30話 【現在】 私がアイナです
【現在】
学院の中は戦慄と恐怖に彩られていた。
「ま、魔王軍幹部……!?」
「そ、そんなバカな……。な、なんでこんな場所に……?」
「う、嘘よ……! こんなの嘘よっ……!」
学院生達はおろおろと慌て、皆一様に顔を青ざめさせていた。顎が震え、歯ががちがちと鳴り、目の前の恐怖に震えている。
学院の校庭の中央に、堂々と巨体の化け物が居座っている。
魔王軍幹部アンディ・マッキントン。
先程自らがそう宣言した肩書であった。
4m程の巨体が肉をブヨンブヨンと弛ませながら、大きなハンマーを片手に握っている。恐ろしいまでに存在感を放っていた。
魔王軍。それは人にとっての恐怖そのものだった。
「お前たち全員を拘束し、勇者カインへの人質とするっ……!」
魔王軍幹部が低く唸るような大声を発する。あまりの大声に、学院の生徒たちは思わず耳を塞ぐ。
しかし耳を塞いでも、その迫力ある声を塞ぎきることは出来なかった。
「お前達学院の人間はもう二度とこの敷地から出ることが出来ないと思えっ!」
「そんなっ……!?」
「バカな……!?」
魔王軍幹部が他に仲間を連れている様子は見当たらない。その巨体になる前の黒いフードを被った普通の人間体形の事を考えれば、この巨体の化け物は人間たちの領域に密やかに単独で忍び込んだことが伺えた。
「勇者カイン達は私達の陽動に時間を割かれ、あと2,3日は戻って来られないだろう! 無駄な抵抗は止めることだ!」
「……!」
今この場に勇者カイン達の一行はいない。それはこの土地の近くに魔王軍の敵が忍び込んで活動を行っているという情報を得て、勇者達はその場に戦いに向かった為だった。
しかしそれは目の前の魔王軍幹部が言うに、彼が仕向けた陽動なのだという。
「…………」
「…………」
学院の皆の顔が青ざめる。
偶然ではなく用意された状況に対して、ほとんど絶望のような感情を抱えていた。
「無駄な事を止めるのはお前の方だ……! 魔王軍幹部アンディ・マッキントン!」
「んん……?」
校庭に出てきて巨体の化け物に近づき、声を掛けたのはこの学院の校長であった。
校長がアンディの目の前に立つ。
「……我々に勇者様に対する人質の価値は無い」
「……なんだと?」
「有事の際にはどうぞ我々学院を見捨て、世界の為に働いて下さい。我々は既にそう勇者様に自らの意思を伝えている! 我々の身に何が起ころうが、その為に勇者様が不利になるようなことは一切ない!」
校長が大声でそう叫ぶ。
「勇者様を学院に迎えることが決まってから、もう既に我々には覚悟が決まっている!」
「…………」
「時間をかければ王国軍の軍隊もこの学院を包囲する! 孤立無援であろうお前には、もう既に退路はないっ!」
学院を人質に取ろうとも戦況に一切の変化はない。そう校長は高らかに宣言した。
覚悟の決まっていない学院生達は体を震わすこととなってしまったが。
実際学院の人質を無視さえすれば、追い詰められているのはこの魔王軍幹部アンディの方だ。人間の領域に単身で突っ込めば、流石に魔王軍幹部と言えど分が悪い。
しかし、
「馬鹿め……」
「…………」
アンディはニヤリと笑う。
「それでも無視出来ないから、あいつは勇者なのだ」
「……っ!?」
魔王軍幹部アンディは大きくハンマーを振り上げ、地面にたたきつける。その周囲の地面は割れ、校庭にひびが広がる。
校長は即座に防御魔法を張るが、ハンマーの周囲に発せられた衝撃波はいとも容易くその防御を砕き切り、校長の体は吹き飛ばされた。
「ぐわあああぁぁぁぁっ……!」
「校長先生ーっ……!」
