25話 【現在】 アイナと一流のジャーナリスト
【現在】
フォルスト国立学院の女生徒アイナは迷っていた。
「うぬぬぬぬ……」
放課後の帰路の中、彼女は腕を組みながら歩いている。彼女は最近ある悩みを抱えていた。
それは同じクラスメイトのリーズリンデに対することだった。
アイナは勇者カインの事を恋愛的に狙っているのだが、どうやらリーズリンデも勇者の事を狙っているようだった。しかも、もしかしたらもう既に男女の深い仲になっている可能性さえ存在している。
「うぬぬぬぬ……」
しかし、今のアイナの悩みは嫉妬や対抗心のそれではない。
リーズリンデに謝れるかどうか、という悩みだった。
先日アイナはリーズリンデを音楽室に呼び出し、勇者カインに近づくなと脅そうとした。
しかし傍にいた男子達が暴走。リーズリンデに激辛シュークリームを食べさせようとする乱暴を働こうとした。
……いや、なんで激辛シュークリームなのか……。アイナにはよく分からない。
でもそんなことはどうでもいい。男子達は彼女に乱暴をしようとし、結果としてリーズリンデはその窮地を1人で脱することに成功していた。
あの時は本当に怖かったと、アイナは思う。
だって皆がいきなりブヒブヒ言いながら、鞭で叩かれる度に、ありがとうございますっ! と大声を出していたからだ。
……あの地獄はなんだったのだろうか……。
いや、そんなこともどうでもいい、とアイナはかぶりを振る。
今考えなければいけない事は、間接的に自分がリーズリンデに乱暴を働きかけてしまったことだと、彼女は考える。
アイナはリーズリンデに乱暴を働くつもりはなかったのだ。
そして結果的にリーズリンデに助けられたということにもなる。
あの時、アイナは男子の1人に羽交い絞めにされ、身動きが取れなくなっていた。もし万が一、男子達がさらに暴走し、アイナにまで乱暴を働こうとしたのなら、彼女に逃れる術はなかったのだ。
リーズリンデがあの窮地を吹き飛ばしてくれたから、自分も何事も無かった。
そう言えるかもしれない。
「はぁ……」
アイナはため息をついた。
リーズリンデには謝るべきなのだろう。しかし、今まで敵だと見ていた女に頭を下げることが中々できなかった。
通学用のカバンの中にはリーズリンデに贈る菓子折りも入っている。しかし、声を掛けられない。謝れない。
そう簡単に自分を曲げることが出来なかった。
「はぁ……」
そしてまた1つアイナはため息を吐くのだった。
「お嬢さん……」
「ん?」
そんな事を考えてながら歩いていると、いきなり後ろから声を掛けられる。アイナは立ち止まり、声のした方に振り返った。
「ちょっとよろしいですか? お嬢さん?」
「…………」
自分を呼び止めた男性を見て、アイナは思わず眉を顰めてしまう。
それは見るからに怪しい男性だった。
無精ひげを生やし、長いロープを着て体の線を隠し、フードを被り、色の付いた眼鏡を掛けて顔まで隠している。そして何故かリュートという楽器を手に持っていた。
大声を上げて一目散に逃げようか、とさえ思った。
「あぁ、違うんです、私、怪しい者じゃないんです……」
「…………」
フードを被った男はそう言う。どっからどう見ても怪しい者だろ、と突っ込みたくなる。
「歌を……聞いてくれませんか……?」
「歌?」
「はい。歌を、作ったんです……」
「…………」
アイナの頬は引き攣る。
「ま、まぁ……1曲ぐらいなら、いいですよぉ……?」
「ありがとうございます!」
アイナは普段の猫かぶりの高い声を出して、そう答えていた。ここは人通りがない訳ではない。
いつも猫かぶりしている彼女としては、もし自分を知っている人がここを通り掛って、自分が人の頼みを断らない光景を見たのなら評価は少し上がるのだろう、という打算が働いてしまったのだった。
