3話 【現在】 隠し事と葉巻と痴女
【現在】
「いや~ん、勇者様かっこいい~!」
「ど、どうも……」
甘ったるい声が教室内に響く。
桃色の髪をした女生徒が勇者カイン様の腕にしがみ付き、媚びるような声を発している。
「そんなに素敵じゃ、アイナ、勇者様の事もっともっと好きになっちゃう~! も~! 責任取って下さいよね~!」
「…………」
しなを作り、勇者様に色目を使う女生徒はアイナと言う。
身を引こうとするカイン様を逃がさない様、彼の腕をしっかりと抱き、自分の胸を彼の腕に押し当てていた。
誰がどう見てもこのアイナという女生徒は勇者様に媚びて取り入ろうとしている者だった。
「全く、品性が無いですよ、あの女……!」
「前は公爵家のレストン様に媚びを売ってましたよ!」
「勇者様が来てからというもの、すぐにターゲットを変えて……、この学園の品位を落としてますよっ……!」
アイナ様という女生徒の評判は良くなかった。
勉強や魔法の技術などの学生の本分には精を出さず、学内での派閥作りに躍起になっている彼女は、周囲から評価され難い人間だった。
「勇者様ってぇ~、迷宮の奥底で金銀財宝を手に入れたことがあるって聞いたことあるんですけどぉ~、お金持ちなんですか~?」
「ま、まぁ……そういう事も、あったかな……?」
「や~ん! アイナ、困っちゃう~!」
何が困っちゃうだよ、と周囲の人間は心の中でぺっと唾を吐く。
「ア、アイナさん……は、離れて下さい……」
「も~! 恥ずかしがらなくてもいいんですよ~、勇者様~! アイナと勇者様の仲じゃないですか~!」
アイナ様はより強く腕に力を込め、カイン様は閉口していた。
「リーズリンデ様! あの女を強く注意した方がいいんじゃないのでしょうか!? 学園の品位に関わりますよっ……!?」
「そうですよっ! 勇者様も困っておられますし……!」
見かねたクラスメイト達が私の方に話を持ち掛けてくる。
しかし、当の私はというと……、
「う゛ーん……う゛ーん……う゛ーん……」
それどころではなかった。
頭を抱え、本当の自分の席で項垂れながら呻き声を上げている。
敵はアイナ様なんかではなく、正体不明の何かが私の中に巣食っているのだ。
「リ、リーズリンデ様は一体どうされてしまったのですか……?」
「く、苦しそうですけど……?」
苦しいのだ。
昨日、勇者様が来てからというもの、私は奇行を繰り返してしまっている。
「パンツください」などという訳の分からない事を口走り、そして無意識の内に勇者様の机や椅子に体を擦り付けてしまうという変態行為に及んでしまっている。
そんな訳が無い……!
何かの間違いなのだ……!
私がそんな事をする訳ないのだっ……!
私は清楚で健全な人間なのだっ……!
「う゛ーん……う゛ーん……う゛ーん……」
「ど、どうしてしまったのでしょう……、リーズリンデ様……」
「な、何かあったのでしょうか……?」
クラスメイトの皆に心配をされる。
私にはアイナ様に構っている余裕なんてなかった。
* * * * *
「はぁ……」
なんとなく調子の優れないまま、時間は放課後になった。
私は気持ちを律する為に、学内の清掃ボランティア活動に従事していた。構内に落ちているゴミを拾い、学校も自分の精神も綺麗にするのだ。
「はぁ……」
しかし、私はため息を1つ吐く。
昨日の発言、行動を思い出すと憂鬱にならざるを得ない。
アイナ様のようではないけれど、私だって人並みにはカイン様達と親しくなりたいという気持ちがある。出来れば彼らに好かれ、微力ではあるものの彼らの力になりたいと思っている。
しかし、昨日のはなんだ。
何がパンツだ。あり得ない。恐らく私の信頼度は地の底だろう。
本当の私はそんな人間なんかじゃないのに……。
なんとなく調子の優れないまま、清掃を行う。
……いや、調子は良い。体調も魔力の乗りも今日は冴え渡っている。魔法の実技訓練では今までにない威力の魔法が繰り出せたくらいだ。
まるでカイン様に行った変態行為が自分の力になっているようだった。
……そんな事はあり得ないんだけど。
「はぁ……」
そんな訳で、調子は優れていても、気分が優れていなかった。
もう何度目かのため息を吐きつつ、私はいつもゴミが多く捨てられてしまっている体育館裏の方へと足を運んだ。