校長の体は高く舞い上がり、そして地面を何度もバウンドして、動かなくなった。1撃で戦闘不能に追いやられていた。
「更にもう1つ要求をさせて貰おうっ!」
魔王軍幹部が大声を出し、校舎の中にいる学院生達に向けて言葉を投げる。
「お前たち全員が人質であることは変わりないが……それとは別に、勇者と懇意にしていた者を10名差し出せっ……!」
「……っ!?」
「手始めの見せしめだっ! 体を痛めつけてボロボロにし、その写真を勇者達に送り付けてやるっ……!」
その言葉に、元々青ざめていた学院生達の顔が更に青ざめる。
ついに魔王軍幹部による暴虐が始まろうとしている。
「ゆ、勇者様と仲の良い10人……?」
「だ、誰……?」
「お、俺は違う! 一言しか喋った事ない……!」
校舎の中がざわつく。
「1時間以内に決まらなければ、適当な人間50人を痛めつけて写真を送ろう。数が多ければ圧力にもなるだろう」
「…………!?」
そのアンディの言葉に震え上がった。動揺は混乱を呼び、恐怖が学校全体に染み渡る。
「わ、私は違うしっ……!」
「お、俺も……! 勇者様たちとはほとんど交流がない……!」
「誰が勇者様と仲が良いのよっ……!」
混乱と恐怖で、犯人探しが始まってしまう。この学院の周辺は王国からの厳重な警備で守られており、彼らは今まで魔王軍の脅威にほとんど晒されたことが無かった。
ほとんど経験をしたことの無い恐怖は、彼らを恐慌状態に陥らせていた。
「……アイナ様が勇者様に取り入ろうとしていた」
誰かがぽつりと呟く。
「……え?」
「そうだ……。アイナ様はよく勇者様とお話をしていた……」
「もしかしたら、勇者様に気に入られているかも……」
「勇者様とアイナ様は仲が良かった……?」
誰かの呟きに呼応して、他の人たちもその意見に同調する。推測と噂がざわりざわりと広がって、それが校舎内の主たる意見となる。
その声は微かではあるけれど、魔王軍幹部アンディに届いていた。彼はアイナの名前を記憶する。
「ち、違……、わ、私は……」
アイナは顔をさっと青ざめて、よろける様にして後退をする。
白羽の矢が立ったのは自分だ。手も足も震え、呼吸は荒くなり、上手く声も出せなくなる。
「…………」
「…………」
皆の視線がアイナに集まる。アイナはふらつきながら後ろに下がり、そしてとんと背中が壁につく。
逃げる場所はない。もしかしたら自分は殺されるかもしれない。ガタガタと震えながら、涙が零れた。
「わ、私は……」
震える口は何の言葉も紡げなかった。
その時だった。
「ん……?」
「……え?」
3階のとあるクラスの窓から、1人の少女が飛び降りた。空中に身を躍らせて、数メートルある高さから傷1つ無く地面に着地する。
1人の少女が校舎の中から飛び出して、魔王軍幹部のいる校庭に着地したのだった。
「え……?」
「あ、あの人は……?」
校舎内の学生たちがざわつく。アンディもその少女を凝視する。
少女はゆっくりと歩き、巨体の化け物の方に歩みを進める。ふわりとした金色の髪が揺れる。
そして少女は魔王軍幹部アンディの目の前に立った。
「……初めまして、魔王軍幹部アンディ様……」
「…………」
少女は鋭い目つきで敵を睨む。それと同時に額から汗が垂れており、緊張状態であることが見て取れた。
「……私がアイナです」
その場にいたのは学院生リーズリンデだった。
少女リズはアイナの名を名乗った。
「……あなたを倒します」
リズの戦いが始まろうとしていた。
次話『31話 【現在】 今再び、魂が震えた』は明日11/29 19時投稿予定です。
残り後4話!