「こう見えて、歌には自信があるんです」
「えぇ、そうなんですかぁ~? すご~い」
アイナは猫なで声でそう答える。
フードの男は楽器のリュートを取り出し、音を合わせる様にぽろんぽろんと小さく弦を弾いた。
「では聞いてください……。タイトル『水魔法で濡れた女性はエッ〇だと思う』。いきます」
「ちょっと待て、こら」
今まさに歌い始めようと口を開いたフードの男を、アイナは止めた。猫撫で声では無く、低い地声で止めていた。
「……どうかしましたか?」
「どうしたもこうしたも無いわよっ……! 何!? なんなの、そのタイトルっ! 何歌い始めようとしてんの……!?」
アイナは激昂していた。当然である。
「ちょ、ちょっと聞いてください……! お嬢さん……! 私にはこれを歌わなければいけない理由があるのですっ……!」
「ないわよっ! あんたがどんな事情を抱えているのか知らないけど、そんなタイトルの歌を歌わなければいけない理由なんて世界中のどこを探しても無いわよっ……!」
「実は私、こう見えても結構有名な吟遊詩人なんです……」
「はぁっ?」
男性はフードの隙間から汗を垂らし、色の付いた眼鏡の位置を指でくいと直した。
「今から2年以上前、私はとある英雄の歌を書きました。その歌はすぐに広まり、たくさんの人に愛されることとなりました」
「あんたが? 有名な吟遊詩人?」
「はい……。しかし、あの歌はとある人物が1人、全く描かれていないのです……」
「なんでよ」
「その人は……稀代の変態だったからです……」
「はぁ?」
フードの男は悔しそうに顔を伏せ、アイナは首を傾げた。
「……私は、いえ私達は歌のクオリティの為にその変態の彼女の描写を描かずに歌を書き上げました。他の吟遊詩人たちも、その英雄たちに会い、皆一様に変態の彼女を描くことはありませんでした。
そして、吟遊詩人協会は変態の彼女を永遠に発禁処分にすることに決めました」
「……吟遊詩人協会なんてものがあるのね」
「はい、作品の権利などを管理している所です。発禁処分の為に、もうどの吟遊詩人も変態の彼女の姿を歌う事はありません」
「どんだけ変態だったのよ」
「すっごい変態だったのです……」
「はいはい」
アイナは呆れた。
「……しかし、私は思うのです。現実に起こった英雄の歌を歌っているのに、ある人物を抜かして歌うのは、吟遊詩人としてのジャーナリズムに劣った行為なのではないか、と……。今の現状は偏向的なジャーナリズム行為なのではないかと……」
「はぁ……」
「今になって私は思うのです。もし私に技術があり、発禁処分にならない程度にエロティックな描写を交え、変態の彼女に満足して貰いつつ、吟遊詩人協会にも許可を貰うことが出来たのなら……それが一流の吟遊詩人ジャーナリズムだったのではないかと……」
「よ、よく分からないけど……あんたもプロって事ね……」
握りこぶしを作り悔しそうにするフードの男に対し、アイナは口元を引き攣らせた。ジャーナリズムのプロ意識は全然分からないけれど、ただそこに熱い思いがあるのだけは分かった。
全く共感できなかったけど。
「だから私はエロイズムな描写に対して勉強をしなければいけないのです……」
「は、はぁ……」
「それでは聞いてください。『水魔法で濡れた女性はエッ〇だと思う』」
「げっ……」
勢いのまま、アイナは止めに入りそびれてしまった。
「うぉお~♪ 水魔法でびっしょり濡れた~女性は~♪ なんであんなにエッチなのだろう~♪」
「……最低の始まりね」
「水魔法に濡れて~ブラジャーが透けてしまった女性がとてもエッチなのは~分かりやすい~♪ でも~♪ そうでなくても~♪ 水に濡れた女性が~とてもエッチに感じるのは~何故なのか~♪」