「ん……?」
そこで気付く。
葉巻の匂いがする。白い煙がちらちらと見える。
誰かが体育館裏で葉巻を吸っているようだった。
校内で葉巻は一部を除き、全面禁煙だ。
体育館裏で隠れて葉巻を吸っている者がいるのだとすれば、注意しなければならない。
私はそれまでの憂鬱な気分を引き締め、大きく息を吸い込んで体育館の角を曲がった。
「こらっ……! そこで葉巻を吸っているのは誰ですかっ……!」
「うおっ……!?」
「えっ……?」
体育館裏で葉巻を吸う下手人の姿が露わになる。
そこにいたのは信じられない人だった。
「カ、カイン様……?」
「あー……」
葉巻をふかし、口から白い煙を出しているのは今話題の勇者カイン様だった。眉を顰め、バツの悪そうな顔をしてこちらを見ている。
「カ、カイン様……? こんなところで何を……?」
「…………」
私は面を食らう。
勇者であるカイン様というのは爽やかな好青年であると世間一般では言われている。常に礼儀正しく、所作は流麗で、謙虚で誠実な人間であると評判であった。
体育館の裏で隠れるように葉巻を吸うようなタイプではない筈だった。
「ま、お前には今更か……」
「え……?」
カイン様は私に見咎められても葉巻を吸うのを止めず、葉巻を咥えたまま、息を大きく吸い込む。葉巻の先端が赤く熱く燃え上がり、カイン様は短くなった葉巻の最後の一口を堪能していた。
「俺は元々こういう奴なんだよ」
「え……?」
昨日会話していた時よりも少し低いトーンでカイン様が話し始める。
「そりゃそうだわな。祭られてる聖剣を引っこ抜いて勇者だなんだ騒がれてっけど、元々畑しかねぇ片田舎で生活していた悪ガキだ。荒っぽい性根が治るわきゃねぇってな」
「え? え……?」
「元々俺は口が悪ぃんだよ」
そう言って、カイン様は少し意地の悪そうな笑みを見せた。
「そ……そうなんですか……?」
「まぁな」
それまで『私』とか『僕』と言っていた一人称が『俺』に変わり、口調もぶっきらぼうになっている。
目の前の男性の変化に驚きを隠せなかった。
「で、でも! 世間ではカイン様は爽やかなお人だって……!?」
「礼儀正しくねぇと周りがうるせぇんだよ。やれ身だしなみがなってないだの、やれ言葉使いが荒いだの、戦闘とは全く関係ない所で足を引っ張って来やがる。
全く、お貴族様は面倒で仕方ねぇ」
「…………」
唖然とさせられる。
勇者様のこんな姿は聞いたことが無かった。
「ま、いちいち歯向かって支援切られるのも面倒だからな。人前ではいい子ちゃん演じてるけどよ。そういう意味じゃ、俺もまだまだ甘ちゃんだな」
「お、驚きです……」
「チクんなよ?」
カイン様はニヤリと笑い顔を私に向ける。
その顔は昨日までの爽やかな笑顔ではなく、悪戯小僧の様に小狡く、しかし人間味に溢れる魅力的な笑顔であった。
私はくすりと笑ってしまう。
「でも……なんででしょう……?」
「あ……?」
「その方が貴方らしいと、私は今、そう感じています……」
別に知り合って長い訳でもないし、特別な関係であるわけでもないのに……、
私は今のぶっきらぼうな彼の姿が彼らしいと感じているのだった。
「……そうか? そう感じるか?」
「はい。不思議な事に……」
「そうか。そうかもな……」
そう言ってカイン様は、もう短くなった葉巻を口から離す。火のついた面を指の腹に押し当て、やや強引に葉巻の火を消していた。
私は手に持っていたゴミ袋を彼の前で広げる。
彼はそこに葉巻をぽいと投げ捨てた。
「なんつーか、こんな話をお前にするのは……どことなく奇妙な気分だ」
「え? なんでですか?」
「いや……なんでもねぇ。気にすんな」
カイン様は首を小さく振る。
なんだろう……? よく分からない……。
「……そんな事よりも、うちのクラスのアイナとかいう奴……、リズ、お前あいつを何とかしろよ。ビッチなんかに寄って来られても困るだけなんだが?」
「わ、私が何とかするんですかぁっ……? しょ、正直私には荷が重いかと……?」
「あ、いや……ビッチってのは言い過ぎだったな……。うちの元メンバーの方がずっと問題児のビッチだった……」
「そんな問題児がいたんですか……!?」
それって昨日言っていた、『パンツください』っていうのを日常的に言って来る人の事かなっ……!?
