまいそうです……」

「…………」

「まだまだ本調子じゃないようです、私……」


 リズは力と記憶を取り戻した。しかし敵を打ち倒すために大きな力が必要で、取り戻した力と記憶はまた眠りについてしまいそうであった。


「そうか……」

「……すみません」

「いいからゆっくり休め。まだ寝足りねえんだよ、お前は……」


 カインはリズの髪を撫でながら、そう言う。何も心配はいらないぞ、と言うかのように彼女の頭を撫でていた。


「……また起きたら、ゆっくりお話ししましょうね?」

「あぁ、またな」

「はい、また……」


 2人は微笑んだ。1年前の別れの時とは違う、穏やかな笑顔だった。


「次起きたら……ドキドキ身分に差のある学院生の禁断エッ〇ごっこプレイがしたいです……」

「はよ寝ろ、ドアホ」

「やん♡ 辛辣……♡」


 そう言って、リズはカインに抱かれながら眠りについた。

 時間にしたらたった数十秒の事であったが、リズはカインの胸に顔を埋め、すぅすぅと寝息を立てた。


 自分の大事な女性が自分の腕に抱かれて眠っている。

 その一時はとても穏やかで、何物にも代えがたい物であるようにカインは思った。

 いや、カインだけではない。その2人の様子を見ている彼らの仲間たちも、そんな風に思っていた。


「……ふぁああぁぁぁ。……あ、あれ……? カイン様……?」


 そしてすぐにリズは目を覚ました。

 眠そうな目を擦り、今の状況が呑み込めないとばかりにきょろきょろと周りを見渡した。


「……! そ、そうだ! カイン様っ! 大変です、大変なんですっ……! 学院に魔王軍の幹部が現れたんですっ……!」

「…………」

「先生たちでも太刀打ち出来なくて、凄いピンチなんです……! カイン様っ……! どうかお助けくださいっ……!」


 本当に慌てながら、リズはそう叫んでいた。

 彼女は魔王軍幹部を倒したことを完全に忘れていた。カインたちは苦笑いをする。


「リズ……おい、リズ」

「……はい?」

「魔王軍幹部はもう倒れたから」


 必死に慌てるリズを落ち着かせる様にカインは喋る。リズはカインに抱かれながら、ゆっくりと後ろを振り返って、倒れ伏せているアンディの姿を見た。


「え……? ええぇっ!? カ、カイン様がやっつけたんですか……!?」

「俺じゃねえよ」

「ええぇっ!? じゃあ一体誰が……って、わああぁぁぁっ!? 私なんでカイン様に抱き締められているんですか……!?」

「今頃かよ」


 リズが顔を真っ赤にしながら目をぐるぐると回す。

 何が起こったのか分からず、どうしてこんないい目を見れているのか分からず、恥ずかしさと心地よさで彼女の体がぐんぐんと熱くなっていった。


「私が眠っている間に、何があったんですかーっ……!?」


 そうしてリズは戸惑いの大声を発する。


 また何もかもが元通りになった、太陽がまだ高い穏やかな日の事であった。


次話『33話 エピローグ(1)』は明日 11/30 19時投稿予定です。

明日、取り敢えず最終回!

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……こっちの作品はシリアスだよ!
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