「知らないわよ」
「シャワーを連想させるからなのか~♪ 髪が濡れて~少し水が滴っている女性が~♪ とても綺麗で~♪ うぉお~♪ あの胸の高まりは何なのだろう~うぉお~♪」
「ただの劣情よ」
聞いているだけでアイナは頭が痛くなった。フードの男は堂々と歌っている。
「水に濡れる女性は~どれも素敵だけれど~♪ 個人的には~ワイシャツの女性が濡れる姿が~一番グッとくる~♪ びしょびしょになって~えへへ、濡れちゃった、と困ったようにはにかむ姿が~とてもグット~♪
彼氏のワイシャツを借りて~大きめでだぼだぼのワイシャツを着てる女性だと~♪ もうドストライク過ぎてやばい~♪」
「でもワイシャツ借りるような状況だと、外に出ないし、濡れる機会なんてないでしょ」
「でも~♪ 彼氏から大きめのワイシャツを借りるような状況で~雨に打たれる事なんてないから~♪ そんな状況あり得ない~♪」
「あ、歌詞に入ってた」
目の前の男と思考回路が同じなのかと、アイナは本気で自分に悲しみを覚えた。
「うぉお~♪ ところで~25年くらい前に~♪ エッチな魔法少女の格好でA級冒険者をやっていた~フィオナちゃんは今何をやっているのだろう~♪ 小説とか演劇でよく見るエッチな魔法少女の姿で活躍していた~フィオナちゃんは~♪ 当時一世を風靡した~♪ 彼女は今~30代後半のはず~♪」
「過去をほじくり返すのはやめてあげなさいよ」
「うぉお~♪ あの子を見た時~若い私に~♪ ド淫乱でエッチな雷の魔術が落ちた~♪」
「なによ、そのワード」
「うぉお~♪ ド淫乱でエッチな雷の魔術が落ちた~♪」
フードの男のリュートを弾く音がゆっくりと小さくなっていく。
「うぉお~♪ うぉお~……♪ うぉお~……♪」
「…………」
「……ご清聴ありがとうございました」
「清らかでは無かったと思うけど」
「ご静聴ありがとうございました」
「いやみ? 全然静かじゃなくて悪かったわね」
フードの男が顔を上げた。
「どうでしたか……?」
「最低」
「ふむ……、もっと精進しないといけないという事ですね……」
「いや、止まりなさいよ」
その時だった。
「いたぞっ! 街中で淫らな歌を歌う不審人物めっ……!」
「確保ー! 確保ー……!」
背中に翼の生えた警察官がフードの男を見かけて、こっちに走り寄ってきた。フードの男はぎょっとする。
「ち、違っ……! わ、私はただ、健全なジャーナリズムの為に……!」
「何を訳のわからない事を言っている!」
「街中で淫らな歌を歌う不審人物がいると通報があったぞ……! お縄に付けっ……!」
「違うっ! 違うのだー! 私は表現の限界に挑み、社会に正しい情報を伝える正義のジャーナリストなのだぁ……! や、やめろぉ……!」
そう悲鳴を上げながら、そのフード男は翼の生えた警察官に縛られ、連れ攫われていった。時々見かける天使の警察官だった。
ぽつんと、アイナ1人が取り残された。
「……帰るか」
アイナは肩を落とし、どっと疲れた様子を見せた。
とぼとぼと帰路につく。
さっきまで何に悩んでいたのか忘れてしまう。ただ今は、家に帰ってゆっくりと休みたかった。
さっきのフード男は何者だったのか。
取り敢えず、今の騒動の大元の原因の発禁処分の変態の女性には絶対に会いたくないなぁ……とアイナは心に強く思うのだった。
謎のフード男……一体14話に出てきた何フィーナ男爵なんだ……。
そして謎の発禁処分の変態の女性……一体何リンデなんだ……。
あとこの世界、魔法少女のコスプレあるんだ……。
次話『26話 【現在】 パンケーキ料理対決』は1時間後に投稿予定です。