ゆ、勇者様のパーティーって、意外と闇が深いんじゃ……。
「こ、こう言うのもなんですけど、アイナさん以上の問題児って、相当やばいですよね……?」
「…………」
「……何故、私の事をじっと見てくるのですか? カイン様……?」
何故かカイン様は私の事を憐みと侮蔑がこもった目で見てきた。
い、意味が分からない……。
私はゴミ袋の中から彼が先程捨てた葉巻を取り出す。
「アイナ様の対策は私個人では荷が重いですけど……、少なくとも葉巻を吸う場所は変えた方がいいんじゃないんですか? 学園は基本禁煙ですけど、職員室の傍に喫煙のスペースがありますよ?」
「バカ言うなよ、勇者が葉巻なんて吸ってたらまたグチグチと小言を言われるじゃねえか」
カイン様はふんと鼻を鳴らす。
私は手に持った葉巻を咥えた。
「大変ですね……、勇者様という肩書は」
「まぁな。少し分かって貰えて何よりだ」
カイン様は肩を竦めた。私はそれを見て小さく笑った。
どんな人にも隠し事はあるという。勇者様は世界中から希望の星としての役割を望まれてしまった為、自分を隠す為の演技をしなければならなくなった。
しかし偶然にも、私はカイン様の本当の姿を見ることが出来た。
非常に自分勝手ではあるものの、それは嬉しい事だった。
「……私の前ではもう演技しなくていいですからね?」
「元よりそのつもりだ」
カイン様はニカッと笑う。私は図らずも彼の秘密を知ってしまった。だから、私は彼と着飾らずに接することの出来る関係になりたいと、そう思ったのだった。
口に咥えた彼の葉巻からは温かな香りがした。
「…………」
「……どうしましたか?」
目をぱちくりさせながらカイン様は私の事をじっと見ていた。
なんだろう……?
「いや……あまりに自然に動かれたから指摘し損ねてたんだが……」
「はい……?」
カイン様は自分の口を指で差す。
「……人の吸い殻、咥えるのはどうかと思うぞ?」
「はい……?」
……一瞬、勇者様の言っている事が分からなかった。
私は自分の口に手を当てる。
「……なっ?」
そこには先程まで彼が吸っていて、私が持っているゴミ袋の中に捨てた葉巻の吸い殻があった。
つまり……、彼が捨てた吸殻を私は無意識の内に掘り当てて、それをちゅぱちゅぱ吸っていたという事になるのだろうか……?
「…………」
「…………」
それは……、つまり……、
「……変態じゃないですかあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁや゛だ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁっ……!?」
私は叫んだ。叫んで、咥えていたカイン様の葉巻を口から離し、慌ててポケットにしまった。
「違うっ……! 違うんです、カイン様っ……! これはっ、そのっ……!? 何かの間違いというか……!? 決して私はそんな人間なんかじゃないんですっ……! 本当なんですっ……!」
「まぁ、人には誰にだって隠し事があるからな。俺の様に」
「違うんですっ……! 信じて下さいっ……!」
カイン様はカラカラと笑っていた。
違うんだぁっ……! 私は本当に清廉な人間なんだぁっ……! 不潔な事なんて今まで少しもしたことが無いって言うのにっ……!?
なんでっ……!? なんで、最近おかしいっ……!?
「違うんですっ……! 本当に違うんですっ……!」
「はいはい、分かった分かった」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁっ……! や゛だ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁも゛う゛う゛う゛う゛う゛ぅぅぅぅぅっ……!」
「ま、お互い黙り合ってような。秘密を分け合った同志な」
「違うんですう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛ぅぅぅぅぅぅぅぅっ……!」
私は地面に項垂れ、咽び泣いた。カイン様は私を見て楽しそうに笑っていた。
勇者様達が来てから何かがおかしい。
そう思わざるを得ず、今日も今日とて私は頭を抱えるのであった。
「……変態じゃないですかあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁや゛だ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁっ……!?」(C.V. 藤原竜也)